33の悩み、33の答え。

読者から寄せられた
数百の悩みや疑問から「33」を選びました。
そして、それらの悩みや疑問に、
33人の「はたらく人」が答えてくれました。
6月9日(火)から
毎日ひとりずつ、答えをアップしていきます。

Q033

なやみ

これからの時代に「はたらく」うえで、
大切な感覚は何だと思いますか。

(42歳・養護教諭)

働き方改革。以前より繊細にならざるを得ない「ハラスメント」の意識。下の世代を指導する年齢なのに、彼らとのコミュケーションギャップに苦労する。これまでの価値観が通用しなくなっている現在は、「はたらく」ことも、大きな変化の局面を迎えていると思います。これからの時代にはたらく上で、大切にしなければならない感覚は何だと思いますか。

こたえ

どれだけ仲間をつくれるか、だと思います。

こたえた人小泉今日子さん(歌手/女優/プロデューサーなど)

小泉
今、わたしは、ちいさな会社を経営しています。

社員が3人、わたしもいれて4人なんです。
舞台なんかをつくってるんですが。
──
はい、会社のお名前の「明後日」というのが
最高だと思ってました。
小泉
ありがとうございます(笑)。

でね、最終的に何らかの決断を下すとか、
あるいは誰かに謝りに行くとか、
そういうことは、
代表のわたしがやるべきだと思ってるんです。

でも、わたしが苦手なこともたくさんあって、
そこは、ふつうに甘えてます。
──
会社の仲間に。
小泉
そう。で、いいなあと思う会社も、
えらい人が、若い人と同じ場所に立って、
同じ目線でものごとを見ている感じがする。

社長さんが、
朝、社員さんと一緒にお掃除してたりとか。
──
ええ、ええ。
小泉
だから、
「どれだけ仲間をつくれるか」だと思うんです。
──
なるほど。
小泉
きっと、つまらない答えでしょうね。
──
そんなことないです。
予期していない答えではありましたが。
小泉
あ、そうですか。
──
そして、すばらしい答えだと思いました。
「どれだけ仲間をつくれるか」って。

今回いろんな質問や悩みが寄せられているんですが、
何にせよ
「ひとりで抱え込まないで」
とか
「それ、誰かに話してみたら?」
というアドバイスが多いんです。
小泉
へぇ、そうなんだ。
──
極論すれば、人の悩みって、
「誰かひとりにわかってもらえたら、なんとかなる」
みたいなことばかりのような気がして。
小泉
そうですね。
人に話すことで助けられること、
たくさんありますよね。

で、そのときに、
話を聞いてくれるのが「仲間」なんですよね。
──
はい。たとえば、
パンフレットを印刷所にお願いした。

すごく急いでいたんだけど、
印刷所の人が、
えらいがんばって間に合わせてくれた、
みたいなことが……。
小泉
うんうん。あります。
──
そのとき、ちょっと感動するんです。
小泉
わかります。
──
その場合、
別の会社の人だけど「仲間」を感じたりします。
小泉
そう。ほんとにそうです。
わたしたちにもそういう場面、よくあります。

舞台をつくる場合、役者さんはもちろん、
技術スタッフさんも外部にお願いするんですね。
──
ええ。
小泉
彼らは「期間限定の仲間」なんだけど、
その公演が成功するかどうかは、
短い期間で「より、いい仲間」に
なってもらえるかどうかにかかっていると思っていて。
──
なるほど。いい仲間。
小泉
そして「より、いい仲間」になってもらうためには、
自分たちは、
彼らに対して誠実に誠実に、いるしかないなあって。
──
信頼しあえる関係性があると、
ピンチにもチャンスにも強くなれますよね。
小泉
わたしたち「明後日」はあくまで4人なんだけど、
そのつど期間限定の「いい仲間」に
合流してもらって、
プロジェクトが終わったら、
おたがいもとの場所へ戻っていく。

わたしたちのやりたいことを、
次は、誰が一緒に楽しんでくれるだろうって、
そのつど考えています。
──
そういう考えを持つようになったのは、
いつごろからですか。
小泉
昔からですね。

「小泉今日子」というアーティストは
ひとりなんだけど、
実態はすっごく大きなユニットである……
という感覚があったんです。
──
そうなんですか。ユニット。
小泉
だって、アルバム1枚つくるにしても、
レコーディングのディレクター、
エンジニア、ミュージシャン、
マネージメントしてくれる人、
宣伝を考えてくれる人……
そういう「仲間」たちがいて、
ようやく「小泉今日子のアルバム」が
できあがるわけです。

つまり、みんなの代表として
人前で歌うのはわたしなんだけど、
全員で
「小泉今日子」というユニットをやっている。
そういう思いが、ずっとあったんです。
──
いやあ、おもしろいです。
小泉
わたしひとりでは、まったくない。
いつでも、誰かに助けられている。

そういう感覚です。
──
若いころから、アイドル時代から、
そんなふうに。
小泉
きっと「きびしく管理したい人」からしたら、
やりにくい存在だったと思います。
自分で曲をつくったり、
歌詞を書いたり、
コンサートの企画をやったりしていると、
「えらい人」がいろいろ言ってくるんです(笑)。

あるときに
「こんなのが売れたら、
おまえの言うこと何でも聞いてやるよ」
と言われた曲があって。
──
へええ……。
小泉
それ、わたし史上最大のヒット曲になったんです。
──
えっ、それって、もしかして。
小泉
『あなたに会えてよかった』
──
ああ、今ずっと聴いてきました。
駅からここへ来るまでの間、ずっと。

小泉さんの取材の前に聴くなら、
やっぱりこの曲だなあと思って。
小泉
本当ですか、ありがとうございます。

その「言うこと何でも聞いてやるよ」
っておっしゃった「えらい人」も
「俺の負けだよ」って(笑)。
──
そんないきさつがあったんですか。
あの曲には。
小泉
はじめはね、歌詞の最後のところ、
もっと凡庸なことを書いていたんです。
──
凡庸。
小泉
そしたら、ディレクターから
「ちょっと恥ずかしくなっちゃうくらいの
フレーズに変えない?」って。
──
なんと。
小泉
それで「世界で一番 素敵な恋をしたね」
という歌詞に変えたんです。
──
あの曲のなかでも、
とくに印象に残る部分になった。
小泉
そういう意味で、「ユニット」なの。
──
はぁー……それ、
おいくつくらいのときのお話なんですか。
小泉
25歳です。

15歳でこの仕事をはじめているので、
10年くらい経って、
そういうことができはじめて、
やっと「認めてもらえた」という感覚がありました。
──
今は、
明確に「プロデュース」をしてらっしゃいますよね。
小泉
はい。
──
でも、そうやって、
昔から「小泉今日子」というアーティストを
「自分でプロデュースする」気持ちが
あったということですね。
小泉
そんなふうに育ててくれた大人が
たくさん、いたんです。

「この曲の歌詞を書いてみない?」とか
「コンサートの演出どうしたい?」とか
「アルバムの半分、
好きなミュージシャンとやっていいよ」とか……
そんなふうに育ててくれた大人が。
──
でも、それも
「おもしろい答えが出てくるだろう」と思うから、
でしょうけど。
小泉
いえいえ。
──
じゃ、そのときの経験が、
今の仕事にも活かされていて。
小泉
そうですね、それは。

でも、こうして裏方へまわってみたら、
前に出ていたころには見えなかった苦労が、
たくさん見えてきたんです。
──
その立場に立たなきゃ見えないもの、
たくさんありますよね。
小泉
お金のこととか、納期のこととか……。

当時の仲間たちが、どれだけ苦労して、
わたしの言い出したことを会議に通して、
実現してくれていたんだろうって。

感謝の気持ちが、
今になって、あらためて湧き出てくるんです。
──
自分は、80年代に小学生だったんですけど、
当時は、ブラウン管のテレビの中に、
ふたりの偉大なアイドルがいたんです。

「なんてったってアイドル」の人が、
まずひとりで。
小泉
はい(笑)。
──
もうひとりが、中森明菜さんでした。

で、中森さんも
自己プロデュースのアーティストですよね。
小泉
そうですね。彼女は、
テレビの3分間を「劇場」に変えてしまう人。

間近で見ていて、
本当にかっこよかったし、すごかった。
──
ふたりは仲良しなんじゃないかなと、
当時、なんとなく……。
小泉
はい。明菜ちゃんの対極にいたのが、
わたしだったと思います。
だから、とっても関係性はよかったと思います。

わたしたち、
たがいにできないことをやっていたから。

わたしがヒラヒラした脳天気な衣装を着ていたら、
明菜ちゃんが
「いいねー、その服!」って褒めてくれたりとか(笑)。
──
自分で自分をプロデュースしてきたふたりだからこそ、
認め合える仲だったんだろうなあと、
勝手に思っています。
小泉
当時、フジテレビの『夜のヒットスタジオ』って
歌番組があって。
──
はい。
小泉
ふたりでピンクレディーの曲を歌うことになったんです。
──
あ、憶えているかも……曲は「SOS」でしたか?
小泉
そうそう、あのとき、
おそろいの衣装は用意されてなかったので、
各々の衣装で歌うってことになってたんです。
──
ええ、ええ。
小泉
でも当日、ふたりで
「どうせなら、おそろいのかっこうにしたいよね」
って、本番直前にフジテレビの衣装部に行って、
いろいろ探して。
──
え、自分たちで?
小泉
そう。
──
おそろいの衣装を。
小泉
うん。でも、なかなか見つからなくて、
結局……たぶんあれ「コント用」じゃないかなあ、
真っ黒い全身タイツに
黒いチュチュみたいなスカートを合わせて、
ふたりで歌ったんです(笑)。
──
思い出しました。
見たことあります、その光景。
小泉
とんねるずの「モジモジくん」みたいな真っ黒けで、
髪の毛も三編みにして(笑)。

当時から明菜ちゃんって、
ギリギリまで諦めないところがあったんです。
「どうせだったら、ちゃんとやろうよ」って。
──
でも、それ、
小泉今日子さんと中森明菜さんという2大アイドルが
「そうしたい」と言っても、
さまざまな関係者がいるわけじゃないですか。

それこそ「えらい人」から。
小泉
そうですね。
──
それでも、やれちゃったんですか。
小泉
当時のテレビ局……とくにフジテレビの現場には、
とても自由な空気が流れていたんです。

こちらの提案を
プロデューサーがおもしろがってくれれば、
かなり臨機応変に対応してくれたんです。
──
衣装部屋を開けてくれたり。
小泉
クリスマス特番で
「小沢健二さんとふたりで
メドレーを歌ってほしいんだけど、
何か考えてくれませんか」って、
構成作家さんがお願いしてきたこともありました。
──
わあ、それ、何をやったんですか?
小泉
「わたしたちのうしろで、
サンタの格好をしたエドツワキさんが
水森亜土ちゃんみたいにガラスに絵を描いてて、
さらにDub Master Xさんが
DJやってるってのはどう?」って言ったら、
そのとおりになりました(笑)。
──
おお、楽しそう! 
そうやって、ご自分のやりたいことを、
表現してきたんですね。
小泉
でも、それも「仲間」がいればこそ、です。
──
なるほど……。

「仲間」という答えは、
小泉さんの過去と現在と未来のぜんぶに
つながってるような気がします。
小泉
大丈夫だったでしょうか。
おもしろい答えでもないから……。
──
そんなことないです。感動さえしました。
小泉
本当ですか。
──
自分も
「仲間」に助けられてばっかりだということを
思い出して。
小泉
その気持ちは、忘れてはいけないですよね。
──
はい。
小泉
そして、誰かに「仲間になってほしい」と
思われるような自分に、
なれたらいいなあと思っています。
【2020年3月10日、渋谷区代官山にて】

このコンテンツは、
ほんとうは‥‥‥‥。

今回の展覧会のメインの展示となる
「33の悩み、33の答え。」
は、「答え」の「エッセンス」を抽出し、
会場(PARCO MUSEUM TOKYO)の
壁や床を埋め尽くすように
展示しようと思っていました。
(画像は、途中段階のデザインです)

照明もちょっと薄暗くして、
33の悩みと答えでいっぱいの森の中を
自由に歩きまわったり、
どっちだろうって
さまよったりしていただいたあと、
最後は、
明るい光に満ちた「森の外」へ出ていく、
そんな空間をつくろうと思ってました。

そして、このページでお読みいただいた
インタビュー全文を、
展覧会の公式図録に掲載しようか‥‥と。
PARCO MUSEUM TOKYOでの開催は
中止とはなりましたが、
展覧会の公式図録は、現在、製作中です。

書籍なので一般の書店にも流通しますが、
ほぼ日ストアでは、
特別なケースに入った「特別版」を
限定受注販売いたします。
8月上旬の出荷で、
ただいま、こちらのページ
ご予約を承っております。

和田ラヂヲ先生による描きおろし
「はたらく4コマ漫画」も収録してます!
どうぞ、おたのしみに。