アースダイバーの経験論!
経験論について プロフィール
11 質問:
フランスでの生活の後に、
どんな方向に進んだのですか。
たまたま当時、講談社が
海外経験のある人を求めていて……。
実は、大学新卒のときの第一志望が
マスコミ系でしかも出版社だったんです。
なんかぐるぐると回って
自分の希望の原点に戻ってきたという感じでした。
本田技研にはほんとにお世話になりました。
いい会社でした。
おかげさまでいろいろと幅広い経験を
させて頂いたと思いますし、
休職扱いにしていただいたことの
ありがたさも身にしみていましたけど、
辞めさせてもらいました。
ただ今でもホンダの文系の同期とは
ずいぶん仲がいいんです。
いまだに誰かの異動があると
同期で集まったりしますね。
クルマやバイク好きのやつらが、
入社してすぐに、
工場実習で生活を共にするわけです。
鈴鹿の工場で三か月間は
組立工とか工員さんを経験するのですが、
その時に家族用の寮に四人で住むわけで、
これがすごくおもしろかったんです。
二交代制なので朝の六時に起きて
連れだって出かけたり……
すぐに仲良くなって
ツーリングに出かけるようになりましたし、
東京に帰ってもそのメンツで
ナンパに行ったりごはんを食べに行ったり。
だからいまだに集まると昔のノリで、
すごく楽しいんです。
  転職したのは三十歳過ぎでした。
出版のことなんて
まったく知らないでスタートです。
緊張しました。
ラッキーだったのは、
講談社選書メチエの立ちあげから
ずっと十二年間はメチエの仕事に
携わることができたことです。
創刊を経験できたこともよかったし、
一カ所に長い間いることができたおかげで、
蓄積ができました。
  それまで本は読んでいたとはいえ
好きなものだけ読んでいるわけで
偏っていましたから、それを機に
ほんとに何でも手を出すようにしていました。
講談社選書メチエが
出はじめる前の準備段階では、
それこそ編集会議を毎週やっていたので、
自分の知ってる分野の企画だけでは、
一か月と保ちませんでした。
すぐに案が尽きてしまうんですよね。
そこで『現代思想』や『大航海』や、
学術系の雑誌を読んでは
「この論文は短いけどおもしろいから、
 これをふくらませて
 一冊にできるかもしれない」とか、
毎週必死になって
企画会議に持っていってましたね。

毎週の企画会議は一年半続けたのですが、
いい訓練にはなりました。
最初に出した企画、おぼえています。
「丸山圭三郎さんと栗本慎一郎さんと……」
と著者の名前しか出せなかったから(笑)。
どんなテーマで書いてもらいたい、
なんてところまで行き着けませんでした。

(次回に続きます。)
photo
Photo : 大森克己
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2005-07-29-FRI

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