質問:
書く時に注意していることは何ですか?
ひとつの小説で自分がイメージしている
「言葉の使い方」や
「流れ」があるはずなのに、
つい、そうではないものを書いちゃうんです。

読みなおした時点で「ヘンだな」と気づいたら
面倒くさがらずにぜんぶ変えていくと、
まちがいなく自分がはじめに
イメージした線に沿うものに
なるはずなんですけどね。
小説作品とは、
むしろ最初のイメージよりも
ふくらんでくるはずのものなのに
「つい書いちゃったところ」を
いいかげんに放っておくと、
最初のイメージ以下のものにしかなりません。
因果関係や論理性で作ってしまうと
小説は漫画になると言いますか……
ほんとにリアリティのあるものって、
因果関係に沿っていないんです。
もちろん小説は現実にないことを
いくら書いてもかまわないけど、
構築の仕方は手触りとして
ヘンだとつまらないわけです。
論理性に沿っているだけだと
現実の中で起きているものごとの
つながりはわからないし、因果関係なんかで
言いきれる現実はおもしろくない。

なぜこのことが起きたのかは
説明がつかなくてもかまわないし、
むしろ説明がつくものの方が
チンケになってくるんですね。
現実をよく見れば、
因果関係に沿わない流れの方が
あたりまえだということぐらい、
心の中ではわかっているはずなのに、
つまらない読み方をする人は、
論理だけで読んで
「こんなことはありえない」
と言いたがるものなんです。
ヘタな小説を書く小説家志望の人たちは、
現実と切り離したところで
小説を作ろうとしていて、
小説としてしか書いてないんです。

小説としてしか書いていないというのは、
頭の中で生みだした
「これが小説だ」
というイメージだけということで、
説明がうまくつかないところも含めた
「現実のように」
小説を組みたてようとしないと
小説にならないわけです。
現実から一回きれいに切り離してしまうと、
小説はおしまいなんです。

 

小説とは現実か虚構かというと
基本は現実を扱うはずで、
虚構と割りきるところからはじめると
もうダメなんですよね。
前の『書きあぐねている人のための小説入門』で
使った例なんだけど、
「花を見て描く絵」ではなく
「花の絵を見て描く絵」になってしまうんです。

 

火曜日に続きます。

 
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2005-07-15

Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005