SAITO
もってけドロボー!
斉藤由多加の「頭のなか」。

マック回帰への道 その5
ハッピーバースデー、マックその2




前回にすこし触れた出版の件だが、
毎日コミュニケーションズから、
マックの歴史に関して書いた本が二冊、
急きょ復刊することがきまった。
ここのところ、その書き直しなどに追われていたが、
これでマック20周年に間に合わすことができる。
なんともありがたい話である。
そのうち一冊は「林檎の樹の下で」というタイトル名の
日本側のノンフィクションである。
復刊の連絡を取りはじめていたら、
登場人物である福島正也さんが
他界されていることを知った。

福島さんはアップルジャパンの初代社長で、
キヤノン販売と総代理店契約をまとめた方である。
ご承知の方も多いと思うが、
キヤノン販売がなければ
日本でマックはここまで普及していなかった。
氏は1985年当時マックOSの漢字化をめぐり
アップル社会長スティーブ・ジョブス氏と揉めに揉めて、
志半ばでアップルを去った。
今年6月でアップルジャパンは20周年を迎えたわけだが、
昨年9月に他界されたというから、
自ら設立された会社の成人式を目前に控えて
亡くなられたことになる。
訃報を知らぬままでいた自分を恥じつつ、
慎んでご冥福をお祈りしたい。


いかなるハイテク産業も、
それを成功に導いている原動力はいつでも人間だ。
しかも、かなり汗臭い「ド根性」だったりする。
日本はフランスと並んでマックのシェアが
高い国で知られるが、
その成功までの歴史を調べてゆくと、
やっぱりこの汗臭さにぶちあたった。
12年ほど前に取材をはじめた当初は、
そこにもっとかっこいいサクセスストーリーが
あるのかと思っていた。
でも実際はというと、名の知られることのない、
そしてアップルを愛して止まない、
多くの日本人たちが手を汚しながら
格闘する様があるだけだった。
福島さんは、正確にいうと日系アメリカ人である。
生まれは和歌山だがアメリカで育ち、
四十半ばを過ぎて日本に赴任した。
アップルを好きな人というのは
たいていハイカラ好きな人が多く、
度重なる取材を通じて
氏もその一人であることを強く感じた。
おそらくは、第二のアメリカンドリームを
日本でも再現したかったに違いない。
漢字マックの設計を幾度か日本側で試みている。
日本への技術流出を恐れたジョブス氏に潰され、
その物語はまさにスポ根なみのドラマだ。
初の日本語環境である「漢字TALK」の登場は、
福島氏が(そして皮肉なことに、
スティーブ・ジョブス氏までが)
アップルを去るのを待つことになる。

今回、膨大な取材メモや資料を整理していて、
アップルジャパン設立の案内状を見つけた。
おそらくは、現存する唯一のものだと思う。
スキャンしたものをこの場でご紹介させていただき、
故人の功績を称えるとともに、
哀悼の意を表したいと思う。

齋藤さんへの激励や感想などは、
メールの表題に「齋藤由多加さんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2003-10-02-THU

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