フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ティフォーゾ死亡事件と、その影響。

2007年11月11日はイタリアサッカー史上
最悪な日となりました。
イタリアサッカーにとっての「暴力の日曜日」が、
またひとつ書き加えられてしまいました。
昨年はカターニャで、
対パレルモ戦の前と最中の騒動で、
ひとりの警官が死亡しました。
今回はティフォーゾの死亡事件です。
ラツィオのティフォーゾのひとりが、
ラツィオとユーベのウルトラスの喧嘩の最中に、
警官の1発の銃弾によって死亡したのです。

franco

ひとりの死をきっかけに‥‥。

事件は午前中に始まりました。
対インテル戦を観るために
ローマからミラノに向かっていた、
ラツィオのティフォーゾ4人が乗った車が、
やはりローマから、こちらはパルマに向かっていた
ユヴェントスのティフォーゾたちの車に
ちょっかいを出されたようです。
そして喧嘩がはじまり、
駆けつけた警官のひとりが、高速道路の反対側の、
距離にして70メートルほどのところから
ウルトラスたちにめがけて発砲したとのことです。
ラツィオのティフォーゾのひとりである
ガブリエレ・サンドリ(28歳)が弾を受け、
死亡しました。

このニュースは即座にイタリア全土をかけめぐりました。
この事件の与えたショックは大きく、
まるでイタリア中の
すべてのことが停止したかのようでした。

試合への賭けを取り扱うエージェンシーは、
すべての受付を停止しました。
イタリアサッカー協会は混乱を極め、正午には、
インテル対ラツィオの試合の取り止めを決定しました。
ベルガモでは、知らせを聞いたウルトラスたちが、
アタランタ対ACミランの試合の開始を拒み、
試合開始直後に両チームのティフォーゾたちが
フィールドになだれ込み始めました。
試合開始後7分には、
試合続行はあまりに危険と判断した審判によって、
試合が中止されました。

franco

その直後に、その夜のローマ対カリアリ戦の
取り止めが決定されました。
数百人のウルトラスが車やバイクに火をつけたり
ローマ警察の宿舎を襲撃したのでした。

騒ぎは、暴動へとつながった。

franco

ミラノとローマの街では
暴動が勃発していました。

ミラノではRai放送局が襲われ、
夕方のローマでは、
火炎瓶や角材で武装した
800人とも言われる数のウルトラスたちが、
路上に在る物を片っ端から壊し、
火を付けていました。

franco

franco

ranco

警察署も襲われたのですが、
幸いにも警察は自制心をもって対処し、
武器を使わずに、
この町中で勃発したゲリラ戦のような争乱を、
監視するにとどめました。

そのゲリラ戦は夜じゅう続きました。
被害総額は数百万ユーロと言われます。

イタリア全土が震撼し、
ウルトラスのうち逮捕された4人が、
警察署を襲撃しようとしたとして、
テロ行為容疑で起訴されました。

翌日には、暴力的なティフォーゾに対する
非常に厳しい発言をした共和国大統領から、
最後のひとりに至るまでのイタリア人全員が、
怒りや恐怖を感じていました。

昨年の警官の死からずっと、
イタリアサッカーは信用性という面で
厳しい打撃に耐えてきました。

今また、ひとりのティフォーゾの死と、
ミラノやローマで繰り広げられた破壊的な野蛮行為とで、
イタリアサッカーは
とどめの打撃をこうむる危険にさらされています。

ラツィオのティフォーゾのひとり、
悲運なガブリエレ・サンドリの死ののち、
イタリアサッカー全体が
死滅の危険にさらされているのです。

flowers

訳者のひとこと

ユーヴェのウルトラスたちが向かっていたパルマは、
ローマからミラノへ向かうと、
フィレンツェとミラノの中間くらいに位置します。

イタリア発のニュースによると、
発砲した警官も、
命中してしまったことに大きな衝撃を受け、
謝罪の気持ちを発言しているようです。

翻訳/イラスト=酒井うらら

2007-11-20-TUE

BACK
戻る