質問:
「他人という
 わかっていないことを書く」
という次の小説について、うかがえますか?
クチではいくら
わかっているようにいえたとしても、
「他人」ってほんとうに、
その人ごとにちがうし、
そのちがいをわかっていないんですよね。
レインマンみたいな
極端な人とかも混ぜつつ、
人間ひとりひとりが
ほんとにちがうんだということが、
読んでいる人にほんとに実感されるような……。
「身体的特徴や視力や聴力がちがうと
 こんなにも世界がちがうんだ」
「そういう人たちによって
 世界が構成されているんだ」
ということを感じられるような小説を
書いてみたい、とは思っているんです。
これはぼくがふだん
猫を見て感じていることの
延長でもあるんですけど。
今の小説に多いのは
「こういう過去を背負っているから
 今の私がこうあって、
 やっぱり私は私ですから」
みたいなものですけど、「私」なんて
頑として動かないものではないんですよね。
かなりの部分が偶然の産物で、
どう転ぶかわからないまま
今までやってきたんだろうし、
これからどう転んでいくかも
わからない場所にいる……。
そういうことを
次の小説として考えているんですけど、
『小説の自由』のもとになる連載を
毎月やっていると、
それでけっこう満足しちゃう、
みたいなところもあるから、
なかなかそっちの小説は始動しなくて……。
小説を書いているときには、ほんとに
「書く前には考えていなかったこと」
ばかりをぎゅうぎゅう考えていくから
たいへんなんだけど、この連載のほうは
一回ぶんの連載にかける時間は
だいたいまる一週間ぐらいです。
だから小説を書くよりは
スイスイとしゃべるように
書くことをこころがけているんですけど、
やっぱりそれでもすこしは
「書く前に考えていなかったこと」
を書かなければ、
ものを書いたことにはならないわけだから、
そういうことも考える……
そうするとけっこう納得も満足もしちゃうんです。
なにもしないことこそ小説家だとかいいながらも、
個人の気持ちとしてはいろいろやることがあって、
わりあいいそがしいんですよね。
猫のジジには一日六回薬をやらなきゃいけないし、
その記録もつけなきゃいけないし……
ぼくは記録をつけるとなると
めちゃめちゃ厳密になっちゃうほうで、
猫のトイレの記録も天候の記録も
ごはんをどれぐらいの頻度で
なにを食べたかの記録も、ものすごく
詳細にとるようになっちゃったんです(笑)。
  レギュラーの状態がわかっていないと
イレギュラーの時を発見できないから、
ということで、
去年の夏ぐらいからはじめたんだけど、
これがだんだん充実してきちゃって、
手帳と携帯電話の日記の二か所に
おなじことを書くようになって……
記録つけてる時間が多くなっちゃいました。
 
  明日に続きます。
 
感想を送る 友達に知らせる ウインドウを閉じる 2005-07-06
Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005