2018年1月、
ほぼ日の学校が始動しました。

これからいったい、
どういう学校に育っていくのか。

そのプロセスの出来事や、
学校にこめる思いなどを、
学校長・河野通和が
綴っていきます。

ほぼ日の学校長

河野通和(こうの・みちかず)

1953年、岡山市生まれ。編集者。

東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業。

1978年〜2008年、中央公論社および中央公論新社にて
雑誌『婦人公論』『中央公論』編集長など歴任。

2009年、日本ビジネスプレス特別編集顧問に就任。

2010年〜2017年、新潮社にて『考える人』編集長を務める。

2017年4月に株式会社ほぼ日入社。

ほぼ日の学校長だよりNo.84

「パブリックな図書館」

 16年前に読んで大きな衝撃を受けた本があります。菅谷(すがや)明子さんの『未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告―』(岩波新書、2003年)です。

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 書き出しを読むなり、心をわしづかみにされました。

<世界に知られるゼロックスのコピー機や、ポラロイドカメラ。世界最大発行部数を誇る雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』。フェミニズム運動のバイブル『新しい女性の創造』――。これらは全て図書館から世に送り出されたものだといったら驚くだろうか。ニューヨーク公共図書館は、単に本を借りるための場所ではない。名もない市民が夢を実現するための「孵化(ふか)器」として役割を果たしてきた。ここからは、アメリカを代表するビジネス、文化・芸術が数多く巣立っている。>

 受験勉強の場か、無料貸本屋か。われわれが図書館に抱くイメージは、まずこんなところです。ところが、そういう私たちの図書館観を見事なまでに打ち砕き、「えっ、そんなことまでやってるの?」と多彩なサービスに目を見開かせ、「図書館がなければ、いまの自分はなかった」と実感をこめて語る人たちの“愛と感謝”の思いを伝えてくれたのが同書です。

<図書館とは本を借りたり調べ物をしたりするための場所だと思ってきた私だが、図書館にはもっと重要な役割があることを、ニューヨーク公共図書館に教わった。過去の人類の偉業を大切に受け継ぎ、新しいものを生み出すための素材を提供する。やる気とアイディアと好奇心溢れる市民を豊潤なコレクション(所蔵資料)に浸らせ、個人の能力を最大限に引き出すために惜しみない援助を与える。それが、やがて社会を活性化させると信じて‥‥。>

main ※映画の場面カットではありません

<社会の急速な変化に対応するには、個人がパワーをつけることが今後ますます重要になる。そのためにも、眠れる人材を支援し、それを社会に還元するためのシステム、「知のインフラ」としての図書館を今こそ見直すべきではないだろうか。>

 元ニューヨーク市長、ルドルフ・ジュリアーニ氏の言葉も紹介されます。

 「科学、産業、ビジネスの分野でニューヨークは世界の中心的役割を果たしています。図書館建設には莫大な資金がかかっていますが、我々が得られるものに比べれば些細なものにすぎません」

 その後、日本で図書館が話題になったのは、図書館がベストセラー本を複数購入する、いわゆる「複本」問題が書籍の売上を減少させている、という指摘でした。あるいは、「文庫本の売上減の原因と図書館は無関係ではない。図書館での文庫の貸出をできればやめていただきたい」と文藝春秋の松井清人社長(当時)が2017年秋の全国図書館大会で訴えたことです。

 いずれも、図書館vs.出版界という対立構図のなかでの“激突”でした。

 さらには、公共図書館の運営業務を外部の民間企業に委託する「指定管理者制度」の問題があります。

 佐賀県武雄市が蔦屋書店の経営元であるカルチュア・コンビニエンス・クラブに、武雄市図書館のリニューアルを依頼し、2013年にカフェスペース(スターバックス)のあるおしゃれな空間が誕生します。市内外からの来館者も急増しました。

 ところがその後、自慢の20万冊の蔵書のうち、約1万冊が元CCCグループ企業の中古書取扱会社からの調達だったと判明します。その中には、埼玉ラーメンマップや1999年版のWindowsマニュアル本など、武雄とは無関係であったり、およそ選書価値のないものが含まれていました。当然、厳しい批判が寄せられます。

 また、2017年、山口県周南市がオープンする予定だった「ツタヤ図書館」では、中身が空洞の「ダミー本」3万5千冊を、約152万円で購入する計画が立てられていました。2階まで突き抜ける高さ9メートルの高架書棚を設け、そこに「インテリア」として見栄えのいい洋書などを揃え、「本に囲まれた圧倒的な空間づくりを演出する」ためでした。

 書架は完全に、来館者に「おおッ!」と思わせるための装飾用小道具ととらえられています。この図書館は、10万冊収容をウリの一つにしていましたが、約3分の1がダミー本とあっては、誰のための、何を目的とする図書館なのか? 読めない、貸し出せない、蔵書にもならない――そんなインテリアで占められたまがいものの文化施設に、税金を使っていいものか? さすがに反対論が唱えられ、紛糾しました。

 出版不況にあえぐ出版社と、人材難、厳しい財政状況のなかで利用者数の確保・増大をもくろむ公共図書館。未来志向の「知のインフラ」を求める以前の、不幸な図書館論が続きました。

 それが、最近はようやく変わってきました。本の貸し出しにとどまらず、子育てや起業の支援、若者や高齢者、障害者の居場所づくりなど、幅広い取り組みをする新しい「市民図書館」像が各地で模索されるようになっています。

 そんな折から、先の『未来をつくる図書館』で輝かしき主役をつとめたニューヨーク公共図書館(NYPL)を真正面からとらえたドキュメンタリー映画「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス(*)」がいま劇場公開されています(岩波ホール、7月5日まで)。

 89歳を迎えたドキュメンタリーの巨匠、“生ける伝説”のフレデリック・ワイズマン監督が、3ヵ月かけて撮影した作品です。早速、観に行きました。

wiseman フレデリック・ワイズマン監督

 上映時間が3時間25分! と聞いて、さすがに恐れをなしましたが、あっという間の贅沢なひと時でした。

 NYPLの本館があるのは、マンハッタンの五番街と42丁目が交差するところ。ここに“忍耐と不屈”というニックネームがついたシンボル的な2頭のライオン像に守られて、1911年以来、威風堂々と立つボザール様式の建築。総大理石の荘厳な美術館のようですが、映画「ティファニーで朝食を」(1961年)や「ゴーストバスターズ」(1984年)の舞台としても知られ、いつも賑わっている観光名所でもあります。

48 (映画より)

 足を踏み入れたことは、実はまだ一度もありません。内部はどんな雰囲気なのだろう? 働いている人たちや来館者の表情はどういう感じなのだろう? 映画を観る前から、少しハイな気分になりました。

 3時間25分のNYPLツアーであり、またニューヨーク散策のようでした。あの街らしいさまざまな顔の人たちと出会います。

 映画のスタイルは、いかにもワイズマン監督の作品らしく、シンプルで潔い手法です。NYPLについての能書き、講釈はいっさいなし。ナレーションもなし。登場する著名人の名前すらテロップがありません!

 映画の最後にグレン・グールドが演奏するバッハのゴールドベルク変奏曲が流れるほかは、音楽も皆無。作り手の主張はすべて排された禁欲的な手法です。にもかかわらず、巧みな編集によって、印象は直截的で、鮮やかです。

 見る側がいきなり図書館の現場に分け入って、それに立ち会い、終わるとまた次へ、といった感じで移動していきます。そして見終わった時に、NYPLの全貌がモザイクのように立ち上がり、言いしれぬ感動を覚えます。

 NYPLは本館を含めて、研究目的のために公開されている4つの研究図書館と、地域に密着した88の分館を合わせた92の図書館ネットワークの総称です。世界最大級の<知の殿堂>です。

sasb 写真:ニューヨーク公共図書館より提供
※映画の場面カットではありません

 本館には、グーテンベルクの聖書やトーマス・ジェファーソン自筆の「アメリカ独立宣言」草稿、コロンブスの手紙など歴史的価値のある資料をはじめ、膨大な数の写真、版画、映像、地図などが収められています。その数、約6000万点とか。

 それほどの規模でありながら、利用は原則として無料です。「敷居の低さ」でも世界一というのが驚きです。

<使用目的はもとより、社会的地位や国籍などを問われずに、誰もが無料でアクセスできる。数世紀前の貴重な文献を閲覧するのに、大げさな「教授の推薦状」も必要ない。「市民の大学」として世界で最も開かれていると言われるこの図書館には、ここでしか見ることができない資料を求めて、海外からも多くの人が訪れる。>(前掲書)

 ピクチャー・コレクションは100年以上にわたって資料を収集し続けています。多くの芸術家も利用してきました。ディエゴ・リベラも、ジョゼフ・コーネルも、そして「アンディ・ウォーホルはここからたくさん盗んだ」と。

07 ピクチャー・コレクション担当(映画より)

 「ここは世界最大の無料閲覧ピクチャー・コレクションだ。手袋も予約も必要なし。野球カードみたいにビニールに入ってもない。どんどん活用してほしい」と、担当スタッフは誇らしげに語ります。

 趣向を凝らした、多彩なプログラムが催されています。「利己的な遺伝子」で知られるイギリスの進化生物学者・動物行動学者のリチャード・ドーキンスや、ミュージシャンのエルヴィス・コステロなどを迎えたトーク・イベント、ブルーノ・ワルター講堂でのピアノ・コンサート、晩餐会‥‥。

dawkins 誰でも気軽に参加できるトークイベント。
ドーキンス博士の回(映画より)

 地域密着型の分館では、地域住民が参加する読書会、親子参加の読み聞かせ教室、シニアダンス教室、就職支援プログラム、中国系住民のためのパソコン教室、ネット弱者のための取り組み、障害者のための住宅手配サービス、等々。

42 読み聞かせ教室。親子で図書館へ通うきっかけとなる(映画より)

 「図書館は本を置く場所ではない」「図書館の主役は知識を得たいと思う人々である」「図書館は地域とのつながりを可能な限り深めていかなくてはならない」――これらのモットーが、スタッフの口から語られます。この仕事に誇りと情熱を抱いて働く司書やボランティアの姿が映し出されます。「ここで働くことが生きることを助けてくれる」という80歳代のボランティアの言葉もありました。

 そして何より興味深いのは、図書館幹部たちの会議風景です。「図書館は民主主義の柱だ」(ノーベル賞作家トニ・モリソンの言葉)というミッションに動かされながら、自分たちはどこへ向かうべきかの方針が確認され、共有されていくプロセスです。

 「公共(パブリック)」という名を冠していますが、州や市が直接運営する、いわゆる公立ではありません。運営は非営利民間団体(NPO)であり、財政的基盤はニューヨーク市の助成金と民間の寄付で成り立っています。寄付の大半は個人によるものです。

 ですから、ここでいうパブリックとは、まさに「公共=一般市民に対して開かれた」という意味になります。

 図書館の幹部たちは議論を重ねます。

09 幹部たちの会議。真ん中がアンソニー・マークス館長(映画より)

 いかに予算を確保するか。いかにしてデジタル革命に適応していくか。ベストセラーをとるか、研究図書をとるべきか。紙の本か、電子書籍か。ホームレスの問題にいかに向き合うか‥‥。館長の言葉が響きます。

 「人気本に予算をつぎ込めば、貸出数は激増だ。だが、我々が推薦図書を収集しなければ、10年後誰かが必要とした時に、その本がどこにも見つからないことになる。図書館が持つ社会的責任を考えれば、蔵書は貸出数によるべきじゃない」

6Staff_Only (映画より)

 ふだんは“STAFF ONLY”の舞台裏で、こんな真剣な議論が戦わされています。社会における図書館の存在意義を問い、それに照らしながら目標を見定めようとする幹部たち。民主主義を守る「知のインフラ」としてのNYPLの活動が鮮やかに映し出された作品です。

2019年6月6日

ほぼ日の学校長

*「エクス・リブリス」とは、「だれそれの蔵書から」という意味のラテン語で、蔵書の見返し部分に貼って、持ち主を明示する「蔵書票」のこと。

★「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」は岩波ホールにて公開中、ほか全国順次ロードショー!
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