フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

汗して勝っても、よろこびなし。
イタリアサッカーが忘れてしまったもの。


ほほえみは、人生を変えます。
ほほえみは、渡世の義理だとか、
下がってしまった給料のことや、
その他いろいろな人生の悲しみを
忘れさせてくれます。
恋人たちの時間がキスから始まるように、
ほほえむことからわたしたちの幸福が始まります。

そしていま、なによりもほほえみを必要としているのが
イタリアのサッカー界です。
唇にほほえみを持ってプレイすれば、
サッカーを2度楽しめるはずなのに。
「仕事」としてのサッカーであっても、
「よろこび」に変えられるものなのに。

経済的窮状にあるラツィオやパルマはもちろん、
崖っ淵にいるほかのチームも、同じことです。
でも、残念ながらイタリアでは、
笑顔で仕事を楽しむという習慣が消えつつあります。

あの軽やかなブラジル人たちのように。


サッカーはローテクなスポーツのひとつです。
これを世界中に知らしめたのは、ブラジル人でした。
イギリス人がサッカーを発明したのなら、
それを面白くしたのは間違いなくブラジル人です。
前にも書きましたが、
サッカーはダンスみたいなものなんです。
ボールは、いつでも足の間から逃げだして
自由を再発見しようとする、
言うことをきかない我が儘な生き物みたいです。
サッカーとは、生き物みたいなボールのまわりで
魔法のダンスを踊っているようなもの、
という表現もできるんです。

ブラジル人たちが、ボールをまるで
楽器のように軽やかに扱うのを見るたびに、
僕は、こう思うんです。
イタリア人の多くの優秀な選手たちにとって、
意識を検討し、時間を巻き戻してみるチャンスは、
今なのではないか‥‥?
イタリアのサッカー選手たちが、
汗して疲れて、勝ったとしても
あまり楽しんでいるようには見えない、
まるでむりやり働かされる「ボール労働者」ではなくて、
サッカーが気前の良い「楽しみ」だったころまで、
巻き戻してみるんです。



僕は、スポーツ記者としての38年間に、
足の間のボールを楽しまないブラジル人を
見た事がありません。
ミッドフィルダーにしても、です。
あのポジションは、あまりに安易に表面的に
「めだたない仕事」とされますが、そんな中でも
ブラジル人たちは走り、ほほえみ、汗をかき、
楽しんでいます。

ファルカン、ジュニオール、レオナルドたちは、
ボールが彼らの足に到着すると顔を輝かせ、
一瞬にして走りをダンスに変えてしまいます。
「仕事」を楽しみに変えることを、
彼らは知っているのです。

イタリア全国リーグのカンピオナートでは、
もっかACミランとローマが頂点にいますが、
偶然にも、この2チームには他のチームより
多くのブラジル人が所属しています。
ローマではエメルソン、マンチーニ、リーマ、
ミランではディーダ、カフー、カカ、セルジーニョらが
活躍していますね。
ブラジル人のいるチームは楽しみ、勝ち、
ほほえみがありますが、
ブラジル人がいないチームは悲しく、楽しんでいない、
という結果です。

イタリアサッカーを
つまらなくしているもの、
それは監督たちかもしれない。


選手たちがプレイを楽しめないのは、
彼らの想像力を制限し「競技」を優先する
監督たちのせいでもあります。
ユース部の責任者にも原因がありそうです。
彼らは、12歳の少年が
下手なドリブルをするのを見ると、
更衣室への道を指して退場させますからね。

つまり、今のイタリアのチームの多くでは、
個人技は二次的なものとされるんです。
それによって、楽しみが単なる仕事に
変わってしまうと感じる選手もいます。

お金をもらうためには、
楽しんでいる場合じゃなくて、
ひたすら仕事に徹するべきでしょうか?
でも、大金を稼いでいるジダン、アンリ、ラウル、
ロナウド、デル・ピエロ、トッティたちは、
なんだかんだ言ってもまだ自分も楽しんでいるし、
僕らを楽しませてもくれますよ。

もし彼ら以外の多くの選手たちも
以前は楽しんでいたとしたら、それなのに
今は単に「労働」に徹しているのだとしたら、
それは、彼らの精神的なメカニズムの中で
何かが塞き止められてしまったということでしょう。

良い選手たちでさえそういう状態だとしたら、
彼らが、かつては(たぶん)イタリアに存在していた
あのチャンピオンのようになれる日は来ないでしょう。
なぜなら、仕事が単なる労働ではなくて
遊びにつながる時、それを楽しむことのできる人が
日を追って上達もするのですから。
逆に、労働だけに終始して楽しむことを知らない人は、
日ごとに勢いを失います。そういう状況では、
チャンピオンどころの話ではありません。

楽しむことを知れば笑顔も生まれます。
ほほえみは時によって、
少なくもサッカーのプレイでは、人生を変えます。

イタリアのサッカーは、
たくさんの問題をかかえている今こそ変化が必要です。
ほほえみをとり戻すべきなんです。

訳者のひとこと

イタリア人には、
あいまいにニコニコする習慣は
ありません。ですから
イタリア語の「ほほえみ」には、
日本語のニュアンスより
もう少し積極的な喜びが含まれると
思います。

両チームの全員の選手が
ずっとニコニコしている試合、
というのを想像したら、
くらーっとしましたが、
そういう話ではありませんね。

翻訳/イラスト=酒井うらら


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2004-02-02-MON

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