hawaii
ほんとうにほんとのハワイ。

■Vol.6
 “Eddie Would Go” Part3

アンクル・エディの死から
20年が過ぎたいまもなお、
ハワイの人々、そして
サーフィンを愛する世界中の人々の間で
アンクル・エディの存在は
伝説となって生き続けています。

アンクル・エディの死の数年後、
彼の友人の一人でビッグウェーブ・サーファーであり
サーフボードのデザイナーでもある
ジョージ・ダウニングが、
クイックシルバーというサーフィン・グループに
エディ・アイカウの名を冠した
サーフィンの大会をつくろうと提案しました。
エディの名にふさわしい
世界でもっとも高い波に挑戦する大会を
つくりたいと思ったのです。
そうして
“The Quicksilver In Memory of Eddie Aikau
 Big Wave Invitational”
という大会が生まれました。
このイベントの会場はもちろん、アンクル・エディが
ライフガードを務めたワイメア・ベイ。
ハワイの伝説のヒーローを尊敬する
世界中のサーファーたちが
ワイメアに集まることになったのです。
毎年、イベントの始まりには
参加者全員がレイを首にかけ、湾の中央まで
サーフボードを漕いでいきます。
そして、全員で手をつなぎ円をつくり
アンクル・エディのために祈り、
それからレイをはずして円の中心に投げて
偉大なサーファーの魂に敬意を捧げます。
これが、“The Eddie”(サーファーたちは
このイベントをこう呼ぶのです)の
伝統的なオープニング。

この大会は、絶え間なく20フィート
(約6メートル)以上の波があるときでないと
行なえないため、たびたび開催が
見送られてしまうという、
世界でも珍しいサーフィン・イベントです。
ビッグウェーブ・シーズンと呼ばれるほど
高波の多いオアフ島ノースショアの冬は
サーファーにとってとても貴重なサーフィン・スポット。
だから“The Eddie”の出場資格を得るような
世界のトップ・サーファーたちは、毎年冬の時期、
高い波を求めてノースショアに集まっています。
そして、今年こそ“The Eddie”が開催されるようにと
祈りながら待っているわけです。
“The Eddie”で勝つということは
多くのサーファーのなかでも
世界一高い波を乗りこなすという特別な能力を
持った者にだけ与えられる最高の栄誉なのです。

初めてこの大会が開かれた1986年。
第1回の優勝者はアンクル・エディの弟の
アンクル・クライドでした。
そのときの、アイカウ・ファミリーの
喜びといったら大変なものでした。
さらに、アンクル・エディがかつて
サーフィンを教えたハワイ人の若者の多くが、
いまこの大会に出場できるほど
立派なサーファーになっていることも、
アンクル・エディにとっては、
大きな喜びだったに違いありません。

彼の伝説は消えることはありません。
彼の肉体は消えてしまっても、
魂は私たちの中に生き続けているのです。
もしみなさんがハワイを訪れたなら、
それが事実だということをすぐに
感じることができるでしょう。
たとえば、ハワイで車を走らせれば
バンパーに“Eddie Would Go”と書かれた
ステッカーを貼っている車を
そこらじゅうで見かけるはずです。
いつもそのステッカーを見つけるたび、
私は、ほかの人たちも私と同じように
アンクル・エディを尊敬し、
愛してくれているんだと感じて
幸せな気持ちになります。

でもこれは、ハワイに限ったことではありません。
以前、東京の世田谷を歩いているとき、
サーファーらしい日本人の男の子たちが
アンクル・エディの顔を背中にプリントした
Tシャツを着ているのを見たのです。
そのとき私は、
思わず泣きそうになってしまいました。
こんなにも離れた外国で、
私のおじさんを知っている人たちがいる……。


つい先日、ハワイの父から突然の電話がありました。
私の父は、アンクル・エディと同じように
自分の時間のほとんどを海で過ごす人です。
5年前に退職した父は、
現在はカヌーを人々に教えることに一生懸命です。
彼からの電話の内容は、
ホクレアが次の航海でマウイに寄港する際の
歓迎のセレモニーに父が招待されたということ。


ハワイの画家、ハーブ・カネが描いたホクレア号。

私が、日本のホームページで
アンクル・エディについて書いていると話すと
「お前は心に大切に思っていることを
 多くの人に伝えようと頑張っている。
 私はそれがとても嬉しいよ」と父は言いました。
その声はかすかに涙で震えているようでした。

さらに彼は、ホクレアが来年日本への来航を
計画していると教えてくれました。
しかも、その際にはもしかしたら
父もクルーとして参加するかもしれない、と。
父は子供のように興奮しているようでしたが
娘である私にとっては、
まったく不安がないというわけにはいきません。
それがとても厳しい航海になることは
誰もが知っているのです。
しかし、父にとっては夢をかなえる
またとないチャンスだということもわかります。
父は、アンクル・エディが20年前に挑戦したことの
重さをよくわかっているのです。

そして父は私に聞きました。
「もし、カヌーが日本に着いたら
 出迎えに来てくれるかい?」
もちろん私は約束しました。
「お父さん、ホクレアが日本に着いたとき
 お父さんが最初に目にするのは、きっと私よ!」
私のこの言葉は、父の心に響いたようでした。
父はしばらくなにも答えず黙ったままで、
私には、電話の向こうの父の頬を
流れ落ちる涙が見えるようでした。
ちょうど20年前のあの日のように。
でも20年前と違っていたのは
それが喜びの涙だったということです。

2000-06-10-SAT

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