谷川俊太郎の『家族の肖像』。

『家族の肖像』鼎談 第2回
食べ方を言わない詩人。




糸井
今回のCDで、賢作さんは、
音をどういうふうに構成したんですか?

賢作
今までの2作はやっぱり、
これだけの詩人の、「朗読」があるんだから
音楽は「箸休め」かなと、正直思ってた。

朗読の、言葉の意味に疲れたときに音楽があれば、
というぐらいの意識だったんですけれども、
今度はなんだか、
組曲でがっぷり四つにやろうという
ことになりました。
だから、これまでにくらべて、
音楽の部分が多いと思います。

糸井
そうですね。
このCDで、「景色」を作ってるのは
たぶん音楽のほうだと思うんです。
どんなに景色にまつわる言葉があっても、
やっぱり景色ができるのは音楽なんです。
今回はそうとう、
「賢作さんの受け止め方」
アルバムに出ています。

谷川さんは、
「こう食べて下さい」っていうことを
絶対に言わない方だから、詩を
「好きなようにどうぞ」と言って渡します。
だから、受け手のサイズに合わせて
小さくなっちゃったりもするんだけど、
賢作さんは、この詩人のことを
よく知ってるがゆえに、
「俺はこのくらいに受け止めてる」ということを、
あいだに上手に入れられた。
それが、このCDに込められているものを
誰かに「渡しやすくなった」ということの
原因じゃないかなぁ、と思ったんです。

俊太郎
なるほどね。

賢作
自分でも、会心のつなぎだな、って思うのは、
3つめの「どこへでもいけるよ」っていう曲。
 
糸井
いやぁ、わかる。わかります。

賢作
CDの冒頭の曲を
木管四重奏にしたんです。そしたら、
父が、そのレコーディングに来てくれてね。
木管の演奏を聴いて、
これだったら俺、新作が書けそうだ、
って言うんですよ。
最初、いくらお願いしても、
俺、やんねぇよ、って言ってたのに。

俊太郎
いや、そんなに威張ってなかったよ!

賢作
いやいや、1回威張ったよ、1回ね(笑)。

俊太郎
そぉ?

賢作
どうしてこう話が合わないんだ(笑)。

俊太郎
ごまかしてただけだよ。
 
糸井
要するに、谷川さんは、あんまり
新作を入れたくなかったわけですね?


俊太郎

今まで全部、ありものでやってきたから
「いきなり、なんで新作が混ざるの?」
っていう意識はあったんだけど、
やっぱり、それがだんだん、変化しました。
「彼がこんな音楽を書いたんなら、
 これをつけたい」と。

賢作
それがまた、すごい詩ができてきたんで。
 
糸井
そうですよねぇ!


賢作

こういう詩を聴いたら、やっぱり次は
詩でつながずに、
ピアノで受けるしかないでしょう。
僕としては、このCDの
「あかんぼがいる」までの流れは、
ほんとに、会心の出来なんですよ。
 
糸井
でしょう?
だから、CD冒頭のここまでのところで、
お客さんたちは「いっちゃう」んですよ(笑)。
短い時間なんですけどね。
‥‥もっと気楽に聴き始めたんですよ、僕だって!

俊太郎
終わりまで気軽に聞いて下さいよ。
 
糸井
新幹線に乗ってるときなんかに聴くと
たまんないですよ。
僕は今回、谷川さんに、
何が伝えたいかって、そりゃあもう、
「えらい仕事しちゃいましたね」
ということばっかりなんです。

俊太郎
‥‥そんなにいいんだったら、
俺、もいっぺん聴いてみようかな。

(つづきます!)  

2004-07-23-FRI

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