ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

29.こういう昔の話も、どうよ。

この、人生の先輩は、日本の戦後の歴史を生きてきた。
年表や、教科書に掲載されるような歴史だけでなく、
知らぬ間にあらわれたり消えたりしていくような、
巷のいろいろを見てきているわけで。
だいぶん後輩だけれど、ぼくなんかも、
このへんの話のしっぽの部分は知っているんだ。

「グランドファンクレイルロード」の嵐の夜も、
「ピンクフロイド」の箱根も、
「レッドツェッペリン」初の武道館も・・・
ぜーんぶ、この目で見・・・あ、お呼びでない?
これじゃ、ガンジーさんにも読者にも、
通じない話題になっちゃうものなぁ。

では、ラーメンと餃子の話を『the親戚新聞』から。


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◆話したい...聞きたくなぁ〜い。昔のはなし。

今日は今年の最高気温だってね  
夏に稼ぐ商売は
こたえられないだろう。

それでも俺は 冷やし中華より 
辛口みそらーめんがいい。

頭から湯気をたてて 
おでこや鼻のあたまから
滴り落ちる汗をどんぶりにうけ 
スープとともに飲む。

”うまい!”

スエット味噌らーめんじゃぁ!

らーめんの味を知ったのは ムカシ 
”夜鳴きそば” といって街中をながす 屋台からだ。 チャルメラという笛が なつかしいなぁ

”支那そば” といった。

友達と はしご酒 のあとよく食べたものだ。
終電を逃がして 駅のホームに寝たときは 
一杯のらーめんを二人で食った。  
なると.しなちく.チャ-シュウを
ジャンケンで争った。

チャ-シュウを取られた悔しさが忘れられない。

ぎょうざ を初めて食べたのは 
神田神保町の 「おけい」というお店。  
昭和34年ごろだったろうか...
コーラやハンバーグを 初めて食べたのはおぼえてない。

コーラやらーめんを はじめ日本人は馬鹿にしていた。
”あんな薬くさいの 飲めるか”
”あんな脂っぽいものは すぐ飽きるさ”

マクドナルドがフランスに出店したときも同じ。
日本人だけじゃないんだね。

評論家という仕事の人たちは 
かなりいいかげんだ と おもう。  

横浜中華街へも 何度かでかけた。
フルコースの最後に ”鯉” が出る。

”こいで おしまい またあした。
   

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のりのりですねぇ、ガンジーさん。
こいでおしまい、って、まぁ。

(つづく)

2000-09-22-FRI

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