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ほぼ日刊イトイ新聞

2021-01-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・期待されて、その期待に応えるようにものを考えて、
 それをことばにする、というようなことは少なくない。
 ぼくにも、それはあるし、
 おそらく、あなたも、それをやっていると思う。

 嘘をついているわけじゃないのだけれど、
 どう言いましょうか、ストーリー的に都合のいいほうに、
 ついつい持っていってしまうことがある。
 ここから、いったん「たとえばね」と書き出したのだが、
 それぞれの人にとってちがうものだよなぁと思ったので、
 思い出すことをやめた。
 まったく逆の「たとえばね」を書くことにする。

 吉本隆明さんのお宅に、よくおじゃましているとき。 
 どういう流れでだったか、こんなことを訊いた。
 「吉本さんの親鸞との出会いというのは、
 どんな経緯があったんですか?」
 もうちょっと聞き方はちがったかもしれないが、
 とにかく、吉本さんの答えが印象的だった。
 「家が天草で、あのへんの浄土真宗だったものだから、
 仏壇があったりね、年寄りはお勤めをしてたり、
 そういう環境があったということでしょうねぇ」
 とても真剣に訊いた、というわけでもなかったけれど、
 ぼくとしては、そういう意味での
 「正確な答え」がくるとは思わなかった。
 あれだけ「親鸞」について考えたり書いたりしてきて、
 いまも、好きな人物として「親鸞」を上げている人が、
 どんなふうに運命的に親鸞に出会ったのか、
 青年期になにかに行き詰まっているときに、
 なにやらという本があって…というような感じで、
 勝手になにやらのストーリーを期待していたのだろう。
 そしたら、答えが「家が浄土真宗だったから」だった。
 よく考えればわかることだけれど、
 その「家が」という答えのほうが、正確な答えなのだ。

 あのときの驚きと、うわぁ、ほんとうに経験を重ねると、
 こんなふうに考えたり言ったりできるようになるのか、と
 見上げたくなるような気持ちになったことを憶えている。
 期待に応えようとすることは、ほんとは少々危ういのだ。
 …この話、読む人の期待に応えてなかったかな?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ありのままを、ありのままに語るのは、とてもむつかしい。


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