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ほぼ日刊イトイ新聞

2020-01-28

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・道具としてのことば。

 立川志の輔さんは、もちろん立川談志さんの一門で、
 それも、いちばんというくらい、
 とても近くにいたお弟子さんだった。
 ということは、だれでも知っていることだけれど、
 師匠だった立川談志のことは、あまり多くは語らない。
 口を固くして黙っているという感じではないのだけれど、
 近くにいた「弟子の志の輔」として経験したことは、
 「談志の領分」だと考えているように、ぼくには見える。
 いわば、かつて秘書だった人が
 付いていた上司のことは語らないという感じに思える。
 なんだか、その姿勢が、ぼくにはとても美しく見えて、
 志の輔さんを好きな理由のひとつになっている。

 とても少なく語られる「志の輔さんの談志」のなかに、
 ずっと印象に残っていることばがあって、
 それが、なにか、ことあるごとに思い出されるのだ。
 談志さんは、弟子や近くの人にとっての大事なときに、
 冗談めかす感じでなく、まっすぐに
 「うまくやれよ」と言うのだそうだ。
 志の輔さんも言われたのだろうと思うし、
 他にも言われた人は何人もいたことだろうが、
 回り回って、ぼくまで言われたような気になってしまう。

 「うまくやれよ」は、すかっとかっこよくはない。
 なかなかに大人びた、功利的に聞こえることばだ。
 「じょうずに立ち回れ」ということではあるし、
 「情にまかせて下手なことをするな」ともとれる。
 血気盛んな若い人が言われたら、反発するかもしれない。
 しかし、「知恵をつかえ」という意味でもあるわけだし、
 「判断をまちがえないようにな」ということでもある。
 「がんばれよ」でも「負けるな」でもなく、
 「筋を通せ」でも「迷わず行け」でもなくて、
 「うまくやれよ」の複雑で寛容なひと言というのは、
 なんとも見事な「道具としてのことば」ではないか。
 そういえば、落語は「道具としてのことば」である。
 落語家の立川談志の、たったひとことの落語が、
 「うまくやれよ」だということも思えてくる。
 いつか、志の輔さんと話してみたいことだなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
これを読んでくれている人にも言おう、「うまくやれよ」。


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