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ほぼ日刊イトイ新聞

2022-06-26

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・小沢健二さんの、コロナで延期になっていたコンサート。
 東京公演、いやぁ全力ぶりがかっこよかった。
 衣装も、バンド編成もアレンジも、演出や構成も、
 いかにも準備が行き届いていて、しかも生っぽかった。
 新しい感覚の「小沢健二オーケストラ」がそこにあった。
 小沢健二の「人生=LIFE」をまるごとぶつけるような
 真剣で豊かな時間を共有したなぁ。
 また「真剣」の話になっちゃったね、
 ぼくの興味は、いまはこればっかりだなぁ。

 で、ステージの撮影は禁止なのはふつうのことなのだが、
 おそらく撮影オッケーということになったら、
 みんながスマホを出して、どんどん撮影することだろう。
 と、そこまで思ってから、次の段階のことを考えた。
 ほんとうに写真を撮りたいような場面があって、 
 撮影ができないという場合は、どうすればいいのか? 
 よく言われることだけれど「心のシャッター」を切るのか。
 しかし、「心のシャッター」にシャッターボタンはない。
 目をぎゅっと閉じて場面を記憶するということか。
 それでは、ただの暗闇が記憶に残るだけだ。
 心のなかでシャッター音だけさせて、
 見えるものを凝視するということなのだろうか。
 あるいは、俳句じゃないけど、ことばを思い浮かべて
 それをメモしておくようなことだろうか? 
 うーん、なんだかそういうことじゃなさそうだ。

 写真は画像を残してくれるし、録音は音を残してくれる。
 しかし、写真や録音ではなく残しておきたい「思い」は、
 たぶん、ぼくの考えでは「残す」ことではなく、
 「ちゃんと感じる」ことのほうが大事なんじゃないかな。
 「わぁ」でも「おおお」でもいいし、声にならなくても、
 ちゃんと感じたことは、残そうとなんかしなくても、
 結果的に「思い出」として残るものじゃないかなぁ。
 その場面が鮮明に画像や音像として残っていなくても、
 「あれはよかったなぁ」という「思い」は忘れないものだ。
 あの人あのこのあのときの笑顔とか、ずっと憶えてるもの。
 そう考えると、いいカメラがいいレンズを持ってるように、
 人間にも、明るくて感度のいいセンサーがほしくなるね。
 これは、「思い」の経験で磨かれていくのかもしれないな。
 やっぱり「ちゃんと感じる」ってことか。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ちゃんと感じなくても、あんがい生きていけるものだからね。


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