hawaii
ほんとうにほんとのハワイ。

■Vol.9 母の血筋をたどって
 Dudoit(デュドワ)part3

私は、母の先祖について
調べ始ることにしました。
しかし、父方のほうと違って、
母の血筋はわからない部分がとても多く
謎に満ちていました。
母方のデュドワという苗字は
フランス系としては、現在ハワイでもっとも
大きく、古い一族のひとつとして挙げられます。
私の曾曾曾祖父ジュール・デュドワは
19世紀に初めてハワイにやってきたフランス人でした。
彼の息子がKaho'ilina Paki(カホイリナ・パキ)
という名のハワイ人女性と結婚し、
それで初めてハワイとフランスの血が
混ざり合ったといいます。

“パキ”というのはハワイでは王族の名にあたります。
カメハメハ・スクールやビショップ・ミュージアムを
創立したBernice Pauahi Paki Bishop
(バーニース・パウアヒ・パキ・ビショップ)や、
後にハワイの最後の女王リリウオカラニとなった
Lydia Paki(リディア・パキ)などは、
パキの苗字をもつ人の中でもよく知られています。
ところが、私の曾曾祖母カホイリナについては
あれこれ調べてみても、
いつもはっきりとしたことがつかめず
必ず途中で行き詰まってしまうのです。

バーニース・パウアヒ・パキは
カメハメハの血筋の最後の人物です。
しかし、同じ苗字を持つカホイリナが
カメハメハ一族とどのくらい近い血族にあたるのか、
それについては誰も知らないのです。
私が子供の頃耳にした
“カホイリナはパウアヒの姉妹で、
 フランス人のデュドワと結婚したために
 一族から勘当されてしまった”
というのが、一番まことしやかに語られていた説。
当時のハワイは、イギリスとの親交が深く、
王族と英国人との結婚も少なくありませんでした。
そんなとき、イギリスの敵対国にあたる
フランス人との結婚は、外向的に
非常に問題があったのではないかと憶測したのです。
この仮説は、カホイリナについての記録が
きちんと残されていないことを説明するのには
充分のように思われました。
そして、私を含め多くの人が
この説を信じていたわけです。

ところが私は、今回新たな事実を
知ることとなったのです。

この連載のために、
噂ではなく確かなことを書きたいと思った私は、
永い間ほとんど交流のなかった従姉に
連絡をとってみることにしました。
以前、彼女が家系について
調べていると言っていたことを思い出したからです。
すると彼女は
「ものすごいタイミング!
 あなたが知りたいことについて
 完璧に答えてくれる人がいるの。
 その人を紹介してあげる」
と言って、家系図調査の専門家を教えてくれたのです。

その人から届いたEメールには
『カホイリナの父親は
 Abner Paki(アブナー・パキ)という人で、
 母親はLiliha(リリハ)という女性だった』
と書かれていました。
アブナー・パキはパウアヒの父であり、
リリウオカラニは彼の養女でした。
一方、リリハは由緒ある一族の血を引く女性で、
Boki(ボキ)という男性と結婚していました。

Boki(ボキ)とLiliha(リリハ)の肖像

これは、私が想像していた話より
はるかに複雑なものでした。
つまり、私の先祖であるカホイリナは
お互いほかに伴侶がいるという男女の間に
生まれた子供だったということです。
カホイリナの両親は
ふたりとも地位ある存在だったため
生まれてきた彼女の名前が記録に残らないよう
取り計らったというわけなのです。

生まれてからすぐに、彼女は親戚に預けられ
違う苗字を与えられて育ちました。
ところが、彼女は大人になってから
実の父の姓、パキを名乗るようになります。
なぜ、彼女がパキを名乗ることになったのか、
パキという非常に影響力のある名を使うことで
その後の彼女の人生はどう変わったのか、
それについてはまだ分かりません。
でも、ずっと隠してきたことを敢えて公にするのだから
そこには、やはりなにか理由があったとしか思えません。

さらに、彼女の結婚についても
新たな事実が発覚しました。
今まで私は、カホイリナとデュドワの結婚は
勘当されるほどの許されざる恋だったのだと
ややロマンティックな物語を想像していました。
しかし、実際には、それはハワイの王室と
フランス領事との政略結婚だったのです。

子供の頃から聞いていた恋物語が打ち消され、
それどころか、ふたりの結婚には
愛もなかったのかと考えると
寂しい思いが私の中に込み上げてきました。
しかし、どこの国の歴史でも当たり前だったように
ハワイでも政治的な結婚は少なくなく、
とくにその当時は、力のある外国人と
王族の結婚は頻繁に行われていました。
カホイリナの結婚も
その数ある政策のうちの
ほんのひとつに過ぎなかったというわけです。

これらの事実を突き止めたことで、私の思いは、
幼い頃カワイハオ・チャーチを訪れた
あの日に呼び戻されました。
いま、ようやくヴァレンタイン伯父さんが言った
「君はアリイ(王族)なんだよ」
という言葉の真実が理解できたのです。

現代に生きる私にとって、
先祖の地位を誇らしく思う気持ちはありません。
しかし、先祖をたどることで
ハワイがたどってきた歴史を
もっと深く知ることができると実感しました。
単に歴史を学ぶというのではなく、
“私の先祖”という繋がりが
過去を生きてきた人々の思いを
さらに身近に感じさせてくれるのです。
その、大いなる歴史は、
いま、私自身の体に流れる血に
繋がっているのですから。

こうして、私は両親の先祖をたどり、
その歴史を振り返ってみたわけですが、
今感じるのは、これはまだ
“ほんのわずかな一部”にしか過ぎないということ。
調べれば調べるほど、新たな事実、
実際に生きた人の“顔”が、
だんだんはっきりと見えてくる。
少し知ったことによって
以前よりも「もっと知りたい」という
気持ちがより強くなったように思います。

前にも書きましたが、
ハワイ人にとって、過去は未来と同じくらい
重要なものなのです。
私は、私自身以外の何者でもないし
私の人生は、私だけのもの。
だけど、私がどこから来たのかということは
私の人生にとって、
とても大事なことのように思えるのです。

さて、そんなわけでこれまでは
私の先祖にまつわるハワイの歴史の話を
聞いてもらいましたが
次回からは、私の愛するハワイの文化について
お話していこうと思います。

2000-06-21-WED
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