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2019-01-20

おしらせ

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

「ほぼ日の学校」で、
 シェイクスピアの授業を受けたり、
 万葉集の講座を聴講したりしているのが、
 ずいぶんとたのしい。
 「こういうの好きだったの?」とじぶんに訊いてみたい。
 シェイクスピアも万葉の歌も、学校にいるときは、
 じぶんから遠いものとして横目で見ていただけだった。
 しかし、義務でもなく、目的があるわけでもなく、
 古典と呼ばれるものに出合うということは、
 ずいぶんと気持ちのいいものだった。
 長い歳月に晒されながらも強く残ってきたものは、
 こちらが身をやわらかくして接すると、
 わくわくさせるような「おもしろみ」を見せてくれる。
 「わかる」とか「わからない」ということに因われて、
 親しくなれなかったことが、もったいなかったと思う。

 「ほぼ日の学校」に集まっている方々は、
 おそらく、そのテーマを専門的に学んできた人ではない。
 好きだったとか、興味がある、少し読んでいた
 というくらいの軽さでやってきた人たちだ。
 なんとものびのびと、なおかつ真剣に
 古典をたのしんでいる姿は、見ていても気持ちがいい。

 ちょうど、そんなことを考えていた時期に、
 上野の国立博物館で『顔真卿』の特別展があった。
 もちろん、ぼくが書に詳しいわけはない。
 書の世界で別格の扱いを受けている人だから、
 名前くらいは知っているという程度だ。
 展覧会に行って、そこに展示されている書を、
 「よさがわかるのか」と言われたら、返答に困る。
 そんな人間がなぜ行くのかわからないけれど、
 観てみたいと出かけたのは、幸運だったと思う。
 東博で書の展示で、観客はどれほど集まるのだろうかと
 (どうせ空いているだろう)と地下鉄に乗ったのだが、
 着いたら、いやいや、とんでもない満員だった。
 中国の人が、この機会にたくさん観に来ているのだ。
 歴史的でしかも世界的なスターの登場という感じなのだ。
 わかるわからないではなくて、「おお!」と言う場面だ。
 ぼくも、わかってるわけじゃない観客として、
 「なんだか、おおお」という思いながらたのしんできた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
書というものを大切にしてきた人間の歴史が、まず、尊い。


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