質問:
「文章を書くことって
 あんまりはやくはじめないほうがいい」
という考えについて、きかせていただけますか?
それはなぜかというと、
文章にはやっぱり規範が多すぎて、
すごくワクや形にとらわれがちなんですね。
たとえばどの国の子供の描いた絵だとしても、
たいていは、日本人にもアメリカ人にも
ロシア人にも通じるでしょう。
音楽もだいたい通じると思う。
だけど、言葉は通じないよね。
つまり言葉には
それだけワクがあるということで、
しかしそんなワクがあるなかで
音楽や絵を表現するような
言葉の使いかたをするとなると、
しばりがものすごくおおきいから
そのしばりを相対化できなくなって、
ほとんどの人がワクのなかでしか
使えなくなっちゃうんですよね。
若くて小説を書ける人は
その言葉のしばりに
抵抗を感じていない場合が多いんです。
最初から
「言葉による表現はこういうものだ」
と思ってしまっている。
ものすごく痛いときの
叫び声ひとつとったって、
「ギャッ」なのか
「ア」に濁点打つ「ア"ッ」なのか
本当は書きようがないでしょ?
運動会で
絶対勝てないと思っていた相手に
勝って一等賞とったときの気持ちが
「うれしかった」とか
「ものすごくうれしかった」
だけでいいのかって、
「あれはうれしいなんて
 いうのと違っていた」とか、
本当にいろいろ感じている子供だったら、
「言葉に書くって、
 つまらなくしちゃうことだなぁ」
って感じると思うんですよ。
だから
若いうちから小説を書けちゃう人は、
ほんとのことをいうと
あんまり可能性がないんだとぼくは思います。
「上手な作文を書く子供」というだけで、
それ以上ではないという小説には、
おもしろみなんかないんですよね。
小島信夫さんが、わりとよく
「文句のつけようがないんだけど、
 おもしろさはひとつもない」
というんだけど、
若くて書ける人の文章は
そういう場合が多いです。
特にここがだめだというところは
一か所もないんだけど、
おもしろいところも一か所もない……。
  月曜日に続きます。
 
感想を送る 友達に知らせる ウインドウを閉じる 2005-07-01
Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005