質問:
「小説をおもしろく読むこと」とは
逆になる観点は、どんなものだと思いますか?
小説を読むための敵があるとするなら、
「わかったように、
 評論家のようにまとめてしまうこと」なんです。
だから、インターネットで
読者レビューというものを見かけると、
「それ書くヒマがあるなら、
 本を読んだほうがいいよ」と思います。
たとえばアマゾンのレビューを書く人って
読者のなかの一%未満ですよね。
綿谷りささんの『蹴りたい背中』のレビューは
たしか三〇〇とかあったような気がするんだけど、
それでも売れたのは百万部だから、
全体からすると、
レビューを書きたがる人というのは
ほんとはいろいろな意味で
かなり特殊な人なんですね。
だけどインターネットで
そのページを見ているあいだは
その特殊さに気がつかないのが困るというか……
小説家にとって
いちばん真摯に受けとめたい読者は、
レビューを書く人ではなくて
「ただただちゃんと読む人」なんです。
評価しようという読みかたはだめだし、
読んだあとにすぐにレビューを書こうと思う
読みかたもだめなんです。
読むことと書くことはやっぱり別なんです。
これが他の分野だと、
音楽を言葉にしようと思ったりしないわけだし、
演奏の直後にああだこうだ言う人は
邪念のある人というか
「音楽との接し方が間違っているよ」
という了解があるでしょ?
読者レビューを書きたがる人は、
それとよく似ているといいますか……。
ぼくは会社員だったときには
デパートの人間でもあったから、
来店者のクレームというものも
いろいろと見ていたんですけど、
クレームってもちろん
まともなものもあるんですけど、
ほとんどの人は変わっている人なんです。
大多数のふつうの人はだめだなと思ったら
黙って去っていくし、
店員の感じが悪かったら
いちいちそれを伝えずに
そのデパートにいかなくなるものですよ。
本を読む人も黙って読んでいると思う。
だからわざわざ
クレームをいいにくる人のいうことを
すべて真に受けていたらいけないんです。
明日に続きます。
感想を送る 友達に知らせる ウインドウを閉じる 2005-06-21
Photo : Yasuo Yamaguchi All rights reserved by Hobo Nikkan Itoi Shinbun 2005