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ほぼ日刊イトイ新聞

2024-10-07

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ほんとは「じぶんで決められること」って、
 いっぱいあるんじゃないかなぁ。
 法律とか条例で決まっていることというのは、
 これは、じぶんで変えちゃいけないんでしょうが、
 それ以外で、「こうしなきゃいけない」であるとか、
 「これは、どうしたらいいのでしょう」と思っていること、
 そのうちのかなり多くは、ほんとは、
 「じぶんで決められること」なんですよね。
 ぼくは、これ、強くじぶんに言うようにしてます。

 ほんとに、そういう例は山ほどあると思うのですが、
 なにか身に覚えがあるようなことってないかなぁ。
 あ、たとえば、義務教育の学校に通っている子どもが、
 ある日「学校を休む」かどうかなんてこと、
 親と子どもで決めていいことなんじゃないでしょうか。
 それは、病気とかケガ以外の理由でもかまわないでしょう。
 家族で旅行に行ける予定が週日しかとれなかった場合、
 子どもの学校を休むとかって、いいと思うんですよね
 これ、ぼく自身の子ども時代にはなかったことですが、
 じぶんが親になってからは、もうすこし自由に考えました。
 休むと迷惑がかかるような日だったら別ですけどね、
 風邪をひいたのと同じようなものだと思っていたので。
 もっとも、ぼくの子ども時代というのは大昔なので、
 少しくらい熱があっても学校や会社に行くのが
 「しっかりした人」みたいに言われてましたけどねー。

 「こうすれば恥をかかない」とか「ふつうはこうだ」とか
 守っているほうがラクなのはわかるんですよ。
 叱られにくいというか、角が立たないというかね。
 でも、昔でも今でも、いつの時代でも
 「だれもが納得する判断」なんて、
 あったとは思えないんですよね。
 いまの時代だと、インターネットでちょっと検索すれば、
 「一般的にはこうです」なんてことがすぐ見つかります。
 便利といえば便利ですが、そういうことに慣れちゃうと、
 あらゆる「一般的」なやり方に合わせたくなっちゃう。
 これはつまり、「間違いたくないから」ですよね。 
 正直に言いますと、ぼく自身もけっこうこれやってます。
 やりながら、おかしいと思ってるんですよね、
 「セミフォーマルって何?」とか聞いたりしながらね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
いま現在のぼくは、「じぶんで決めること」多めにしてます。


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