フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

帰ってこい、フランチェスコ!


イタリアの北部、ブレシャの郊外に
カプリオーロというちいさな村があります。
とても寒いところで、冬には北極かというほど
気温がさがります。

この村に住むフランチェスコは15才の少年です。
父親はイタリア南部のシチリアで働いているため、
家は母親ひとりが守って暮らしています。
貧しく、つつましい生活です。

毎朝、歩いて学校へ通う
フランチェスコの将来の夢は、
サッカー選手になること。
この年頃の多くの少年たちと同じです。
彼はちゃんと学校へ行きますが、
成績は‥‥良くないほうなんです。

イタリアでは3ヶ月ごとに、
学校の先生が生徒の成績を書いた表を作ります。
この成績表は生徒が家にもち帰り、
親に見せたという証拠に、
両親のどちらかのサインをもらわなくてはなりません。

今回もフランチェスコの成績表は低い点数ばかりで、
どうもぱっとしませんでした。

うーん、困りましたね。
恥ずかしいのも恥ずかしいけれど、
それよりなによりママを
がっかりさせてしまいそうです。
シチリアにいるパパに電話しても、
成績が悪いことを叱られるだけでしょう。

困ったあげくに、
フランチェスコは一大決心をします。
家出の決行です!!

遠くで働くパパのぶんまで、
多くの犠牲をはらって彼を守ってくれるママを、
がっかりさせたくない‥‥
少年らしい、そんな優しさと気弱さから、
この物語は始まります。
イタリアならではの
「涙なしには語れない感動の物語」と言えそうです。



ひとりの少年の家出に
イタリア中が大騒ぎ!!



さて、フランチェスコは家にもどらず、
行方をくらまします。
もちろん、どこにいるかなど、
ママへの連絡もいっさい無し。
帰らない息子を心配した母親が
警察に届けようと決めたころには、
ちいさな村のことですから誰もが心配し、
とうとう「誘拐されたか?」と言い出す人まで
あらわれました。

いやいや誘拐ってことはないだろう、
身代金がとれそうな金持ちの息子じゃないし‥‥
というわけで、誘拐説はただちに却下されましたけどね。

フランチェスコ少年は、
一銭も持たずに家出したのですが、
どうやってか列車に乗り込んで
ジェノバまでたどり着きました。
お腹がすいたら修道院に転がり込んで
食事をごちそうになり、
夜はジェノバ近郊の畑の横にある
ひと気のない見張り小屋で眠りました。

報せをうけたパパも心配しましたが、
手がかりがありません。
パパもママも失望寸前です。
探すあてすら、なにもないのですから。

そして二人は、
フランチェスコがインテルの
ティフォーゾだったことを思い出しました。
「サッカー選手に助けてもらえないだろうか?」
困り果てた両親は、そう思い立ちます。
とりあえずロベルト・バッジョに頼んでみよう。
バッジョは今はブレシャの選手ですが、
かつてはインテルでプレイしていましたし、
なんといっても影響力が大きい存在です。
彼になにか助けてもらえないだろうか?
──もちろん突拍子もないアイデアでした。
でも、行方不明の息子を見つけるためには、
親というものはあらゆる可能性に
賭けてみるものです。
快く頼みをきいたロベルト・バッジョは、
テレビでフランチェスコに呼びかけることにしました。

「フランチェスコ、お願いだ、家に帰ってほしい。
 君のご両親はとてもとても君を心配している。
 とにかく、まず僕のところにおいで。
 君にサッカーを教えてあげるし、
 まずボールで遊んで、楽しい午後を一緒に過ごそう」

しかし残念ながら、
この放送をフランチェスコは見ていませんでした。


バッジョが、ヴィエリが、
アダーニが!!!



でも数日後、RAI(イタリア国営放送局)が
コッパ・イタリアのインテル対ユーべ戦を放送した時、
フランチェスコは彼のアイドルである
ヴィエリ、レコバ、アドリアーノ、
アダーニらを応援しようと、
あるバールへ行きました。
そこでテレビ観戦をしようというわけです。

この晩、インテルはPK戦で破れてしまいました。
インテルのティフォーゾであるフランチェスコが、
悲しい気持ちでバールから外へ、
冬のジェノバの凍り付くような
寒さのなかへ戻ろうとしていた、
まさにその時、
テレビから自分を呼んでいる声が
聞こえてきました。

彼を呼び止めたのは、
テレビの中のヴィエリでした。

「フランチェスコ、
 君は今夜の、このテレビを見たんだろう?
 僕らは負けてしまった。
 でもお願いだから、君は家に帰ってくれ。
 君みたいなティフォーゾが
 ちゃんと応援してくれなきゃ
 僕らは勝てないよ」

フランチェスコは立ち止まり、
テレビのほうに向き直りました。
テレビでは彼のもうひとりのアイドルの
アダーニが、カメラの前で、
インテルの青黒の縞シャツを脱ごうとしていました。
アダーニの目は、祈るように空を見上げていました。

そしてアダーニが脱ぎ捨てたユニフォームの
下に着ていた白いシャツには、
大きくこう書かれていました
「帰れ、フランチェスコ」
この画面はイタリア中に流されているのです。



これを見てフランチェスコは泣き出しました。
なんといっても15才というのはまだまだ子供です。
そして、バールにいた人々が、
これに気付いて彼のまわりに集まってきました。

彼は泣きながら、
まわりを取り囲むおとなたちに、
すべてを話しました。
おとなたちは、警察に連絡してくれました。

こうしてフランチェスコは
ブレシャの母親のところに送りかえされました。
その翌日にはインテルの選手たちや、
なんとロベルト・バッジョも、
彼の家に来てくれました。

フランチェスコは、あこがれの選手たちに、
もう家から逃げない事を約束しました。
彼の母親は選手のひとりひとりのほっぺに、
感謝のキスをあげました。
まるで、そこにいる選手たちのだれもが、
やっと帰って来た彼女の息子だという感じでね。

絶望の淵から始まったフランチェスコ少年の物語は、
幸せのハッピー・エンドでした。
インテルは今年も勝てないままで、
苦しんでいます。
でも、このフランチェスコとの話は、
インテルにとっても大きな価値のある
経験だったことでしょう。
きりきりして勝ち取るカップのひとつやふたつより、
こういう経験のほうが価値があると、
僕は信じています。


訳者のひとこと
「イタリアならでは」の特徴のひとつに、
とにかく大騒ぎになる、というのがあります。
文章では伝えにくいのですが、
これと同じようなことが
日本で起こった場合よりも、場面場面での
人ひとりひとりのリアクションが、
イタリアならではの派手なものであったろうと
想像できるわけです。
なにはともあれ、めでたい結果でした。

ちなみに、
少年の村の名前になっている
カプリオーロ、capriolo は、
鹿の一種のノロジカの意味です。
翻訳/イラスト=酒井うらら



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2004-03-08-MON

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