橋本治と話す平賀源内。





第7回
私は勃たない、という大思想(後編)

糸井 さっきの、その、
私はインポですっていう話でもさ‥‥。
橋本 インポじゃないよ、
「私は勃たないチンコである」。
糸井 あの、パワー論じゃないですか、つまり。
つまり、力とは何か、っていう話を
書いてるわけですね。
で、力とは何かについて、
問い詰めなくてもいい歴史っていうのは、
ほとんど人類にはなくて。
根本的には奪い合いですから。
橋本 はい。
糸井 で、力って何だろう、って
問い詰めてる限りは前に進まないから、
「いや、無条件で力です」
っていう時代がずっと続いているときに、
江戸時代、1700年代に、
パワー論書けちゃうっていうのはさ、
もう未来の人みたいなもんだよね。
橋本 うん、でも、もう、もうひとりいるの。
浦上玉堂っていう、
文人っつうか南画家の人がいるんですよ。
それでね、これも平賀源内と微妙に似ててね。
脱藩する人なの。
糸井 同じ時代なの?
橋本 同じ時代。平賀源内より20ぐらい年下なのかな?
ただ、脱藩するのが50だから、
平賀源内よりも、もうちょっと年いってから
なんだけど、おかしいのはね、
平賀源内が、『痿陰隠逸伝』を書いた
年かなんかに、浦上玉堂が、
愛していたか愛されていたか
自分の仕えた殿様が死んじゃうんですよ。
んでね、浦上玉堂って人が、
「凍雲篩雪図(とううんしせつず)」
っていう水墨画があって、
それは川端康成が所蔵していて、
国宝で、っていうことで有名な人なんだけど、
とっても変な絵を描く人なわけ。
糸井 絵描きなの?
橋本 絵描きであるんだけど、絵描きではないという、
そこらへんは文人なんだけど。
絵描いてるんだけど、本人、売る気がないの。
ほんで、買えも、売れもしないの。
どんな絵描いてるかっていうと、チンコの絵なの。
糸井 はぁ〜。
橋本 山水画の中に、その大ーきなものが
いっぱいあって。
だから俺はチンコの山っていう言い方は
あんまりだから、
「男根山水」っていうふうに仮にいうけども、
っていうのあるんだけど、
風景の中に、その、
隆々と勃起してんじゃないわけですよ。
糸井 はぁ〜。
橋本 ん、だから、その、
勃ってんだか勃ってないんだか
わかんないような‥‥。
糸井 上は向いてるの?
橋本 上は向いてる。
山のかたちになってるから。
そうすると、この人は、やっぱし、
現実というのは勃たないチンコっていう、
『痿陰隠逸伝』の平賀源内的なものが
かたちになった人かいな、っていう気がするの。
糸井 はぁー。
橋本 平賀源内が『痿陰隠逸伝』書いたのが、
浦上玉堂が20代の頃だから‥‥。
糸井 読んでた可能性がある?
橋本 そう、じゅうぶん可能性があるかもしれないな、
とかって思って。んで、その浦上玉堂って人も、
とっても変わった人でね。
どうも殿様と男色関係にあったらしいんだけど。
死んだ後、ずーっと仕えてるんですよ。
んで、子ども、男の子2人いて。
ほんで、50になるちょっと手前ぐらいに
奥さんが死んじゃうのね。
奥さん死んじゃうとね、
一家揃って脱藩しちゃうの。息子共々。
つまり、それは脱サラして、
新しいクオリティ・ライフみたいなもの
なんだろうと思うけど。
糸井 何藩の人?
橋本 岡山。
糸井 ほぉー。
橋本 だから、わりと西の方は、
そういう変な人多いのかなぁー、
って気もするんだけど。
糸井 だってさ、江戸時代の、様々の物語って
ぜんぶ、勃ったチンコの立場はどうするべぇ、
っていう話じゃないですか。
橋本 そうそう、うん。
糸井 『忠臣蔵』にしたって何にしたって。
ま、勃った以上は、
何かのかたちで決着つけてあげるから、って。
そのときに柔らかいものを‥‥。
橋本 そう、勃っても入るもんがないから、
俺は勃たないままでいる、っていうのって、
すごいでしょう?
糸井 すごいよね。
橋本 うん。
糸井 2人でこんなとこで感心してるのも、
なんか妙な気もしないこともない。
橋本 なんかさ、日本の近代ってさ、
そのふうに思想をもってこなかったのが、
俺は最大の誤りだとしか思えないもん。
糸井 しようよ。
橋本 しかも、その、その浦上玉堂がまた
素敵っていうのもね、
脱藩っていうのは、仕えられないわけですよ。
だから、息子に家督を譲って
隠居するっていうんだったらともかく、
息子ぐるみ武士辞めましょう、の人なの。
糸井 すごいよな、それも(笑)。
橋本 うん。武士辞めましょう、になったその後で、
チンコの絵ばっかり描くわけ。
糸井 で、武士そのものが、
チンコ集団じゃないですか。
橋本 そうなの。
糸井 刀を持っているのに
使っちゃいけない時代の武士ですから。
橋本 そうそうそうそうそうそう。
だから、ある意味で、
脱藩したけど脇差し差してるっていうのは、
その勃たないチンコなんだよね。
糸井 そうだよね。うん。
橋本 どうも、そこらへんはフロイトの
ずーっと先をいってるんだ、ってなるんだけど。
糸井 すごいよね。
橋本 ところがね、浦上玉堂って人は、
絵描きじゃないんだよ。
琴の箏(きんのこと)っていう、
琴棋書画図(きんきしょがず)っていう
文人のたしなみの、
「琴(きん)を弾く」っていうのと、
「絵を描く」っていうのと、
「書を書く」っていうのと、
「碁を打つ」っていうののやつの、琴。
琴の箏っていう、すごく流行らない、
室町時代になって中国から禅僧が持ってきたのを
やってるわけ。
ま、源氏物語にも琴(きん)っていうのが
出てきて、末摘花(すえつむはな)が
弾くんですよ。で、古い由緒正しいお嬢様が、
中国渡来の名器をお弾きになるっていうんで、
さぞや美人だろうと思ったら
ブスだったっていうオチがつくぐらいの
楽器なんだよね、琴(きん)っていうのはどうも。
んで、それを浦上玉堂はそれがすごーく好きで、
しかもその、すごーく古いやつでさ。
言ってみればさ、あの、なに?
クラシックやりながら
「矢切の渡し」弾いてるみたいな、
そういう変なことやらすわけ。
糸井 ああ、ああ、和風喫茶に流れてるみたいな。
橋本 うん。つまり、私がやりたいことは
正しいのである、っていう、
すごい設定に立ってる人なわけ(笑)。
ほんで、じゃあ生活はどう支えられるのか?
っていうと、息子が2人いてさ、
その息子のうちの
春琴(しゅんきん)っていうのが、
女じゃないんだよ、男なんだよ、
それがさ、その、文人画を描いて売ってるわけさ。
注文がきてね、そうするとさ、オヤジがなにか、
「おまえの絵は行灯(あんどん)絵だ、
 針箱絵だ」っていうわけ。
行灯に飾るようなチャチな絵だ、って、
針箱に飾るようなチマチマしたもんだって。
そんで、その春琴が描いた
オヤジの浦上玉堂の絵っていうのも、
まあね、そういう絵だよね、よく描けました、
っていう程度のものなわけ。
で、オヤジ、もうそういうとこ
ぜんぶ越えちゃってるじゃない?
なんかそういう人だから、
絵を売ろうという気もないし、
売ってくれっていう人もないだろう、
だから平気で、チンコの絵を描くんだろう
っていうのがあるんだけれども、
それって、もうほとんどさ、芸術じゃない?
糸井 ニジンスキーじゃない。
橋本 うん。その、芸術だって、
それが生計として成り立つかどうかは
私は問題にしない、
私の商売は琴の箏を売ることなんだ、っていって、
どれだけ売れたかは知らないんだけどさ(笑)。
そんな売れないような商売をして、
私は琴の箏を売ることだから、
私の商売は琴の人だ、
琴士(きんじ)っていうんですよ、
武士の士を使ってね。
私は琴士だ、っていってて、文人画家ではない、
みたいな言い方をするんだけど、
もう、とぉーんでもない、
前衛芸術みたいな人です。
糸井 はぁー‥‥。
橋本 だから、そういう系統があるから、
芸術の立場はあるよなー、
みたいなのがあるんだよね。
糸井 それは、いつごろに知った人なの?
橋本 「ひらがな日本美術史」をやり始めて、
文人画っていうカテゴリーがあるけど、
なんか好きじゃない。
なんだこれは!? っていうのを発見したりとか。



次回は「武士が蘭画にこめた気持ち」を
橋本さんが読み解きます。


2004-03-16-TUE
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