ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

433.ふたたび親戚宛てに。

先日、ぼくのほうから、ガンジーさんにお願いした。
『the親戚新聞』が、いつのまにか
「ほぼ日」の連載になっているけれど、
元に戻して親戚宛ての『the親戚新聞』にしましょう、と。

おおぜいに語りかける言葉と、
少ない人数に語る言葉とは明らかにちがうものだ。
そして、やっぱり、おおぜいに語りかけることを
意識すると、「おおぜい用の考え」を準備するようになる。

そのあたりは、ぼく自身も気をつけているのだけれど、
「おおぜい」が読んでいる、「おおぜい」が動く、
ということは、毒にも薬にもなるわけで、
できるかぎり「少ない人数しか読んでいないけれど」書く、
ということが、文章や考えの健康を守るために
必要なことなのではないかと思う。
(この考えも、まだ生煮えなので、変わるかもしれない)

ガンジーさんにファンもたくさんいるし、
ガンジーさんの考えをなんでも受け入れる人もいるけれど、
ぼくには、やっぱり、『親戚(息子や娘たち)』に向けて
語りかけているという「動機」が、
なによりよかったのだと思っているので、
あえて、そういうふうに形式を戻してもらったのだ。

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「事態は良か不良か」

「おかぁさん、お話しなくていいから
 もう少しそこにいてくれ」この一言が
どうしても喉から出ない。
いっこくもじっとしてない働き者のタスデ美と
ちったぁ来し方をふりかえり懺悔も聞いてもらい、
うらみつらみも聞かせてもらおうじゃないかと
水をむけたいんだがね。

もと子ども達の親戚諸君に
今日は情けないオヤジの悲鳴を書いちゃうぞ!
きのうから腰骨への放射線治療がはじまった。
座薬の痛み止めでは効きにくくなったのだが
今月いっぱい毎日続く。
そこで目と鼻のさきの病院だが
入院することにきめた。
月曜日11月5日から。

これから朝は寒くなるし
保険金のこともあってのこちらの都合だが
たった30分たらずの治療なので
入院といってもおおげさに考えないでほしい、
自由に動き回り外泊もひんぱんにするつもりなんでね。
しかし素人考えで判断してもいいとはいえない
このごろの体調だよ。

すでに何度もお別れの歌をうたってきてるので
お見舞いなんかの気遣いは無用だぜ。
まさかこのまま片道切符になってしまうとも思えないが、
まさか!の坂はどこにでもある危険な坂だから
少しは覚悟しなくっちゃ、と
しょぼくれているところだ。

で、タスデ美ともシンミリの時間がほしいところなんだが
照れ屋でじっとしてない彼女のこと、
つかまえるタイミングがむずかしい。
だもんで色づいた柿の実をながめながら溜息をついたり、
もし...もし...と善悪両方の予想をしながら
時をきざんでいる。

嫌なのはまたしてもMRIやRIの検査があることだ。
閉所恐怖症といってもいいくらいのガンジーなので
レストランにしたって隅っこには坐らないんだが
あのトンネル内の騒音ときゅうくつさには閉口するよ。
CTとちがって時間もながいしね。
ベッドはなじみになった婦長さんの手腕に期待して
窓際をおねがいしてるが、
退院する人がいなければダメですよ、と
しごくもっともなご発言。
医者よりもこっちのほうに
みつぎ物なんか考えるべきかな。

ベッドが窓際か否かの違いで
病気はわるくもなりよくもなる。
そんな気がするんだな。
空が見えなければ「そらみろ!」という結果になりそう。
秋晴れの空が見えれば癌ちゃんたちも
おそとへ出たくなるだろう、
すかさず門を閉ざして知らん顔をしちゃおう。

諸君にお願いする
「おかぁさん、オヤジは生前こんなことを言ってたぜ」
ってね。


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医師は「ヤブ」かもしれないし、
看護婦は思いやりにかけるかもしれないけど、
入院する時には、入院したほうがいいんでしょうね。
タスデ美さんとの、求めている『語らい』も、
そういう時間のなかでつくったらいいんじゃないかなぁ。

(つづく)


※『出前ガンジー』あるいは『ガンジー水戸黄門』の
企画について。
ガンジーさんの行脚先を募集しています。
詳しくは9月24日付けの『ガンジーさん』
ごらんくださいませ。

2001-11-05-MON

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