ほぼ日刊イトイ新聞 フランコさんのイタリア通信。アーズリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。
2008-07-29-TUE
フランコのヴァカンス・リポート
ピサ、ミラーコリ広場。


世界中に知られているイタリアのシンボルと言ったら、
何でしょう?
ローマのコロッセオ?
ヴェネツィアのゴンドラ?
それとも、ピサの斜塔でしょうか?
ぼくは来週はローマを訪れる予定ですが、
その前に、ピサに立ち寄りました。

若いころには、
ぼくはよくピサに行きました。
そして、もう何年も「観光で行く場所」には
入れておりませんでした。

またピサへ行くのだと思ったら、
昔の思い出が少しずつ、
ゆっくりと、甘くよみがえってきました。
そして、この旧い街の
ミラーコリ広場に足を踏み入れた時、
ぼくは気づきました。
何かをとても愛すると、そこで時は止まり、
それが思い出になったとしても、
時間の中で歪んでしまったりは、しないものだと。

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カンポ広場のパリオ。

まるで天上に輝くような白い建物のある広場‥‥
ミラーコリとはイタリア語で奇跡を意味します。
人間の天才的な想像力と才能が、
まさに奇跡のように芸術として集結している、
このミラーコリ広場を、
ぼくは、どう描写して良いか分かりません。

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この地の荘厳なドゥオーモ(大聖堂)は、
1064年に着工され、
その100年後に完成します。
正面のブロンズ製の3枚の大扉には、
キリストの物語が浅い浮き彫りで
ほどこされています。

大聖堂の向かい側には洗礼堂があります。

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この丸い建物はロマネスク様式で建てられていますが、
周囲を取り囲むギザギザの装飾は、
ゴシック様式です。
1152年着工で、完成までに200年を要しました。

そして、いよいよ
「ピサの斜塔」にご登場いただきましょう。
ピサの街のシンボルであり、
世界にその名をはせる鐘楼です。

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ピサの斜塔は1173年に着工されましたが、
途中で地面の陥没によって工事が中断されます。
当時は、砂まじりの土地が
どの程度の重量に耐えられるか、
細かい計算のできる技師がいなかったのです。
たとえば、そこから10メートルほどしか離れていない
大聖堂は、充分にもちこたえています。
現在であれば、コンピューターや科学の知恵で、
ピサの塔は完璧にまっすぐな塔として
建築できるでしょう。
真っ白な大理石で完全に直立する「ピサの塔」も、
それはそれで賞賛されるでしょうが、
「倒れるのか、大丈夫なのか?」と心配されながら
愛される「斜塔」ほどには、
アイドルになれないと思います。

さて、100年ほどの工事中断を経て、
1275年に工事は再開され、
1350年に、もはや塔は傾き続けると分かりつつ、
完成ということになりました。

現在の「ピサの斜塔」の立っている地面には、
塔の傾きを支えるはずの物質をしみ込ませてありますが、
それでも塔は、わずかながら傾き続けています。
このことが世界にまたとない
「ピサの斜塔」独特の魅力でもあり、
塔が決定的に倒れてしまう前にと言って、
毎年多くの観光客が世界中から訪れ、
目を見開いて感心するわけです。

ミラーコリ広場には、
斜塔、大聖堂、洗礼堂に加えて、
完璧で調和のとれた四角い墓所があります。
1277年に作られました。
伝説によると、パレスチナからの10隻ほどの船が、
キリストが十字架にかけられた場所とされる
「ゴルゴタの丘」の土を、何トンも運び込み、
この墓所を完成させたということです。
これが単なる伝説なのか真実なのかはともかく、
宗教観なども超えて、本質的に人の魂を惹きつけ、
感動をあたえる建造物として、
この墓所は世界の中でも独特な存在です。

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イタリアには各地に素晴らしい大聖堂があり、
多くの場合、そこには負けず劣らず美しい
洗礼堂もあるのですが、
大聖堂と洗礼堂に加えて、
鐘楼が何かを暗示するような斜塔であり、
その横には完璧に均整のとれた墓所がある、
このような広場を持つのはピサだけです。

もう少し先で海に流れ込むアルノ河の両岸に、
ピサの街が広がっています。
美しさには国籍も国境もないとして、
イタリアのみならず世界的に見ても
ピサは、まさに独創的な芸術の街として、
誇り高く、そこにたたずんでいます。


訳者のひとこと

文中の「ミラーコリ(奇跡)」は複数形で、
単数は“miracolo”(ミラーコロ)です。

さて、ピサの斜塔ですが、
向こう300年くらいは大丈夫だろうと
いう説もあるようです。

翻訳/イラスト=酒井うらら



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