お気に入り記事の保存はアプリが便利!

ほぼ日刊イトイ新聞

2021-04-20

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・先日、根拠もないのだけれど、ひとつの考えとして、
 「人は35歳でいったん完成するんじゃないか」説を、
 ここ「今日のダーリン」に書いてしまった。
 35歳から先は、目の前が三叉路みたいになっていて、
 もう一度、新しい人生を歩みだすという道と、
 そのままなんとなく先輩として足を動かしていく道と、
 どっちかを行くことになるというわけだ。
 20歳から35歳までの成長というのは、
 めざましいものがあったはずだけれど、
 35歳から先は、自然に成長したり熟練したりはしない。
 変化するにしても、ほんのちょっとなので、
 駆け引きの妙だとか、小さな人脈だとか、業界事情だとか
 微妙な「ほんのちょっと」をことさら大事そうに強調する
 昔のサラリーマン映画みたいな上司なども増えてくる。
 「そんなこと書くと、おじさんたちが怒るんじゃない?」
 とか言ってくれた人もいたけれど、それは、なかった。
 35歳から後を惰性で先輩ぶって生きようなんて人は、
 もともと「ほぼ日」になんか来ないのだろうと思う。

 このことを書いてから、なんとなく頭のなかで、
 たとえば50歳の人が二度目の挑戦をするというのは、
 どういうイメージなのだろうということを考えていた。
 ぼく自身が「ほぼ日刊イトイ新聞」を始めたのが、
 秋に50歳になるという年の6月だったので、
 じぶんのことでは切実にわかるのだけれど、
 ぼくはちょっと変わり者に思われやすいので、
 もっとわかりやすい例があったらいいなぁと思っていた。

 そしたら、あった、ものすごくおなじみの例が。
 野球の選手たちが、引退を囁かれるようになるのが、
 だいたい35歳を過ぎたあたりである。
 粘る選手で40歳、もう選手として成長するのは困難だ。
 選手を引退して、指導者になる人たち、コーチや監督や、
 なんならフロントのメンバー、タレント、自営業…。
 ものすごくわかりやすい第二の人生を、全員が歩むのだ。
 選手時代の思考も努力も、生活感覚も、すべて畳んで、
 まったく新しい道を、まったく新しく歩きだすわけだ。
 わかりやすいよこれは、「大選手で大監督」の人とかが、
 とんでもない偉人だったんだと、思えてきたよ。
 監督の練習は、素振りや筋トレじゃないもんなぁ…。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人生と一生は同義だと思われてるが、人生は二生か三生か。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る