智慧の実を食べよう2
“WONDER S CHOOL!”
学問は驚きだ。へ
智慧の実をとどけます。
『学問は驚きだ』制作中の言葉から。

第2回
科学者とはこういう人間です

(※最初の数回は、惑星物理学の松井孝典さんから、
  追加取材でうかがった談話を、おとどけいたします。
  講演会での発言以外も、たくさん盛りこんだので、
  本もDVDも、どうぞ、たのしみにしてくださいね)



(「智慧の実を食べよう2」講演中の松井先生)

そもそも、
計算をするプロセスとか
ものを書くというのは、
ぼくにとっては、
快感じゃないわけです。
要するに、頭の中で考えているときが、
いちばんたのしいわけですよね。

そういう人生を送りたい、
と思ってきたわけだから。
要するに思索する人生を送りたいと思って、
今のような道をはじめたわけでしょう。

書いたり、プログラミングしたり、
実験をしたりということは、
別にたのしくないとは言わないけど、
いろんなことを考えて
「ああでもないこうでもない。
 あっ、こうなんだ!」
という瞬間のほうが、ずっとたのしいんです。

ただ……わたしは、
何をしていてもおもしろいんです。
だいたい、今まで、人から
「落ちこんでいますね」
なんて思われたことがないですから。

そもそも、落ちこんでいるときだって、
「あ、これが落ちこむということか」
というものですよ。

たとえば、ピストルを突きつけられて
強盗に遭ったとき、
何を考えているのかと言えば
「ほんとうに映画で見る強盗と同じだ」
ということだったりします。
ほんとうにこわいのは、
すべての災難が、終わったあとでした。

わたしが実際に
海外での調査中に強盗に遭ったときには、
すべてカタがついて、
お金を取られて犯人が逃げて、
もう危険がなくなった瞬間に、
ようやく、ガタガタ震え出しました。

ひとりでホテルの部屋に戻ったあと、
何か急に震えがきた。
それでも、おもしろかったんです。

「あのとき撃たれていたら、
 死んでいたんだ」
とかいうことも思いますが、
極限状態に考えていたことは、
案外細かいことだったりするんです。

「財布は二つ持っている。
 片一方は小銭ばかり、
 せいぜいドルでいったら五十ドルくらい。
 もう片一方は千ドル入っている。
 どっちを出そうかな……
 千ドルを出してしまうと
 調査のために困るし、
 かと言って五十ドル出して
 撃たれて死んだらみっともないし」

強盗に遭うと、実際には、
そんなことを考えているわけです。
これも、一種の「発見」でしょう?

もちろん、
千ドル出しましたけどね。
命を考えたらバカバカしいじゃない。
考えていて、
「こんなのは迷う問題じゃないよな」
と思ったけれど、自分は強盗に遭うと
そんなふうに感じるんだということが、
おもしろかった。

にっちもさっちもいかない、
もうどうしようもないという状況には、
いつだって置かれるでしょう。
いろいろな状況がありますよ。

あした会議なのに、しかも、今日の時点で
旧ソ連の科学者が来る予定になっているのに、
まだその科学者には、ビザが出ていなくて、
明日の朝いちばんの飛行機に
乗ってもらわなければならないと……
そんなことなら、何度となくあるわけです。

そういうときに、まわりから
「見ていてぜんぜん動じない」と言われます。
ぼくはしょうがないから外務省に電話して
「誰々さん呼んでください」
とか、いろいろ言って、
結局最終的にうまくいくんです。

だけどそもそも、打つ手をやって、
それでダメならしょうがないと、
どこかで割りきっているんですよね。
だから、動じないんです。
やってしようがないないら、
しようがないかと……。

ぼくはもともと
「思索する人生を送りたい」
と思っていた人間です。

たまたま、いまは物理学をやっているけど、
道を極められるのならば、
言わば、「何でもよかった」のですよね。

そもそも中学生の頃は、
本気で剣士になろうと思っていました。
中学の頃は、ほんとうに一途に、
迷うことなくそれだけをやっていまして……
実際に、負ける相手が、いなかったんです。

めちゃくちゃ強かったし、
自分には天賦の才能があると思っていました。
ところが、高校に行ったときに、
道場がなくてがっかりしてしまうんですね。

ぼくにとって、
剣道はスポーツではなかったんです。

体育館で袴を穿いて座ると、
体育館だから袴が汚れてしまうでしょう。
そういうことに耐えられないという種類の
耐えられなさで、剣道はやめました。

剣道にしても、
ほんとうに剣の道を極める、
ということをやりたかったんです。
好きこそもののじょうずなれで、
寒稽古だってなんだって、
苦しいなんて思ったことはないんですから。

「強くなりたい」という一心で生きてきて、
いまもその延長線上にあるといえば
そうなのでしょう。

自分の人生を、自分で思うがままに生きる。

十代の頃、
それが人生として最高だと思いました。
むしろ、それ以外の人生はありえない、
と感じたわけです。

だとすると、ほんとうは学生のまま
一生を送ることができればいいのだけど、
学生では、食べていくことができないでしょう?
だから、学者になっただけなんです。

大学に行って、学生と同じように、
ただ好きなことをやっている人間に
給料をくれるわけだから、
これがいちばんいいだろうということで、
学者になろうと思ったわけです。

(明日に、つづきます)

←前回へ * 次回へ→

2004-10-04-MON

このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「智慧の実を食べよう2」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

智慧の実を食べよう2
戻る