フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

マレスカの悲しい帰還。

まだ終っていないカルチョ・メルカートで、
日本製の馬力の小さい車より安く、
タバコ2000箱か神戸牛7キロと同じくらいの値段が、
ある選手につけられました。

その選手は、
自分につけられた値段を知った時に、泣きました。
あまりに安かったからです。
でも彼は2008年6月30日までは、
400万ユーロの年俸をもらえるのですけどね。

これは、フィオレンティーナから、
たった1年後にユベントスに戻って来たMF、
マレスカ選手の、パラドックスな話です。

アズーリの一員にもなった
マレスカが、この値段だなんて!


マレスカは数カ月前まで、
イタリアサッカーの若手の中で
最も注目度の高い選手のひとりでした。
イタリア代表チームのアズーリのシャツを
着ることにも成功したくらいです。

昨年のエンツォ・マレスカは、まだ25才でしたが、
カルチョ・メルカートで大いに望まれた
選手のひとりだったのです。

彼の所属していたユベントスは、
約600万ユーロで、
彼の半分をフィオレンティーナに売る事ができました。
つまり「共同保有」ですね。

それから1年が経ちました。
イタリアサッカーの規約では、
1人の選手を共同保有する2チームは
話し合いをもって合意しなければならず、
合意に達しない場合には、
各チームがその選手をすべて保有するために
いくら支払う用意があるのか、
その金額を書いた紙を封筒に入れて提出する
という、いわば「秘密」の競売をすることに
なっています。
この1年間、マレスカを共同保有していた
ユベントスとフィオレンティーナは、
どんな結果を出したのでしょうか?

マレスカは良い所が何もないまま
カンピオナートを過ごしてしまいましたから、
フィオレンティーナもユーヴェも、
どちらも彼をまるごと抱えようとはしませんでした。
いずれにせよ彼を買うチームは、
向こう3年に渡って
非常に高額な給料を、今度は半分ではなく全部、
支払らうことになるわけです。

そういうわけで、
6月27日の競売の日には、
この2チームのどちらも
公的なオファーは提示せず、
サッカー協会(Lega Calcio) の指示によって、
秘密裏のオファー、つまり、
彼らがマレスカ購買に使っても良いと思う金額を
紙に書いて、相手チームに知られないように
封筒に入れて入札するという
方法がとられました。

フィオレンティーナとユベントスの
2つの封筒は金庫にしまわれ、
次の日に公けの場で開かれました。

その結果は、びっくりとしか言い様がありません。
フィオレンティーナはそこに「1000ユーロ」と書き、
ユベントスは、そこに書いた笑ってしまうような値段の、
たった「7000ユーロ」で、
マレスカを落札する結果になったのです。
7000ユーロ。約94万円です。
ユベントスはフィオレンティーナから
マレスカだけでなく、キエリーニとミッコリも
買い戻しましたが、そのためにトータルで
「約670万ユーロ」という高額をはたいています。
670万ユーロ。約9億3000万円です。



カルチョ・メルカートは
大揺れです!


キエリーニについても、
やはり封筒で落札されたミッコリについても、
当たり前の値段がついたと言って良いでしょう。
でも、マレスカに対する額は‥‥
あまりに人を馬鹿にしていました。

少し前にはアズーリのシャツを着て
プレイすることさえ出来た25才のサッカー選手が、
たった7000ユーロで買われたのですよ。

イタリアのカルチョ・メルカートは、
この事で根っこからの大揺れです。
だって、サッカーが盛んな他の国、
たとえばスペイン、イギリス、ドイツには、
レアル・マドリード、チェルシー、
バルセロナ、バイエルンなど、
何百万ユーロも当たり前に使うチームがあるのですから。
イタリアは、大丈夫なのでしょうか。

ユベントスは、
キエリーニ、マレスカ、ミッコリの3選手を
フィオレンティーナが引き受けてくれて、
高額な代金が入ることを期待していました。
そうしたら、ローマからカッサーノが買える、ってね。

ところが結果としては、買うより先に、
だれかを売らねばならない事態です。
ユーヴェの持つ、より高価な宝石とも言える
ザンブロッティ、トレセゲ、または、
デル・ピエロさえも、
メルカートに出されるなんてことに
ならないとも限りません。

訳者のひとこと
ユベントスによる、
この一連の買い戻しは、だれもあまり
喜んでいないようですね。
ラ・レプッブリカ紙によれば、
ミッコリは、せっかくフィレンツェに慣れた
お嬢ちゃんにとっても、
トリノへの引っ越しは好ましくないと
思っているようです。
そうか、移籍って、そういう問題も
あるんですね。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2005-07-05-TUE

BACK
戻る