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2019-09-20

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・めずらしく映画の試写に行った。
 白石和彌監督の『ひとよ』である。
 11月8日に公開だということだから、まぁ先のことだ。
 ただ、観て、まだ感想に熱があるうちに、
 整理されないままに書いておこうと思った。

 白石監督の映画は、ぼくが観たものにかぎって言えば、
 骨が軋むような暴力に彩られている。
 観客席で観ているだけなのに目から痛みが飛び込む。
 これ以上に暴力を強く描くと観念的になってしまう、
 というほんのちょっと手前でとどめているので、
 かえってリアルに想像できて怖いのだ。
 そういう作品をつくってきた監督が、家族を描く、と。
 矛盾に思えるような企画だなぁと思ったことが、
 試写に出かけようと考えた理由だった。
 暴力やら、悪党やらの真裏にあるような世界を、
 ひょっとしたら表現して見せるのだろうかな、と、
 冗談のような妄想もしてみたりした。
 ちがった。

 はなから無闇に暴力的な「父親」が登場する。
 しかし、家族への暴力というのは見たくないなぁと、
 やや目を細めるようにして画面に向かっていると、
 すぐに冒頭の暴力は退治されてしまう。
 思わぬ別の暴力によって、一発で消される。
 そこからは、暴力はほとんど登場しない。
 だからなのか、それゆえにか、こころの痛いことが続く。
 ずっと土砂降りの雨が降り続く。
 こころに骨があるとしたら、そいつが軋み続けるのだ。
 ずっと、嫌なつらさがしりとりのように連なっていく。
 家族のひとりひとりは、じぶんなりの判断をするのだが、
 その判断は、ことごとく裏目に出てしまう。
 観ているぼくらも、したかもしれない判断である。
 判断は、どんな人にも、いつでも求められている。
 そして、いつでも間違う可能性があるものだ。
 間違わないためにだけ生きることなどできない。
 で、ひとつ間違うと人生をどこまでも狂わせてしまう。
 恐ろしい2時間のくらい海に、ぼくは蹴落とされていた。
 終幕近くに、カーチェイスの映画っぽい恐怖があって、
 ぼくのこころは、かえって救われた気がした。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
観なきゃよかったと言うために、ぜひ観たい映画である。


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