へなちょこ雑貨店。
一寸の虫の五分のたましい物語。

第22回 お客さんが来ない!?

毎度、ご来店ありがとうございます。
26 two-sixでございます。

前回、唐突に“とりあえず第1幕終了”としたために、
「また会う日まで〜」という
トワのお別れのようなメールを頂戴してしまいました。
あの、すみません‥「へなちょこ雑貨店」は、
性懲りもなくもう少し続けさせていただきますので、
どうぞよろしくお願いします。

それからお騒がせしてしまいました店のiMacですが、
先日ご機嫌が直りました!
あらゆるデータを抱え込んだまま寝込んだものの、
起こしてみたら無傷。
日頃の行いって、大事です。
いやいや、そういうことは
バックアップをこまめに取っている人が言うことでした。
(殊勝な感じで)この度はたいへんお騒がせしました、
すみません。
ご心配いただきまして、本当にありがとうございました。
たかがパソコン、されどパソコンであります。
ちなみに、じぶんたちで直したワケじゃないので、
原因はさっぱり分かりませんでした。

そうそう、「ほぼ日のれん会」会員番号1番からの
お知らせをひとつ。
「へなちょこ雑貨店」の連載はもちろん、
永久紙ぶくろ2の販売もさせていただくようになり、
おかげさまで最近、当店にも読者の方が
よくお見えになるようになりました。
そこで、ひとつとっても気になることがございますので、
この場をお借りして申し上げたいと思います。

お客さま:「いつも『ほぼ日』読んでます」
わたしども:「それはそれは、ありがとうございます。」

はい、今みなさまはこころの中でなんてつぶやきましたか?

「いつも『ほぼにち』よんでます」なら、オッケー。
わたしのこころも湖のように穏やかです。
では、
「いつも『ホボビ』よんでます」ではどうですかー、
お客さん!
もう、わたしのこころは一気にオホーツク海へ。
どどーん。
もちろん『ホボヒ』でも
日本海くらいまでは行っちゃいます。
ざっぱーん。

わたくしふぜいが、ほぼ日編集部のみなさまをさしおいて、
このようなことを申し上げるのは
なんとも僭越でございますが、読者の方々と
直接お会いする機会はわたしたちの方が多いもので、
言わずにはおれませんでした。
みなさま、「ほぼ日」は「ほぼにち」でございます。
どうぞおみしりおきを。
https://www.1101.com/read_me/know.html#read

さて、26 two-sixをめでたくオープンしたのは、
真冬の1月21日。
あれだけ騒いだ、いや騒いだからこそナニも起きなかった
Y2K問題もすっかり静かになった頃でした。
わたしたちの店があるジャンクヤードは、
その名前に偽りなし!ってな建物でして、
冬場はスキマ風がこたえるのです。
これはたまらん、と速攻でオオタケが
電気ストーブを買ってくれました。
そしてこの物件の前の借主の置きみやげである
エアコンのスイッチもオン。
すると間もなく「ガツ」という不吉な音と共に、
店内は真っ暗に。
そうです、オープン早々ブレーカーがダウンしたのです。
ヘコみ症のわたしは「幸先悪い〜」と泣き言を言い、
オオタケにまたしても「打たれ弱いなぁ、もう」と
叱られる始末。
他人に厳しく、じぶんにやわい、それがわたしの持ち味。
こういうことばかり書くと、
どれだけオオタケがゴウケツで、
わたしがセンサイかということばかり
目立ってしまうのよね。
「じぶんでセンサイとか言ってる奴に限って、
ぜんぜんそんなこたねーんだよ」と43人くらいの方が
モニタに向かって言っていることでしょう、今。

ゴウケツかセンサイかはともかく、
こう寒くてはお客さんだって来ません。
オープン当日は友だちが駆けつけてくれたおかげで、
多少はにぎわったものの、2日目からは
それはそれは静かになりました。
契約を決める前に何度かジャンクヤードを訪れた際は
「ごったがえす」という表現には遠いものの
「ひっきりなし」に若者が出入りしていたはずなのです。
うちの店に限ったことではなくジャンクヤードそのものが、
し‥‥ぃんとしている。
心配になったわたしたちは、ほかのお店の方に
「これはどうしたことか?」と聞いてみました。
すると、
「たいがい1月、2月というのは客足が遠のくものだけど、
それにしても今年はヒドイね」との回答。
「ありゃー、これはこの物件を選んだのは失敗だったかな」
と思ったわたしたちはどうしたか。

迷わずバイトを再開しました。


この話をするとたいがい笑われてしまうのですが、
じぶんたちとしてはごくふつうの考えだったのです。
じつはヒトサマに笑われてもまだ、ぴんと来ていない。
ナニがおかしいのだろう?と。
「ふつうは、店を盛り上げる方法を考えるでしょう」
あ、そうか。

店はこれでいいんだという確証なんてどこにもないのに、
「売れないならバイトする」っていうのは
確かにズレているのかもしれない。
しかしまぁ、その時のわたしたちは
「無いなら稼げ」とばかりにバイトを始めたのです。
‥と言うと、男前な感じに聞こえるかもしれませんが、
じつはあんまりヒマなもんで、
じぶんたちのこころの平穏のために始めたというのが
正直なところです。



この年齢までふらふらしていると、ムダにいろいろな職種を
「とりあえず経験」しているもので、
不況とはいえ2人ともすぐにバイトが決まりました。
「経験者優遇」ってやつですね。
「やったことあります」は、
バイト人間には決めの一言です。
ひとまずわたしは夕方から夜10時半まで派遣で、
オオタケは26の閉店後から深夜まで飲食店で働くという
時間割りでバイトを始めました。
つまり、26の店番はお昼過ぎの開店から4時頃まで
オガワが、続いて閉店までをオオタケが担当する、という
「システム」にしました。
このシステムはオープンからわずか1週間後には
出来上がったのです。

こうして、じぶんたちの店だけが売れないのではなく、
この建物自体に集客力がないということに対する
漠然とした不安を抱えたまま、
バイトと店番、どちらが「本業」か分からない
生活を送ることになりました。
店に入って来る客の全部がぜんぶ、
購入に結びつくわけではなく、
実際はその内の何割かしか購入しないわけですから、
「とにかく人がいない」という状況は、
さっくりと恐怖でした。
黒字になる日ははるか彼方であることは間違いない。
しかし、ヘンに焦らないようにすることを心がけました。
焦って「売れる商材」をかき集めるようなことを
してしまったら、じぶんたちで店を持った意味がない。
その件についてはすでに「なにを売るか?」を考えた時に
決めたはず。
売れる商材を集めて、
運良く名前を知ってもらうことに成功したとしても、
その後で“じぶんたちの色”を改めて出していくのは
難しいんじゃないか、そう考えたのはオオタケでした。
その考えはわたしを納得させ、今の商材に決めたのです。
だったら時間をかけてやっていこうぜ。
物件の保証金のことを考えれば、
3年は「まだオープンできていなかった日々」として、
気持ちの貯金がある。

って、今書きながらじぶんに改めて言い聞かせているような
気がしてきましたけども。

(つづく)

※文中、太字部分は、編集部へなちょこ番によって、
 施されたものです。



「Duckマークの
 メーカー」

左は、普通より
ちょっと大きめの
固形のり。
右は、
蛍光ペンで書くのと
同じように
マーキングできる
テープ。
店頭には、
このあひるの
メーカーの品
が多数アリ。
なぜかって・・・
いや、あひるのたすきに堂々と書かれている、
メーカー名が、その‥。
多分、絶対、日本には進出不可能でしょう、
ココ。
※真相は店頭でお確かめください、
てなもんで。。

2000-11-2-THU

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