man

↑クリックすると、5周年のページへ!
智慧の実を食べよう。
300歳で300分。

「ほぼ日」創刊5周年記念超時間講演会。

智慧の実を食べた人々4 十文字美信(2)
 〜もっともっと話を訊きたい〜

29年前に小野田さんが
フィリピンのルバング島から帰国された時の写真を
「誰に頼まれたのでもない。
 仕事でもなんでもなかった。
 自分の意志で、
 どうしても小野田さんの写真を撮りたかった。」
と言って羽田空港に撮影に行った
写真家十文字美信さん
前回に引き続き「智慧の実を食べた人々」に
ご登場いただきます。

十文字さんは小野田寛郎さんの講演を
どのような気持ちで聴いていたのでしょうか。

●もっと具体的なことも
 訊いてみたかった。


── 小野田さんの講演を聞いていただいて、
いかがでしたか?
 
十文字 1時間ぐらいずっと立ち続けて
話されましたよね。
それとパンフレットだったと思うんだけど、
手に持たれていました。
自分のためにメモしたものを中に
挟まれてたんです。
それをぜんぜん見ないで、
話していましたよね。
小野田さんにメモのことを訊いたら、
「ああ、そうなんですよ。
 メモを書いてました」
「でも、それを見ないで話しましたよね」
「話をするときに、
 必要だから書くんじゃないんです。
 書けばぜんぶ頭に入るんです」
っておっしゃって。
だから、書いてるだけ。
「さすがだな」
って思いましたね。

話を聞いて思ったんですけど、
自分1人で話されることもいいかもしれないけど、
誰かと対談したらもっと面白いかな。
 
── 藤田さんのときの糸井のような感じですか。
 
十文字 そうそうそう。
小野田さんに訊きたいことって、
けっこうあるじゃないですか。
なかなか自分からは
話しにくいって言ったら変だけど、
人がどういう話に興味があるのかっていうのは、
意外と自分が想像してることと、
ちょっとズレがあるじゃないですか。

この前がそうだったってわけじゃないし、
話もすごく面白かったけど、
小野田さんだけしか知らないことっていうのが、
きっと山ほどあって。
そういうことって、話していかないと、
忘れちゃうんじゃないかな?

小野田さんが書かれた本で
手に入るものは何冊か読んでみましたが、
やっぱり載っていないことで訊きたいことが
でてくるんだよね。
簡単なことで言ったら、
毎日毎日のうんちのこと。
あるいは、髪の毛はいったい何日間ごとに、
どういうふうにして洗ってたのか。
歯磨きはどうしたのか。
洗濯のとき石鹸は使ったのか。
そういう些細なことなんだけど、
ふだん日常生活でやっている
なんでもないことが、
けっこう大変なことだと思ったんです。
29年間ルバング島で、その都度、
調達しなきゃいけないわけだから。

そういうことから始まって、
内面的なことも訊いてみたいね。
たとえば、雨期でね、
毎日シトシトシトシト雨が降ってて、
でかけないでジーッとしてるときに、
いったいなにをしてたのか、
何を考えてたのか。
好きになった女性のことなど
思い出さなかったのか。
29年間の中で、
いちばん困ったことって
いったい何だったのか。
もし自分が日本へ帰ったら、
こんなことやってみようと思ってたことは
いったい何だったのか。
訊いてみたいことはいっぱいある。

自分がもし同じような状況にあったとしたら、
意気地がないから、
29年間なんて
とてもひとりじゃいられないと思う。
「1週間でも10日でも、
 あのような環境におかれたら
 どういうふうに考えるのかな」って想像すると、
実に興味がつきないです。


●戦うために生きていた人。

── その時に置かれていた状況や
着任してからの期間によって
考えていたことも
変わってきているかもしれないかなって
思いました。
 
十文字 そうそう。
戦争が終わったのか、
終わってないのかってこととか。
もちろん自分が終わってないと思ってたから
戦い続けていたと思うんだけど、
終戦を知らせるビラがまかれたり、
家族の方が来たり、何度もやってますよね。

本を読むと
「戦争が終わったことは嘘だと思った」
と書いてあるけど、
嘘だと思ったとしても、
心のどこかで
「もしほんとに戦争が
 終わってたとしたら、
 自分はいったい何だったんだろう」とか
「自分はいったい今何をしてるんだろう」とか
考えなかったのかな。
 
── まだまだお話になっていないことが
たくさんありそうですよね。
 
十文字 「こんなことを言っても、
 きっと誰にも理解されないだろうな」
って思って、心にしまわれてることも、
あるんじゃないのかな。
もし小野田さんがぼくの父親だったら、
もうつかまえて離さないぐらいに、
いろいろなことを訊いてみたいよ(笑)。
 
── 小野田さんの講演に出てきた
帽子が2年で腐る話とか、
考えてみたこともなかったことですからね。
 
十文字 うん、すごかった。
ルバング島での自分の人生は
60歳までだと思ったって。
仮に、それを思ったのが
35歳だとするじゃない。
35から60歳までの残りの25年間を振り分けて、
自分にとっていちばん大切なのは「弾丸」だと。
だから自分が持ってる銃の弾を25分割して、
1年間に使える弾の数は何発だと計算して、
残りは、ちゃんと腐らないように、
保管してた。

なぜ自分の人生が60歳だと思ったんだろうって
不思議じゃない?
そしたら、本に出てきたんだけど、
殺した牛を担いで歩ける肉体を
保っていられるのは、
60歳までだと思ったんだって。
だから60歳からあとは、
生きてるかもしれないけど、
じり貧になって、
肉を担いで歩くことも
何々することもできないって、
できないっていうことがいっぱい出てきて。
それは「自分は戦闘することはできない」
ってことだったんだよね。
「自分は戦争をすることが目的で、
 残ってるわけで、
 生き残りたくて残ってたわけじゃない」
って言うんですね。
 
── 戦うために生きてる。
だから戦うだけの体力がなくなったら
生きてる意味がないってことですか。
 
十文字 「60になってもまだ生きてたら
 あらゆる武器を持って突撃する」って書いてある。
小野田さんは本当にそう思ってたと思う。

小野田さんは最後の日本帝国陸軍少尉だよね。
彼にしてみたら29年間、
ルバング島のジャングルにいたわけだから、
ずっと時間は続いてるんだけど、
日本にいるぼくからしてみたら、
忽然と出現したわけですよ。
いきなり、幻の帝国陸軍少尉が。
「これは見ないでおくものか」っていう
気持ちで羽田空港に
小野田さんを撮りに向かったことを
覚えています。


●両親から聞いた戦争。

── 十文字さんは戦後の生まれですよね。
 
十文字 うん、戦後、昭和22年の生まれです。
昭和20年が終戦の年なんで。
戦争が終わって、父が帰ってきてからの子どもです。
 
── ご両親は、戦争の話を
十文字さんにされたんですか?
 
十文字 あまり語りたがらなかったけど
それでもずいぶんいろんなことを聞きました。
無理矢理、聞き出して(笑)。
言ってくれないと、
事実が消えてなくなっちゃうから。

インドネシアのスマトラっていう島に
パレンバンという
日本軍の空軍基地があったんです。
ウチの父は、そこの守備隊だったの。
ほとんど終戦近くなったころっていうのは、
ボンボン爆撃されてたらしい。
それを、死守する守備隊として戦ってた。
けっこう激戦地だったみたい。
当時、父は日本石油で働いてて、
そこから徴兵されて行ったから、
正規の軍人っていうんじゃなくて。
戦場に行って戦争をしなければならなくなった
ひとりの軍属として行ったんです。

母はそのころ、横浜に住んでて。
当時のアメリカ軍っていうのは、
石油タンクをめがけて爆撃してたんですよ。
横浜には日本石油の工場があったから、
そこめがけて、
だいぶ激しい空襲があったみたいです。
子どもの手を引いて、防空壕に逃げ込むのに、
ちょうど向こうから来た米軍の飛行機が、
ババババッて撃って、
飛び去って行く時に
パイロットの顔が見えたって言ってた。
 
── すごいリアルですね。
ちょうど当日会場に来ていた観客の中心が
20代、30代だったんです。
私もそうですが、
もっと抽象的なものとしてしか
戦争ってとらえきれていない気がします。
そういう世代からすると、
小野田さんの話を聞いて、
「こういう人がいたんだ」
「そんなことがあったんだ」
というだけでも衝撃的でした。
 
十文字 講演の後に
あらためて人から聞いたり読んだりして、
あのおじいさんって、
こういう人だったんだと知って、
さらに衝撃が増した人もいるかもね(笑)。

ぼくの場合は戦後生まれではあるけど、
両親からけっこう話を聞き出したりしてたから。
もちろん身近ではないけども、
小野田さんの話を
わりと切実な感じを持って聞いてました。


●ひとつだけでも
 キチッとしたものをもっておく。


十文字 ぼくね、個人的に小野田さんが好きなんですよ。

人間っていうのは、
生きてるもの、存在しているものは
なんでもそうなんだけど、
時間を重ねることによって、
どんどんだらしなくなっていく。
消えてなくなる方向に向かって、
1歩1歩進んでるんです。
つまりいろんなことが、
だんだん崩れていく。
「それがいいんだ」みたいに言う人が多いんだけど、
ぼくはそうも思ってないの。
なんていうのかな。
その人の持ってる意気地っていうか、
誇りっていうものが出ると思うんです。
だからギリギリまで
自分なりにがんばっている人っていうのが、
ぼくは好きなんですよ。
ひとつでもいいから、
このことはキチッとしておきたいっていうのを、
持ってる人。
それをぼくは小野田さんに感じるんです。

べつにヨレヨレになろうがいいんだけど、
たとえば、目線だけはちゃんとしときたいとか、
このことだけは話しときたいとか、
こういうことだけは守り通したいとか。
なにかそういう年寄りになりたいなと思ってる。
 
── 小野田さんのように年を重ねていきたい、と。
 
十文字 小野田さんみたいにはなれっこないけど、
この前の講演で、彼の信条というか、
自分はこういうふうに生きたいっていうことが、
すごく伝わってきた。
彼の講演した話もさることながら、
立ち姿を見れただけでも、
ぼくは幸せだった。


 
── あの姿は
とにかくもう焼き付いてますね。
 
十文字 ぜんぜん座らずに、
べつに何を見つめるわけでもなく。
自分の中で考えて話をして、
時間がきたら、サッと終わるみたいなね。
最後に講演をした谷川さんが
「言葉って説明じゃないよ」
って言ったじゃない。
まさに小野田さんがそうだね。
立ってるだけで、ビシッと立って、
何も話さなくたってぼくは良かったね。
あの立ち姿は、もう百万の言葉よりも、
表現豊かな立ち姿だったね。
 
── きれいでした。
 
十文字 なにかこう一本筋が入って。
自分にとっては
こういう人になりたいなっていうものを持ってたね。


●もっと小野田さんを残したい。

── 「講演内容をDVDとして残したい」
って糸井が言ったんです。
「この声と姿を、
 1,500人にしか伝えられないのは悔しい」と。
 
十文字 やっぱり若い人に、
見てもらいたいし、聞いてもらいたいよね。

小野田さんが生きてるうちに、
小野田さんが経験したことっていうのは、
キチッとしたかたちで
やっぱり残しておくべきだと思う。
今回の講演も
小野田さんの記録のひとつになると思うし、
何冊かの本も出てるけど、
自分で書くことと周囲の人間が、
こういうことを訊きたいっていうことと、
やはり少し差があると思うんです。

糸井さんに提案したいね、ぼくは。
「これが小野田寛郎だ」っていうのを
もっともっと残しておきたい。

ぼくができることだったら何でもしますよ。
ブラジルでもどこでも行きますし。
フィルムで撮ろうが、
ビデオで録ろうが
写真で撮ろうが
映像のことなら何でもやります。

小野田さんが亡くなる前に
きちんとしたかたちで
残さなければ駄目です。
後に残るぼくたちの使命です。

小野田さんは存在しているだけで
日本の歴史の、ある時期の重要な証言です。
それは戦争ということだけではなく、
もっと広く日本人や人間というものを
考えさせられます。

20世紀の日本を考えたときには、
小野田さんは絶対欠かせないですよ。
欠かせないし、欠いてはいけないと思う。

ほんと小野田さんにぼくは
不思議な縁を感じます。
ま、勝手なご縁かもしれないけど(笑)。
 
── わかりました。すぐ伝えます!


「ほぼ日コンプリートBOX」には
十文字美信さんが29年前に撮った
小野田寛郎さんの写真と、
小野田寛郎さんに向けた文章も載っています


ほぼ日コンプリートBOXの詳細はこちら


ほぼ日コンプリートBOXの販売は
終了しました。
どうもありがとうございました。


商品のお届けは12月21日頃を予定しております。

「智慧の実を食べよう。300歳で300分」DVD(12月21日発売)、
「智慧の実を食べよう。」書籍(12月22日発売)を
購入されたい方はお近くの書店
もしくは以下にてご予約、ご購入いただけます。


●Amazon.co.jp
・DVDはこちらから ・書籍はこちらから
●ぴあSHOP
・電話の方は、
 東 京:03-5237-8080
 名古屋:052-937-2671
 大 阪:06-6345-9325
 福 岡:092-725-5453
 (10:00〜18:00 無休
  ※03年12月28日(日)〜04年1月2日(金)は
   年末年始休業)

・パソコン(インターネット)の方は、こちらから

2003-12-03-WED

HOME
戻る