ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

258.SF版・こどもの日。

ガンジーさん、いよいよSFに挑戦だ。
いままでにも、飽きちゃうのを防ぐ意味もあってか、
いろんな表現技法にチャレンジしてきたガンジーさんだが、
今回は、SF小説なんですよ。

もともと、SFっぽい表現は時々出てきていたけれど、
今回は、全編、これ!

では、西暦3000年の世界に行きましょう。

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「おコちゃまの日」 


西暦3000年5月5日、「子どもの日」だ。 
だが何処を見ても子どもの姿が見えない。
子どもがいなくなってすでに久しい。
医療が進歩し人間が死ななくなった為
地球上の全人類が老人だけになってしまったのだ。
もはやこの地球上では
その膨大な食料をまかないきれないし、
先進国、後進国の差もなくなり
民族が他の民族の犠牲になることもなく
食料難はさらに逼迫し
究極の選択として子どもを生まないことを決めたのだ。

すべての人々に不妊手術が施され
sexは娯楽と化してしまった。
子どもを欲しがる一部の人は
闇で不妊回復手術を受けもするが育てる所がない。
無人島に逃避しょうとしても食料として可能な物は
すべて国際管理され深海にまで居住する場所がない。
人々は宇宙へ新たな生活圏を求めたが
生物の生きられる星はまだ見つからない。
そこで今、人間は人間としての形を変え
昆虫のようになって生きる事が
真剣に検討されている有様だ。
それでも人類は過去を懐かしんで 
「子どもの日」を残してる。
それはすでにあらゆる楽しみを
し尽くしてしまった人間たちが
遠い昔の、子ども達が遊ぶ光景に涙することが多いからだ。

さらに人々は、ごくごく一部の人に出産権を与え、
しかしその子は大人になる迄両親の元へは帰されず、
歴史博物館で丁重に扱われ
「5月5日」にその様子が公開される。
幼稚園や小学校の校庭での様子、
親子が手をつないで行楽地で遊ぶ姿、
この日は世界中の人間達の嗚咽が天にこだまする。

この国際管理された子ども達は18歳になって
はじめて親のところへ戻る事が出来るのだ。
この出産権をめぐり血みどろな争いが
各地で繰り広げられる。
いや不死社会だから血みどろな死闘でも
命がけではないのだ。
さらに陰惨なものなのだ。
街でおこるいざこざでも緊迫感がない。 
「この野郎 殺したるでっ!」と叫んでも
虚しい響きだけが残る。 
「どうぞご勝手に」といわれちゃう。

遡ること千年前、西暦2001年に
21世紀を迎えた頃、若い女性達は結婚を嫌い、
出産を拒んだ。
あの頃を人々は悔やむ。
女性議員が男性を上回り次々と新法律が出来る。
それらはすべて女性を家事、育児から開放するものばかり。
女たちはみずから求めて
女性であることを放棄してしまった。

やがて政治はコンピューターに移管されるようになり
行政を人間が管理する必要がなくなった。
そこではじめて
愚かな人々は事の重大さを意識しはじめたのだ。

その後、2800年には大改革が試みられた。
子どもを産み人に再び寿命を与えよう、と。
だが時すでに遅し
女性の卵巣と子宮はその機能を退化し、
博物館の冷凍精子を受けつけようと
しなくなってしまったのだ。
すべてが虚しい社会。
競争がなくなり人々は人生に刺激を失ってしまったのだ。
ストレスなんて20世紀の遺物言葉が恨めしい。
人類には刺激が必要だと気付いたのだ。
もはや宇宙へ出るしかない。
だがそれも小型化して
人間の姿ではなく、例えばゴキブリになることなのだ。
脳みそなんか要らない、
故障皆無の優れた永久コンピューターがあるからだ。
やっと見つけた
人類移転先になろうかと希望をもてる星は 
「日陰干し」という宇宙の隅にある小さな星。
太陽の恵みも受けないかわり影響も少なく、
ゴキブリの大きさならば、
煮干しを細々と食いつないで
あと一億年ぐらいは人類の存続は可能だろう。

かつて地球には資源がいっぱいあった。
それを加工して工夫して
様々な文化や科学を進歩させて来た。
人々は時に争いもしたが
恋の楽しさ、子どもの笑顔があった。
人間は地球の資源を利用してきただけで
独自の物を造りあげたわけではない。
一方で神をあがめながら一方では自然を否定している。
男が女がと区別せず
おなじ人間と言うべきだ、などとのたまう
女性もおられる、コワイねぇ。
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なかなかの力作でしょう?
また、たぶん、このスタイルで書いてくれるのではと、
想像しております。
あ、そういえば、ダジャレが、なかった?!

(つづく)

2001-05-10-THU

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