SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

──夏休み特別篇──
中学生のための
ゲームクリエーター講座
 


第二回 ゲームの耳

前回はゲームというのは文法である、
といったような話をしました。

第二回目の今回は、
ゲームを企画する上でとても重要なお話をします。
それは「ゲームは耳をもっていなければならない」
というお話です。


テレビゲームがテレビ番組と相性が悪い理由

逆説的ですが、テレビゲームほど
ディレクター泣かせのテレビコンテンツはありません。
情報番組などでは、ゲームのヒット作を
紹介しているものをときおり見かけます。

出演者が大げさなリアクションをとってみたり、
その表情を画面分割してみせたりと、
おもしろさをなんとか伝えようと
四苦八苦している様がありありと伝わってきますが、
番組を見ている側はいまひとつピンとこないものばかり。

ニュースから最先端の音楽クリップ番組にいたるまで、
テレビはさまざまな映像と音声を
表情豊かに送り届ける事ができますが、
なぜかテレビゲームだけは
うまく伝えることができないのです。

すべてのゲームは未完成である

なぜテレビ番組はテレビゲームを
うまく伝えられないのか?

禅問答のようですが
ここにゲームの最大の特徴があります。

プレイヤーが参加してはじめて完成するという点で、
ゲームはそもそも未完成なものです。
単体では存在できない。
プレイヤー不在では進まないどころか
誰かに見せることすらできない。
それがゲームです。
プレイヤーのDNAと融合してはじめて完成するもの、
それがゲームなのです。
絵や音はボールやラケットと同じ、
ゲームの部品です。
だから、テレビで放送されている
ゲーム映像というのは
「どこか他人のゲーム」ということになります。
他人が飯を食っているのを
ぼーとみているのと同じで、
ゲームをテレビで見てもおもしろくないというのは、
あたりまえの理屈です。

ゲームの本当のスクリーンはどこにある ?

映像や音そのものにゲームの本質はない、
という話をしました。
プレイヤーが参加してはじめてゲームは完成される、
という話もしました。
ではそのゲームの本質は
どこに映し出されているのでしょう?

それは(ブラウン管ではなく)プレイヤーの脳裏です。
これはゲームクリエーターを志す人には
覚えておいてほしい大切な事です。

わかりやすいたとえ話をしましょう。

高校受験に先立つ模擬試験の結果。
塾のサイトにはあなたの偏差値と
希望校合格の確率といった、
診断結果が表示されています。
ここには、3Dのアニメーションも
ステレオの効果音もついてません。
ただただあなたの人生を左右する情報が
画面上に羅列されているだけです。
画面は静かですが、皆さんの脳裏には、
「ゼルダの伝説」でもおよばないほどの緊張と
恐怖感を巻き起こすのではないでしょうか。

模試の結果サイトが
それだけインパクトを与える力があるのは、
そこにうつしだされている情報が
自分のDNAと融合しているからです。
本当のスクリーンはその人その人の
脳裏にありますので、
他人はそれをみることはできない。
だから、テレビ番組のゲーム画面だけをみても、
いまひとつピンと来ないのです。

さてゲームに話を戻します。

ゲームのスクリーンがプレイヤーの脳裏というのと同様、
ゲームの本当の効果音は、
スピーカーから出てくるものなんかじゃありません。
それらは、実はあなたの「ああー」とか、
「くそっ」とかいった音なのです。
これにまさる効果音はない。
ゲームクリエーターが本当につくるべきは、
この「ああー」とか「くそっ」という
最高の効果音が出てくる「場」なのです。

すぐれたゲーム作品は「耳」から 創られる。

ゲームのインパクトはグラフィックではなく、
投影される自分自身で決まるという話を
今回はしてきました。

最近の若いゲームクリエーターは、
「何を見せるか」から発想する傾向があります。
まず物語を考えて、その映像を
どれだけのクオリティーで見せられるか、
で勝負しようとします。
こういうのを「口達者なゲーム」といいます。
ゲームとして発売されるには、
どこかにゲーム性が入っていないとならないから、
途中途中に定型化されたゲームを挟み込みますが、
こういうゲームは耳をもっていません。
いくら口が達者でも耳をもたないゲームは
映像演出が派手で誰がやっても同じような結果をたどる、
いわばゲーム性に乏しい作品となります。
国内外をとわずこういうゲームが最近多いのは、
新型ゲーム機が映像処理の能力ばかりを
売りにしてきた結果ともいえるかもしれません。

これに対し秀作といわれるゲーム作品は、
「何を聞くか」から発想されます。
いうまでもなく聞くというのは入力を意味します。
これを「聞き上手なゲーム」といいます。
プレイヤーが入力した意味をソフトウェアが受け取って、
処理をして返す。
これはソフトウェア設計のごく基本となる考え方です。
派手なゲーム界においては
極めて禁欲的な手法に見えますが、
それをつぶさに織り上げてゆくと、
「自分を投影する鏡」のような
表情豊かなゲームソフトが登場することになります。
一人一人違った様子を作り出す環境です。

耳のあるゲームほど、映画のように小気味よく、
誰が見ても1時間40分でおわるわけにはいきませんし、
敏腕ハリウッド監督もいません。
が、それはよいゲームというのは
皆さんにとって一番大切な無名監督の席が
きちんとリザーブされているからなのです。

「あなた」という監督の席が。

斉藤由多加さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2004-07-22-THU

BACK
戻る