フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

イタリアサッカーとコカインの恐怖。

最近イタリアで、サッカー界をおびやかすような、
たいへんに心配な報告がありました。
悪夢のようにおそろしい「お化け」が、
イタリアのサッカー界に住みついてしまったのだろうかと、
思わせられる事件です。
西洋では「お化け」といえば白いものなのですが、
イタリアサッカーを脅かす「お化け」も
白い色をしています。

そして、それは粉です。
金より高価で、使い方を誤れば
毒と同じくたいへんに危険です。
そう、それはコカインです。

10月13日火曜日、
イタリアでもっとも権威のあるスポーツの協会である
CONI(Comitato Olimpico Nazionale Iitaliano
=イタリア・オリンピック協会)が、
ある公式発表をしました。
それによると、
サッカー選手でブレシャに所属するバキーニが、
アンチドーピング検査で
あまりに高レベルの陽性を示したというのです。

コカインとサッカー選手というと
ディエゴ・マラドーナを思い出します。
彼はキューバで治療していますが、
そこからとどく彼の画像は悲しいものです。
太って筋肉もたるんで、
残念ながら生気はうかがえません。
イタリアでは他にも、
マルコ・パンターニの不慮の死
記憶に新しいところです。
彼は自転車競技のチャンピオンとして、
イタリア人がもっとも愛した選手でした。
彼の悲しい死も、コカインの取り過ぎが原因でした。
こんなに悲しい例があるにもかかわらず、
しかも事件が報道されるたびに
人びとが大騒ぎするにもかかわらず、
なぜ若者たちは、この危険で中毒性のある薬物に、
こりもせずに近付いて行くのでしょうか。
悲惨な前例がもっと必要だとでも、いうのでしょうか。

コカインの使用に走るのは、
裕福で有名な若者である場合も多く、
サッカー選手もそこに含まれるわけですが、
そういう場合のコカインは、
彼らにとってある種の「燃料」みたいなものだといいます。
彼らは毎晩のようにディスコに通い、
夜よりは昼に近い朝にでくわした女の子に、
思いきりいい格好をみせたい時の能力を高める
特別な「燃料」が、コカインだというのです。

将来を棒にふったヨナサン・バキーニ。

ヨナサン・バキーニは、
別格とまでは言えないまでも
十分に有名な選手です。
29才で、ブレシャに属する以前には、
ウディネーゼ、ユベントス、パルマでプレイしています。
1998年には、イタリア代表チーム・アズーリの
メンバーとして、2回出場しています。

29才といえば、まだ若いのですが、
このスキャンダルで彼のキャリアは、
へし折られてしまうかも知れません。

過去には、コカインの使用が原因で、
ゴール・キーパーのファゴットが2年間の、
そしてマラドーナは15ヶ月の資格剥奪を受けました。

ヨナサンの尿からは、
9月22日のブレシャ対ラツィオ戦のあと、
コカインの徴候がみつかりました。
このゲームをブレシャは負けており、
彼のプレイも、まずかったと言えます。
コカインが運動能力を高めると考えたのかもしれませんが、
それどころか、もはや身体に危険な影響を
およぼしていたのかもしれません。

イタリアのスポーツの世界では、
不祥事がつづいたサッカーは特に
微妙で繊細な時期にあります。
このバキーニの件は、
そこに更に揺さぶりをかけることになりました。

高収入がスポーツの世界を
ゆがめるとまで言われ始めた。

そうでなくとも、いまやサッカー選手が
あまりに安易に高額な収入を得ているのではないか、
それが危険な「逸脱」の域にさえ入っているのではないかと、
多くの人びとが感じています。
大金が、彼らをプロフェッショナルとしての義務、
つまりプレイをみがきゲームに没頭するという、
本来の選手の姿から遠ざけているのではないかと。

実際に、いまやサッカー選手は
スター・システムの一部です。
マスコミはスターを追い回し、
夢や理想としての彼らの虚像を要求し、
そのことが彼らに、ある種のプレッシャーを
かけているのは事実です。
サッカー選手は、その「スター」のひとりなのです。
ヴィエリはインテルにいるより、
ディスコやファッション・ショーの場にいると
言われています。
カカはジョルジオ・アルマーニのモデルであり、
フランチェスコ・ココは
何人もの恋人を渡り歩いているようです。
そして、多くのティフォーゾたちが、
彼らをうらやんでいるのです。
大金と美女と高級車、これは多くの若者たちの
あこがれの要素でしょう。
しかし、華やかなディスコ通いや美女たちの裏側には、
麻薬の危険が潜んでいる場合もあるのです。
ディスコに週に1回くらい行って、
新しい彼女をみつけるというのは、
まだ「楽しみ」と言えるかもしれません。
若いサッカー選手がこれをしても、
まだまだ大目に見てもらえるでしょう。
でも、事がコカイン使用となれば、
話はまったく別の事です。
命にかかわる事ですから。

ディエゴ・マラドーナやマルコ・パンターニの例を見て、
コカインの使用は喜びより死を近付けるのだと、
若者たちが理解してくれるかもしれないと、
多くの人びとが考えていたのですが。



訳者のひとこと
前にも書きましたが、
イタリアでのサッカーの社会的位置付けは、
日本とは少し異なっています。
「賭け事」性が強いとみなされるため、
たとえば女の子だけでサッカー観戦に
行くなど、もってのほかと言われます。
知識人を自負する層にサッカーの大ファンは
いないと言っていいでしょう。
その中にも、かくれファンはきっといると
思いますが、まあ、そんなわけで、
日本のサッカーよりは、
もともと少し暗い側面も、
理解しにくいのですが実際にあると、
言えるのではないでしょうか。
翻訳/イラスト=酒井うらら

2004-10-18-MON

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