フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

みんなの知らない
マンチーニの「もうひとつの顔」。

こんにちは、フランコです。
日本では大きな台風がいくつも来て、
大変だったようですね。
鈴鹿のF1グランプリのニュースが
イタリアにも届いているのですが、
そのとき台風のことを伝えていました。

災難は、こちらの都合にはおかまいなくやって来ます。
だれかが困難にあっていれば、援助するのは当たり前だと
言うのは簡単ですが、実行するには勇気がいるものです。

お金に余裕があれば寛大にもなれるものですが、
どんなときでも、自分の気持ちを
形で人に伝えようとする勇気のある人は、
少ないのではないでしょうか。
とくにサッカー界では‥‥。

しかし、その少ない中のひとりである人物に、
ロベルト・マンチーニがいます。
彼がサッカーのほかに何をしているか、
きょうはお話ししたいと思います。

オシャレで才気あふれるマンチーニ。
でも彼にはもっと稼がなければならない
理由があった‥‥。

マンチーニは選手としても
偉大なチャンピオンのひとりでした。
そしてこの数年はセリエAで監督をしています。
まだ40才になっていない彼ですが、
とても人望が厚いのです。

洒落者としても知られています。
ジョルジオ・アルマーニのジャケットを着こなし、
シャツと良く合ったネクタイで決めています。
有名ブランドの時計をコレクションし、
ヨーロッパでもっとも高価なバカンスの地、
サルデーニャ島のエメラルド海岸──
コルシカ島との間のキラキラした海を望む、
夢のような海岸に、
邸宅と全長36メートルのヨットを持っています。
そう、イタリア的人生の成功者と言っていいでしょう。



彼は、お金持ちで美しく、そして有名です。
しばしばテレビに登場しますが、
彼の洗練された身のこなしや語り口からは、
非のうち所のないイタリア男だという印象を受けます。
まるで名声のあるスター俳優のように、
彼に向けられるのは、羨望のまなざしと、ため息です。

彼がインテルの新監督に決まった時に、
ぼくは、ここに速報を書きましたね。
しかし、カンピオナートの幕開けには、
華々しい勝利はありませんでした。
すでに、嘆きながら以前の監督たちのことを
思い出している人たちもいます。

5ゲーム終ったところで、
もうユベントスとは6ポイント離れています。
UEFAチャンピオンズ・リーグでは
2戦2勝しているのですが、このスタートに
多くの人たちが、少々、がっかりしています。

でもマンチーニ本人は、へこんでもいられません。
彼には、もっと稼いで、
もっと有名にならなければいけない理由があるのです。

マンチーニが全収入の1割を
寄付しようと思い立ったのは‥‥。

彼の活動のひとつに、
親に恵まれない子供達のためのプロジェクトがあります。
そのプロジェクトについて、
彼は多くを語りたがりませんし、
マスコミを通して公にしようともしないのですが、
彼はそのプロジェクトに心血をそそいでおり、
そのためにもっとがんばらなくてはならないのです。

マンチーニは大金を稼げる男です。
でもインテルと、
そのオーナーのマッシモ・モラッティに対しては、
特別に安い値段で契約しました。

最初の1年の年俸は100万ユーロです。
(註:100万ユーロ=約1億3500万円)
そして、もしカンピオナートかコッパ・イタリアか
UEFAチャンピオンズ・リーグのどれかに優勝したら、
約300万ユーロ(約4億円)もらえる約束です。

彼の、そういった全報酬の10%が、
孤児たちのために寄付されることになっています。
その寄付で、親の運に恵まれなかった子どもたちのために、
幼稚園や学校を建てようというわけです。

マンチーニは1988年から、
恵まれない子どもたちを援助をしていますが、
そのきっかけになったのは、
彼の出会った驚くべき経験でした。

当時彼の所属していたサンプドーリアが、
コッパ・ヨーロッパのために
ルーマニアの首都ブカレストに行った時のことです。

試合の日の朝、
マンチーニは友だちのひとりと一緒に
ブカレストの街を散歩していました。
チャウシェスク政権に搾り取られて飢えた国の、
飢えた首都です。
ふいに、5才から9才くらいの子どもたちが
10人ばかり現れて、彼らに物乞いをしました。

その子どもたちは、
ブカレストの下水道の一部であるトンネルから
出て来たのでした。
マンチーニは、持ちあわせの全部である
20ドルほどのお金を、彼らに与えました。

それから、また地下のトンネルの中に戻って行った
子どもたちについて行きました。
そこで彼が見たのは、彼の人生で出会った事のない、
まったくの別世界でした。

その下水道の中にはネズミや臭い汚水と一緒に、
なんと幾十人もの子供達がいました。
まるで神に見捨てられた民のように。

「チャウシェスクの子どもたち」
と呼ばれた子どもたちです。
チャウシェスクの独裁下、人口増加政策にもとづき、
避妊や中絶手術が禁止された時代がありました。
ルーマニアの人々は、最低4人の子どもをもうけると、
食料などのいろいろな配給がもらえることから、
たくさんの子どもたちが誕生することになりました。
しかし独裁政権が倒れたあと、
食料の配給もなくなったとき、
そういった子どもたちが、
ブカレストの市中に捨てられることになったのです。
おそろしい話ですが、この子たちのなかには
臓器売買のために連れていかれる子もいましたし、
生活のために売春や麻薬の売買に
手をそめざるを得ない子も出てきたのです。

住む場所のない彼らは、
大都市ブカレストの下水道で身を寄せ合って
動物のように暮らしていました。
ゴミの中から見つけた物や、じゃがいもの皮まで、
手当りしだいになんでも食べながら‥‥。

空腹は人間の最悪の敵です。
ましてや食べ盛りの子どもにしてみたら。
汚れた顔、栄養失調でやせ細ったからだ、
伸びた爪、シラミだらけのゴワゴワの髪。
何人もの子どもたちが、
飢え死にしないために人生と闘っていたのです。

ぼくは、彼のような人が
ほんとうのチャンピオンだと思う。

そんな現場をまざまざと見たマンチーニは
吐き気をもよおし、
トンネルの外に出て、本当に吐きました。
彼は泣いていたということです。

そのときマンチーニはまだ25才で、
自分が存在する事を恥じたといいます。
自分が当たりまえに健康で裕福である事を恥じたと。

ショックのあまりヨレヨレになりながら、
彼はカンプドーリアが泊まっていたホテルに戻り、
すぐさまチームの幹部や同僚を呼んで、
彼らの持ちあわせをすべて貸してくれるように頼みました。

すべて、というわけにはいかなかったのでしょうが、
当時のお金にして10000ドルが集まりました。
その紙幣をポケットいっぱいにつめて、友だちと一緒に、
人間だけでなく神にも見捨てられた、
あの子どもたちと出会った場所へ、彼は戻っていきました。

そして、泣きながら、
もっと持って来られなくて恥ずかしいと
イタリア語で言いながら、みんなにお金を配りました。

これが、恵まれない子どもたちへの
彼の援助のはじまりです。

報酬の10%を恵まれない子どもたちに寄付するつもりだと、
マンチーニが言った時、どういうことなのか
マッシモ・モラッティには良くわかりませんでした。

でも本当に、9月末にマンチーニが
報酬の90%を受け取りながら、
ウンブリア地方のアッシジと、
マルケ地方のイエージにあるふたつの慈善団体に
送金するようにと言った時、
やっと訳がわかったモラッティは部下たちに向かって、
このことを誰にも何も話さないようにと命じました。

ロベルト・マンチーニが、スクデットか
コッパ・イタリアかUEFAチャンピオンズ・リーグを
勝ち取るかどうか、ぼくには予想できません。
もしかすると、彼がサッカーの監督としては、
あまり勝たないということだって起こり得ます。

だとしても今の彼の人生を、
10回以上のスクデットを勝ち取った場合と
くらべられるものでしょうか‥‥?



訳者のひとこと
「良い行いは人にかくれてしなさい」と
聖書に書かれたことばを思い出しました。
イタリアの国教はキリスト教ですから、
彼がクリスチャンかどうか、
わかりませんが、
このマンチーニの行ないにも、
その影響は強いと思います。

日本のテレビでよく見る
「世界の大富豪」のような特集番組に出て来る
キンキラキンの富豪たちも、
人知れず良い行いをしていることを
祈りたい気持ちで、
今回のフランコさんの文章を訳しました。
翻訳/イラスト=酒井うらら


フランコさんのくわしいプロフィールはこちら。

フランコさんのホームページはこちら。

酒井うららさんのイラストをまとめて見るならこちら。

2004-10-11-MON

BACK
戻る