フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

ピルロ、成熟の時。


1995年5月21日のこと、
アンドレア・ピルロという男が、
──いや、まだ男というには早過ぎる、
やっと16才と2日の少年が、
セリエAにデビューしました。
ブレシャの選手として登場したのですが、
この異例の若さでのデビューは、
「サッカーの新現象」として
人々の話題になったものでした。

当時のアンドレアは内気な少年でした。
そのデビュー戦の後のインタビューでは、
RAI(イタリアで最も重要なテレビ局)のカメラは、
まるで詮索するように彼を追いました。
急に大人の世界に入り込んだこの少年の、
まだあどけない顔に浮かぶ感動のあれこれを
くまなく映しだすべく。

その時のアンドレアの
恥ずかしがっているような表情を
僕はとてもよく覚えています。
そう、まるで、こっそりと盗んだマーマレードの瓶を
手にしているところを、
親に見つかってしまったという風な、
そんな表情でインタビューに応えていました。
ほっぺたは緊張のためか赤くなり、
実際の年令よりもさらに幼くさえ見えました。
もちろん、すらすらとした受け答えなんてできません。
感動と興奮とでつっかえながら、
こんなふうに、話しはじめました。

「僕は、やっと、16才になりました。
 僕に、あんまり‥‥、
 ええと‥‥、責任を、持たせないでください。
 サッカーは、僕にとって、
 仕事とかっていうことじゃなくて、
 ‥‥‥‥すごく‥‥楽しいことなんです!」

そんな少年ピルロは、今。


そのレッジーナ対ブレシャ戦の午後から
9年が過ぎました。
成長し、成熟したアンドレア・ピルロは、
今では、ひとりのチャンピオンです。

16才でブレシャの選手として
セリエAにデビューした彼は、
19才でインテルに移籍しました。
そしてその後、レッジーナに貸し出され、
ふたたびインテルに戻っては来ましたが、
どうも監督たちの理解を得られずにいました。
アンドレアの才能を分かる監督に
出会えなかったのです。

歴代のインテルの監督のなかでも、
リッピやタルデッリは
テクニックよりも
走りのほうを重要視していたので、
からだの小さいアンドレアを尊重しませんでした。
なんとクーペル前監督にいたっては、
「私には、ピルロのようなタイプの選手を
 どうしたら良いのか分からない」
とさえ、言いました。

この言葉を受けてマッシモ・モラッティ会長は、
アンドレアを譲渡するという間違った考えを、
2001年6月に実行してしまいます。
それも譲渡先は、おなじミラノ市に属する
もうひとつのチームであり、
インテルの宿敵でもあるACミランです。




この移籍は、しかし、
アンドレアにとってはラッキーでした。
ACミランでの彼は、
まるで生まれ変わったように伸びました。
ACミランの赤黒のシャツを着て
アンドレア・ピルロは成熟していきました。
彼のプレイは洗練され、
男としても成長しました。
世界中のテレビが彼をインタビューに来るのですが、
彼はもうデビュー当時の内気な少年ではありません。
ビッグな選手だけの持つ堂々たる態度で、
彼はカメラを上から下まで見つめます。
すこしだけ優越感やうぬぼれが垣間見えるのも、
ビッグになった証拠、ですねえ!


ACミランは昨年のUEFAチャンピオンズ・リーグの
ヨーロッパチャンピオンですから、
アンドレアもチャンピオンの一員になりました。
そして今から数週間後に終る
今年のセリエAにおいては、
彼の所属するACミランが
イタリアのチャンピオンタイトルを勝ち取るでしょう。

さあ、これからが楽しみです!


去る3月31日、水曜日には、
アンドレア・ピルロは
イタリア・ナショナルチームである
アズーリのシャツを着て、
友好試合とはいえ重要な
対ポルトガル戦に勝利しました。

じつは彼は以前にも
アズーリのシャツでプレイしたことがあります。
その時はまだユースでしたが、
ヨーロッパチャンピオンにもなっています。
そして、今回のポルトガル戦では、アズーリの
トラパットーニ監督が彼に与えていた課題を、
アンドレアは見事にクリアしたのでした。



さあ、これからが楽しみです。
今後のアズーリの中では、
アンドレア・ピルロはイタリアの
重要なミッド・フィルダーになるでしょう。
彼は、ちょっと後ろに退いたポジションで
チームに好機を与える中心人物になるでしょう。
トッティの背後を固める役割をしっかりと果たすはずです。

ACミランはクラブ・チームとして
ヨーロッパチャンピオンになりましたが、
アズーリは1968年以来
イタリア・チームとしてヨーロッパチャンピオンの
タイトルを取れないでいます。
この悲願のチャンピオンタイトルに向けて、
アンドレア・ピルロはトッティと協力しながら、
一緒にチームを引っぱって行くことでしょう。

イタリアが初めてヨーロッパチャンピオンになった時、
ピルロはまだ生まれてもいませんでした。
月日は流れ、イタリアの新しい才能がまたひとつ、
成熟の時を迎えようとしています。



訳者のひとこと
えー、ピルロですが、くれぐれも
「ピルラ」という言いまつがいには
ご注意ください。
スラングで、男性の・・・という意味に
なってしまいます。
でもきっと、彼を野次る時には
これが叫ばれているにちがいないと
思います。

ところでピルロの誕生日ですが
ACミランの公式サイトには
1979年5月19日生まれというものと
9月19日生まれという情報が混在しています。
どちらが正しいのかしら?
まーったく、イタリアってこれなんです。
全然几帳面じゃない!(笑)
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2004-04-05-MON

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