質問:
「小説をまじめに書くこと」
についての考えを、きかせていただけますか? 小説から離れるとこわいと考えるのは、
技術の面だけではなくて、
書くことを一日でも休むと、発想の道筋が
脳の中になくなるような気がするんですよね。
止めてしまうと何も思いつかなくなってきますから、
だから休んだらダメだと思います。
そういう意味ではスポーツに似てるかもしれません。
ただしスポーツはまじめにやるほど
体も健康で強くなりますけど、僕は、
まじめにコツコツ働くほど体が弱ってきますね。
ただ座って動かない仕事ですから。 他のことができませんから、
僕は小説はまじめに書いています。
小説を書くのは確かに大変なんです。
めんどくさいですし。
でも「大変」と言うほうが
価値が高く見えるから
ポーズを取るという作家も多いですね。 編集の人に原稿を渡す時に
すごく簡単に「はい」と渡したら
軽く扱われちゃうんじゃないか、みたいなことは、
たぶん小説家の職業的な知恵でしょう。
編集の人も、会社でポンと
原稿を渡すだけでは
上司にあまりほめられないんじゃないか。
「もう大変でした……
 あの大先生の原稿をようやく!」
と言うほうがねぎらわれますし、
つまりどこでも「大変」にした方が
全体がうまくまわるといいますか。 僕はそれをわかっているつもりですが、
やはりあまり大変なことにしないほうが
書きやすいんです。
自分を追いこんで書くと
本当に追いつめられそうで……
つまり僕は割としめきりを守るほうなんです。
ヘタしたら、しめきり前に渡したりもします。
そうすると「この人は安全牌だ」みたいに、
構ってもらえなくもなるんですけど。
神様は一匹の迷える小羊を
助けたがるもので、
九十九匹の迷わない小羊は
放っておかれるわけです。 大変な人にみんなが総力を結集するから、
小説家はみんなに総力を結集されたくて
しめきりを守らないわけで、
だからしめきりを守らない小羊が
九十九匹になってしまうんですよね。
つまり編集の人たちは、
だいたいそういうことで
「大変」になっていくんですけど。
明日に続きます。
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2005-06-08 
Photo : Yasuo Yamaguchi [Hobo Nikkan Itoi Shinbun] 
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