SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

──夏休み特別篇──
中学生のための
ゲームクリエーター講座
 


第五回 情報

さて、今回は、ゲーム内に行き交う
「情報」についてです。
あまり意識したことはないかもしれませんが、
この情報こそがゲーム作品の力であるのです。
すこし抽象的かもしれませんが、
今回はゲーム内で提供される
「情報」についてお話しします。

★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

ゲームには重さも形もないので、
情報こそがユーザーにとっての唯一の栄養です。
すでに入手したアイテムも、
これから手に入れたい宝の地図も、
すべて「情報」が形を変えたものにすぎず、
その用途も次なる情報への足がかりにすぎません。
こう言い切ってしまうとあまりに切ないですが、
言い換えると
「情報を力へと変貌させることができる場」が
ゲーム世界と定義できます。
よいゲームほど、その増幅力が高いことになります。
ですからゲーム作りにおいて企画者は、
プレイヤーにどのような情報を与えるべきか、
どんな情報が嬉しいか、を考えるのが
仕事ということになります。

「情(なさけ)に報いる」と書いて情報

ここで、すこしゲームからはなれて、
そもそも情報とはなにか、という話をしましょう。
情報というのは、情けに報いる、と書きますから、
なにか人間臭いことが語源のようにも思えてきます。
実は情報という言葉を作り出したのは
森鴎外といわれています。
「戦争論」というドイツ語の書物を
日本語に翻訳している際に、
どうしても日本語にない言葉と遭遇した鴎外は、
事情の「情」と時報の「報」を組み合わせて
情報という言葉を作ったといわれます。
ゲーム企画者が企画を考える上で
まず知っておかなければならない事は、
この「情報」とはなにか? ということです。
情報だけがゲームプレイヤーの心情に報いる
唯一の手だてですから。

情報とノイズ(雑音)

そもそも情報ってなんでしょうか?
禅問答みたいですが、
情報であるものと情報でないもの、の違いは何か?
と聞かれるとなんとなくその答えは想像できませんか?
そう、普通に答えるとしたら、
情報とは役に立つものであり、
情報でないものは役に立たないもの、
といったことでしょうか。
この考えはとても重要です。
たとえば麻雀をしていて、突然参加者が
「ドラえもん」の牌を捨てたとしましょう。
プレイヤーはみな「なんだ、こりゃ!?」と
びっくりするに違いありません、
他人の手の内はわからなくても、
参加者は存在する牌をすべて知っていますから。
ゲームで大切なことは、牌やカードがすべて有限で、
かつ意味を持っていることです。
そこに使い道の不明なカードや
無用な不純物はありませんし、あってはなりません。
現実社会とちがって目的が明確なゲーム世界では、
必要なものと不要なものはおのずとはっきりしています。
ゲーム側がプレイヤーに、
惑わせることを目的に不要なものを与えると、
たとえそれが情報っぽい形態をとっていたとしても、
ゲーム性そのものが崩壊しはじめます。
この不純物をプレイヤーに与えると、
プレイヤーは混乱し、やがて
「くそゲー」とよばれるようになります。

情報は、より有利な選択肢を提供する

元レーサーの中嶋悟氏がずっと以前に
こんな記事を雑誌で書いているのを見た事があります。



「この先にガソリンスタンドあり、という標識。
 一見これは親切に見える。
 だが、実際のところこのスタンドを逃すと、
 あと何km先に次のスタンドがあるのか、
 がわからないと判断できない」と。
10Km毎にスタンドがあるのか、
それともこの先100kmはスタンドがないのか、
それによって判断はかわります。
この「判断ができる」、ということが
プレイヤーにとって重要なことなのです。
選択の余地が残されてないものは、
「通達」とか「通告」と呼ばれます。
より有利な未来を選択できるようになったとき、
通達は情報と名前を変えてゆくのです。

「いよいよ明日、刑が執行される事になったぞ」
ある日死刑囚が看守からそう告げられたとしましょう。
死刑囚にとっては、だからといって何もなすすべはない。
ただ「はいそうですか」というしかありません。
これが通告です。
ですが、もしこの死刑囚が実は
脱獄を計画していたとしましょう。
そのチャンスは一度きり、
刑の執行の直前のカツ丼をたべるタイミングです。
そうなったとたん、この通告は
一生に一度のチャンスにむけての
重要な情報ということになります。
死刑囚は脱獄のプランを
周到におさらいする行動にでるはずです。
情報といういのは、人により有利な未来を選択できる
チャンスを提供するものです。
もちろん選択の判断をするのは本人ですが。

選択肢と当事者意識

さて、ここまで述べてきている情報ですが、
実は、プレイヤーが「当事者意識」を持つための
重要な手法です。
判断と選択を繰り返すことによって
いつしかゲーム世界は作り手側から
プレイヤー側のものになってゆきます。
選択肢には、ひとつの正解やはずれがあるよりも、
トランプのカードのように、
それぞれ一長一短があるほど、
プレイヤーの人格が反映され、
当事者意識はたかまってゆくと私は考えています。
過不足がなく純度の高い情報はゲームの目的を明確にし、
よりプレイヤーをゲーム世界へのめり込ませてゆきます。

↑シミュレーションゲーム
「タワー」内のダイアログ。
この選択が何を意味するかをわかった上で
プレイヤーははじめて判断できる。

「タワー」を例にすると、ビル内で刻々と発生する情報は
ユーザーの栄養源となってゆきます。
ゲームのシステムを一言でいってしまえば、
スタート地点から、あれこれとアイテムを作って
人口を大きくし、さらにビルを拡大する、
というだけのものです。
ゲームで提供されるものは、
ゲームを進行させるためだけの情報だけであって、
現実社会に影響するものはなにもありません。
情報で得られる見返りは次の情報でしかないのです。
そんな虚構の世界に人々を誘う原動力はこの
「当事者意識」だけです。
情報によってクリエーターは
プレイヤーを共犯に仕立て上げ、
いつしか当事者となって、
クリエーターの見えざる手に導かれてゆく、
それがゲームの力です。

斉藤由多加さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2004-08-19-THU

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