質問:
「何代もかけないと変わりっこない」と
いうぐらいの時間のかけ方はいいですね。
「ただ時間をかけなければ仕方がない」
というその「時間」は、
すごくわからないものです。

「学生時代にこんなことがあって、
 就職しようとしてトラブルがあって、
 結局、彼はこうなった」と
因果関係で時間の経過を説明できるかのように
思われているけど……因果関係の言葉は、
時間の経過を消してしまうんじゃないかと思う。
「少女監禁男の異常な行動は、
 美人で優しい母が死んだ
 高校時代にはじまったのでは?」
などとニュースやワイドショーは言うわけだけど、
そういう因果関係の説明はちがうと思う。

高校時代にお母さんを亡くした人なら
何人もいるはずだし、
因果関係の説明なんて
簡単にはできないんじゃないのかなぁ。
もともと彼の中にしかるべき芽があって、
それが成長したみたいに犯罪が語られるけど、
彼の中を素通りする経験もあれば
カスのように滞る経験もあるわけで、
時間の経過は
一概には伝えられないものですよね。
「監禁ゲームをしたから監禁をしたくなった」
という言葉も、単純すぎて疑問なんです。
時系列に因果関係を並べていくと
いかにも
説明がついたように思われがちだけど、
因果関係で説明したとたんに、
本来わかりにくいものである
「時間」が消えてしまうと言うか……。
哲学者が昔から
「空間と時間」と並べて考えるだけあって
どちらもほんとに見えにくいものですよね。

「カントはこう言った」と
ハイデガーが引用していたものに、
「幾何学で空間を描いても
 幾何学化された空間になってるだけで
 空間そのものではない」
というような言葉があるんだけど……
つまり「こういう空間」と言う瞬間に
空間そのものから離れるわけですよね。
どんなにうまく言えても
茫洋とした空間の一部を
便宜的に取りだしただけでしょう。

だから建築家は訓練を通じて
建物を見ることができても、
原生林の中に入ると
ふだんの空間とはちがうものだから
わからなくなるだろうとかいうことです。
空間も指し示した瞬間に
「空間の中の論理化された部分だけ」
になるんだけど、
時間もモロにそういうものですよね。
 

時間や空間について
考えたり感じたりする時には、
わかるための手がかりが
ほしくなるわけだけど、
大抵の人はその「手がかり」だけで
わかった気になってしまうんです。
でも、ただ、
手がかりというのは、ほんとは
「ここまではわかった」ではなくて
「ここからはわからない」
というものだと思うんです。

 

明日に続きます。

 
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2005-07-13

Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005