ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信。アーズリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。
2008-11-11-TUE

デル・ピエロ健在なり。


34歳。サッカー選手としては、若くありません。
アレッサンドロ・デル・ピエロ。
特に、18歳の時にすでに高いレベルで
キャリアをスタートしたとなれば。

delpiero

デル・ピエロ、誕生日をマドリードで祝う。

デル・ピエロの手柄や勇ましさについて
ぼくが語るのは、初めてではありませんね。
(最後でないことも願います)
この桁外れに優れた選手は、
この11月9日に34歳を迎えましたが、
その4日前の11月5日に、
世界で最も有名なチームのホームであるマドリードの
神話的なサンティアゴ・ベルナベウ競技場で、
それを祝おうとしました。
UEFAチャンピオンズ・リーグの
対レアル・マドリード戦が、
その日、その場所で、行われたのです。

ユーヴェがベルナベウ競技場で
レアル・マドリードを打ち負かしたのは、
1962年に、もう一人の10番の選手、
エンリケ・オマール・シヴォリ選手のゴールで
勝利して以来のことです。

その時の1対0の勝利の記録を、
今回の2対0が塗り替えました。
2本ともデル・ピエロが入れたゴールです。
試合終了の2分前にラニエリ監督が彼を交代させるまで、
デル・ピエロは前半後半を戦い抜きました。

delpiero

この時、ディ・ステファノ、プスカス、ジダンなどの
最高のチャンピオンたちにしか情熱を抱かなかった
ベルナベウの観客たち約9万人が立ち上がり、
このベルナベウ競技場で名誉とともにプレイした
チャンピオンたちに匹敵するデル・ピエロを、
数分間も賞賛しつづけました。

delpiero

その翌日、試合について語った後のデル・ピエロが、
まるで一番すてきなプレゼントを
もらったばかりの少年のように感動した様子で、
こう言いました。

「ぼくが小さかったころ、レアル・マドリードと、
 1982年にイタリアが世界チャンピオンになった
 サンティアゴ・ベルナベウ競技場に夢中でした。
 まだ8歳だったぼくにとって、その競技場は
 ボールの神殿に思えました。

 その後サッカーを始めたぼくの夢のひとつに、
 ベルナベウでゴールを入れるというのがありました。
 そしてこの水曜日に、この夢が叶い、
 ぼくは熱狂的に感動しました。
 34歳の誕生日を4日前に祝えましたが、
 10歳は若返った気分です」

delpiero

目標は2010年W杯!

デル・ピエロの素晴らしい試合は、
ユヴェントスのティフォーゾだけでなく、
イタリアの全てのティフォーゾたちが祝福しました。
アレッサンドロ・デル・ピエロは
他の偉大なチャンピオンたちと同様に、
チームのカラーに隔てられることのない、
ただ一枚のシャツを着ていますから。
「感動が枯れることのないサッカー」のシャツをね。

34歳になった今、デル・ピエロは
2010年W杯南アフリカ大会への参加を、
目標にし続けています。

アズーリのマルチェッロ・リッピ監督は、
UEFAチャンピオンズ・リーグ、トヨタ杯、
W杯などを供に勝利して来たデル・ピエロを、
高く評価しています。

南アフリカに行くころには、
デル・ピエロはゆうに35歳を越えていますが、
彼のような桁外れの選手にとって、
それが何だというのでしょうか?


訳者のひとこと

素晴らしいですね。
山あり谷あり、デル・ピエロ自身も、
ユーヴェも、試練を超えての勝利ですから、
どんなに嬉しかったことでしょう。
チームを守り抜いた彼への、
神様からのご褒美でしょうか。

モスキーノ

それにしても、
デル・ピエロは描きにくいです。
顔が整いすぎているからです。

翻訳/イラスト=酒井うらら



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