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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-05-31

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「ほぼ日」をはじめるちょっと前から、
 ぼくは「商品環境」ということばをよく使っていた。
 商品は単独で存在しているわけではなくて、
 パッケージだとか売り場だとか販売する人だとか、
 そういうものが一体になってコンテンツになっている。
 早い話が、灯油の缶に入ったシャネルの香水はないよね。
 ということなのだが、これを大ざっぱに言うと、
 「容れ物ごとが、それ」ということになり、
 「メディアはメッセージである」というふうにも言える。

 この考えは、もう、ぼくの思考の基本になっていて、
 コロナウイルスはマスクで防げない、という話のとき、
 コロナの大きさと、マスクの繊維の穴の大きさの比較で、
 「簡単にすりぬけてしまう」という説明を聞いたときに、
 「コロナも生息環境ごと考えないと」と思ったのだった。
 つまり、コロナウイルスだって、
 唾液などの「容れ物」に乗って飛び出してくるのだから、
 ある程度は通り抜けにくいという効果はあるよな? 
 と、想像していたのだった。
 風だって、網戸や格子戸を通るときには、
 勢いが弱まってしまうのと同じことだもの。
 やがて、マスクは感染しないためよりも、
 感染させないためにしましょうということになった。
 やはり、ウイルスの環境ごとで考えられたわけだ。

 ラーメンだって、丼に入っている状態でラーメンだ。
 ふと思いついてしまったので、唐突だけれど、
 秦の始皇帝がやったと言われる「焚書坑儒」という弾圧、
 これも、書物を焼き払うだけでなく、
 考えをとなえた人間(儒者)を生き埋めにしたという。
 考えの「容れ物」である人間が発揮する力を、
 権力者がとても怖れていたということでもある。

 商品環境、唾液ごとでウイルス、ラーメンは丼ごと、
 思想は人間ごと、「容れ物まるごと」の考えは、
 ぼくにとっては、なにかするときにとても大事になる。
 古臭く思われるかもしれないけれど、
 いわゆるコンテンツ(本など)についても、
 その容れ物(装丁やらデザイン、売り場)を含めて、
 人をよろこばせているんだと感じている。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「人生は儚い」なんて3歳児が言っても伝わらないでちゅ。


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