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ほぼ日刊イトイ新聞

2019-12-13

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・「溺れる者は藁(わら)をもつかむ」ということわざは、
 あんまりいい意味では使われていない。

 溺れているときというのは、冷静な判断ができなくなる。
 藁につかまっても、水に浮かぶはずはないのに、
 そんなものをつかんで助かろうとすることがある。
 まぁ、そういうもんなんだよねぇ、ということだけれど、
 ちょっと冷たい観察であるような気もする。

 ぼくは、思えば、しょっちゅうというか、
 いつでもというか、ひたすらにすがれる藁を探している。
 ふつうに生きている人は溺れていないけれど、
 波が荒かったら、あるいは体力が失われたら、
 泳げる人だって溺れることは大いにあり得る。

 大海の真ん中で泳いでいるつもりの人間だったら、
 いつでも、じぶんたちが力尽きて溺れ死ぬというような
 危機感を持っていることだろう。
 漫然と立ち泳ぎをしていて、めしが食えるものではない。
 (ちょっと大げさになってきちゃったな…)
 とにかく、このままでいられるはずがないと思うから、
 生き延びるための方法を、必死で探しているのだ。
 なんとかしたい、いい方法がほしい、
 アイディアがほしいきっかけがほしいチャンスがほしい。
 そのことをいつも考えているから、
 なにもない海よりも、藁の浮かんでいる海のほうが、
 なにかしらの変化があって期待が持てるのだ。
 どんな藁でも、小瓶でも、流れてきたらありがたい。
 ただ見ているのではなく、それをつかんでみるのだ。

 ぼくも、毎日そういうことをしている気がする。
 藁だとわかっていても、あるだけでうれしくて、つかむ。
 どうにもならなかったら、捨てる、忘れる。
 これを繰りかえしていると、救命ロープが目に入る。
 浮き輪だか、船だかが、こっちを見つける。
 「どうやったらいいアイディアが出ますか?」
 という質問に対する答えは、
 「溺れて、藁をつかみ続けていると、出ます」である。
 藁でもつかみたいところまで溺れることが必要だと思う。
 藁は藁だけど、つかむ者の意思は希望につながるのさ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
妙に威勢のいいこと言っちゃったりして、ごめんなさいよ。


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