フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

がんばれアントニオ・カッサーノ!


サッカーが、貧しい環境にある少年たちに
夢と希望をあたえている話。
サッカー選手を夢見て、
いろいろな境遇に生きる子供たちが
元気にがんばれるっていうお話。
よくある話? 聞き飽きた話? たしかに。
僕もここに書いたことがありますし
みなさんも聞いたことがあるでしょう。
でもね、やっぱりみなさんにお知らせしたい
こんなお話があるんです。
またひとり、夢をかなえた少年の話です。

彼の名はアントニオ・カッサーノ。
弱冠20才の彼は、
このところ順位を上げてトップクラスにいるチーム、
ローマの若い才能です。


ちいさなマラドーナ。


彼は天才だと言ってよいでしょうが、
少しばかり野生児っぽいのには理由があります。
彼はストリート・チルドレンすれすれの、
貧しい少年時代をすごしたのです。
父親や兄さんが、
しょっちゅう警察につかまっているような、
そんな環境に育ちました。

一家を支えていた唯一の働き手は、彼の母親でした。
彼女は息子たちに食事をあたえるために、
洗濯やアイロンかけの仕事を受けては、
昼も夜も働き続けました。

彼が育った街は、
南部の大都市バーリの近くにあります。
イタリア人にその出身地を言えば、
貧しい育ちだなとわかる、
本当にわびしい、衛生環境も良くない所です。
イタリア南部には、そんな地域が、
いまも大都市の近郊に多くみられるのです。

アントニオ・カッサーノは、
そこで、いつもサッカーをして遊んでいたそうです。
それも、ぼろ布で作ったボールで。
それでも、10才の時にはすでに、
道ゆく人々が足を止めるほどの
才能を発揮していました。

彼の洗練されたボールさばきは、すぐに知れ渡り、
「ちいさなマラドーナ」と呼ばれるようになるまで、
あまり時間はかかりませんでした。

人生の苦しみや喪失感の中で育ったアントニオですが、
17才でバーリの街のチームに入団します。
これがイタリア全国リーグ、セリエAへのデビューです。

貧しかった彼の初陣の相手は、皮肉なことに、
金銭的に恵まれているインテルでした。
でも、人気チームのインテルを相手に大活躍を見せた
アントニオの幸運は、ここから始まったのです。

彼はこの試合で、素晴らしいプレイを見せただけではなく、
プラティーニ、ヴァン・バステン、ロナウドといった
真の天才にしか出来ないような、
とんでもないゴールを蹴りこみました。

セリエAに属する各有名チームが
これを見のがすはずはありません。
彼の周囲は、にわかに騒がしくなり、
ユーヴェもミランもアントニオ獲得のために
名乗りをあげました。
そして、アントニオ・カッサーノ獲得合戦に
競り勝ったのはローマでした。
ローマは、この弱冠18才のアントニオに、
3500万ドルという高額な契約金を出したのです。



喧嘩がたえなかったアントニオ。


実はこれ以前に、ケンカ早くて怒りっぽいアントニオが
ナショナルチームのユース部に呼ばれたことがあります。
監督はクラウディオ・ジェンティーレといって、
かつてはナショナルチーム、
アズーリの選手だった人物です。

ジェンティーレは1982年に
イタリアが世界チャンピオンになった時、
ディフェンダーのひとりとして参加していました。
この時の相手は、今の日本チーム監督であるジーコが
現役で活躍していたブラジルでした。
試合はもちろん凄まじい激戦でした。
この試合に勝ったということは、
ジェンティーレの最高の思い出でもあるようです。

さて、ユース・ナショナルチームでの
最初のトレーニングの日、
アントニオは嫌々やっているようで、
こんな厳しいばかりで疲れるトレーニングは
俺には向いてない、といった風情でした。

ジェンティーレは全員の前で
彼を呼びつけ、こう言いました。
「いいか、私は世界チャンピオンにもなった男だ。
 ジーコやマラドーナとも渡り合ったのだぞ。
 お前は私を尊敬するべきだろう」

アントニオは仲間たちと一緒に静かに、
これを聞いていましたが、
すぐにジェンティーレの鼻先で、
せせら笑いながら怒鳴りました。
「あんたはジーコと渡り合ってなんかいない。
 彼を殴ったりシャツを破ったりしただけだろ」



さあ、大変!!
怒り心頭に発したジェンティーレ監督は彼を家に追い返し、
二度と再び呼びもどすことはありませんでした。

ところが、ナショナルチーム、アズーリ本体の
トラパットーニ監督は、
今の彼をアズーリに呼び入れました。
この小僧は、うぬぼれ屋で空いばりで行儀も悪いが、
あの才能は無視できん、というわけです。

こうして、ユースをすっ飛ばして
「おとな」のアズーリ入りを果たしたアントニオは、
見事にトラパットーニ監督の期待に応えました。
ポーランドでの試合で、ゴールというお礼をしたのです。


トッティの弟のように、
カペッロの息子のように。


アントニオに高額をはたいたローマでも、
彼は常にトップクラスの働きを見せています。
ローマのアイドル、トッティとは、
深い友情で結ばれたようでもあります。

トッティはサッカー以外では「おバカ」と言われ、
その「おバカ」ぶりをからかう笑い話を、
トッティ自身が集めて本にしてしまったことは、
前にここで書きましたね。
トッティは本当は賢い男ですから、
アントニオの複雑な性格を理解したのでしょう。
サッカーをしていなければ、この青年が貧しいまま、
ひょっとすると父親や兄のように警察のごやっかいに
なったかもしれないことも、トッティは重々承知の上で、
友達として彼を愛しているのです。

ローマのカペッロ監督も、
アントニオを真の男に育てるべく心を砕いています。
アントニオに対しては、
優しく愛情がこもっていることが分かる
方法をとっているのです。

おとぎ話のような展開ですが、
これは純粋で単純な事実なんです。
アントニオは、第二のお兄さんとお父さんを
見つけたと言えるでしょう。

彼は「普通の家族」を持ったことがありません。
今、本当の家族のように彼を愛してくれる人びとを、
アントニオは見つけたのです。

アントニオは、まだ未熟です。
過ちも犯すし、ケンカもします。
でも今は、それを許し諭してくれる人がいます。

充分な愛を受けられずに育ったから、
間違いだらけのやんちゃになってしまったねと、
本当の弟や息子を愛するように
彼を育ててくれる「家族」をも、
アントニオはサッカーを通して手に入れたんですねえ。




訳者のひとこと

この記事が届く以前に、
イタリアにいる友人から、トッティが
なんだか人間的に成長したように思えると
聞いていました。
やんちゃな弟分ができたことは、
トッティにとっても(シャレじゃありません)
良かったのでしょうね。

翻訳/イラスト=酒井うらら


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2003-12-08-MON

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