ほぼ日カルチャん

大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師

ミュージアム

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もう一つの富士山。

もとじ

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「タイガー立石」。
名前に聞き覚えがあるような、
いや、ないような気もします。
千葉市美術館で開催されている
大回顧展のチラシを見ると、
何だか気になる作品が並んでいます。
知識ゼロで、足を運びました。

展覧会を観終わって、
自分がいつもとちょっと違う行動を
取っていたことに気づきました。

ちょっと変な行動、その1。
最初の展示室に入ってすぐ、その場で、
チームのみんなにLINEを連投しました。
「今見始めたばかりですが、とてもいいです」
「もう拍手!」
「タイガーなんです」
「久しぶりにたのしい美術館タイムが過ごせそうです」
(緊急事態宣言下だった)

その2。
興奮をおさえられなくて、
監視員さんに話しかけました。

その3。
マスクしているのをいいことに、
顔の下半分でリアクションを取りながら
観ていました。

その4。
いつも読み飛ばしてしまう年表を
頭からおしりまで全部読みました。

その5。
展覧会を出てすぐ、
お会いした広報担当の方を
質問攻めにしました。

その6。
いつもすべては読まない図録を
頭からおしりまで全部読みました。
あとがきまで読みました。
このあとがきがまた展覧会の核心でした。

以上です。
私はタイガー立石さんと、
この展覧会にご執心なのだなと
あとで振り返ってわかりました。

さて、ここまで具体的なことを全然書かなかったので、
年表と図録を全部読むほど気になってしかたなかった
タイガー立石さんのこと、
少しご紹介します。

1941年、太平洋戦争の始まった年に、
タイガー立石こと立石紘一さんは、
現・福岡県田川市、炭鉱の街に生まれました。
絵を描きたいけれど紙がなく、
2歳のときには、すりガラスに鉛筆で
戦争の絵を描いていたのだそうです。
小学1年生のときには、
図画コンクールで1等賞を取ります。
炭鉱全盛期の田川では、
映画や演劇、サーカスなど娯楽が盛んで、
ディズニー映画や漫画を追いかけた
華やかなものが大好きな少年時代でした。

中学校に入って、市立図書館の美術の棚を読破。
画家になることを決心します。
しかし、父親の理解が得られずに、
美術科目も教師もいない普通科の高校へ。
暗い高校生活を送ります。
一転、卒業後に上京し、
武蔵野美術短期大学に入学。
在学中に彫刻作品が入選したり、
読売アンデパンダン展に出品します。

大学卒業後すぐ、次の読売アンデパンダン展に
ネオン絵画「富士山」を計画するつもりで
ネオン会社に就職しますが、
展示が打ち切りになったため、
作品は完成にいたらなかったそうです。

千葉市美術館で最初に観るのがこのネオン絵画。
これは立石さんが亡くなったあと、
その計画書を元に制作されたものです。
この始まり方がまた、この展覧会の粋なところです。

ネオン会社は一年で辞め、
グループ展、個展を多数開催していきます。

▲荒野の用心棒(1966年)黒澤明の『用心棒』をリメイクしたマカロニウエスタンの『荒野の用心棒』をさらに立石さんがリメイク。

24歳のときの池袋西武での4人展は
中村宏、立石紘一、篠原有志男、横尾忠則
というメンバーでした。
赤塚不二夫らと漫画の共作もします。
プロとして収入が増え、漫画家として
売れっ子になりそうな危機感から海外移住を考え、
27歳のときにミラノに渡ります。
そこからなんと40歳まで、
イタリアでアーティスト人生を送ります。
その間、漫画から着想を得た
「コマ割り絵画」や、
広告、イラスト、漫画、多くの作品を生みます。

▲はじめに革命あり(1970年) 絵を合体させて漫画にしているイメージです。絵画の漫画。

▲レモンムーン(1975年)

イタリア、ジュネーブ、レバノン、ニューヨーク、パリ、
各地で個展を開催し、
仕事は多数あったものの、
イラストレーターや経営者になってしまうことを懸念して、
1982年、13年ぶりに帰国。
絵画や彫刻、マンガ、絵本を発表していきます。

▲百虎奇行(1989年)

▲借景亭(1992年)

▲ピカソや岡本太郎など画家をモチーフにした陶彫(1995-96年)

▲アンデスの汽車(1997-98年)

1998年、肺がんによる心不全のため、
56歳の若さで亡くなりました。

私はこの展覧会を最初、
「日本版ダリやマグリットに、
漫画やコミカルな要素が加わっているなぁ」
「風刺もあるけどそれだけじゃなく、暗くなくていい」
「画風が完成されてる、すごい」
などと思いながら観ていましたが、だんだん、
「これは、いろんな要素を横断的に
取り入れてますってだけじゃない。
ジャンルを超えて一つの何かが確立されている」
と感じ始めました。

今いる日本の大御所作家さんたちが富士山だとしたら、
もう一つ私に見えてなかった富士山が、
霧の中から突然現れたような気がしました。

私がした「ちょっと変な行動その5」、
広報担当の方を質問攻めにした中に、
「この展覧会、一体どうやって作られたのですか?」
というものがありました。
何か念のようなものを感じ、気になったのです。
巡回展の筆頭に立ったのは、
千葉市美術館の学芸員・水沼さんだったのですが、
展覧会を準備する途中で亡くなったのだそうです。
そこから、開催する美術館の担当学芸員さんたちが
それぞれに協力しあい、実現したそう。
私が感じた念は、水沼さんと、
その思いを引き継いだ学芸員さんたちの
ものだったのだなぁと確信したのでした。
図録の最後「あとがきにかえて」には、
この展覧会の開催経緯について、
埼玉県立近代美術館学芸員・平野さんの思いが
書かれています。

「大・タイガー立石展」は千葉市美術館で、
7月4日(日)までの開催です。
その後、青森県立美術館、高松市美術館、
埼玉県立近代美術館・うらわ美術館に巡回します。
ぜひどこかでご覧いただけたらと思います。

基本情報

大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師

会場:千葉市美術館
会期:2021年4月10日(土)~7月4日(日)
開館時間:10:00~18:00(金・土曜日は、20:00まで)
※入場受付は閉館の30分前まで
休館日:5月6日(木)、5月24日(月)、6月7日(月)
住所:千葉市中央区中央3-10-8

入場料:一般 1200円 / 大学生 700円 / 小中学生、高校生無料

公式サイトはこちら。