フランコさんのイタリア通信。
アズーリにいちばん近いイタリア人の生活と意見。

バッジョの決断は「先送り」に。

イタリアというのは、
ヒーローたちや神話の数々が必要な国です。
もし誰かひとりの人物がヒーローであると同時に、
神話でもあるとしましょう。
その時にやっと、
イタリアのアイデンティティー確認装置が
作動するのです。

イタリアの市民がデモをした訳は?

ヒーローたちは若者がまねるために役立ちますね。
神話は夢を組み立てる助けになります。

さて、ロベルト・バッジョ以上に、
ヒーローであり神話である人物が他にいるでしょうか?

彼は2月18日に36才になりました。
そして彼は、アズーリのシャツを着てプレイする彼の名を
世界中に知らしめた、あの1990年のイタリアでの
W杯の時の人気を保ちつづけています。
あの大会で、歴史に名をつらねる最も偉大なチャンピオンの
仲間入りを、彼は果たしたのでした。

あれ以来、フィオレンティーナ、ユーヴェ、
ミラン、ボローニャ、インテルと
彼が所属したのは重要なチームばかりです。
そしてイタリア・ナショナル・チーム、
アズーリでプレイすることで、
サッカーはアートであると知っている
世界各国のティフォーゾたちを熱狂させました。
前にも書きましたが、サッカーは、
自由を求めてすぐ逃げ出してしまう
ジャングルの生き物のような、
わがままな物体であるボールを
飼いならす事のできる人が創るアートです。

今なお、彼は二世代にわたる
ティフォーゾたちのヒーローであり、神話なのです。
数週間前ですが、イタリアでは市民のデモがありました。
なんの抗議だったと思いますか?
トラパットーニが、ポルトガルとの友好試合に
バッジョを呼ばなかったからです。

一方、別の調査では、イタリア人の80%以上が、
バッジョのアズーリとしてのプレイを、
また見たいと思っている、という結果がでました。

ああ、でも、どうしようもなかったのです。

バッジョは2004年6月まで
イタリアに残ることを決めました。

バッジョは36才のバースデーを、
ヴィチェンツァの郊外の
カルドーニョという町にある彼の家で祝いました。
奥さんと数人の友人と一緒に・・・

後悔や嘆きなんて、全然ありませんでした。

ロベルト・バッジョはまだまだ、毎週日曜日に集まって来る
ティフォーゾたちを燃え上がらせています。

彼がキャプテンと司令塔をつとめるブレシャは、
今年も彼のお陰でセリエB落ちを免れるでしょう。

彼のマネージャーであるヴィットリオ・ペトローネは、
バッジョが2004年の6月まで、つまり契約通りに、
ブレシャに残ることを認めました。

ペトローネの説明によると、
“バッジョには世界中のチームからオファーが来ているし、
 2004年には確実にブレシャを離れるであろう。
 彼の大きな夢は、イタリアの次に愛している国、日本で
 彼のキャリアをしめくくることである。”
とのことです。

ブレシャはこの8月に日本で友好試合をする予定で、
もちろんバッジョはとても楽しみにしています。

はじめは今年の6月に日本に引っ越したいと
言っていたのですが・・・

でもバッジョは彼の決断を一年さき送りしたのですね。

動機はふたつ。

ひとつは、やはりブレシャとの契約でしょう。
契約というものは、あらゆる状況で選手と会社との
良い関係を崩しかねませんからね。

ふたつめの動機が決定的です。

ポルトガルは2004年にEURO2004
(ヨーロッパ選手権)を開きます。

バッジョはこの選手権に参加したいのです。

トラパットーニに、彼にはアズーリのシャツで
闘わせる価値があると判らせるために、
あと12ヶ月あるってもんです。
バッジョが愛してやまない、あの水色のシャツです。

ですから、まずはイタリアでのキャリアを完成させる。
彼は仏教徒ですから、彼の宗教の国、
日本でのキャリアを開始する話は、
その後になりそうですねえ。


訳者の一言
「日本に移動する」で、ウソっと驚き、
「引退試合」報道で、えええ??と悲しみ、
なに、結局ブレシャに残るって・・・
イタリア人は嘘つきではないのです。
状況が刻々と変化するだけなのです。
その時その時は、本当に真剣なのです。(冷や汗)
翻訳/イラスト=酒井うらら


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2003-02-24-MON

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