フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

パヴェル・ネドヴェド、
あたらしいチャンピオン。

今日は、外国からイタリアに来た、
ある選手の話をします。

彼が育ったのは、かつてはソビエト連邦の庇護の元に、
共産主義の独裁制度下にあった東ヨーロッパの国でした。
チェコスロバキアです。
現在はチェコ共和国とスロバキア共和国の、
ふたつの国に分かれています。

ミッドフィルダーの選手である彼、
パヴェル・ネドヴェドはイタリアで成功をおさめ、
とうとう今年のバロンドール(黄金のボール)、
ヨーロッパの最優秀選手に与えられる賞を
先週めでたく勝ち取りました。

人はチャンピオンに生まれるのではない。
チャンピオンになるのだ。


今の彼は裕福に‥‥いや、
「大変に裕福に」暮らしていますけれど、
彼の過去は困難に満ちていたことでしょう。
でも彼がそれを嘆いたりしたことはありません。

そんなネドヴェドの心意気は、
パリで、その価値ある賞を受けた後の、
彼の言葉に言い尽くされています。

彼は、こう言いました。
「過去は大切です。
 未来は過去の上に築かれるものですから」

彼は、3年前からユベントスに在籍していました。
その契約が終るのは2006年です。
2006年に、この契約が終ったら、
実は、彼はサッカーを離れるつもりだと言うのです。
まあ、今までサッカーに総てを捧げて来た彼にとって
若い頃からもっと
尊重したいと思っていた事もあるのでしょう。
では彼がもっと心を傾け、
楽しみたい事って、なんでしょうか?

何よりもまず、家族との時間です。

彼自身は、インタビューで、
こんなふうに語っています。

「スカルナの丘の上に、家が2軒あります。
 ひとつは僕と家族の家で、もう1軒は、
 僕の妹とその家族のためのものです。
 2年後には、僕はサッカーを離れる。
 ユベントス以外のチームへ行く事は
 考えていません。
 だって、このバロンドールをもらえたのも
 ユーベのお陰ですから。
 この賞は、過去には、チェコスロバキアの
 国民的英雄だった偉大な選手、
 マソプストにも与えられています。(1962年)
 そんな賞を、僕がもらえるなんて、
 本当に嬉しく思っています」



彼は今はトリノで素晴らしい豪邸に暮らしています。
奥さんのイヴァーナと、
ふたりの子供たちと一緒に、幸せにね。
子供たちはパヴェルとイヴァーナといいます。
両親の名前をそのまま受けついだ名前です。

ネドヴェドはディスコで夜遊びなんかしません。
生まれながらに優秀ではあったでしょうが、
驚異的にサッカー向きな才能を、
生まれながらに授かっているわけではない彼。
今の「最優秀」にたどり着くには、
たいへんな努力をしています。
練習につぐ練習で流した汗は、
毎シーズンごとにちゃんとした成果となり、
試合の結果として残してきました。
そうして勝ち取ったのが、チャンピオンの印の
バロンドールだったのです。

彼は、近年にこの賞を受けた選手たちを
賞賛しています。

「過去の受賞者のリストには、
 ジダン、リバウド、ロナウドと、
 典型的なサッカーの天才たちが
 名前を列ねています。
 これを見ると、僕には震えが走るほどです。
 彼らは生まれながらに階級を超えているけど、
 僕は、そうじゃありませんから。
 でも、今は、僕もこの賞に値するんだと
 信じています」

バロンドール。そうです、それは
優れたテクニックだけに与えられるのではありません。
サッカーを、安易に単なる娯楽スポーツとするのではなく、
何かもっとそれ以上のものである事を表現をするために、
選手が払う「自己犠牲」に与えられる賞だと、
僕は思うのです。

つまり、
サッカーに対する意欲が重ねさせる努力に
与えられる賞だ、と。
だから、チャンピオンに生まれつかなかったとしても、
チャンピオンになれるんです。

希望を持っていれば、いいんです。

決して希望を捨てず、
全身全霊で努力を重ねたパヴェル・ネドヴェドが、
ここに居ます。


訳者のひとこと

今年最後のフランコさんからのメッセージ、
素晴らしいですね。
私達も、いくつになっても、
希望を持って前進しましょ。
みなさん、今年もありがとうございました。
良い新年を!!

翻訳/イラスト=酒井うらら


フランコさんのくわしいプロフィールはこちら、

フランコさんのホームページはこちらです。(日本語もあるよ!)

フランコさんへの感想などは、
メールの表題に「フランコさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2003-12-29-MON

BACK
戻る