ガンジーさん。
いつ途切れるかわかりませんが
今後ともよろしく。

18.「ひとごと」のようだということ。

ぼくは、病状を詳細に説明してくれたガンジーさんに、
返信を出した。
「ひとごと」のようだ、とガンジーさんは言う。
それは、ぼくもよく感じる感覚なのだ。
なにかを「ひとごと」のように感じるということは、
どういうことなのだろうか?

相手がどう思うかもあまり考えずに、
ぼくは、自分の考えを書きはじめてしまった。

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■ガンジー様

糸井重里です。
お気遣いいただいているような「不信感」は、
まったくありませんが、現在の連載は
時制が戻っているので、
「まだ本気にしていない」表現になっています。
お気にさわったとしたら、ご容赦くださいね。

>心のどこかで 「ひとごと」 のよう
>に思えるのです 

この一行に、びりびりしました。
すべてが「わがこと」のように感じられることと、
わがことが「ひとごと」のように感じられることと、
どちらも、あるんですよね。
特に、「事故」や「事件」のようなときには、
ぼく自身もいつでも「わがこと」と思えるまでに、
かなりの時間がかかっていたように思います。

強烈に熱い風呂に入った瞬間、
「冷たいっ!」と、感じてしまうこともあったり、
自分の考えや感覚というものを信じ切れないというのが、
ぼくの思いの中にいつもありました。

だから、周囲の人たちの表情や、感情の表れを鏡にして、
自分の「現在」を確かめるんでしょうね。

ぼくの印象では、ガンジーさんの周囲の家族の方々が、
ガンジーさんに見せてくれている鏡が、
とても明るいのだと思いました。
だから、悲しい「わがこと」として、
その鏡には映らないんでしょうね。
すばらしい家族なんだろうなぁ。
また、その家族を育ててきたのは、
ガンジーさんでもあるわけだし。

数値や、記述で自分を知るなんてことは、
やっぱりできやしないのでしょう。
鏡になる人々を、大事にすることが、
きっといちばん大切な「成熟」なんだろうなぁ。

いろいろ、考えさせられました。
今日も、ありがとうございました。

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時々、本気で、ぼくも考えてしまうことがある。
「自分はとても冷たい人間なのではないか」
ということについてだ。
ドラマやドキュメンタリーなどの番組では、
平気で大泣きしたりするくせに、
現実の悲しそうな出来事があったときには、
意外にも、「なにも感じてない」ように
ふるまっているのだ。

つまり、「ひとごと」のように感じている。
そのことが気になっていたので、
ガンジーさんの書いた「ひとごと」のようだという
ことばに、過敏に反応してしまったのだろう。

(つづく)

2000-09-10-SUN

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