フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

サッカーシーズン開幕。


イタリアサッカーの大きなシーズンが開幕しました。
そこには、思いがけない事態への驚きや議論、
さまざまな嘆き、そして希望の光などが
すでにあふれています。

まず、2次リーグ、つまりセリエBでプレイするという
初めての経験をスタートさせたユヴェントスですが、
その最初の試合を、かろうじて引き分けました。
これは驚きです。
対戦相手はリミニでした。
リミニはアドリア海沿いにある観光の街です。
その美しい砂浜と、
4月から9月まで毎晩開いているディスコと、
美味しい料理でたいへんに有名ですが、
サッカーでは、そんなに有名ではありません。

ユヴェントスはセリエBでプレイするだけでなく、
他のチームに対して17点減点という
ハンデと共にスタートしました。
ユヴェントスは、「不正事件」で降格されたのであって、
ゲームに負け続けての落第ではありません。
何人かの主要選手たちが移籍していったとはいえ、
セリエBでは桁外れに強いはずです。
ですからこの17点減点のハンデが、
総てにおいてバランスをとる、ということでもあります。
それにしてもカモラネージやブッフォン、
そしてデル・ピエロなど、
チームに残った世界チャンピオンたちが
2次リーグでプレイするのを見るのは、
ある種の感慨をもたらします。

モラッティとマンチーニ。


8月にスーペルコッパ・イタリアで優勝したインテルは、
カンピオナートをフィレンツェの地でスタートしました。
ミラノの街をホームとする彼らにとっては、
アウェイの試合ということです。
しかし続くUEFAチャンピオンズ・リーグの
最初の試合には、
ポルトガルでスポルティングに破れ、
大きな論争を呼んでおります。

インテルでは、会長だった
ジャチント・ファッケッティ氏が
長く辛い闘病後に亡くなり、これを受けて、
オーナーの石油業者マッシモ・モラッティが
会長に戻ることになるでしょう。
モラッティは、この負け試合にとても気を悪くし、
翌日すぐに、選手とロベルト・マンチーニ監督に
公の場で苦言を呈しました。

しかしモラッティがしたことは、
これだけではありません。
監督の中で最も優秀だったはずのマンチーニが
もはや彼本来の力が出せていないとなれば、
考えられるのは「監督交代」です。
モラッティはすでに、
元イギリス代表チーム監督だったスウェーデン人の
エリクソンとコンタクトを取っています。
もしUEFAチャンピオンズ・リーグの
最初のゲームである対バイエルン・ミュンヘン戦で、
インテルが破れるようなことにでもなった場合、
すぐにでもエリクソンを投入する段取りを
つけておくためにです。

この2年間でロベルト・マンチーニ監督は
カンピオナート1回、コッパ・イタリア2回、
スーペルコッパ・イタリア2回の優勝に
インテルを導いてきました。
けれども今シーズン、モラッティは、
じきにアドリアーノの挫折を嘆く事になるでしょう。
アドリアーノは昨シーズンを終えたと同じ状態で
今シーズンをスタートさせました。
彼のコンディションは「最悪」です。
モラッティは彼の代りを見つけることも決めています。

ところでマンチーニ監督ですが、
彼が監督としてのキャリアをスタートさせたのは
5年前でした。
彼が副監督としてデビューしたラツィオで、
当時の監督だったのがエリクソン、その人です。
このことを思えば、もしエリクソンが
マンチーニの代わりを勤めるとすると、
これは、あまりに興味深い展開です。

いずれにせよマンチーニは、
2008年6月までの各シーズンごとに
300万ユーロという契約をインテルと結んでいます。
彼を監督から降ろしても、
モラッティは彼に契約分の報酬を
支払い続けることになります。
まあ、チーム強化のために
イブラヒモヴィッチ、ヴィエイラ、グロッソ、
マックスウェル、マイコン、
ダクルト・ゴンザレス、クレスポらを
夏に5000万ユーロを使って購入した
石油業者オーナーのモラッティにとって、
それくらいの支払いは問題ないでしょうけれど。

グルクフに期待!


さて今シーズンのカンピオナートに
あふれる「嘆き」は、
世界チャンピオンになったばかりの選手たちが
イタリアを去った事実に対するものでしょう。
カンナヴァーロとザンブロッタ、
ほかにもトゥラムやエメルソンなど、
彼ら全員がユヴェントスから
スペインのチームへ散らばりました。

その一方で、イタリアへやって来たのは、
たったふたりの選手だけでした。
オリヴェイラとグルクフですが、
ふたりとも行き先はACミランです。

オリヴェイラは26歳で、
もはや「希望の星」とは言い難いのですが、
フランス人のグルクフはまだ20歳で、
ACミランのシャツを着てのデビュー戦となった
UEFAチャンピオンズ・リーグでの
ギリシャAEKとの試合で、
きれいなゴールを決めるなど良いプレイを見せました。

彼がフランス国籍なので、
同国のジダンやプラティニに
彼をダブらせて比較する人たちもいます。

実際にはグルクフは
ジダンでもプラティニでもないと、
ぼくは思いますが、でもまだ分かりません、
彼が偉大なチャンピオンになる可能性もあります。
15年くらい後に、だれかフランス人選手が
素晴らしいキャリアを進めた時に、
「グルクフの再来だ」と
言われるようだと良いですね。

訳者のひとこと
思えばこの「イタリア通信」が始まったのは
2002年、日韓共催W杯がきっかけでしたから、
丸4年が経ったことになります。
フランコさんの記事を一番最初に読む
「読者」でもある私からも、
みなさんのご愛読に心からお礼申し上げます。
これからも、どうぞよろしく!!
翻訳/イラスト=酒井うらら

2006-09-19-TUE

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