おとなの小論文教室。 感じる・考える・伝わる! |
受験のテクニックとして、小論文の書き方を勉強した? |
129 新春のごあいさつ 年明け早々,人間ドックにいってきました。 会社を辞めて、この春で3年がきます。 それまでと180度ちがう生活で、 そうとう体に、無理がきているのでは、と思っていました。 ところが、結果は、 バリバリの、ノリノリの、健康そのもの。 さまざまな数値や、 レントゲン、 スキャンを診た先生から、 「きれい!」を連発されました。 肺もきれい! 肝臓もきれい! おしっこもきれい! コレステロールも善玉! 驚いたことに、いつも上が80ない低血圧さえ、 きれいさっぱりと治っていました。 ほぼ完璧にきらきらと輝くような結果用紙を渡され、ほめられ、 その意外さに、ぼーっとしました。 なんと、不安とプレッシャーの日々が、 私を前より元気にしていたのでした。 会社を辞めて、 固定給なし、固定職なし。 人生かつてない不安定さ。 上司なし、部下なし、同僚なし。 人間好きな私が、何日も人に会えず、独り仕事。 人に会わないと、自分の中に言葉がたまってしまう。 かつてない孤独さ。 書くことで、自分の正体を見て苦しみ、 言葉にできなくて苦しみ、 言葉にして人目にさらすことに苦しみ、 身ひとつで稼ぎだす痛み。 先は、どうかするとすぐ見えなくなり、 つねに「自分とは何なのか?」 存在の危機にさらされ、 不安に足を救われ、 絶望に、首ねっこを押さえ込まれる、 そんな日々のひとつひとつが、 私をこんなに元気にしてくれていたのでした。 「生命力」というのは不思議だなあ、 不安も孤独も、体にいい、 存在の危機だって、健康にいいことを、 どんなに私の頭が受け入れなくても、 少なくとも、私の体は3年間で、 コツコツと、正直に、証明してくれていたのでした。 状況が自分をおしつぶそうとすれば、 それだけ、自分は「生きよう!」と強く思う。 「自分の身ひとつが頼りなんだぞ」 と、言い聞かすと、体の方も、 「あら、あたしだけが頼り?」 と喜んでがんばるし、 気力や、知恵も、つくして体をいたわろうとする。 自然に自分の能力を生かせる環境がなければ、 どっか、なにかで、「自分を活かそう、活かそう」と 強く思う。 瞬間を逃さず、ひらめきや、経験が、 道をつくろうとがんばる。 企業にいたときは、 ほっといても、降るほどの情報が日々入ってきたけれど、 いまは、何もしなければ情報から遮断される。 だから、どうにかして、何かつかんでこようとがんばる。 読者からいただく、1通のメールを、 おしいただくように、そして、貪欲に、読み込んでいます。 その、まだ混沌とした情報から、 何か、時代との接点を、 不確かな、人間というものを、 つかもう、つかもう、としていたように思います。 気がついてみれば、 それこそが、他の人がもたない情報であり、 マスにのらない独自の情報ソースを持つこと、 につながっていました。 情報や、人や、仕事から、自分を干すことを こわがってはいけない。 いままでのやり方では太刀打ちできない生活に、 なにも持たず、挑んでいかなければならないとき、 もう、 自分の中で眠ってたものに、 起きてもらってがんばってもらうしかない。 だから、一見、八方ふさがりのような生活こそ、 潜在力は生きる。 生命力も強まる。 いままでの生活の延長にないものを、 早々と、体によくないと決め付けることのほうが、 むしろ、体によくないのだと気づきました。 もうすぐ3年がきたら、 会社でやっていたように、 自分のこの3年間を検証しようと思っています。 何ができて、何はできなかったか、 客観的な数字を見たり、 経済的な収支とか、 仕事の意義とか、 面白さとか、手ごたえのような主観的な部分ももちろん。 でも少なくとも、健康管理面では、 早々とA評価が出せそうです。 3年でやっと、会社員ではない生活ができてきた。 本当の意味で、やっと脱サラができた。 ここから始まる、という気持ちです。 本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。 |
Lesson130 SKILLとWILL 東大生の主催する座談会にいったときのことだ。 キョーレツな一人のおじさんのために、 私たちの班は、ぜんぜん本題に入れなかった。 あのおじさんは何をしに来たのか? 今もわからない。 とにかく、学生たちに、 東大出身者であることが、いかに社会に出て厚遇されるか、 息子が東大に入っただけで、親が昇進した話とか、 そういう学歴がないことで自分がいかに冷遇されたかとか、 とうとうと話すのだ。 でも、その現実は、 私が見てきた現実とはすごく違うものだった。 少なくとも、私がもといた企業では、 実力競争主義、その点ではとても平等で、 出身大学で何か決まるなんてありえなかった。 学歴でなく、結果が厳しく問われ、 望まれた結果をだせなければ、 高学歴だろうが、何だろうが、ポジションは交替だ。 東大といえば、 四の五の説明しなくても信頼してくれる人間は多いから、 コミュニケーションの入り口は ショートカットできることがある。 それは、便利なことだ。 でも、その先は、実力がないとどうにもならないのだ、 というようなことを、私は言った。 間にはさまれた格好になった学生さんたちは、 自分たちの位置付けが、 ほんとのところ社会に出てどうなのか まだ、働いて試してない。 経験を振りかざす大人2人に対して、経験がないから、 何か言いたくても、何も言えないという感じだった。 その中の一人の学生さんが、私に、 「よく、スキルが問題にされますが、 ぼくは、ウィルも見てほしいと思います。」 とだけ、しずかに言った。 SKILL と WILL このとき聴いた、 “WILL” という言葉の響きがとてもきれいで、 新鮮な印象だった。 以来、私はずっと、このとき受けた 「スキルとウィル」の印象を、 わかりやすく説明できるものはないかな、と探していた。 「スキル」は、会社ではよく使う。 「わたしのスキルが活かせる仕事だ」とは、 「わたしが経験でつちかってきた腕と技が活かせる仕事だ」 ほどの意味になる。 SKILL = 熟練、技量、腕、(特殊な)技術、技能 じゃ、“WILL”は? 暮れにテレビを見ていたら、うってつけの例があって、 うれしくなった。知っている人も多いだろう。 アルピニストの野口健さんが、 亜細亜大の一芸入試を受けたときの話だ。 受験生が次々と、自分の「一芸」をアピールする。 「私は、インターハイで優勝しました!」 「私は、国際コンクールで優秀賞を受賞しました!」 やっぱり「一芸」で大学に受かろうとするだけあって、 輝かしい経歴の持ち主がそろっている。 野口さんは、はじめ、びびった。 このとき、まだ2つ大きな山を ようやっと登った、というだけで、 登山家として誇れるような実績も技量も、なにもなかった。 「こんなすごい受験生の中で、 自分は何を言えばいいのか?」 ところが、えんえん、 輝かしい「一芸アピール」を聴かされているうち うんざりしてきた。 「これは自慢だな。」 みんな過去の輝かしい実績を自慢しているだけだ。 過去がすごいからどうなんだ。 自慢もえんえんと聞かされると、お腹いっぱいになってくる。 「試験官は?」と見ると、 やっぱり、自慢にあきている。 野口さんの番が来た。 野口さんは、「これまで」でなく、 「これから」のことを書いた。 自分が大学に入れたらこうなる、と。 1992年 9月 オーストラリア、コジアスコ登頂 1992年12月 南アメリカ、アコンカグア登頂 1993年 6月 北アメリカ、マッキンリー登頂 1994年12月 南極、ウィンソンマッシーブ登頂 1996年 1月 ロシア、エルブルース登頂…… 実績がないから、それしかしようがなかったのもあるけど、 明らかに、他の受験生とはちがうプレゼンに、 試験官もくいついた! 野口さんは、見事合格! その予告どおり、 亜細亜大入学後に、 史上最年少で7大陸の最高峰を制覇した。 野口さんの話だと、このとき「自慢」組は試験に落ちた。 試験官は、受験生たちの輝かしいSKILLではなく、 野口さんのWILLに賭けた。 これぞ、まさに“WILL” ! 野口さんは高校まで、 勉強はすごい落ちこぼれだったと言ったが、 私は、野口さんの頭のよさにまいってしまった。 小論文という視点から見ても、 すばらしいプレゼンだ。 まず、他の受験生の「根本思想」を、 「自慢」と適確に押さえている。 見事なひと言要約だ。「要約おかん」だ。 そして、試験官に対する印象を変えるには、 「根本思想」を変えなければいけないことに気づいている。 まったくそのとおりなのだ。 どんな言い方をしようと、自慢は自慢。 聞き手の印象をガラリと変えるためには、 話の内容とか、言い方くらいを変えてもだめで、 「根本思想」を変えなければならない。 「根本思想」、つまり、話し手の根っこにある想いは、 どんな言い方をしても、色濃く聞き手に伝わってしまう。 「根本思想」は言葉の製造元だ。 ここにメスを入れることで、聞き手に与える印象は、 ガラリと変わる。 「ぼくの“WILL”を買ってください。」 これが、「僕の夢を聞いてください」 ではなかったところがミソだ。 いかにでっかい夢を語ったとしても、 単なる夢物語として受け取られたら、 説得力がない。 「ぼくの夢は、7大陸の最高峰を制覇することです。」 「へぇー、すごいね。」で終わってしまう。 野口さんのプレゼンには、 夢 と “WILL” を分けたポイントがある。 それは、「時間」を刻んだことだ。 時間の「決め」はおっくうだ。 たとえば、時間を入れなければ 私たちはわりと自由に願望を語れる。 「わたし、絶対自分史を出すわ!」 「両親をヨーロッパに連れていくぞ!」 では、それに日付を入れてください、というと、 大抵の人は無口になる。 企業にいたとき、 「事業計画とは、夢に日付を刻むことだ」 と教えられた。 最初はこの意味がわからなかったが、 自分で企画を立てる段になって、 アイデアをスケジュールに落としていくところで 本当に苦悩した。そのかわり、日程が組みあがっただけで、 ほぼ、仕事の全容が見えた気がした。 日時の決定がおっくうなのも、 日程が見えれば全体が見えるのも、 それだけ、時間の決定には、 さまざまな要素が絡んでくるからだ。 さまざまの小さな「決め」をしないと、 適切な時間の「決め」ができない。 また、人生の中で、時間という資源は限られている。 時間は、まるで命の単位だ。 だから「決め」には勇気がいる。 だからこそ、時間を刻んだ 野口さんの “WILL” は、 どんな人にもわかりやすく、ブレがなく、説得力がある。 私もひとつだけ、夢に日付を刻むとしよう。 わたしの“WILL”。 あの座談会の席で、 学生さんは、こう言いたかったのではないだろうか? 「学歴があるからどうの、まだ経験がないからどうの、 実力があるかどうか、なんて、そんなの知ったこっちゃあないよ。 自分が未来に何をしたいか、 何ができるかを見てくれ」と。 2003年、あなたの“WILL”は? (注:上記、野口さんのが入試のとき書いたという登頂年月の資料は、 野口さんの談話をもとに山田が再構成したもので、実際のものとは違います。) |
Lesson131 1人称がいない さきおととい。 観ていたビデオを止めたら、 自動的にテレビ画面にきりかわった。 そこには、 「モーニング娘。」の 新メンバーを決める番組がうつっていた。 オーディションで最終候補に残ったという 3人の女の子に、 女の先生が、ダンス・レッスンをしている。 先生は、3人の女の子と、 まったく、 まったく、 いったいぜんたいどうしたことだ、 というほど、コミュニケーションがとれないことに 絶望している。 女の子たちは、 ななめ下を見て、 表情がない。 女の子たちの身体は、 まるで、弾力のないゴムと鉛(なまり)でこねられ、 そこに置かれたかのように、 反応が鈍く、重い。 先生が、厳しく言っても、 さとすように言っても、 励ましても、 声がとどかない。 女の子たちは、ときたま、判断を迫られてこまったときだけ、 自分以外の2人のようすを探るように、 目だけを左右へ泳がす。 でも、先生を見ない。 ふたたび、ななめ下へ目を落としてしまう。 先生は、とにかく自分の言ったことに反応させようとする。 「返事をしよう」、それだけのことを なんどもさとす。 女の子に復唱させる。でも、 「わかった?」 ときくと、返事をしない。 ひどく遅れた、タイミングで、 ほんのわずかに、身体が、 返事をするかのように気色ばむ。 先生が、「返事は?」と促すと、 引いて、ふたたび鉛の人形になってしまう。 再度、つよくうながされ、 鈍いタイミングで、 腹に力のない、気のない「はい」が、 だれからともなく、もれてくる。 3人のうち、だれが「モー娘」になれるかは、 このあとのダンスと歌で決まる。 それで、 プロの振付師と、ボイストレーナーが、じきじきに、 彼女たちをサポートするためにやってきた、 という場面だった。 3人の女の子たちは、 自分で「モー娘」になりたくて応募したのだし、 レッスンに、必死にくいついていくしかないし、 プロにレッスンをつけてもらえるのは、 めったにない、ありがたいことだから、 先生たちには、感謝、感謝だし、 はたから見れば、そういうひたむきな展開を期待する場面だ。 ところが、すべて上記の調子で、 レッスンどころではない。 あきれたダンスの先生は、荷物をまとめて帰ろうとするし、 歌の、男の先生は、 どうして、わからないんだ!? と、 先生の方が泣き出してしまった。 ダンスの先生は、「わかったら返事をして、 わからなかったら、この場で言って」と確認する。 「わかった人?」と呼びかけると、 だれも手をあげない。では、 「わからない人?」と呼びかけると、 これまた、手をあげない。 いったいどっちなんだ? 怒りをとおりこした先生が、 「ここには“人”がいない」と言った。 「そうそう、この感じ!」と、私は、 次ぎ観るビデオもそっちのけで、 画面に食い入ってしまった。 私は先日、人に頼まれて 高校生の書いた文章を大量に読んだ。 読んでいてなんとも、はがゆい、息苦しい、腹立たしい、 不思議なストレスがたまる。 同じ作業をした文章のプロ4人のうち、2人に感想を聞いたが、 やはり、強いストレスを感じていた。 その、なんともやるせない感じが、 ダンスの先生の、「ここには“人”がいない」という感じに、 ピッタリ、共感したのだ。 文章が下手くそでも、バカなことを書いていても、 文章のなかにちゃんと、書いたその人がいる、というのはいい。 読んでいて、ヘンなストレスはたまらない。 だけど、そのうちの何人か、 無視できない数の人の文章が、 「書いた人がいない」という感じなのだ。 「おーい! あなたはだれですか? あなたそこにいますか?」 と原稿用紙に呼びかけたくなる感じ、 原稿用紙にそんなことをしても無駄なのに、 両肩つかんで、ゆすりたくなる感じ。 その様子を、同じ作業をした1人が、 「あなたの足はどこに立ってるの? って感じ」と言った。 彼らはもちろん、「自分」に立脚して文章を書いてはいない。 だから1人称は、「私は…」ではない。 また、「いまどきの若者は……」というような目線で、 平気でいまの若者のことを書くから、 「私たち若者は…」という意識でもない。 ましてや「われわれ日本人は…」ではない。 「おろかな現代人たちよ……」みたいな目線でも書くから、 この時代の人でもない。 かと言って、 空とぶ鳥の目で、俯瞰(ふかん)しているのでもない。 そうするための知識が足りない。 地面からも、時代からも、ナナメに浮き上がって、 人がいない虚空に向けて、何か言っている感じ。 書いた人がいない文章というものは、読み手もいないのだ。 読んでいても、文章が、こっちを見てくれない。 「その言葉、だれに向かって言っているの? どこを見てるの?」 と言いたくなる。 ちゃんと、その人がその人として、そこにいてくれない。 「1人称が“私”でない、というだけじゃなく、 1人称そのものが、文章にいない。 思春期の子は、まだ自分になれない、 というようなことが言われる。 でも、言い過ぎで誤解されるかも知れないけど、 この文章の1人称は、 まだ、人間になれない、という感じなの」 私は、同じ作業をしたもう一人に、 やるせない気持ちをぶつけた。すると、その人が、 「そうそうそう。 まだ人間になれない感じって、よく、わかりますよ。 でも、この子たち、 ふだんの生活では、私は…、私は…、って、 よく言いますよね。」 わたしは、 ミスタードーナツなんかで、高校生を見つけると、 会話に耳を傾ける。 たしかに、「私は…、あたしは…」とよく言っている。 その人が夏美という名前なら、自分で自分のことを、 「夏美はねえ…、夏美は…」とよく言っている。 会話の中に、1人称は、ちゃんといる。 テレビのシーンが切り替わり、 モー娘候補の女の子たちにレッスンの感想をたずねている。 女の子は、さっきとは変わってよくしゃべる。 ただ、その言葉づかいは、カメラ向けのものではなく、 なまりも、口調も、友だちとだべっている感じ。 一気にくだけてしまう。 さっきの、先生との距離を1万キロとすると、 今度は、相手との距離が、10センチくらい、 急に近い。 自分がないわけじゃない、 事実、日を追ってレッスンは進んだ。 彼女たちが特別問題児というわけではない。 どこにでもいる、いや、むしろ大勢の中から選ばれたのだから、 なにか持った子たちなのだろう。 では、あのレッスンのとき、 幽体離脱でもあるまいし、「自分」はどこにいったのだろう? あのとき、彼女たちの中で、なにが起こっていたのか? この状況を、ある人は、 「いまどきの若い子は、 あいさつができない、 返事もろくにしない、 人の目をみて話ができない。 そういうしつけしらずなこどもに、 プロが、芸能界のきびしさを教えていた。」 というんだろう。でも、そうではない。 あいさつができない子どもに、 「あいさつ」を教えていたのではない。 返事ができない子どもに、 「返事」を教えていたのではない。 ことがそんなに単純なら、 教えることのプロである先生は、 いとも簡単に教えたろう。 3人の女の子たちは、あがっていた、とか、 恥ずかしがっていた、というだけでもない。 どんなにあがっていても、 はずかしがっていても、 あがっているその人、恥ずかしがっているその人がいれば、 コミュニケーションは成立する。 小さいこどもが、はずかしがっている姿を想像するとわかる。 小さいこどもに、ニッコリ、笑いかけると 照れくさそうに、お母さんのうしろにかくれてしまう。 かげからこっちをのぞく。 「恥ずかしいのね」とお母さんが言う。 「恥ずかしがってんだ」と自分も思う。 恥ずかしがっている相手がそこにいて、 恥ずかしがってる、と思う自分がいて、 これはこれで、それなりのコミュニケーションになっている。 私は、講演のときなどに、すごくあがる。 「ズーニーさん、あがってましたね」と言われる。 「うん、あがってた」と答える。 あがっている自分がたしかにいて、 あがっているんだと思うまわりがいて、 これはこれでコミュニケーションになっている。 そうではなく、このときの3人の女の子とは、あきらかに、 コミュニケーションが成立していない。 相手の心が読めないのではなく、 そこに「その人」が居るのか居ないのか、 そこから疑わなければいけない、ひどく疲れる感じなのだ。 いったいこれはなんだ? それにもまして、不思議なのは、 ちゃんと、その人が、その人として、そこにいてくれないと、 どうして、こんなにまわりは はがゆい、消耗する、腹立たしい感じになるんだろう? ということだ。 私は、たくさんたくさん文章を読んできて、 なのに、なぜ、 その人がその人として、ちゃんとそこにいない文章に出会うと、 そのたびに、また、新たに、 こんなにも、腹立たしいのだろう? 消耗するのだろう? ダンスの先生も、歌の先生も、 あの涙や怒りは、ポーズなどではなかった。 もう、何人も若者は相手にし、教えてきたプロだ。 なぜ、憤りはつきることがなく、 涙は、あらたに湧き上がってくるのだろう? ちゃんと、その人が、その人として、そこにいてくれないこと、 そこに新鮮な憤りを感じつづけられるかどうかは、 もしかしたら、 その人の教育力とかかわっているのかもしれない。 そこに憤ることがない人は、 教える力もないんじゃないんだろうか? 同じ番組を見た人、 あるいは、似たような経験をした人は、 何を感じたか、ぜひ、きかせてください。 |
美容院。 カット以外のシャンプーやカラーリングは、 見習いの若い子たちがやる。 この子たちとコミュニケーションをとるのがなかなか難しい。 たとえば、シャンプーするときに、 いきなり熱いお湯で洗われたので、 「熱いんですけど」というと、 「すみません」じゃなくて、 「あ、そうですか?」 といって湯温を低くする。 次にすすぐときに、 またむちゃくちゃ熱いお湯をいきなりかけるので、 再度「熱いんですけど」と言わなくてはならない。 接客業を職業に選んだ子たちであるはずなのに、 彼らの中に客と結びつくような「接点」が感じられないのは どういう訳なんだろう。 「若者との感覚のずれ」が自分にあるのかと思ったり、 「気が利かないのは経験が浅いからだろう」と思ったり、 「まだ若いから自分の意思をうまく伝えられるだけの語彙を 持ち合わせていないんだろう」と思ったり、 美容院のイスに座っている間中、悶々としていました。 (読者Pさんからのメール) Lesson132 1人称がいない(2) こんにちは、ズーニーです。 先週のコラムには、ひきつけられるメールがたくさんきました。 まず、こんな光景に、目が釘付けになりました。 <フリーズする子ども> ボクは家庭教師をしています。 相手は中学校3年生。 ときどき彼は「フリーズ」します。 パソコン用語をあてはめるのもどうかと思いますが、 前からこう呼んでいます。 目が動かず、視線が分散?していて どこをみているのかわからない。 体も特に動かない。 質問しても答えない。 うなずくことも首を横に振ることさえもない。 どうしたの? むずかしかった? 頭痛いの? トイレ? ちょっと大丈夫? おい…返事しろ返事…? おーい○○くん? ちょっと…? やっと彼は動き出します。 が、それまでのボクの質問がまるでなかったかのように 消しゴムをいじりだしたり、つめをいじりだしたり… これにはかなりまいってしまいます。ん~… (読者、シンジさんからのメール) ………………………… この感じ。 もちろん、相手はそこにいる。 なのに「いない」。 まだ、こどもだから、 うまくできなかったり、困ったり、 緊張でコチコチになったり、 はずかしくって逆に怒ったり、黙りこくったり、 ということはある。 でも、それは、 困っている子が、困りながらそこに居るんだな、 緊張でコチコチになった子がそこに居るんだな、 という感じなのだ。 そうではなく、この、「いない」感じは何だろう? 私も、高校生の文章で、 これと重なる現象に出くわしていた。 ちゃんと自分の意見を確立していない、とか、 言いたいことがわからない、とかいう次元ではない。 書き手そのものが「いない」、感じなのだ。 そういう文章にでくわすと、 私の中から、なにか、 はがゆいような、腹立たしいような感じがわきあがってくる。 もちろん、冷静にならないと指導はできないから、 「まだ、書きなれてないだけだ」 など、いろいろに考えて忍耐する。 場合によっては、スニーカーをはいて、 外をグングンあるいて気分転換する。 気をとりなおして、ナビゲーションを書く。 でも、また、そういう文章に出くわす。 また、同じような気持ちがわきあがり、 また、同じように忍耐し、気をとりなおして向き合い… を繰り返すうち、私は、とても消耗していく。 そういうとき、 ヘタでも、少々はずれたことを書いていても、 ちゃんと書いた人が感じられる文章、 まるで、書いたその子の 声が聞こえてきそうな文章に出会うと、 一発で、身体もスカッ!と元気になる。 なぜなんだろう。 自分は、たくさん文章を読んできて、 もっと、ひどく文章が書けない子は見てきた。 「年寄りはきたない」のようなひどいことを書く子もいた。 それでも、怒ったりはしなかった。それに、 これらの文章は人がいないだけで、悪意はないのだ。 うまく説明できないのだけど、そのざらつきは、 最初にあげた美容院の例と、私の中で重なる。 わたしも、Pさんと同じような経験をした。 見習いの人が、 髪をあらってくれても、「はい」と言っても、話をしても、 どっか遠い、「接点」のない感じ。 それを、肯定的にとらえようとして、 でも、違和感が波紋のようにひろがるばかりで、 でも、悪くとるまいとして…、をやっているうちに疲れていく。 いつもの美容師さんが、 「おまたせ! 山田さん、今日はどんな感じにする?」 とあらわれると、気持ちが一気に晴れる。 家庭教師をしているシンジさんも、やはり、 その中学生に、イライラしたり、 いらだった自分がイヤになったりしたと言う。 でも、辛抱と、工夫の結果、 いまでは、教え子とのコミュニケーションは ずいぶんラクになってきたそうだ。 この、「いない」感じは何なのか? 日ごろ、友だちとは、 「私は…」「ぼくは…」とよく言っている十代なのに。 彼らの、「私」「ぼく」はどこへ消えちゃうのだろう? そして、私はなぜ、こんなにざらついているのか? 読者の「はるみ」さんからのメールに、 謎を解くヒントが、つまっていた。 それは、こんな書き出しではじまる。 <都市に人がいなくなる> 私は人類学を勉強している学生です。 私が興味を持っているのは、 「都市に人がいなくなる」という話しです。 こんなに人口過密な現代都市に、 「人がいなくなる」とはどういうことかといいますと、 例をあげると、 地下鉄の座席に座ったままお化粧している女性を 見かけたりしませんか? お化粧は本来、だれかに会う前にする身繕いですから、 地下鉄に乗り合わせている私たちには、 彼女は「会っていない」ことになります。 また、私たちは彼女のお化粧の様子を見ていますが、 彼女にとっては「見られていない」ことになります。 まるで彼女の部屋のつづきのよう。 彼女にとって地下鉄は、 自宅から誰かに会う場所までの 単なる移動中の「通過点」で、 彼女の「存在」する場所ではないのです。 彼女のこれから行く、会社か、学校か、 あるいはサークルの仲間かも知れない。 その人間関係においてのみ、彼女は「存在」するのです。 反面、昔の街といえば、 だれもがお互いの存在を知っていました。 「どこどこの誰々ちゃん」と。 そして会えば挨拶をする。 「どこに行くの?」などとひとことふたこと、声をかける。 身体と身体、眼と眼の会った人とコミュニケートする、 それが身体的「場」です。 昔の街とは、 人間同士の身体コミュニケーションがつくる 「場」であったのです。 現在は、それに比べてどこもかしこも「通過点」 なのかもしれません。 (はるみさんのメールより) ………………………… と、ここまでを読んで、私は、 「人間になれないのは、私?!」と、まず、思った。 私は、1人称がいない文章を読んで、 「まだ、人間になれないような感じ」 と感想をもらしていた。 文章の中で、もし、 この「地下鉄でお化粧」と似たことが起こっているとすれば、 書き手にとって、私は、「いない」ことになっている。 つまり、私は、人間というより、 電車のつり革とか、中吊り広告に近い存在だ。 読者の「悠花」さんは、 「コミュニケーションとは、自分が発したサインに対して、 対象から、何らかの反応があって成立するもの。 ズーニーさんが感じた消耗の裏には、 私が人として認められていないという悲しみと憤りを 含んでいるのではないか」と言った。 同じような指摘を他の方からもいただき、 ざらつきの1番目の要素は、 相手がそこに「いない」ことより、 ここにいる私を「見ていない」ことへの 「寂しさ」だと気づいた。 わたしは、寂しかった。 この問題に、とくに敏感になりはじめたのは、 ちょうど会社を辞めたころからだ。 自分が、その場に「いる」、とはどういうことだろう? 自分の中だけで何か「想って」いても、 まだ自分は、その場にいることにはならない。 そこで、自己表現することが必要になってくる。 自己表現は、言葉だけでなく、 行動とか、着る服とか、表情とか、 からだ全体を通してできるのだと、はるみさんは言う。 そうやって表現して、はじめて、まわりの人が、 「あ、山田さん、あんな面白い服着てる」 「あ、山田さん、あんなえらそうなこと言った」 「あ、山田さん、ずっこけた。おかしーい!」 と、私を見て、反応を返してくれる。 私は、そういう人の反応で、 自分を客観的に見る。 「自分はえらそうに見えちゃった。 でも、ほんとはちがうぞ、こんなこと考えてるんだ」 とまた、自己表現をする また、それに反応が返ってくる。 それで自分を認識して、また、自己表現する。 この繰り返しによって、 しだいに、自分という存在が、 その「場」に立ち上がってくる。 まわりの存在も、自分にとって人として立ち上がってくる。 そうしてできた場には、 疑いようなく「自分」がいるし、人が「いる」。 相手が無反応では、決して「場」は成立しない。 私は、15年以上を費やし、 そうやってつくった、会社という「場」を離れた。 つぎ、そういう場を立ち上げるまで、 目と目で通じ合い、身体と身体でコミュニケートできる 「場」はないのだ。 わたしが、日常の大半をすごす、 東京の仕事部屋に「人はいない」。 そして、みんなにとって、通過点に過ぎない 電車の中、都市、が私の行動範囲だとすれば、 そこには、「人がいない」ことになる。 その上、文章の中にも、 私を感動させたり、てこずらせたりする「人」がいない、 というケースにでくわせば、 「寂しさ」を感じても自然である。 私は、やっぱり人と通じ合いたい。 そして、住みたい街は、こうではないという想いがある。 「寂しさ」は、確かにある。 でも、私がざらつくのは、それだけではない気がする。 相手が、まだこれからの「若い人」であることなど、 何か、いままでずっと教育にたずさわってきてこその ざらつきだ、と感じる部分がある。それは何だろう? はるみさんは、さらに、 いまの都市は「隠れる」ことができるのだ、という。 地下鉄の化粧のように、 自分をその場に「いないこと」にする。 そして、十代の人も、 気詰まりになったときに、自分をその場から 消し去る方法を知っているのだと。 その方法とは何か? 彼らは、どこへいっちゃうのか? そして、おとなでなく、こどもがこれをやると どうして危険なのか? 次週、いただいたメールを手がかりにさらに考えてみようと思う。 (次週水曜日へつづく) 読んで、なにか、感じることがあったら、 どんな小さなことでも、関係あるかどうかわからないことでも かまいません。手がかりを必要としています。 どうか、メールをください。 |
1人称がいない「暖簾に腕押し、糠に釘」。 これが一番疲れます。 かつて「仕込んでくれ」と 上司から依頼されたヤツがこれでした。 入社2年目、なのにまったく戦力になっていない。 新人プログラマのレベルにも届いていない。 おとなしい性格、でも「とりえ」はそれだけ。 まずビックリしたのがメモを取ろうとしない事。 マンツーマンなのに質問をしない事。 そして、次の日にはすべて(!)忘れている。 やる気があるのか?、それが見えてこない。 この仕事が向いてないならさっさと辞めたら?、辞めない。 この状況が2ヶ月も続くと僕がストレスを感じるようになり 僕の一生懸命さ(?)が 指導する声をしだいに大きくしていき、 しまいに周囲の人は 僕が「怒鳴ってる」か「苛めてる」と 思うようになってしまった。 いまだに、どうすればよかったのか僕にはわかりません。 (読者 ケビンさんからのメール) ハンドルネーム・鬼瓦 権助と申します。 僕は、3年前に人間関係のストレスから退職をしました。 「フリーズする子供」を読んで、 会社に勤めていた時の自分と、 とても似ていると思いました。 僕が上司や先輩から、よく言われたセリフは、 「鬼瓦君、耳から煙が出てるよ。ショートしちゃった?」 「鬼瓦君、黙るのはズルイよ」 「鬼瓦君、何で訊かないの?」 「鬼瓦君、全然違うよ!」の4つでした。 また、中学三年生の彼は、 それまでのボクの質問がまるでなかったかのように 消しゴムをいじりだしたり、つめをいじりだしたり という行動を取ったそうですが、 僕の場合は、とにかく相手が困っている様子なので謝りました。 しかし、謝っているにも関わらず 相手は落胆の表情をみせるのです。 落胆の理由は、今になってやっと分かります。 上司や先輩は、僕の中に上司や先輩が「いる」のだけど 「いないことを」感じたのでしょう。 そこに、冗談を一言・・・。 せめて、皮肉や弱音でも良いのです。 少しでも「本音」を付け加えれれば、 そこからコミュニケーションがとれたのでしょうが・・・。 今、僕は、「自分を大切に出来ない人間は、人も大切にできない」 と思っています。 他人とコミュニケーションをとっていて、 自分を大切に思うと、他人からの攻撃を避けようとします。 攻撃を受けると心が痛いですからね。 その「攻撃を受けて痛い部分」が「他人にもある」と思うと、 他人も大切に思うことが出来ると思うのです。 逆に、「自分を大切にすること」を知らない場合、 「他人の痛さ」に鈍感です。 「自分の大切な部分」がはっきりしないので、 相手の「痛みの部分」も、判断し辛いのです。 また、他人が「居て」も「居ないもの」とすることができます。 大切にするべき自分も「居ない」からです。 更に、「自分を大切にすること」が出来ないと、 他人の態度に対して上手く反応ができません。 「自分の大切な部分」の「守備範囲」があいまいだと 相手の態度に含まれるものを計れないからです。 結果、悪意であれ、善意であれ、 無条件に受け入れてしまいます。もしくは、無条件で拒絶します。 彼の「フリーズ」は、 相手の態度の種類が判断できないことへの ジレンマだと思います。 固まる感じ、良くわかります。 (読者 鬼瓦権助さんからのメール) Lesson133 1人称がいない(3) こんにちは、ズーニーです。 先週のコラムには、ものすごくたくさんの、 読者の方々の体験や想い、思索が寄せられました。 なんといっていいか、 ほんとうにありがとうございます。 衆知を集める、ということの力を、思い知りました。 メールには、 相手の1人称不在の感じに苛立ち悲しむ立場、 鬼瓦さんのように、自分がうまく出せず苦しむ立場、 仕事や学問経験を通じて、このジレンマを超えようとする立場、 どの立場にも切実さがあり、 これらをシャッフルして、シャッフルして、 ひとつに溶け合わせられたら、 なにも悲しいことはないのに、 複雑で、あたたかく、ひろがる世界であるのに。 この世界から、小さな断片としてちぎれ、 一人でものを考えるのは、なんと痛く、 なんと尊いことなのだろうと想いました。 いただいたメールを、いったいどう生かし、 どう読者の方々に返していったらいいのだろう。 あまりに様々なメールを、 「あんな見方もある」「こんな見方も」と、 総花的にあつかうのも、 公約数・公倍数をだすのも、 なにか自分を安全なところに置いていて 「違うな」と思います。 いただいたメールは、 このコラムの先の展開で、 直接・間接的に活かしていくことは、 言うまでもないのですが、 まず、いまの私の考えを恐れず出してみようと思います。 企業に、文章コミュニケーションの講師でいくと、 意外に喜ばれるのが、 「私たちは…」「田中さんは…」のように、 できるだけ主語を人間にして書く技術です。とりわけ、 1人称、「私は…」で文章を書く というアドバイスが大好評です。 社会人の書く文章には、1人称「私」がほとんど出てきません。 結果、こんなあやしい「受動態」が出現するのです。 「通常、点検は2人体制とされています。 それが、実行されなかったため、 起こったミスと見られます。」 え? だれがミスを起こしたの? 「見られます」って、あるけど、見ているのはだれ? そこで、主語を人間にして書くとこうなります。 「土木2班の私たちは、 点検は2人体制というルールを決めています。 私は、それを守らず1人で点検をしました。 また点検そのものも甘かったため、 ミスを起こしてしまいました。」 これで、ずいぶん分かりやすくなります。 ある企業の5年目社員の男性は、 私にこう言いました。 「学生のころは、文芸部にいたせいもあって、 私は…、僕は…、で文章を書いていたんですね。 ところが会社に入ってみると、 みんな主語‘私は’で書いてない。 おかしい、と、ずっと違和感がありました。 ところが、2年3年するうちに、だんだん主語‘私は’ で書かなくなりました。 5年目のいま、まったく書かなくなりました。 今日の研修で、それを思い出しました。 また、主語‘私は’で、 ものを書いてみようと思います。」 社会人の人は、 たった一日の研修でも、おそるべき文章の上達をみせます。 とくに要所に、主語「私は」を入れると、 すっきり伝わる文章になるだけでなく、 「責任感」や「主体性」がぐっと前に出てきます。 会社は、どう考えるか? 私は、どう考えるか? 私と会社はどうかかわるか? そういう関係性が、 「私」を核に、はっきりと秩序を持つからです。 社歴の若い、ある女性は、こう言いました。 「電車でケータイを使わないようにするための 提案文を書いたんですが、 読み手はだれなのか、 最初、ほとんど考えてなかったんです。 おそらくこれを書いたときの私は、 私鉄の社長さんとか、上の人に読んでもらって、 上の人になんとかしてもらおう、 という気だったんだと思います。 でも、それで状況は変わるか? なぜ、電車でケータイを使う人がいるかというと、 その人たちは、心臓のペースメーカーに与える影響とか、 ほんとうのところ、よく‘知らない’んです。 まず、そういう人に知ってもらって、 意識を変えてもらうことが先だな、と気づいたんです。」 この女性の場合、 読み手は、最初もやもやしていて、なんとなく「上の人」。 それが、最後には、 「携帯の知識が不足している乗客に、ひとりでも多く」 だと、はっきりします。 このように、おとなの場合、主語「私」を入れて書くと、 「読み手」もはっきりします。 「私」の立脚点が見つかるのと、 「読み手」を発見するのは、ほぼ同時です。 社員としての私は、世の中に何をしたいか? 私は、会社の人たちに何ができるか? 個人としての私は、社会とどうかかわるか? といった、かなり複雑な人間関係も整理できます。 社会に出て働く私、 趣味に熱中する私、 一家のお父さんである私、 上司としての私、部下としての私、 かつて子どもであった私、学生であった私。 社会人は、すでに世に出て、 いろんな人間関係を結んでいて、経験知も高い。 ただ、それらが、ばらばらなのが問題なだけですから、 要(かなめ)のパーツ、主語「私」を入れることで、 一気に、自分と自分をとりまく世界の関係を押さえた アウトプットができるようになります。 ところが、ごくまれですが、こんなケースもあります。 仮名で、用司(ようじ)さん、26歳。 自分がいちばん言いたいこと「意見」の欄に、 「埼玉局は、活性化する。」 と書いています。主張がわかりにくいですよね。 それで、主語「私は」で、 この文を書いてみるよう勧めました。 他の人はたいがいすぐ、入れられます。 ところが、用司さんは、しばらく考えて、 「できません」と言いました。 慣れていないだけだと思ってわたしは、 「私は、埼玉局の一員として、局を活性化させたい。」 のですね? と質問しました。 用司さんは、「ちがう、埼玉局の人間ではない」 と言います。そこで、 「私は、埼玉局を活性化したい。」 「私は、埼玉局の人たちに、局を活性化してもらいたい。」 「私は、上の人に、埼玉局を活性化してもらいたい。」 「私は、ただ単に、埼玉局は活性化すると思う。」 など、いくつかの選択肢をあげて、 じっくり考えていただきました。 しかし、用司さんは、 自分のいちばん言いたいこと=意見の欄に、 自分自身で書いた文の中に、どうしても 主語「私」を、入れることができませんでした。 用司さんは、「関係把握力」に 基礎的なつまずきがあるのではないか、 高校生にやってもらっているような、 「関係をつかむワーク」 を、優しいものから、順順に、複雑なものへと やり直してもらったほうがいいのではないか、と思いました。 十代には、 「関係把握力」につまずきを抱えた人も多くいます。 で、そういう子は、 おとなのように主語「私は」を入れたら、 飛躍的に解決、とはいかないのです。 おとななら、 「昨日、みのもんたさんが、 タマネギの皮で血がサラサラになると言っていた。 私は、これはいい、 おばあちゃんにすすめてみようと思った。」 と書くところを、 「タマネギの皮が血をサラサラになる」 のように書きます。 これ、単純なテニヲハではなく、関係がつかめないんです。 そもそも、みのもんたさんの意見と、自分の意見の 区別がつきません。だから、悪気なく、 みのもんたさんの発言を 自分の言葉のように書いてしまいます。 そして、タマネギの皮で血がサラサラになることが、 自分にどういう関係があるのか、 なにか想っているから書くんだけど整理して語れません。 そして、とどめに、今それを書くことが、 自分とどういう関係があるかわからない。 結果、唐突に「タマネギの皮が」って何が言いたいの? だれに向かって言ってるの? 十代にしては少々中年っぽい話題だけど、 あなたの足はどこに立っているの? そもそも、あなたはだれ? という印象になります。 でも、こういう子も、他人の文章を読んで、 自分の違和感、反発、共感、発見を 洗い出すワークをすると、 他人の意見と自分の意見の区別がついてきます。 地道に基礎をかさねることで、関係がつかめてきます。 1人称がいない文章を書く子は、 年齢のわりに、 関係をとらえる力が育っていないのではないか、 あくまで、これが私の仮説です。 すでに社会に足が立っているおとなが、 「うちの会社が…」「上司が…」といった1人称に、 ちょっと「私」の影をひそめるのとは違い、 十代には、これから世に出て、 社会という大海原と、「自分」を関係づける、 一大事業が待っています。 基礎的な関係づけができないままになるのは危険です。 なぜ、十代でも関係づけのうまい人と、 おとなになっても関係づけられない人がいるのか? 周囲の感じる苛立ちはなにか? さらに、次週につづきます。 |
Lesson134 1人称がいない(4) 今回もまず、読者のメール、 こんな「現場の声」から、おききください。 <からだを消し去る> 私は都内の鍼灸師です。 「1人称がいない」の中の、 自分を消し去る、という話を読んで ちょっと感じたことをメールします。 彼らは、自分を、もしくは周りの人間を 消し去るのと同様に 「自分の身体をも」消しているんじゃないかな、 と思いました。 別の言い方をしてみると、 まるで五感と脳だけで存在しているというか。 私は鍼灸師をしていますので、 時々自分の身体に対する感覚の薄い患者さんと 出会っています。 端から見ると、 思いっきり体が斜めになっているんだけど、 本人はちゃんとまっすぐ立っていると思っている。 「これで今まで変だと思わなかったの?」と聞いても、 「いいえ全然、何か変ですか?」 と聞き返されたりもする。 または、電車のシートにお尻ではなく、 背中で座って足を投げ出している男の子なんてのも、 もしかしたら体のフィードバックに対して 鈍かったりするのかもしれません。 身体は様々なサインを出しているんだけど、 脳の方でそのサインをカットしてしまって 鈍感になっている人って、 老若男女問わず、 結構いるんじゃないかなって気がします。 そしてそのことに対する対処法として私が考えるのは、 次のようなものです。 それは、自分の身体を思い出してみること。 すなわち、例えば運動することで 体と脳とのリンクを 太くすることなんじゃないかなあと思います。 (鍼灸師harryさんからのメール) ……………………………………………………………………… あともう1通、高校生から届いた、 やはり、「現場の声」をおききください。 <教室の風景> 僕は岡山の高校に通っている者です。 僕もクラスの中で「ひとがいない」状態を感じます。 例えば、クラスの1人が風邪で欠席したとき、 中学の頃は授業が始まる前に 「あれ? ○○が来ない……、何かあったのかな?」 とすぐに気が付いたのですが、 高校では、授業の始めに 教師が出欠を取るときに初めて分かるんです。 「あ、この人来てないんだ。」って。 ひとつ席が空いているのに違和感がないんです。 中学校時代は、クラスの全員が見える範囲に 一人一人にそれぞれの居場所があって、 その居場所から主が出入りすると クラスの風景が少し変わって見えました。 でも今は、居場所が見える範囲に無い様に思えます。 幾つかのグループに分かれて壁をつくり、 特定の相手としか関わらない様な…。 そんな感じです。 つまり 「いてもいなくても同じ」 「どうでもいい」 と思っているのです。 だからそんな人は背景とおんなじ。 喋り声もBGM扱い。 かなり勿体無い事をしている気がしてなりません。 (茂くんからのメール) ……………………………………………………………………… 1人称がいない文章を書く子は、 関係をつかむ力が育っていないのではないか、 と、先週私は、書きました。 関係をつかむ、関係づける、 という力は、ただそれだけのようですが、 一事が万事、さまざまなところに影響します。 関係をとらえる力が、 ほんの1ミリズレている、とか、 歳のわりにちょっとだけ未発達、という場合、 その1ミリ、そのちょっとが、 いろいろな場面に関わってきます。 人が、ものを書くとき、じつは、 無意識に、かなり高度な、関係づけを やってのけています。 書くことがうっとうしい理由のひとつはここにあります。 はじめての人にメールを書くとき、 ひどく骨が折れるのは、 未知の相手にとって、このメールは何か? 自分は何者か? 相手は何者か? 相手との関係を発見しているからです。 接点の取り方、 距離の取り方、すべてトライアルです。 たとえば、 入試で小論文を書く、という場面でも、 人との関係をつかむことが必要です。 「え? 紙に向かって1人で小論文を書くだけでしょ、 どこに人間関係があるの?」 と言われそうですが、 登場人物は、たいてい3人以上はいます。 自分、 資料文の筆者、 文章の読み手である大学の採点官 資料として出された文章を読みとった上で、 自分の考えを書く、という入試スタイルが多いのですが。 たとえば、資料文に、「いまどきの若者は……」 など、痛烈な批判が書いてあった場合、 腹を立てて、本気で筆者とケンカをはじめる子がいます。 しかし、ほんとうの読み手は、「大学の採点官」なのです。 それがもし、公正さや論理性を求める法学部の入試なら、 感情的になって筆者とケンカしている場合ではありません。 ちゃんと読み手の大学の方を向いて、 自分の筋道立てた考えを伝えなくてはなりません。 また、だれかの意見を「引用」して書けば、 その「だれかが言った意見」と自分の考えの区別や、 関係もはっきりさせる必要があります。 そうこうしているうちに、引用にのっとられたり、 資料文のなぞりになってしまったり、 という人も出てきます。 それ以前に、読み手はだれか、 なんのために小論文を書いているか、 自分が言いたいことは何か、未整理なまま、 虚空にむけてつぶやくように文章を書いて帰る子もいます。 一方、文章がずば抜けてよくて、受かった子に話を聞くと、 関係をつかむ能力のすごさに驚きます。 例えば、タカコさんの入試の資料文は、 A.B.Cの3人の鼎談でした。 タカコさんは、すばやくA.B.Cの筆者それぞれの意見を 正確に読みとります。 そして、3者の関係を整理します。 「3人のうち、 BとCの立場は同じだ。 Aはこの2人と対立している。 つまり2対1だ」 そして、会場にいるたくさんの受験生と 自分との関係を考えます。 「2対1だから、ほとんどの受験生は、 B,Cに賛成する意見を書くだろう。 Aにだけ反論すればいいからだ。 でも、だからこそ、私は、Aの立場で書いてみよう」 と、自分の立脚点を定めます。 資料文にでてくるAさん、Bさん、Cさんと自分の関係、 読み手である大学と、書き手である自分の関係、 他の受験生と自分の関係を、 限られた時間内に、整理して、つかんで 自分の立場をつかんでいるのです。 それは合格するだろう、と私は思いました。 では、同じ高校生でも、 関係把握に非常にすぐれた子と、 未発達の子と、どこが、ちがうのでしょう? 驚くのは、タカコさんをはじめ、 関係把握にすぐれた人が、 基礎をコツコツ、コツコツ積み上げた、 努力の人だということです。 素晴らしい関係づけの能力を発揮する子も、 特別なことはやっていないのです。 「読む→考える→書く」 これを第三者から見て批評してもらって、また、 「読む→考える→書く」 これだけです。 しかし、数多く、自分なりに 工夫しながら続け、積み上げている。 関係把握にすぐれた子は、 まず、読む力がすごくあるのに驚きます。 人の意見を、聞く・読む・理解する、 というのは、外界との接触の第一歩のような気がします。 そして、絶対に、長い難しい複雑な話を 一発でポン!と読める、聞けるようにはなりません。 まず、易しいものから難しいものへ、 単純なものから複雑なものへ、 具体的なものから抽象度の高いものへ、 とコツコツ積み上げた結果、長い文章を、 すばやく、正しく読めるようになっています。 こうした積み上げがあるからこそ、 未知の大人に出会っても、 その発言を正しく、核心をはずさず聞けるのです。 理解・読解が深く、正しければ、 まったく未知の状況に置かれても、 自分をとりまく人間が言っていることは理解できます。 正確な理解をつみあげれば、 まわりは、しだいに見えてきます。 次に、考える。 理解した相手の意見に対して、 自分の違和感、反発、連想したことなどを 洗い出すことからはじまって、 徐々に、自分に問いかけ、 相手とは、ちがう、自分の考えを引き出していきます。 これも、単純な思いつきレベルから、 しだいに、深い、複雑なことも、 考えられるようになります。 そして、それを書いて、表現し、 評価や反応を受けることで、 少しづつ、自分の想いと言葉のブレをなくし、 相手との関係のズレ、 自分の立場を修正します。 徐々に、自分の考えを伝える術を身につけていきます。 勉強の席で、 「読む→考える→書く」をあらたまってやるか、 日常生活の中で、 「聞く→考える→話す」を自然にやるか、 どちらにしても、 コツコツやりつづける生活があって、 はじめて、人は、自分の身近なものから、 しだいに自分と距離のある人や問題に対しても、 「リンク」をはれるようになっていきます。 そして、未知の相手や、未知の状況の中で、 「理解する→考える→表現する」術を、 試し、磨き、工夫する機会は、 学校でも、日常生活でも、だれにでもおとずれています。 年のわりに関係把握が弱い人は、 なんとなくその機会をのがしてきてしまったのではないか、 やった人と、なんとなくやらずにきてしまった人の差、 ではないかと、今、私は考えています。 この問題、来週もさらに考えていきますが、 最後に、以前紹介した人類学をまなぶ学生の 「はるみ」さんのメールを紹介しておきます。 あなたは、どう考えますか? <城> 現在の都市は「隠れる」ことができます。 自分の「身体」がその空間に存在しても、 地下鉄でお化粧をしている人のように、 「自己」は「いないことにする」ことができます。 それはコミュニケーションの 「場」を形成しないことによってです。 (会話しない、視線をあわせないなど。) また、逆に、自分のしたいコミュニケーションは、 Emailや携帯などで、身体を移動しなくても、 とりたい時にとれます。 たとえば、一人で喫茶店にいても寂しくない、 友達と携帯でつながっているから。 Emailも、自分の好きな時に出し、 返事をしたくなければ無視できる。 面と向かってはいえないことも、 メイルだったらいえることもありますよね。 うそもつけるかもしれない。 理想の人間関係を築けるかもしれない。 つまり、「自己」というものを、 自分の身体的、社会的存在から一時的に切り離し、 「自分の好きな居場所をつくって存在させることができる」、 のだと思います。 自己の存在に悩む若者が、 一番逃げ込みやすい自分の「城」 (例えば、自分を説明しなくても、 完全に受け入れてくれる、 ごく親しい気楽な人間関係など。 それはひとつとは限りません) をつくり、そこにちゃっちゃと 自己を形成してしまおうとすることは、 簡単だけれど危険だとは、彼らは気付いていません。 だからこそ、自分のユートピアに住んでいる若者達は、 「私は~」という言葉を多用して、 自分の「城」で羽をのばします。 でも自分のつくり出したお城以外での「私」という言葉を、 彼等は使えないのです。 この問題の根本は、子供達にだけあるわけでもないし、 emailや携帯、テレビなどの コミュニケーションツールの問題でもない、と思います。 少し断定的にいってしまうと、 人々が「自分が望む自分」と「現在の自分」というものに、 大きなギャップを抱いているからではないか、と思います。 |
Lesson135 1人称がいない(5) こんにちは、ズーニーです。 今回もまず、「教える現場」のこんな声からお聞きください。 <忘れもの> 2年間ほどインテリアデザインの講師をしていました。 生徒は18、19才。 忘れ物をした生徒がいました。 ぼーーーとしているので、 聞いたら教科書忘れたっていうんです。 「となりの子に見せてもらい。すぐ作業するし」 「ううん……。先生の、コピーさして……」 「……。(驚)」 「なあみんな、教科書わすれたから コピーしてくるって……。ほかにいるの?」 18人手をあげました。 他にも私の意見を そのままコンセプトにする子やいろいろいて 切りはありませんでした。 最近、久々に卒業生の一人から、 突然携帯メールが来ました。 私が少しだけ雑誌にのったので見た、という内容でした。 その2ヶ月後、その子からまた携帯にメールが来ました。 有名なインテリア事務所を紹介してほしい、 という内容だけ……。 3年間会ってもいないし、電話もしていません。 少し怒り気味に 「今のあなたの実力も知らないのに紹介できない」 と返しましたが、 何も返事は言ってきませんでした。 わたしは I-modeかっ? かなしかったです (読者 Iさんからのメール) <口コミでやってくる生徒たち> わたしも、若い子たちに教えることが多い立場にいます。 「あそこに行くと、いいことが起きるらしい」という、 口コミで人が集まるところで、 人生がどうやったら楽しくなるのか、 わたしの人生経験をふまえて教える仕事をしています。 でも、伝わらないときは悔しい。 例のオーディション番組は見てないので、 よくわかりませんが。 文章から、先生たちの悔しさは、とても伝わってきました。 「なんで、自分から来ているのに、つかもうとしないの?」 よく恋愛相談に今の人たちはやってきます。 そんな子たちに言うのは、愛されたい、と言っても、 愛されるにも、つかむことが必要なんだ、ということ。 つまり、自分の手を自分でのばさなければ、 どんなに相手が何かを差し出しても、 受け取れないんだよ、ということ。 これさえも、教えられなければ わからなくなってしまっている。 (読者 あねちゃんからのメール) ……………………………………………………………………… 2つ、先生側の声を紹介しました。 あとひとつだけ、こんどは、生徒の声をお聞きください。 <お前は宇宙人か?> 今、大学卒業後、大学の再受験をしています。 大学では、 教官の方々にかわいがっていただいたこともあり、 いろいろと論文などの指導を受けてきました。 その中で、「問い」をたてるのと同程度に、 「論拠」の確かさについて、しつこいほど求められました。 教授の方々は「常識を疑う」のが仕事です。 ニュースひとつ見ても、 その「裏の意味」を読もうとします。 彼らに対して、ニュースやワイドショーのような、 「問い」と「答え」が 1対1のものを持ち出して書こうものなら、 ひどく怒られます。 かくいう私も、何度も怒られました。 「お前は宇宙人か? どこから声出してんだ? 分からないなら、分からないなりに書いてこい。 いいか、分からないってのは大事なんだぞ。 それをきちんと把握することによって、 お前独自の視点ができてくるわけだ。 研究ってのは、 分からない溝を埋めるためにあるんだろ?」 今も深く心に残っています。 また、一般の科学論文を見る限りでも、 審査を通ったものでさえも、 「わからない」と言っても許されています。 ただ、それらの論文には、 何が、どうわからないのか、とても明瞭に書かれています。 また、それが次の「問いの方向」にきちんとなっています。 そのような教官が、小論文の問いを作り、審査するのです。 私にはどうしても、 宇宙人のような、どこか他人事の小論文が 受験に通るとは思えないのです。 (読者 一人さんからのメール) ……………………………………………………………………… この、1人称がいないシリーズを考えていくうち、 早い段階から、私の中に、 わきあがってきた「問い」があります。 それは、2番目のメールにもあった、 「なぜ、つかみにいかない!?」 です。例えば、自分から強く望んで受けたオーディションで、 最終選考に残る、というような場面です。 何千、何万という人の頂点に立った。 もう、客観的にみて、可能性があるかないかとか、 自信があるとか、ないとか悩むような段階ではありません。 可能性があるからこそ、その場に立てた。 すべてのお膳立てはそろった。 あとは、自分で手を出してつかむだけ。 この先何十年生きても、 2度とこないかもしれないような人生一度のチャンスです。 そういう状況がわかっていて、 わざと自分の不利になるようにふるまう 人などいるでしょうか? あの、「モーニング娘。」 最終審査前のレッスン1日目、 女の子たちは、「つかみに行かなかった」 のではなく、「つかみに行けなかった」、 と考える方が自然です。 それは、 自分をとりまく関係性が見えていなかったからです。 では、なぜ、ダンスや唄の先生、 私をはじめ、見ている人の多くは、ジリジリ気を 揉んだのでしょうか? 彼女たちをとりまく、 関係性がはっきり見えていたからです。 岡目八目、ただでさえ、当事者は状況が見えにくく、 はたで見ているほうが、前後や人物の関係がとらえやすい。 とくにテレビでは、視聴者は、時系列を追って整理され、 人物関係も、字幕とナレーションで、 わかりやすく説明されたものを見ているから、 彼女たちをとりまく関係性、 彼女たちが最優先でやるべきことが、 一発でわかるのです。 関係性がわかった人から観ると、 とんでもないことが起きようとしている。 可能性ある若者が、1度きりのチャンスを みすみすドブに捨てるかもしれないのです。 そこで、多くの視聴者は思いました。 「なぜ、つかみにいかない!?」 では、私はどうか、と考えました。 私は、自分が置かれた状況を、ちゃんとわかっているか? 私は、日々、 訪れては消えるチャンスを生かしきれているのか? そう考えると、実にもったいないことをしています。 もし、自分のこれまでの人生と、 いま置かれている状況を、整理・編集して ドキュメンタリーにして放映されたなら、 見ていて苛立つ人は、いっぱいいると思います。 「山田さん、どうしてそこでつかみにいかないの?!」 「山田さん、大事にするのは、その人じゃない、こっち!」 「そんなとこで、そんなことしてる場合じゃないでしょ!」 つかみにいかないのではなく、 自分の置かれた状況がつかめていないために、 自分の前に横たわっているチャンスも、 そこで生かせる自分の可能性も、見過ごしてしまい、 それゆえに「つかみにいけない」、のだと私は、思います。 わたしたちは、 自分をとりまく関係性を、 思い出し、つかむことが必要です。 人によって、いろいろな方法で考えていいのですが、 ただひとつ言えるのは、 決して「空気を読む」というような漠然とした作業では、 ない、ということです。 わたしは、まわりが見えなくなったとき、 ときどき、こうやります。 状況把握は、自分をとりまく人物との関係の把握、 だと思っています。 自分に関わっている主な人物を、 1人1人、思い出し、 「自分に何をしてくれたか?」頭を使って考えるのです。 例えば、クライアントは、何をしてくれたか? 編集者は、何をしてくれたか? 家族は、何をしてくれたか? このときのコツは、形容詞など、 いっさいの修飾語を省いて考えることです。 修飾語に頼ると、どうしても事実関係が甘くなるからです。 例えば、ある会社員の女性が、自分のまわりの 人を、このように洗い出したとします。 父は、うざい。 母は、うるさい。 部長は、えらそうだ。 カレシは、優しい。 先生は恐い。 これでは、すべて主観で、事実関係がわかりません。 修飾語禁止で、 「いつ? だれが? 何を? どうした?」 で考えてみると……、 父は、4年間、大学の学費を出してくれた。 父は、アパートの保証人欄にハンコを押してくれた。 母は、今日、洗面所のタオルを取り替えてくれた。 母は、昨日、頼んだテレビ番組を録画してくれた。 部長は、今期、希望のポストに異動させてくれた。 部長は、昨日から、 うちの課のバイトを1人増やしてくれた。 カレシは、1年前から、私に、金を借りている(?) カレシは、私の誕生日に、私に、金を借りている(?) 先生は、この6年で、私にピアノを教えてくれた。 先生は、進路に悩んだとき、私に、大学を紹介してくれた。 修飾語を取ることで、好き、きらい、感じがいい、悪い、 ではなく、事実をキーにした関係が見えてきます。 さらに、これに、 「なぜ?」をくわえてもいいと思います。 部長は、なぜ、今期、 希望のポストに異動させてくれたのか? というように。 こうして、1人1人と、自分の関係を見ていくと、 次第に、自分に与えられている、大小さまざまな機会、 自分に求められていることなど、 自分をとりまく、周囲の事実関係が見えてきます。 直接、何が求められ、何が期待されているのか、 相手に聞いてみるのもいいと思います。 1人1人との間の 事実確認を別個にしていくと、 不思議なことに、頭の中の整理では、終わらず、 「気持ち」に落ちてきます。 周囲の事実関係が、あるまとまりを持ったときに、 何らかの気持ちがわきあがってくるのです。 さきに紹介した一人さんのメールでは、教官の 「お前は宇宙人か? どこから声出してんだ? 分からないなら、分からないなりに書いてこい。 いいか、分からないってのは大事なんだぞ。 それをきちんと把握することによって、 お前独自の視点ができてくるわけだ。 研究ってのは、 分からない溝を埋めるためにあるんだろ?」 という言葉が、頭ではなく、 今も一人さんの「心に」、深く残っているとあります。 小論文の読者は、大学教授です。 その読者から、直接、「宇宙人!」と怒鳴られるほど、 関係性が読めない状態からスタートし、 長い論文指導のはてに、 一人さんと、読者、そしてものを書くことの関係が、 まとまりを持って、心に落ちた瞬間だったと思います。 自分の本当の考えを言ったら、点数は低く、 社会に、打たれるのではないか、と恐れる人は大勢います。 しかし、自分をとりまく人物一人一人を把握していったとき、 自己表現を阻むモンスターなど、どこにいるのでしょうか? 問題は、別のところにあるのではないか、 まわりはきっとこう思っています。 「なぜ、つかみにいかない!」 |
Lesson136 1人称がいない(6) こんにちは、ズーニーです。 まず、この読者のメールからお読みください。 <存在を完全に消すテクニック> 今回の「一人称がいない」というテーマは、 子供の頃からずっと無意識に、 だれかにその核心を言い当てて欲しかったテーマ だったように思います。 なるべくなら「自分で答えを出したいテーマ」です。 私は今21歳の大学生ですが、 小、中、高と、つねに学校のクラスの中に その感覚を感じていたように思います。 例えばクラスの誰もしたくない委員を決めるときなど、 先生が挙手を求める時がありますよね。 そういう時、彼ら(「彼ら」なんて言い方は嫌ですが、 その時の彼らは「彼ら」としか言いようが無いのです)は、 個人を完全に消します。 一人一人はただの「生徒」という記号になって、 その集まりでまた「集団」という 記号を作り出そうとしている感じがします。 一人一人の個性は、 例えばその委員を決める取っ掛かりになるわけですが、 そういうものを全て消す事によって、 例えば30人クラスなら完全な「30分の1」となって、 ランダム性で身を守るという、 自分の身を守る迷彩服のような 「テクニック」なんだろうなあと。 本当に、みんな何故そこまでと思うほど、 完全に気配を消すんです。 純粋に、そのテクニックが熟練されているのです。 しゃべりませんし表情も出しませんが、 表情がないだけではなくて、 そこでは「何も考えない」ことが一番有効だ ということを熟知して、実行している感じがしました。 「○分の一」の存在であることが どれだけ便利かということについて、 皆知りすぎているのではないかという気がします。 結局精神的に追い詰められた自分が、 「や、やります!」とか言ってしまう事が何度も。 そう決まると、途端に皆深呼吸して いつもの友達としての人間に戻るんですよね。 (読者 21歳の大学生さんからのメール) ……………………………………………………………………… このメールで、存在を消すことを、 サバイバルテクニックと見ているのが新鮮でした。 若い人は、どっかで敏感に時代を嗅ぎとっている。 今までの世の中、 やっぱり「○分の一」の存在として生きるのが、 ラクだったのではないでしょうか。 私自身、80年代に 会社員という、 千何百分の1の存在になることを選びました。 企業も右肩あがり、 安定した収入があり、すみずみまで保障され、 仕事の規模は大きく、やりがいもある。仲間も多い。 そのくせ、自分がとるリスクはものすごく小さい。 当時、残業はきつくとも、どこかで 「サラリーマン天国」であることを感じとっていました。 20代のとき、私が、千何百分の1の存在を選んだのは、 まだ経験もなく、 突出した能力もない、弱い自分を守りつつ、 極力楽に、極力おおきく、 「自分を生かす知恵」だったのではないかと思います。 だから、おとなが、どんなきれいゴトを言っても、 こどもは、その敏感な臭覚で、 「○分の一」の存在になることのうまみをかぎとっていて、 日々、それようの訓練を積んできたのではないか、 という見方も成り立ちます。 そして、いま、ものすごく変わっていく時代の中で、 敏感な子どもは、 「これまでのやり方じゃだめなんだ」ということも、 とっくに、どっかでちゃんとかぎ分けていて、 着着と、次なる時代にサバイバルする術を、 磨いているのかもしれません。 サバイバルという視点で、 20代をニューヨークですごした「きりん」さんのメールを 見てみましょう。 <サヴァイヴァルするための武器> 私は20代をニューヨークで過ごしました。 東京という大都会で生まれ育った私にも ニューヨークは本当に何もかもがものすごく刺激的でした。 暮らし始めた頃は、地面からエネルギー が吸い取られていくような気がしました。 そこで私は自分を守るために 「セレクティブ・ヴィジョン」を身につけました。 簡単に言ってしまえば、 「見たいモノだけ見る」ということ。 自分の視界に入ってくるモノを 無意識のうちに都合のいいものだけにセレクトする機能。 そうでもしなければ、 自分がパンクしてしまいそうなくらい 色々なことや色々なものが一緒くたに起こっていて、 すべてをきちんと理解しようとか対処しようとかしていたら 何のために自分がそこにいるのか 判らなくなってしまいそうなくらい消耗してしまう……。 自分がこの町の餌食になってしまうような不安感。 まさにサヴァイヴァル。 成功者と脱落者が同居し、 美しいものと醜いものが溢れ、 多様な価値観がぶつかり合いながらも共存するしかない。 そんなところに、 自分自身の価値観も自分自身が誰なのかも はっきりと判っていない者が飛び込んで、 とりあえずは自分をニュートラルなポジションに キープすることで精一杯だったような気がします。 だから、今の若い子たちが意識及び無意識のレベルに 勝手に飛び込んでくるあらゆるインフォメーションで オーヴァーロード状態になって 突然フリーズしてしまうというのも 有り得るかなとも思うのです。 何に対してもどうしていいのか判らないし、 とりあえず自分を必死に守るのが精一杯な感じが 「透明人間」みたいだったり、 他人の存在を無視するような 行動に出たりするのでしょうか…。 でも、私にとって、サヴァイヴァルするためには コミュニケーションが最大の武器である、 ということを身を持って感じるようになったのも またニューヨークでありました。 (読者 きりんさんからのメール) ……………………………………………………………………… 「見る」ということに関連して、 もう1通、このメールを見てください。 <見ることでわき起こる感情> 前回のコラムにあった、 「自分をとりまく周囲の事実関係を見つめると 何らかの気持ちがわきあがってくる」 という部分を、何度も何度も読み返しました。 何故なら、今の私の仕事のやり方と同じだったからです。 企画会社を経営しているのですが、 仕事の多くを「マーケティングリサーチ」が占めています。 以前、企業に所属していた時代から通算すると その手の仕事は15年以上やっていることになります。 昔はいわゆる「マーケティング手法」なるものに当てはめて アウトプットしていた時代がありましたが、 独立をきっかけに、 これまでのやり方を疑ってみる作業をしました。 今、私がこの仕事をしていく上で、 とても重要だと思っていることは「リアリティ」です。 それを使っている人、いない人。 それを使う場面。それがない生活。 それを売っている人。売られている現場。 実際に、見に行き、会いに行き、 その事実を自分の中にとりこむと、それこそ ムズムズやらワクワクやらザワザワやらの感情が生まれます。 自分自身を「人間リトマス試験紙」にして、 反応したことを核に、 ことばや形にしてクライアントに提案する。 そんなやり方で仕事を続けています。 (読者 SEVENさんからのメール) ……………………………………………………………………… わたしには、ちょっと都合がわるくなったときや、 ちょっと面倒くさくなったときに、 相手を見なくなる ことがあります。 とくに対立したとき、相手の顔も見たくない、 声も聞きたくない、心境になることがあります。 そういうとき、相手から目をそらし、 心の中で相手とのコミュニケーションを遮断します。 そして、私が、今とこれからを生きていく上で、 このやり方は間違っている、と、 最近、はっきり思うようになりました。 いまの私にとって、サバイバルとは、 問題が起こったとき、どうやって状況をただしく判断して、 自分を生かす道を選ぶか、だと思います。 目をそらせば、相手からの視覚情報がなくなります。 話をいいかげんに聞いていると、 聞きまちがいが多くなります。 相手から入ってくる情報が減ると、 増えるのは「思い込み」です。 目をそらしているうちに、自分の中で、 相手はどんどん醜くふくれあがり、 本来、いもしないモンスターになっていきます。 自分を生かす判断をするためには、 やっぱり、相手に関する情報は多いほどいいし、 そのためには、コミュニケーションをとるしかないのです。 わたしは、そういうときは、 無理やりにでも顔をあげて、まず、相手を「見」ます。 みたくないという気持ちがあるので、かなりむりやりです。 見ると、視覚から、相手の情報が入ってきはじめます。 「あ、シャツのボタンがひとつとれてるな、 急いできたのかな」とか、 「目のあたり、疲れてるな、寝不足かな」とか、 「悪気でいってるんじゃないな」とか、 自分の思い込みとのブレが出てきます。 すると、すこしずつ相手の言葉を聞く余裕がでてきます。 そこで 「なんとか、聴こう。 この人がほんとうに言いたいことは何なのかを、 とにかく聴くだけ、さいごまで聴こう。」 と念じます。ききたくないので、これも祈るような気持ちです。 そして、瑣末なところに反応せず、 「相手がいちばん言いたいことは何か」、にだけ注意して、 最後まで聴き終わったとき、意外に問題は、 自分の思い込みの外にあることがわかったりします。 百歩ゆずって、「見ざる・聞かざる」で、 その場をのりきれたとしても、 私の場合、そのツケは、「相手への興味・意欲がなくなる」 という形でまわってきます。 相手からの新鮮で正確な情報を遮断して、 自分の思い込みでつくった相手に、 あらたな「興味」などわくはずがありません。 また、コミュニケーションをとらなかった、 ということは、自分にとって問題がある環境に対して、 何一つ、自分の「想い」をまぜることができなかった、 ということです。 自分の想いで何一つ関わることができない環境に、 意欲をわかせろ、というのもまた、無理な話です。 厳しい環境では、生きる意欲を失えば、自分でつぶれます。 コミュニケーションは最大の武器である。 サバイバルのために、 セレクティブ・ヴィジョンを身につけた 「きりんさん」が、 その果てに、究極のサバイバル術として コミュニケーションに至ったのもうなずけます。 そして、SEVENさんの、 「実際に、見に行き、会いに行き、 その事実を自分の中にとりこむと、 それこそムズムズやらワクワクやら ザワザワやらの感情が生まれます。」 に、私はとても共感するのです。 私は、編集の仕事を10年ほどしたころ、 仕事も広がっていく気がしない、 自分も伸びていく気がしない、 いいようのない閉塞感にとらわれたことがあります。 そのとき、自分の小さな殻を打ち破る引き金になったのが、 読者に会いに行くことでした。 自分が編集したものが、実際に、 どんな人の、どんな生活で、どう読まれているか、 淡々と、「見る」ことでした。 このとき、見ることが私なりの限界突破のキーになり、 外界への意欲(=生命線)の着火点になったのです。 (つづく) |
Lesson137 1人称がいない(7) 「1人称がいない」感じの文章を書く子は、 関係づける能力が育っていないのではないかという仮説で、 ここまできた。 自分とテーマの関係がつかめれば、興味がわく。 自分の想いと、書くことの関係がつかめれば、 想いを文章にあらわせる。 読み手と自分の関係がつかめれば、 人にわかる説明ができる。 そうやって、一つひとつのリンクがはれて、 はじめて、自分は外とつながっていく。 しかし、キソ的な関係づけに、つまずいたままでは、 せっかくなにか「想い」はあっても、 「テーマと自分は関係ない」 「書く意味はよくわからない」 「読み手はいない」、と 自分の存在まで宙に浮いてしまう。 結局、あるまとまりをもって、 自分を外とつなげられないから、 読む方も、そこに「人」の存在を嗅ぎ取ることは難しい。 日常生活でも、 関係性がうまくとれない、 どこかズレていると思う人と接するとき。 徒労感とか、消耗感を感じると、 読者から、すごくたくさんのメールをいただいている。 そのひとつを見てみよう。 ……………………………………………………………………… <インターンに来た大学生> 私は28才の大学院生です。 とあるNPOでアルバイトをしています。 この夏、大学生のインターンを4人受け入れ、 私が作業のお手伝いをしました。 仕事は資料の目録取りをさせたのですが、 3人は苦心しながらも なんとか形になるものを作り上げました。 しかし1人は、説明しても、実演しても、校正しても、 のれんに腕押し状態で、ちっとも形になりません。 形にならないばかりか、目録は全面的にやり直しです。 私の説明が悪かったのかな……と思いつつ、 あとでこの仕事について提出されたレポートを見て 腰を抜かしました。 私が必死で説明した言葉が、 そのままレポートになっているではありませんか! この説明が理解できていたならば、 なぜ目録が出来ないのか……? 自分のしてきたことが、 賽の河原に石を積んでいたように思えて、 呆然とした記憶があります。 (ももりんさんからのメール) ……………………………………………………………………… ぎゃああああああ! と、叫んでしまったメールだった。 これなどは、 「関係づけられない」ことの典型ではないだろうか。 ももりんさんの説明を、 この大学生は、すべて聞き取って、 完璧に記憶していた、ということだ。 はじめての仕事となれば、 知らない言葉も多数出てきただろうから、 この大学生は、 そうとう難度の高い、長い、口頭説明を聞き取る能力と、 記憶力に優れていたということになる。 そして、自分で聞き取り、記憶した説明と、 自分がやっている仕事とが、 まったく結び付かないことも、ある意味、すごすぎる。 こういう人いたなあ。 ものすごい量の、ものすごい難しい本を読むのだけれど、 ずっこけるほど、仕事ができないのだ。 視野が狭いと言うか。 (こういう言い方をするのは、失礼で気が引けるのだけど) あの古今東西、読んだ本から得た、 ものすごい量の人の考えや、 知恵や、情報は、いったいどこへいくのだろう? その人は、 本から得たお宝を、 目の前の仕事に関係づけることができなかった。 できなかったのか? しなかったのか? たぶん、自分にとって「無理めの状況」に、 自分を関係づけることを、 「しない」うちに、「できない」、になったんだろう。 その人の場合は、 「自尊心」とか「優越感」が、 「本から得た知識」と「自分」と「目の前の仕事」を 関係づけることを阻んでいたように思う。 自分にとって、「無理めの状況」ってなんだろう? どっからどこまでが、自分と簡単に関係づけられることで、 どっからが「無理め」で、 どっからが「ありえないこと」になってしまうのか? なにか、よりレベルの高い、より強い、 より素晴らしい方向にいくにしたがって、 自分との関係づけは、難しくなっていくと、 そう考える人は多いのではないだろうか? 例えば、男の人は、 どこからが自分にとって「無理め」の女か? 先ほどの、より美しい、で考えていくと、 近所の眉毛のつながったみよちゃんはリンクの範囲で、 街一番の美人の貴子ちゃんは「無理め」、 そして、女優の米倉涼子さんに至っては、 自分との関係づけなんて「ありえない」。 になるのだろうか??? わたしは、どうも、 そういう図式じゃないような気がする。 あの「本の君」にとって、 自分が読んでいる ものすごく難しい本とのリンクは簡単で、 目の前にあった、 「そうたいしたこともなさそうな仕事」こそ、 自分との関係づけが「無理め」で、 「ありえなかった」のではないだろうか? 私たちの関係づけの能力は、 たしかに、距離の近いものから、 より遠いものを関係づけられるように、 易しいものから、より難しいものを関係づけられるように、 単純なものから、より複雑な関係づけができるように、 鍛えれば、鍛えた分だけ伸びていく。 自分の関係づけの力が高まれば、 自分がつながる「外」はグングン広がっていく。 しかし、自分の能力の高まりに応じて 自分の「外」が広がっていくということは、 自分が高度な関係づけが できるようになっていくということは、 自分の能力に正比例して、 世に言う「ワンランク上」の仕事や、人や、物事とばかり (ああ、「ワンランク上」って書くのもいやな言葉だ) 関われるようになっていく、ということとは、 ちがうのではないだろうか? ももりんさんは、さらに言う。 ……………………………………………………………………… 人間がそこにいなくなってしまう現象は、 理解能力の範疇を越えてしまった目の前の世界を 「なかったこと」にしているのではないだろうか。 かれらに共通しているのがガードが堅いということ。 自分の土俵から出ていかないこと。 自分が理解不能の場面に陥ったときにどう対応するか? 私なら、たぶん他者に意見を求めて、 とりあえずやってみるだろうと思います。 (ももりん) ……………………………………………………………………… わたしは、これを読んで、 以前、紹介した、はるみさんのことば、 「この問題の根本は、子供達にだけあるわけでもないし、 emailや携帯、テレビなどの コミュニケーションツールの問題でもない、と思います。 少し断定的にいってしまうと、 人々が‘自分が望む自分’と‘現在の自分’というものに、 大きなギャップを抱いているからではないか、と思います」 という言葉のなぞが、少しだけとけたような気がした。 あなたにとって、 「無理めな状況」とは何だろう? 無理めでも、ありえなくても、 しっかりリンクをはらねばならないものはなんだろう? これまで、 あなたが、理解不能の場面に陥ったとき、 そこを越えて、手を突き出して、 つかんだものは何だったろう? |
Lesson138 いま、ここにいないあなたへ ――「1人称がいない」シリーズ8回 「1人称がいない」文章を読んだとき、つまり、 「あなたがあなたとして、そこにいない」 と感じるとき、わきあがってくる 苦しい、苛立つような感覚は、なんだろう? 去年の暮れ、わたしは、たくさんの高校生の文章を読んだ。 とても素晴らしい文章を書く子たちもいたというのに、 私が、想いの中で一緒に年越ししたのは、 「1人称がいない」文章を書く子たちだった。 年が明けても、その「ざらつき」は消えなかった。 その中で、モー娘。新メンバー最終選考番組に出くわした。 画面では、3人の女の子が、 インストラクターの呼びかけに 何も反応できなくなっている。 インストラクターが、ここには、「人がいない」と言った。 番組を見ていた読者の方々からも、 「ほんとうにどうしたのかくぎ付けになったように、 画面から目が離せなくなっていた」 「見ていられなくて、チャンネルをまわした」 と、メールをたくさんいただいた。 「ざらつく」のはよくないと、 最初、追い払うことばかり考えた。 でも、自分からわきあがってくる気持ちを、 「なぜか?」と問う前に、 わるいと決めつけることこそよくない。 もしかしたら、「人を生かす」 教育のシーンには必要なものかもしれない。 私は、「ざらつき」の正体をみようと思った。 そこで生まれた「1人称がいない」シリーズでは、 コラム連載初の体験をいくつかした。 連載始まって以来の数の読者メール。 ここには、高校生もいる。 針灸師、デザイナー、経営者……と、 さまざまな社会人もいる。 学問の現場から、問題を体系立てて見て、 発信してくれる大学生や院生もいる。 人を教えている人も、教えられている人もいる。 日本にいる人、 海外から帰ってきた人、 いま海外にいる人もいる。 教室から、仕事の現場から、街から、 「人が消える」とき、 実際のところ、なにが、どうなっているのか? 現場の、からだを通った考えを寄せてくれた。 これこそ、わたしが、 インターネットに想い描いた夢だと思った。 さまざまな立場の人が、1つのテーマに共鳴しあい、 知恵や体験を出し合い、 乱反射して、さらに考えが深まっていく。 いまの、現場の、からだを通った考えが、 同時に、即時に、多様に、あつまるからこそできる テーマへのアプローチ。 そういうインタラクションを起こすことこそ、 わたしが、ネットでやりたかったことだ。 ネットにコラムを書いて3年、 もう、ネットへの幻想などどこにもない。 だからこそ、逆に、いま、 インターネットの夢が追えると思っている。 生まれてはじめて、インターネットの門をくぐったとき、 生まれてはじめて、電子メールを書いたとき、 そこに、自分がこめた期待は、なんだったろう? そのときの自分の想いだけを、 忘れず、ひとつずつ実現していこうと思う。 そのひとつが、このシリーズで叶った。 これまで 「どうか、メールをください」のひと言が言えなかった。 それは、こぶし一つ分の勇気だが、でなかった。 オーディションの女の子をみて、思ったのだ。 「なぜ、つかみにいかない!」 その言葉は、そのまま、わたしに向かっていた。 自分は、インターネットにこういう場を与えられ、 毎週、これだけの読み手に逢わせてもらっている。 それなのに、自分は、 これくらいのインタラクションしかつくれないのか? そして、こぶし一つ分、手を突き出してみたとき、 こたえてくれる「あなた」が、いた。 このシリーズで、自らつかみにいくという感覚や、 ネットの歓びの雛型を、私自身がいちばん教えられた。 そこで、わたしは考えた。 いったいだれとの付き合いが、 わたしを突き動かし、 現実の中で私を変えたか? 昨年暮れから、ずっとともにいて 私を導いたのは、 「1人称がいない」文章を書く子たちであり、 現実に、このシリーズへと突き動かしたのは、 モーニング娘。オーディションの3人の女の子だった。 その間、素晴らしい人の、素晴らしい言葉を聞いて、 体から力があふれるような瞬間があった。 言葉を、ノートにも書きとめたが、 どうしてか、それは時間とともに体の外へ消え去っていた。 1人称を失った若者から受ける「ざらつき」こそが、 いつまでも体から引かず、わたしを育てた。 つい先日、こんなことがあった。 原稿が書けない。 それは私が、もっとも得意とする小論文の原稿だった。 16年も、半端でなく取り組んできた分野だから、 これだけは、着実にできる。 ところが、書けない。 書けないのだ。 こんなことが、あろうはずは、 と書いては消し、書いては消し、 1日たち、2日たち、3日たち…、 背中と目がやけるように痛くなった。 フリーランスになってから、 健康管理にはひどく気をつかっていた。 だから、ここまでからだを酷使したということは、 よほど「われを失って」いたのだ。 わたしは、「ばか」になってきたんだろうか? いま、最も働き盛りのはずが、 個人差で、がくっ、と 「脳の老化」がはじまったんだろうか? 途中なんども、われ、と我が頭を疑った。 時間が来て、できた原稿は、 いちばん好意的に言っても、 「小さな完成品でなく、大きな未完成品」という感じ。 そう思おうとしても、自尊心は、ズタボロだった。 その日は、ラフアップで、 ほんとうの原稿をあげるのは、 まだ2週間先だったからよかったものの、 本番の締め切りで、そんなものをあげたら、 少なくとも私は、私を許さなかったろう。 でも、原稿を送ろうとした瞬間、 やっとあることに気がついた。 私がしていたのは、原稿書きじゃない。 そう、わたしがしていたのは原稿書きではなかった。 「商品開発」だ。 企業で編集をしていたとき、何ヶ月もかけて、 社会とお客さんを読み、コンセプトをつくり、 それを形にする方法を考え、企画を立て、 それから先生をさがして原稿を書いていただいた。 その何ヶ月分を、たった一人、数日でやろうとしていた。 まったく新しいものをつくろうとしていたのだ。 このところ、高校と大学、大学生と企業、そして社会、と つなぐ仕事の依頼がおおく、 じぶんなりに、視野がひろがっていたんだろう。 そういう目で原稿をみると、 今までなかったまったく新しい発想が、 2つだけ生まれていた。 新しいものをつくるとき、 かならず、空中分解のような、 自分が不安定な状態を通過する。 なぜなら、いままでのやり方、経験が、 まったく生きない領域に、自分は「いる」からだ。 当然、ゆきづまりになり、どんづまりになる。 そこでは、たった1メートルの距離が歩けず、 自分は、自分かと疑い、 なにをやっているか、 どこにいるのかもわからなくなってくる。 ゆきづまらなかったら、 いままでの延長線上でものをつくっているということだし、 まったく新しい領域に足を踏み入れたいなら、 かならず、ゆきづまらなければならない。 これはあたりまえのことだ。 「限界突破」と人は、ひと口に言うが、 自分の「限界」がくることと、 それを「突破」することの間には、 ながい、長い、空中分解期間がある。 「よく逃げなかったなあ。」 「1人称がいない」文章を書いた子たちに、 わたしは、あらためて、そう思った。 この子たちにとって、20枚の文章を書くことは、 生まれてはじめての未体験ゾーンだった。 この子たちは、 マスコミ受け売りパッチワークで済ます「要領」はない。 インターネットから丸写しするほど「悪」ではない。 でも、書かない、途中で止める、ということはしなかった。 文章には、書き手の根っこにある想い、 つまり「根本思想」がつよくあらわれる。 彼らの根本思想は、いまはっきりと、 「不自由」なのだ、と私にはわかる。 不便と不幸と、「不自由」は少しずつ違う。 ヘレンケラーや乙武くんに、私が感じるのは「自由」だ。 彼らは、手足のサイズや、聴覚・視覚の障碍は、 自分を表現し人と通じ合うのに、 なんの障害にもならないのだ、ということを教えてくれる。 でも、自分を、まとまりをもって語れないとき、 想いを外にだせないとき、 人は、「不自由」だと思う。 「1人称がいない」文章を書いているとき、 本人はさぞ、つまらなかったろう。苦しかったろう。 自分の言いたいことはこれではない。 この紙の上で、自分は自分になれない。 ここでは、たった1メートルの距離さえ歩けない。 その苦悩が読む人までを不自由にする。 文は人なり、というが、 かならず、書いた本人の根っこの思いが伝わってくる。 書いて、伝えてくれてありがとう。 最後まで、書いてくれたからこそ、 わたしはその「不自由」というメッセージを 受け取ることができた。 そのメッセージは、 わたしに、もう一度文章指導への意志を固めさせた。 なにが「限界」か、 なにが「無理め」の状況か、 人によってレベルはずいぶん違う。 そして、レベルは関係ないのだと思う。 たった1枚を書くのが恐い、という人も、 これまで何万枚も書いてきて、賞ももらって、 この次、まったくあたらしいものを書くのが恐い、 という人も、1歩踏み出して、 迎える、空中分解の感覚は同じだからだ。 1歩踏み出して、進むに進めず、引くに引けず、 という人は、無意識にも、 「不自由」という強いメッセージを発している。 自己表現ができないというときほど、 逆に、自己を言葉で語りたい、 表現したいという無言のメッセージを発している。 そのメッセージをうけとれば、 だれもがそこにいた自分を思い出す。 自分もかつて、そこにいた。 そこで、自分を疑うような、もっとも醜い姿を見た。 自分の潜在力を生かしつづける生き方を選んだ人にとって、 それは決して過ぎ去った問題にはならない。 だから、限界状態にある人に、人はざらつくのだ。 「教育効果」ということを言えば、 どんな場面のどんな人であろうと、限界状態にある ただそれだけで、 人をかきたてる、強いメッセージを発している。 いま、「ここ」にいないあなたへ。 あなたは、後退しているのではない。 あなたは、荒廃しているのではない。 あなたは解体して、「そこ」にいる。 体内の細胞をばらばらにして宙に浮かせ、 前後不覚になって、そこにいる。 「そこ」は未来だ。 自分で自分を信じてやれなくなってもいい、 ばらばらのままでいいから、 そこまでいこう。 |
Lesson139 どんなことを言えば、人は歓んでくれますか? 先日、ライブの帰り。 ともだちと、アジアごはんを食べた。 いつも元気な、そのともだちも、 その日は、いろいろなことが重なり、 さすがにトーンが暗かった。 そういう状況はいやじゃない。 私たちは、そのトーンの中に身を置いて、しばらく まったり……………………していた。 ところが、 そこに遅れて、もう一人の友だちが来て、 彼女の様子はころっ! と変わった。 あれ?! ひざを打って、 手をたたいて、 大声でわらいはじめたのだ。 目とか、イキイキしている。 もう一人の友だちは、話がうまかった。 あちゃー、もしかして、私がつまんなかった? ごめんよー……。 わたしも、まじめ一辺倒ではなくて、 もっとエンターテイメントというか、 場を盛り上げる、こう、はじけるような、 話をした方がいいんじゃないか。ちょっと落ち込んだ。 でも、それって、何を話せばいいのだろう? 自分の数少ないレパートリーの中で ああいう話をしようか、こういう話題はどうか……、 とシュミレーションしてみた。 どれもつまんない。話してて、こっちが持ちそうにない。 小論文でたまに聞かれるのが、 点の取れるものを書くためにどうするか、 こんな質問だ。 「国際問題について書けって言われたって、 まさか、僕はわかんないし、関心ないし……、 なんて書けるわけないですよね。 自分の意見なんてきれいごとを言っても ある程度ウケる方向って決まってるんじゃないですか。 で、どんなことを書けばいいんですか?」 なんか、違うなあ……。 もやもやしていたある日、頭にふと、 こんな言葉が浮かんだ。 ああ言おうか、こう言おうか、ではない。 ほんとうのことを言うために、どうしようかだ。 先日、ある編集学校の生徒さんと、 「取材して記事を書く」ことの難しさの話になった。 「なかなか、自分が取材して面白い、と思ったことと、 読者から見て、面白いことが違いますからね。」 わたしが、取材ものを書きはじめたときを想いだした。 編集の仕事をしているおかげで、 いろいろ面白い人に取材で会えた。 でも、それは、たくさんの読者を代表して、 会わせてもらっているのである。 読者が、その人について知りたいことと。 わたしが取材のために、その人のことをいろいろ調べ、 現場に行って、その人に会ってこそ、感じた面白さには、 温度差がある。 読者は何を求めているのだろうか? どういう軸で記事を立てていったらいいのか? でも、いま、私は、そこで悩むまいと思う。 わたしが本当に面白いと想ったことを、 読者に伝えるためにどうしようか、だ。 そこから先は、すっごい悩むと思う。 わたしが感じた面白さを伝えるには、 読者とは、温度差とか、 手続きとか、 共有しなくてはいけない情報とかいっぱいあるから。 その先は、これからもずっと悩みつづけると思うけど、 前提のところは、もう悩まないでおこう。 スポーツ選手にしろ、俳優さんにしろ、 多くの人が、その人に聞きたいであろう、 もっとも一般的な質問をし、 最も典型的なテーマでまとめるなら、 私でなくとも、 きっとだれかが、もっと上手にやってくれる。 その日、私しか、 つかめなかった本当に面白いと想ったことを、 読者に伝える方法について、考えぬこう。 小論文は、暗記に頼らず、 まったく未知のテーマを与えられて、 その場で、堂々と自分の頭を動かして考えることに 面白さがある。 その日その時、 ほんとうに自分が考えたことを伝えるために、 それで相手を説得するためにどうしようか、それだけだ。 場を盛り上げる話なんて、まだまだ十年早い私だけど、 たぶん次の問いを手放して場に迎合しようとしたとき、 すべてを失うのだろう。 話がすべっても、場を引き潮のようにひかせても、 私は、この問いから先だけを、悩んでいこうと思う。 「本当に想っていることを言うために、どうしようか?」 |
Lesson140 おめでとう おめでとう。 と、あからさまに言うことが 気に触る人がいたらごめんなさい。 それでも春から、 自分の立場に「新」がつく人を想うと、 やっぱり、腹からこの言葉がこみあげてくる。 新一年生、おめでとう。 新社会人、おめでとう。 春からポストが変わった人、 住む場所が変わった人も、 新しい環境で踏み出す人に、わたしはやっぱり、 おめでとうを言いたい。 新しい環境は、新しい自分の潜在力を引き出す。 就職浪人になった人、新人になれなかった人、 わたしも19年前の春、同じだった。 そこから企業に入るまで、 バイトと編集アシスタントをして3年かかった。 バイトとはいえ、 記念すべき初出勤の日、緊張して、 おかんに買ってもらったスーツで決めていった。 そしたら、ゴザをぽん!と渡され 花見の場所とりを言い渡された。 これがわたしの社会に出て最初の仕事だ。 ほかの社員の方々が来られるまで、 大きな大きな 青いビニールシートの真ん中にぽつんと座って、 4時間くらい、どんよりした空を見ていた。 「いったいこれから自分は、 どうやって社会に入っていけるのだろう?」 小さな身体が、春風にすくわれないよう、 じっと身を硬くしていた。 その3年間があってほんとうによかったと思う。 企業に勤めている間も、 辞めたいまも、 ずっと私を支えつづけてくれているのは、 成功体験に顔を輝かせている私、ではなくて、 どうしてか、あの満開の桜のもと、 どでかい青いシートの真ん中で、 リクルートスーツでふんばっていた小さな私なのだ。 もし、タイムマシンで帰って、 花見客を装って、ひと言だけ、 あのときの私に声をかけられるとしたら、 心をこめて言いたい。 「社会人スタート、おめでとう!」 あのときの私は、ちっともわかってないだろうから、 きみが社会に出てきてくれて、 どんなにうれしいか、私は言ってやりたい。 毎年この時期、新入生の気持ちを考える。 来月、新大学生に向けて講演をするから、 今は新大学生の気持ちを、 去年は、「もうすぐ中学生」になる人と親御さんへ メッセージを送ったから、 「もうすぐ中学生」の気持ちを考えていた。 新入生の気持ちと言えば、 主催者や、マーケティングをした人から、 必ず言われるのが 「新入生の気持ちと言えば、とにかく不安ですから。」 ということだ。私もそうだろうな、と思う。 去年も、いろいろ切ない事件がいっぱいあったときで、 不安な時代だし、いじめとかあるし、 私だって、新社会人のスタートはビニールシートだったし、 「不安」という共通項から、 新入生へのメッセージを 起こしていくのはやりやすいはずだ。 ところが、やってみたら、なんか違う。 「もうすぐ中学生」って、実質小学生。 ヒアリングにも行って、何人もの声を聞いた。 でも、どうしても、新中学生の気持ちと、 新社会人を踏み出した、 あの時の私の気持ちがつながらない。 自分でも驚いたが、共感のキーは「不安」じゃないのだ。 じゃなんなんだろう? 期限がきてもいっこうに言葉がみつからないので、 ずっとネットサーフィンで、小学生の日記を読んでいた。 その果てに、 ある小学6年生の日記に、次の言葉をみつけたとき、 これだ…、と思った。 「もうすぐ中学一年生。 ほんとは、すっごく楽しみにしてるんだ。」 新入生たちは、口に出して言わなかった。 わたしも青いシートの上、 不安ばかりに気をとられていたけれど、 身体の奥に、小さな灯がともっていた。 新一年生と、ビニールシートの私は、 その「灯」でつながった。 大事なのは不安にどう打ち勝つか、じゃない。 自分のこの灯を、自分でどう裏切らないかだ。 新一年生、心からおめでとう。 親も、先生も、社会も、 あなたが、心からほんっとうに 「面白い!」と想うことを、 想う瞬間を、つかんでくれと願っています。 それが学生の仕事だからです。正真正銘、立派な仕事です。 だれに遠慮も要らないし、だれも邪魔できません。 手を伸ばして存分に、 自分の「面白い」をつかんでください! 2003年 春 吉日 山田ズーニー |
Lesson141 はじめての人に自分を説明する 時期がら、「自己紹介」ラッシュなのだろうか。 はじめての人に自分を説明するって、おっくうだ。 何を言えばいいんだろうか? わたしも、つい、お茶を濁してしまいたくなる。 自己紹介に決まりなんてないわけだから、 思うように、自由にやればいいのだ。 だがもし、何を言えばいいか、わからなくなってしまったら、 ちょっとだけ、今日の話を思い出してほしい。 あれこれやってみて、わたしが今、 一番いいんじゃないかと思っている手がある。それは、 「今から未来に向けて、自分は何をやりたいか?」 という「意志」を、はっきり言っておく、という手だ。 自分を「意志」で説明する、とでも言うのかな。 自分を「趣味」や「特技」で説明する、 というのは、わりとよく見かける。 たとえば、会社で新人が自己紹介するときに、 「4月から、営業課に配属になりました田中です。 特技はスポーツで、 学生時代は、水球で全国大会までいきました。」 とか、初対面の人が多い飲み会などで、 「えっと、鈴木と言います。 えーと、趣味はぁ……なんだろう、えっと、映画鑑賞です。」 というような感じのものだ。 これで、自分がしっくりすれば、まったく問題ない。 だが、これじゃどうも、自分の説明になっていないんじゃないか、 と自分で思うとき、なにが、違うんだろうか? もしかしたら、その趣味は、 自分にとって、あくまでも「趣味ていど」のものに過ぎなかったり、 特技は、「過去のもの」で、今はもう、やってなかったり しないだろうか? だったら、自分の「主旋律」ではなくて、 プラスアルファの部分で説明していることになる。 ちょっともったいない。 「自己紹介」の言葉は、意外に印象が強いものだ。 そこをきっかけに、あとで話かけてもらったり、 何年もたって、本人さえ忘れた自己紹介の言葉を、 人がおぼえていることさえある。 自分と初対面のだれかとの、 関係のはじまりにくる言葉だからだろう。 自分と相手の、つながりの「種」。 だから、自分のこれまでで、 いちばん「栄光ある」部分にスポットを当て、 「水球で全国大会…」と言いたい気持ちはわかる。 そして、自分の「主旋律」が、今も水球にあるのなら問題ない。 ところが、「田中くんと言えば、水球で全国大会の人よね。」 と人におぼえてもらえたとしても、 自分にとって、それは過ぎたことで、 今はもう、スポ―ツはやっていない。 興味や関心は他にうつってしまっている、というならば、 「種」の置き方として、少しもったいない気がする。 同僚に「水球で全国大会ってすごいねえ、いまもやってるの?」 と話し掛けられても、「いや、今はもう…」 と話がとぎれるかもしれないし、 たとえ話がはずんでも、いまの自分の問題関心とはそれた、 「過去の自分」で関わることになるから、活気がちがう。 「趣味は映画…」も、もし、 「これといって他に趣味がないからしかたなく言った」としたら、 なら、今、自分の世界の大部分を占めているものは何か? たとえ地味なものでも、そっちを言った方がいい気がする。 自分の「主旋律」はなにか? 理想を言えば、「過去→現在→未来」とつづく時のなかで、 自分は何者か、が語れればいい。 「過去から現在まで、私は、このような経験をしてきて、 そこから今、このようなことを想っています。 だから、未来に向けてこういうことをやりたいです。」 というように、自分の主旋律が、きちんと説明できるといい。 でも、これを語りきるのは大人でも難しいし、 第一、説明が長い。 そこで、自分が何者か、まだつかめない人でも、 人に言うほどの、特技も、趣味も、栄光も、歴史もない人でも、 「いまから未来、自分はどうしたいか?」で、 自分を端的に説明することができると思う。 初対面のとき、わたしの友人は、 「小説が書きたい」という「意志」で自分を証明した。 それに向けて、いま何をしているかを説明した。 私は、友人の過去を総集編で見せてもらうより、 肩書きや資格をくどくど説明されるより、 ずっと速く、はっきり、彼女という人間を認識できた。 「自分の意志にまだ自信がない」、という人でも うそや、はったりは、よくないが、 自分が本当に想っていることなら、 言い散らかしていいんだと私は思う。 そこを「種」につながる人も、寄せられる情報も、 きっと、あなたを引き上げてくれる。 「今→未来」の最大の関心事だからあなたの向かう勢いが違う。 今から未来に向けて、どうしたいか、 自分を「意志」で説明する。 自分と相手との関係は、「いま」はじまったばかり。 そして、「未来」につなげるものだから。 |
Lesson142 「ちゃんと読めよ!」の落とし穴 ネットやメールの、コミュニケーショントラブルは、 「読解力」の不足からくることが多いのではないだろうか? サイトやメルマガで、 自分の文章を公開している人は、 寄せられる批判メールに、 「くそっ、ちゃんと読めよ!」 と、くやしい想いをしたことはないだろうか。 文章全体をちゃんと読めばわかることを、 ちゃんと読まず、 言葉尻だけとらえて、誤解して、 「批判メール」をしてくる人。 (この教室の読者には、 これまでそんな人はいない。念のため) そういう人に、思わず、 こんなメールを返したくなる人はいないだろうか。 「失礼ですが、あなたは、 私の文章をよくお読みにならないで、 批判なさっているようです。 もう一度、文章をちゃんと読んでください。 わたしが、どこにそんなことを書いていますか? あなたは、私が、これこれを、 これこれしかじかと言った、と誤解しているようですが、 私は、そんなことを書いていないし、思ってもいません。 私は、これこれについては、 かくかくしかじかという考えを持っています。 それが証拠に、本文に、ほれほれこうだと 書いているではありませんか……」 と、つい、長い釈明をしたくなる気持ち、わかる、ワカル。 でも、「ちゃんと読めよ!」には落とし穴がある。 ほとんどの人が読めばわかることを、 その相手はわかっていない。 ということは……、 相手は、文章をよく読む習慣がないか、 思い込みで文章を読んでしまうクセがあるか、 自分の反応したい部分だけを読んでしまうクセがあるか、 トレーニング不足か、なにか、 とにかく「読解力」に問題がある可能性が高い。 読解力によって生じた問題を、もう一度相手に読ませること、 つまり、「相手の読解力に頼るカタチ」で 解決しようとするのは、得策だろうか? かりに相手が、すなおに読み直したとしても、 また同じような読み方をするかもしれない。 一回目とは、また別の部分に反応し 別の部分につっかかってくるかもしれない。 それに、釈明をとうとうと述べた、自分の反撃メールも、 最初の文章が読めていない相手に、 正確に理解される保証がどこにある??? 「ちゃんと読め」では、 なかなか問題が解決しないのは、こういう理由だ。 こういうケースでは、そこから先、 もう、メールで解決するのはやめて、会って話すとか、 文章以外の手段で解決するのが堅実、とわたしは思う。 それでも、なにかの事情で、どうしても、どーーーしても、 メールで解決しなければならないときは、 どうするか? もう一度、相手のメールを、じっくりと、 「この人が本当に言おうとしていることは何か?」 理解しようとつとめて、よく読むのだ、 そう、「相手にもう一度読め」ではなく、 「自分の方がもう一度読む」のだ。 いやだろうけど、わかるけど、 相手の読解力に頼るより、自分の読解力に頼る方が確実だ。 「結局、相手が本当に言いたいことは何か」を、 正しく、深く、読み取ったら、それをできるだけ、 適確に、短く、ひらたい言葉で要約して、 返信メールの頭に置き、 あとは、「私もそう思う」と伝えるといい。 つまり、 「あなたは、私が、黒いカラスを白いと言ったと 誤解しているようですが、 私は、そんなことを書いていないし、思ってもいません。 私は、カラスついては、 黒いという考えを持っています。 それが証拠に、本文のここに、黒いと言う意味のことを 書いているではありませんか……」 のような、長い説明は、 相手がちゃんと読まないか、誤読のおそれもあるので。 短く、やさしく、てっとりばやく、 「カラスって黒いですよね。わたしもそう思います。」 と、共通項を柱に文章を組んでいくと、案外、うまくいく。 だって、もともと「誤解」なんだから。 相手への批判も、自分の釈明も、ことをややこしくするだけだ。 誤解されたら、まず冷静に、 誤解のもとになっている「問い」は何か? (→カラスの色は何色か?) それついて結局、相手はどうだと言っているか?(→黒だ) 自分は結局どう思うのか?(→黒だ) を整理して、 ストレートに「カラスは黒い」で文章を立ててみよう! |
Lesson143 水準 ものづくりをしているときって、 途中で一度くらい、 絶望的にならないだろうか? 先日も、講演の原稿をつくっていて、 どかん!と大きな絶望感に襲われた。 わたしの場合、 いいイメージがわいてきて、 「さあ、これからつくるぞ!」というひとときが、幸せだ。 新しい面白いものができるぞ! という予感が、自分の中からわきあがって、 部屋中に満ち満ちてくる。未来がぱあっとひらける。 ところが、途中で、どうしてか どんづまる。 書いては、消し。 書いては、消し。 それでも、書いて書いて、書いて書いて、 無理して、書き重ねていくと、 最初のイメージからどんどん遠く、 どんどん、原稿がつまんなくなっていく、 だけではない。 それを書いてる自分が、どんどん、 つまらない人間になっていく。 それで、無理して書いた1日分、 ざさぁ~~と消去して、 落ち込む。 そこへ、あらゆるネガティブな気持ちが押し寄せる。 まず、できない原因を探す。 日ごろの努力を怠っていたせいではないか、とか、 新しいつきあいや、新しい情報を求めず、 視野を狭めてきてしまったせいではないか、とか。 ひとしきり、原因探しにつかれると、 今度は、無能感がどっと押し寄せる。 自分はもともと無能なのではないか、という気持ちが すべてをさらっていく。 これではぜんぜんだめだ。 そう思った瞬間、待てよ、と思った。 「だれが、自分にダメ出ししてるんだろう?」 たった一人で仕事をしてるんだから、自分しかいない。 いまここに、 思う仕事ができなくてどんづまっている自分がいる。 でも、その自分は、どこかで、 聴く人の心に届く原稿の水準をちゃんとわかっていて、 ちゃんと自分に「ダメ出し」をしている。 ささげても、 ささげても、 まだ足りない。 戯曲を書いている友達が、 もう、これ以上に、自分がこの作品にできることはない というほどに、書いて書いて、 これ以上に、この作品を伸ばすには、 もう、自分自身が成長するしかない、 と思うまで書いたとき、 ため息のように、上の言葉をもらした。 新しいイメージにつき動かされて 仕事をすすめ、隘路にゆきあたったとき、 わたしはよく、この言葉を思い出す。 でも、何にささげているか、というと、 そのイメージをつくりだし、 「ここまで来い!」と、その水準を見て、 距離を測っているのも、ちゃんと自分なのだ。 自分がいま、この手で紡ぎ出せないものを、 自分には、ちゃんとイメージする力がある。 私は、どんづまりの中で、そこに希望を見た。 いま、この手には絶望しても、 自分のこのイメージは信じられるな、と思う。 つくれないものをイメージできる。 イメージはどこからくるのだろうか? たくさん いい映画とか、芝居とか、音楽に触れたらできるのか? 先輩たちのいい仕事や、人間性に触れたからだろうか? でも、「あの人のあれ」をイメージしているのではない。 自分を駆り立てているのは、やっぱり、自分独自のものだ。 「あの人のあれ」なら既知だから、 それほど自分を駆り立てない。 未知で、独特で、自分でつくりだすしかないから、 こんなに駆り立てられるのだろう。 自分でできないと「無い」ものだから絶望するのだろう。 他人の水準なら、できなくてもそっちを見ればいい。 自分にダメ出しする自分に、まいる、という声をよく聞く。 とくに私のように編集者をやってから、 書き手にまわった人は、原稿を見る目の厳しさと、 自分の書くもののギャップに、まずやられる。 でもそう言った友人の歩みは今、着実だ。 「ここまでおいで」と 手招きする方の目が鍛えられているからだ。 ある人は、「おいでおいで」をする自分の域に 自分が行けないと気づいて、 人生最大の絶望を味わったという。 でも、わたしは、 決してその水準に行けないと絶望するときも、 いまの自分とそれほどまでに距離のある、 美しい水準を見てくれた自分に感謝し、歓んでいたい。 自分と距離がどんどん開いても、 先へ先へと旅立ってほしい。 かつてなく落ち込みが大きいときほど、 「おいでおいで」をする自分との距離が遠い。 ということは、 もう、いいものができる案外近くなのかもしれない。 今回は、そう思って、そこをもう少し進めた。 講演の原稿では、自己ベストが書けた。 |
Lesson144 金の自由 わたしの名前、ズーニーは、 カシミール語で「月」という意味だ。 北インドのカシミールを旅したとき、 地元の人につけられた。 そのとき一緒にいった友人は、 ソンドリ=金(きん)という名前をつけられた。 金さん、月さん、インドの旅。 金さんは、どことなく江角マキコをおもわせる、 りりしい感じの女性で、 金さんのことを、わたしの知人は、 「目がきれい。すいこまれそう。」と言った。 金さんと偶然、朝のバスで乗り合わせた知人は、 金さんの澄んだ目が放つ空気に圧倒されて、 ひとことも口がきけなかったという。 そこまでいうか? と金さんの瞳をみたら、 大きく澄んで、一点の曇りもない。 金さんと私は、同じ企業に勤め、 どういう偶然か、同じ2000年に辞めてしまった。 金さんは、会社で勤めていくことに はやくから疑問をもっていた。 当時、会社に骨を埋めてもいいとさえ思っていた私は、 金さんの相談にのりつつも、 どちらかといえば引き止める立場だった。 それが、まさか、私のほうが、2ヶ月はやく 会社を出て行くことになろうとは。 金さんは、向こうの学校で学んで教師になるのだと、 2000年夏に、サクラメントへ向けて旅立っていった。 行く前に、「映画『八月のクリスマス』がいいよ」 と何度か言っていた。わたしは受け流した。 私は泣かなかった。 2000年は別れの年だった。 長年勤めていた会社と別れ、 天職と信じた仕事と離れ、 長い間の仲間とお別れし、涙もかれはてた。 いま、まぶだちも行ってしまう。 サヨナラだけが人生だ。もう、どうとでもしてくれ。 金さんを見送ったあと、喪失感のなか、 ふらふらと、ビデオ屋に行っていた。 『八月のクリスマス』を借りていた。 観終わったあと、あたたかく切ない作品の力をかりて 私はやっと、金さんとお別れした悲しみに、泣けた。 友だちが海外へ行ってしまった。淋しい……。 3年経った。 金さんが、先日、ひょっこり日本に帰ってきた。 短い東京の滞在で、金さんが残していったものは、 ひとことで言えば、精神の自由さだ。 筆が立たぬゆえ、うまく伝えることができないが、 金さんといると、 一人の人間が自由であるというのは、 こんなにもいきいきと、 まわりの人まで解放するものかと思う。 金さんといると、心に自由の風が吹く。 金さんはどうしてこんなに自由なのか。 会社にいたころと比べ、私たちは多くを持っていない。 わたしも金さんも今は、とても質素な生活をしている。 金さんは学生だからなおさらだ。 金さんは、いま、心から向かう学問をしているが、 それがこの先仕事にどうむすびつくのかまだわからない。 渡米には、家族の理解も得られなかった。 それでも、一寸も、 だれに対しても引け目を感ずることもなく、 どこに行っても物怖じせず、かといって気負いもなく、 自分自身に胸をはって、しゃんとしている。 その姿に、気品さえ感じる。 私は、会社を辞めれば自由になるとか、 金が無い方が自由だとか、 そんなことが言いたいのではない。 私から見れば、地位も、お金も、才能も、 温かい家族も、なにもかもを手にしているような人が、 人にちょっとものを頼むにも、 必要以上にへつらったり媚びたり、 正しいことを言うのにも、びくびく、おどおどしたり、 少しのことで、根底から自信をなくし、 自分を卑下したり、自虐的になったりしているのをみると、 ひとつの疑問がわいてくるのだ。 いったいどうすれば、この小さな自分の身ひとつ、 胸を張って生きられるのだろうか? お金がないから胸を張れないという人は、 なら、いったい、いくらあったら胸を張れるのか? その金額に達しても、まだ胸を張れないのはなぜか? 成功したら胸を張れるという人が、 ひとつ成功を手にして、 よけい不安になっているのはなぜか? 人望があればという人は、 いったい何人の部下や後輩や、友から慕われれば、 自分に誇りがもてるのか? 小さな自分の身ひとつ胸を張って生きるために、 そんなに深遠な努力、たくさんのものが必要か? それはこの先何年もかかるようなことなのだろうか? それはもっと簡単なことではないか? いま、自分を自由にしてはやれないものか? 金さんは、 そんな「問い」を残して、また旅立っていった。 今度はいつ会えるのだろうか。 そのときまでには、 この「問い」に自分の答えを見つけていたい。 小さな自分の身ひとつ、 どうすれば胸を張って生きられるのか? |
Lesson145 恐い・コワイ・怖い 会社にいたころのこと。 上司とミーティングをしたあと、 席に戻ったわたしは、 その上司にメールを書こうとしていた。 ちょっと失礼な物言いをしてしまったので、 こわくなってきたのだ。 上司が気分を害していたらどうしよう……。 それで、「おせじ」というか、 「さっき上司が言われた、あの発言が心に触れ、 さすが! と思いました。 肝に銘じたいと思います。」 と、上司をもちあげるメールを書きはじめた。 次の瞬間、まてよ……と思った。 これって、「恐れ」を行動動機とすることじゃん。 本当にこんなこと思っているのか? あの発言は、 ほんとうに心に触れたのか?肝に刻むのか? ほんとに? 思ってもないことを、 なんで書こうとしているのかと問えば、 コワイからだ。 上司にきらわれるのがコワイ、 それで企画が通りにくくなるのがコワイ、 そして保身のためだけにものを書く。 書きかけたメールを全部消して思った。 「私は、こういうものを書いてはいけない。」 そして、このとき、かたく心に誓った。 「恐れを動機として、決してものを書くまい。」 吹けば飛ぶような日常のひとコマで観た、 自分の「小心」と「勇気」。 でも、これに気づくまで、 表現の根っこに動機があると、知ることからはじまって、 それに気づく方法とか、 文章技術をコツコツ積み上げて10年たっていた。 わたしは、ひと一倍臆病だ。 会社で、一度だけ倒れたことがある。 救急車が呼ばれ、連絡を聞いた母が故郷からかけつけた。 診察の結果、どこも悪くないことがわかっての帰り道、 わたしは、思わず弱音をもらした。 次の日は、私が行かなければどうにもならない、 体力的に、かなりヘビィなイベントがひかえていたのだ。 「明日、また、たおれたらどうしよう……。 延期してもらおうか。」 会社で、みんなの見ている前で倒れた恥かしさ。 倒れる瞬間の、あの暗く、血が下がっていく気分の悪さ。 そして何より、すぐれない体調に 私の何かが縮こまっていた。 母は、そんな私を心配し、いたわり、優しくしてくれる。 かと思ったら、次の言葉に、私は蹴っ飛ばされた。 「今日たおれたら、明日はたおれりゃあせん! そんなに毎日、毎日、たおれりゃあせん!」 人前で倒れたのがトラウマにならなかったのは、 このひと言のおかげだった。 「すべての心の傷がトラウマになるわけではない」、 心理学の人が言っていたのをなにかで聞いた。 次の日、わたしはりっぱに勤めを果たした。 「恐れ」を感じたときに、引っ込むか、進むか。 ひっこむとき、「悪いことはつづく」と考えがちだ。 でも、それは客観的に根拠のあることだろうか? そのとき私は25歳、25年間ではじめて倒れたのだから、 次の日はもう倒れない、 当分ないと考える方が確率だって高い。 何より母は、「……たらどうしよう」と、 恐れにとらわれ、 縮こまってしまう私の小心を蹴っ飛ばしたかったのだろう。 ほんの小さな「恐れ」でも、 それを動機にした一つの行動が、 次の連鎖を生み、 やがて、「恐れ」に硬く支配されてしまう。 戦中・戦後を生き抜いてきた母は、それを体で知っていた。 今日悪いことがあったら明日はない。そんなに毎日ない。 たんに勇気がでないだけなら、 勇気は出したほうがいい。 心底コワイのは、それをしたいからだ。 ふたたび、上司とミーティングをしたあとの会社の席で。 上司にお世辞のメールを書く時間が ひどくもったいないと思った私は、 パソコンをパタンと閉じて、企画書を出した。 「……たらどうしよう」で何かする暇があったら、 「面白い、力がつく小論文の教材をつくってやろう」で 企画を立てよう。 しっかりとした企画が立てられれば、 上司が通そうが通すまいが恐くないような気がした。 自分の気分を害されただけで、 企画を通さないような、そんな上司なら、恐くない。 企画を落とすなら、落とせ! そう思った瞬間に、 上司は、もともとそんな人ではなかったではないか、 という現実に気づいた。 気分屋のところはあっても、だれから見てもいい企画を、 これぐらいのことで落とすような、 そんな小さな人間ではない。 では、あのお世辞メールを書きはじめたとき、 現実にはいない、 なぜ、上司はあんな小さな人間に見えてしまったのか? 恐れが投影してみせたイリュージョン、 そのときの、私の姿だったのかもしれない。 |
Lesson146 普通の人 春の陽気にうつらうつら、夢を見たようだ。 夢の中で私は、 どうやら違う星の、病院にいた。 この星の人は、人間と何も変わりない。 でもただ一つ違うのは、 背中に翼があり、飛べるということだ。 みんな私を見て、口々に言った。 「かわいそうに」 「まあ、翼がない……かわいそうに」 冗談じゃない! と私は思った。 「私が生まれたところでは、 みんな翼なんかないけど、何も不自由なく暮らしてる!」 わたしは誇りをもって伝えたが、 みんなはそっと目をふせ、 わたしに、障害者手帳をわたした。 どうしてなのかわからなかった。 わたしはわたしで、以前と何一つ変わらない。 なのに、なんで、ここでは憐れまれなきゃなんないのか? 外に出てみてわかった。 この星の建物は、どれも超高層ビルぐらいの高さで、 入り口は、地上30メートルのところにある。 当然、階段もエレベーターもない。 みんな、飛んで出入りするから必要ないのだ。 家と家も、最低1キロは離れている。 スーパーは20キロ先にしかない。 タクシーも、地下鉄も、自転車の通れる道もない。 コンクリートにそびえ立つビルの はるか30メートル上方の入り口を見あげ、 私は途方にくれた。 すると、高校生くらいの女の子が来て、 私を「よいしょ」と抱えて、 入り口まで飛んで運んでくれた。 私より細い女の子は、 わたしのことが、とても重そうだった。 そんなふうにして、どこへ行くにも、人に抱えてもらい、 なにをするにも、人の世話になっていたら、 だんだん気持ちがしょんぼりしてきた。 「ああ、今日も、買い物にいかなきゃならない。 友だちに電話して、 運んでもらわなきゃならない、いやだなあ…」 と思ったところで目が覚めた。 「なんだ夢か」とほっとして、 2度寝してしまった。 また夢を見た。 夢の中で、私は村にいた。 この村の人は、みんな生まれつき視力がなく、 村から一歩も外へ出たことがない。 家も畑も道も、 視力がなくても自由に動けるようになっていて、 みんなしあわせにくらしていた。 ある日、1人のおばあさんが、 わたしに、心配そうに言った。 「山へ仕事に行った娘が、 今日で3日も帰ってこないんです」 それは、ご心配ですね、と山の方を見たら、 娘さんが、大きなカゴを背負って、 山を降りてくるのが見えた。 私は、おばあさんに、 「大丈夫、あと5分もしたら、娘さんは帰ってきますよ。」 おばあさんは 「え?どうしてそんなことがわかるんですか?!」 とすごくびっくりしたが、私が言ったとおり、 5分ほどして娘さんが帰ってきたことで、 もっともっと驚いた。 「どうしてわかったんですか?! あ、ありがとうございます! ありがとうございます!!」 おばあさんは私に手をあわせて拝んだ。 私は、そんなオーバーな、と笑いながら、言った。 「ふつうにただ、見えただけですから。」 その翌日、 今度はその娘さんの方が、恋の相談にあらわれた。 「私は、太郎さんのことが好きですが、 告白したほうがよいでしょうか。 二人はどうなるでしょうか」と。 私は、冗談じゃない、 占い師じゃないんだから、わかるもんか! と言おうとしたが、待てよ、と思った。 太郎さんといえば、他の女の子といるところを、 畑や、神社で、たびたび見かけた。 あれは、だれが見ても、 ラブラブのカップルだ。私は言った。 「残念ながら、 太郎さんにはもう、好きな人がいるみたいです。」 娘さんは、はじめ 「どうしてそんなことがわかるんですか?」と怒ったが、 私が「いや、実際に見たから」といったら、 やがてがっくり肩を落とした。 ほどなくして、太郎さんはやっぱり結婚した。 噂を聞いた人々が、 物を無くしたとか、体の調子が悪いとか、 次から次へと、私のところに来た。 そのたび、そんなもんわかるか、と思いながら、 ただ、見たままを正直に言っていたら 大評判になってしまった。 どうしてなのかわからなかった。 わたしはわたし、以前と何も変わらない。 なのになんで、 ここでは特別な能力とありがたがられるのか? おばあさんは、 あのまま待っていれば娘さんは帰ってきたし、 娘さんは、私に聞かず、 太郎さんに告白した方がよい想い出になったのにな…… と思ったところで目が覚めた。覚めて思った。 もしも、私の先行きを 100%正確に見通せる人がいたとしても、 私はその人に見てもらわないだろうと。 |
Lesson147 知りたかった答え 2000年5月17日にスタートした、 この「おとなの小論文教室。」は、 今週で、まる3年を迎え、来週から4年目に突入する。 ぜーんぶ、私の努力だと言ってみたかった。 けど、自分でやるとこまでやったら、 「もう、どうしようにも、こっから人の助けがいる!」 ってとこへ、何回もぶつかったから、 本当にわかる。 ありがとう。 読んでくれる、あなたがいなかったら、 私は、続けられなかった。 ほんとに、ありがとう。 ああ、もう! 涙腺、よわっ! かっこわる! では、今日もはりきって一つの「問い」を なげかけたいと思います。 「もしも、自分の行く末を 100%見通せる人がいたとして、 あなたは、その人に見てもらいたいですか?」 先週ラストのなげかけに、 読者の方から、こんなメールをいただいた。 …………………………………………………………………… 結末のわかったドラマを生きる私たち 人間本当に最後の結果だけは 100%分かっているよね。と思いました。 そう、死んじゃうのです。最後はね。 結末の分かったドラマみたいなものです。 それでも別に失望することもなく、 まるで結末を知らないかのごとく日々を送っているのです。 と考えると、100%行く末を見通せる人に聞いてみても 実はあまり意味が無いのではないかと思います。 では、聞くのか? いや、多分、私も聞きません。 それは、自分が体験したことしかリアルなこととして 捕らえられないし、納得は出来ないから……かな。 だから死んじゃうという明白な事実があっても、 それはリアルなことでは無いのかもしれません。 ともあれ、結果、全員死んじゃうとしても、 それまでに何をするのかだけは自分で決められます。 (Oguroさんからのメール) …………………………………………………………………… そうか!結果が知りたいわけじゃないんだ。 占いに群がる人も、実はそうなのかもな、とわたしは思った。 だって、ほんとうに結果がほしいだけなら、 調査会社に行くとか、医者にいくとか、 もっと確実な手段がある。 結果を聞きにいっているようで、結果が聞きたいわけではない。 じゃあ、何を求めていくのだろう? 読者のお一人から、こんなメールをいただいた。 ………………………………………………………………… 知りたかった答え あたしは、生まれて初めて、 人の携帯をこっそり覗き見しました。 最近の彼の動向がおかしい原因が見つかるかもしれない、 という思いと、 それは気のせいだろう、と信じたい両方の思いで、 メールを見ました。 結果は、残念でした。 メールの相手は女性で、 書くのも恥かしいような内容の文章や画像と、 いくつもありました。 実際のところはわかりませんが、 会う約束もしていたようでした。 あたしと同居してからもずっと続いていたこともわかりました。 がっかりした想いと、 裏切られたような気持ちと、 勝手に覗き見た罪悪感で、 あたしの頭は真っ白になりました。 真っ白のままで終わることができず、 そのくせ彼に、携帯を見たけど、なんなの?! とも言えず、なんとも言えない気持ちで泣けてきました。 どんどん自分が嫌な女になっていくのがわかるのに、 信用できない想いと、 不安な気持ちと、 若さに負けたようなみじめな感覚などで、 ますます真実を知りたいと思い始めました。 破滅へ向かっているような感じがしました。 相手を信用できなくなって、 疑うことが日常となったら、 もう一緒には暮せない。 ましてや、互いに仕事で離れる時期があった日には、 もう、不安で気が狂うに違いない、 そう思いました。 >もしも、私の先行きを >100%正確に見通せる人がいたとしても、 >私はその人に見てもらわないだろうと。 あたしもそうだな~と思いました。 そう強く思ったのは、 もしかしたら今の心境だったからかもしれません。 あたしにとって「見通せる人」は、 例えば、携帯の請求書を発行している 会社だったりするのかもしれないな~と思いました。 携帯電話自体かもしれないし、 彼のPCのメールかもしれない。 そこに真実があり、ある種、 あたしの行き先を占うことになりかねない。 嫉妬と疑惑のパワーを 「見通せる」ものに向けた時、 それは恐ろしいことになる。 (Nさんからのメール) …………………………………………………………………… 携帯を見たけれど、 ますます不安にかられ、 ますます先が見えなくなっているということは、 携帯の中にNさんのほしい答えはなかったということだ。 そこに、自分の知りたかった答えはない。 私もやたら、答えがほしかったことがある。 ここにコラムを書いて3年、 つい最近、人の評価を気にせず、 自分の書きたいものにまっすぐ向かえるようになった。 しかしそれまで、特に最初の2年は見苦しかった。 人に伝わるものが書けたときは、 ほうっておいても、いろんな人が反響をよせてくださり、 手ごたえを感じ、次の方向も見え、励まされ、と、 いいスパイラルになっていく。 ところが調子わるいと、さっぱりだ。 つまんないから、だれも、なにも言ってくれない。 引き潮のように周囲が引くのがわかる。 しーんと地球から取り残されたような闇の中で、不安になる。 いまでこそ、できの悪い原稿ほど、書き手としてはかわいい なんてことも思えるのだが、 そのころはもう、人の評価をまっすぐ受け取って、 まっすぐ自己否定して、不安の闇にまっ逆さまにはまっていった。 そんなときは、人から自分がどう見えるか、やたら気になった。 闇の中で、わたしは助けを呼んでいた。 「よくないなら、どこがよくないのか? ひと言でいいから聞かせてくれ!」 でもそのとき、もし、ネットコラムの鉄人みたいな人がいたとして、 100%正しい診断、助言をしてくれたとする。 「山田さんのコラムは、ここが問題です。 次から、このように書くようにしてごらんなさい。」 そのとおーりにやって、大成功したとする。 意味ねぇー! そんなの!!! ぜんぜん、かっこつけて言ってるのではなく、 そんな助言、わたしにとって、まったくリアルではない! それどころか、逆効果だ。自信喪失ルートへ一直線だ! 客観的で、相対的で、100%正しい助言であればあるほど、 絶対、そんなの欲しくねぇーー!!! と、3年たった今はわかる。 当時だったら、おいすがったかもな。 例えば、ちっちゃいことだけど、 連載当初、このコラムのボリュームは、 A4に換算して、7か8ページあった。 前回までの数回、気づけば3ページで書いていたことに ちょっとした感慨があった。 はじめは、縮めて、縮めても、 どーーしても、自分の力量では、言いたいことを言うために 7.8ページかかったのだ。 やがて、これが5ページで言えるようになって、 3ページで言えるようになった。 そこまでに、3年経っている。 昔のをみると、 自分でも「なげぇよ!」と突っ込みたくなるが、 その間、編集者の木村さんも、糸井さんも、読者も、 「もっと短くかいてみたら」 とだれも、一度も言わなかった。 そのことに、今、とても感謝している。 鉄人から見れば、無駄が多いのは一発でわかり、 どういう表現を削ったらいいか? 短くするにはどういう手法があるか、と助言できたろう。 しかし、どえらい字数で書いてみる、ということは 私がどうしても経なければならないプロセスだったし、 短く書くのに3年、というのも 私にとって必要な時間だった。 この途中でアドバイスを受けても、 本来の成長にはならなかったし、 自分自身の感覚として何かをつかむには至らなかったろう。 結果、同じことだったとしても、 自分の感覚でつかめたという納得感、自信、 3年の間に培われた習慣性、手ごたえ、 そのひとつひとつが私にとっての「リアル」だ。 鉄人にあって、3年を1年に短縮できたとしても、 身に刻まれた習性は浅く、 それは自分で編み出した感覚ではないから、 あとで、 「あのとき鉄人に逢えなかったらどうなっていたか?」 と結局、人をあてにし、 その先も人をあてにすることになる。 そこにはもう、失敗をする自由さえない。 リアルと言えば、私にとって、 読者の方からいただいたメールに返事を書いている 時間も、とてもリアルだ。 マスにむかってだけど、 ひとり「あなた」に届けと願ってコラムを書く。 すると、 ほんとうに個人の言葉になってメールが返ってくる。 私の言葉が、ひとりの人に、どう響いて、 それで、こんなメールが来ているのだな、と実感する。 それに私がまた、返事を書いていく過程で、じわっと、 通じあってるな、と想う。 このコラムがいつ終わるとか、 このコラムをがんばって書いていけば、 こんないいことがありますよとか、 そんな予言を100%の的中率でできる人がいても 私にとって、そんなのぜんぜんリアルじゃないのだ。 コラムを書いて、その先どうしよう、こうしよう、 なんてことでは、全然ないからだ。 これを書くことはなんかの手段じゃない。 書いている行為自体が目的だし、 いただいたメールに返事を書いている時間にこそ、 わたしにとってのリアルがある。 そして、連載当初の不安の中で 私が本当に知りたかった答えは、 3年間を通じて、 いま、この身に刻まれているような気がして しょうがないのだ。 答えを探し、実際確かめてみたら、 なんか自分が求めていたものと違っていた、 という経験、あなたは、ありませんか? そのとき、あなたが本当に知りたかった答えは、 何だったんだろう? あなたにとって、なにがリアルだろうか? |
Lesson148 ごめんの向こう側 人の心を傷つけてしまった……。 ってこれ、自分が傷つくより痛い。 わたしも、しょっちゅう。 いっぺん、でっかいのをやったことがある。 そのときは、岡山弁でいうところの、 「うちが、でぇれぇ、わりぃ~!(私がとても悪い)」 という感じで、もう、心血だらけ。 それ、自分でひっかきまわしてかさぶたになってるから、 もう、だれの、どんな言葉も、心に入ってこなかった。 そのとき、ほんとにたった1曲だけ、 かさぶたを通過して心に入ってくる歌があった。 矢野顕子さんの[The Stew]という曲で、 歌詞を書けないのが残念だけど (ジャスラックさん恐いです) 主人公の、たぶん誰かに深く傷つけられた少年が、 こんな意味のことを言うのだ。 「わたしの傷を見るな、わたしに謝るな。」 え? と聴きなおした。ふつう、 わたしの傷を見ろ! わたしに謝れ! だ。 ちまたのケンカでも、 「ほら! ちゃんとこっち(私)を見なさいよ! わたしは、あなたのせいで、 こんなに、こんなに深―く傷ついたのよ! あやまってよ! 何とか言ってよ!」 こんなシーンで、もし自分が傷つけてしまった相手から、 「謝るな!」 といわれたら、「お、とっと、と…?」となる。 この歌が、人の心を傷つけてしまった自分の心に、 どうしてこんなに染みたのか、 実のところ、いまでも理屈で説明できない。 それでも、心から血を出し痛んでいたわたしの身体は、 この言葉の意味をよーくわかっていたような気がする。 まわり全部がうそっぱちと崩れていくなかで、 (そりゃあそうだ、自分で自分がうそっぱちじゃねぇか! と信じられなくなっているのだから) この言葉だけがやけに身体に染みとおり、 リピートをかけて何百回となく聞いていた。 最初は、この歌詞のところにくると、 自分が傷つけてしまった人のことを想い、 ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が畳に落ちた。 やがて、からだの芯に力が宿った。 2年はかかったなあ。 それでも、これからもまた、 やむなく人の心を傷つけて、自分がやんなって、 こうして自分は生きていくんだろうなあ、と思う。 人も自然の一部としたら、 自分の中から突き上がってくる感情とか、 どうしようもなかった人と人の出会いとか、 組み合わせとかの前に、 勉強とか、道徳とか、自分でどうにかできることは 限られてるような気がする。 それでも、そんな吹けばとぶような自分の手の中に、 吹けばとぶくらいの自由はある。 自分が傷つけられたとき、 憎悪や攻撃にあって、嫌な想いをさせられたとき、 自分の手に小さい自由が宿る。 自分が傷ついた。 でも、「だから、相手を傷つけていい」かどうかは別だ。 さらに、 自分はひどい傷つけられ方をしたのだから、 少々相手を傷つけてもいい。ということと、 だから、「自分が相手を傷つけたい」のかどうかは、 ぜんぜん別ものだと思う。 自分はほんとうに憎悪に憎悪をかえしたいのか? ほんとに、ここで 相手を傷つけるという行き方を選びたいのか? と考えて、 傷つけられても傷つけ返さないくらいの自由はある。 私は、きれいごとを言っているんじゃない。 何がきれいと思うかを、自分で選ぶ自由のことを 言っているのだ。 成城の街を散歩していたら、 どこもかしこも、判で押したように、ベンツに乗っている。 お金持ちになったら、 ベンツに乗らねばならないのだろうか? お金持ちになるほど、安い車からベンツまで、 自分の好きに選ぶ自由がひろがっていっていいはずだ。 同じように、ひどい傷つけられ方をした人は、 もうどんなに相手を責めてもいいと言えるけど、 責めねばならないわけじゃない。 だからこそ、自分はどんな行き方が美しいと思うか? 憎悪に憎悪をかえして、 やたら憎悪を増幅させていくような 行き方が好きじゃないなら、 その悪循環を自分で断つ自由も、 なにかまた別の行き方なり、 別の相手との関係をつくっていく自由も、 まだ残されている。 傷を負い、腹立たしさにうち震える中での選択だから、 寿司の松・竹・梅を選ぶようなわけにはいかず、 並み以下の限られた範囲の選択かもしれない。 それでも自由は自由。自分を傷つけた相手に何を返すか、 せめて自分の思う美しいで行かせてもらうよ、 と胸をはりたい。 加害意識と被害意識にがんじがらめになって、 身動きとれなくなってしまっていた私は、 「傷を見るな、謝るな」と言う言葉に、 それでもまだ、自分の美意識に応じて、 失わない自由な精神を、見ていたのかもしれない。 |
Lesson149 たった3円の意志 人は、どんなに、どんなに、 追いつめられた状況でも、 それでも、やっぱり、何か選ぶ余地がある。 たとえば、お財布にたった3円しかなくなっても、 まだ、その使い道に選択の余地があるように。 それでも、まだ、選んで生きなければならないとも言えるし、 それでも、まだ、選べるんだ、とも言える。 人によっては、その3円の中から、 まだ1円は、寄付したいと思うかもしれない。 3円分だけ米をくれと、 お米屋さんに掛け合うかもしれない。 固く握り締めて、使わないかもしれない。 3円分だけ聴かせてくれと、 好きな路上ミュージシャンのそばで、 じっと耳を澄ませ、夜空を見上げるかもしれない。 選ぶということは、やはり、意志であり、 自由のかけらではないか? 見たくもないテレビをだらだらと見て、 なにもできないまま、一日が終わってしまう。 こんなとき私は、 テレビを見てるんじゃない、 見させられているんだ、と思う。 そして、くやしい。 それなら、せめて自分の意志で、 このくだらない番組を観よう、と決めてから観たい。 今日は一日だらだらしようと、 自分で決めて、だらだらしたい。 結果は同じじゃないか、と言われても、 やっぱり自分で選びたい。 「決めない」ということさえも、 自分の意志で決められるし、 流される時も、 「ここは流されよう」と決めることができる。 なにを選べるか? ということより、 何を選んだか? どうしたか? ということより、 選んだかどうか? が尊い。 人には、ずっとやってきた習慣があり、 好みがあり、感覚があり、短くても歴史があり、 そこから、どうしようもなく 人とはちがった選択が生じる。 選ぶということは考えることで、 考えることは、自分に問うことで、 選択がその人の意志になる。 なら、ほんのちょっとでも、まだ選べるうちは、 選びに選び、自分の好きに決めてやれ、と私は思う。 一日、23時間55分を、 だめにだらしなく生きてしまったからといって、 あと5分、どう生きるかを選んじゃいけないわけじゃない。 あと5分、どう過ごすか? それでも、まだ、選ぶ余地はある。 もう落ち込むしかないと思っても、 せめて風呂に入って、 こざっぱりしてから、落ち込んでやれ、と思うか。 どうせなら、 ビール片手に明日のことを考えてやれ、と思うか。 それでも、まだ、人とつながって生きる道を探したい、 とメールを書くか。 仕事で99%、 自分の意志が反映できないシーンでも、 それでも残る1%、 何を選ぶか? 何を付け加えるか? 何を見つけられるか? 選んだものが、私になる。 今日を、これからどうするか? 選択肢がひとつだってかまわない。 立派な選択じゃなかろうが、かまわない。 失敗したってかまわない。 選んだということが、自分の意志である。 |
Lesson150 私がいいかいけないかそれが問題でなく 人から責められたときって、 二通りの心理が働く。 ひとつは、自己弁護。 私は、そんな人間じゃない。 ちゃんと考えて、こんなにがんばってやってるのに。 「あたしは悪くない!」という心理。 もうひとつは、自己嫌悪。 私ってなんでこうなんだろう! みんなに迷惑をかけて、自分で自分がイヤになる。 「ぜんぶあたしが悪いのよ!」という心理。 この二つは、正反対のようだけど、 自分に意識が集中している点で似ている。 この二つは、同じ「問い」から成っている。 「争点について、あたしはいいか? いけないか?」 だから私自身、たいてい、このどっちかではなくて、 この両方で、一人舞台を繰り広げることになる。 「あたしは悪くない!」 と突っぱねるそばから、良心を痛め、 「ぜんぶあたしが悪いのよ!」と言ってみては、 どっかで自分は悪くないというおもいがこみあげる。 ぎったん、ばったん、ああでもなくこうでもなく、 とやっている。あげく、いつも、感覚的に、 「ここ突っ込んでも出口ないやろ」と気づかされる。 いいかげんに学習せねば! けっこうやっかいなのが、 この問いについて、どっちの立場を選んでも、 度がすぎれば、結局、相手を責めていることだ。 だって、相手は私の非を責めてんだから、 「あたしは悪くない!」を言い過ぎれば、 「あんたがまちがってんのよ!」になり、 「ぜんぶあたしが悪いのよ!」を言い過ぎれば、 「あんたがこんなにあたしを落ち込ませてんのよ!」 になる。 自分もぎったん、相手もばったん、 もつれにもつれて、いきなり、 「私たち合わないんだわ、さよなら」となる。はやっ! でもこれ、相性の問題か? 赤の他人同士が出会って、 せっかくぶつかれるところまで近づけたのに、 それじゃ、気持ちの持久力なさすぎのような気もする。 もったいなくない? (エコー: なくない? なくない?……) 自己評価が低いとされる日本人だからなのか、 どうも、自罰的な人が多いように思う。 自分を裁くか? 相手を裁くか? しかないんだろうか。 昔から、人は、おなじような状況で、 おなじような人間関係にもつれ、 おなじように悩んでいる。 いいかげん学習しないのか? はっ、このフレーズ! そうこれは、先週観た演劇のパンフレットの言葉。 先週私は、美大の学生さんたちによる芝居を観にいった。 映像演劇科の3年生であり、「ほぼ日」の読者でもあり、 友人でもある、脚本を書いた千恵さんは、こう書いていた。 「いつの時代でも、 同じような人がいて、 同じような関係性が生まれ、 同じように人は悩む。」 その普遍性は果てしなく恐ろしい、と。 その芝居は、普遍の悩みを描いた大作「ハムレット」を、 現代の目からとらえたもので、タイトルを 「生か死かそれが問題でなく。」という。 ハムレットには、生か死か、それが問題だった。 でも、わたしたちは、いま、 「生きるか死ぬか、それが問題ではない」 時代を生きている。 たとえば、 人の関係性も、 そこから生じる人間普遍の悩みのパターンも、 豊富な種類が集められ、 それぞれにシミュレーションしつくされ、 カタログとして見せつけられてしまったら、どうだろう? 千恵さんの言葉はつづく、 「現代は、その普遍性が その種類も量も一度に閲覧できてしまうほど、 自分の外側からの情報が充実している。 この中で自分が生きることは、 既存のパターンを選択するだけなのだろうか……? すべてが一覧になった世の中をどんな指針で生きるのか? 現代の私たちがスタートする地点は、自分次第、 つまり自分の中の可能性を自分が形にしていくこと、 それ次第なのでしょう。 私も含めたくさんの人が過去のパターンからでなく、 自分の可能性から 自分を形成するようになって欲しいと思う。」 生か死かそれが問題でなく、 と私は、繰り返してみた。 私は、古来えんえんと繰り広げられてきた関係性の中で、 古来えんえんと繰り広げられてきた悩みを悩んでいる。 ハムレットさんと違うのは、 データやマニュアルがたくさんあることだ。 生きるべきか? 一歩踏み出そうとすれば、だれかが、 「それは、もう、シミュレーション済みですよ。 統計から行って、効率の悪いやり方です。 このような傾向には、こう対策するのがいいのです。」 死ぬべきか? きびすを返せば、だれかが、 「それは、もう、シミュレーション済みですよ。 これが先輩たちの体験談集です。ま、 後悔しない進路選択、ベスト3はこれになります。」 すでに出尽くしたパターンの一覧から選ぶしか うちらにはないんだろうか? それでも今日、 こんなありふれた小さな、人との衝突にさえ、 出口を見つけられない自分がいる。 「あたしが正しいか? 悪いか?」 それが問題ではなく、 「あたしが悪いか? 相手が悪いか?」 それが問題ではなく、 そこに、カタログから、 どれかのパターンを選んではめこんでも、 両者の納得感という、要のパーツは埋らない。 「あたしが正しいか? 悪いか?」 それが問題ではなく、 「あたしが悪いか? 相手が悪いか?」 それが問題ではなく、 じゃあ、何が問題なのか? それを考えるのが、既存のパターンに陥らず、 自分の内面に応じた可能性を、 自分から打ち出していくことなんじゃないかと思う。 人間関係は、考えすぎてはいけないとか、 考えてもどうにもならないとか、よく言われる。 たしかに考えて どうにもならないことが多すぎる世の中だ。 「人がものを考える技術のサポート」という 小論文の仕事をするようになって、 たびたび私は、考えるということの無力感に襲われる。 人には、心や想いがある。 でも、自分の内面を知るには、 繰り返し、繰り返し、自分に「問い」かけること、 そのために、有効な「問い」を見つけていくことが 必要なんだと私は思う。 それが、やっぱり、考えるという作業なのだ。 「あたしがいいか? 悪いか?」 同じような出口のない悩みに躓くとき、 一つ言えるのは、やはり、 これまでと同じパターンの「問い」を握り締めている。 既存のパターンから脱却するには、 じゃあ何が問題なのか? 問いを探し、試し、人との関わりの中で、 自分の、新しい問いを 発見していくことではないだろうか? 「あたしが正しいか? 悪いか?」 それが問題ではないとき、 争点となっていることについて、 今現在、自分はどんな価値観をもっているか? これから未来に向けてどうしていきたいか? 「あたしが悪いか?相手が悪いか?」 それが問題ではないとき、 衝突が起こる以前の日常で、 知らずに相手を追い込むようなことをしていなかったか? 自分は、知らず知らずストレスを抱え込むような回路に 自分を追い込んでいなかったか? どうすれば問題を解決できるのか? たとえばそんなふうに、繰り返し繰り返し、 新しい角度からの問いを見つけようと挑むことで、 自分の可能性を試し、 外と関わっていけるんじゃないだろうか? 毎度、似たような出口がない問題に行き当たるとき、 同じ出口のない問いを抱えていたなと気づいたとき、 では、何が問題なんだろう? 新しい「問い」を発見するチャンスなんだと思う。 |
Lesson151 悩みはありきたり、実現は無限 「いつの時代でも、同じような人がいて、 同じような関係性が生まれ、同じように人は悩む」 この美大生の言葉を糸口にした先週のコラムに、 読者の方からこんなおたよりをいただいた。 <悩みはありきたり、実現は無限> セラピーの仕事を通じて感じているのは、 人の悩みのパターンは10通りもないんじゃないか? ということです。 本当に同じような反応をしてしまう。 人間は反射的にパターンを繰り返すように作られている 存在なのでしょうね。 ところが、癒されて、ストレスが解放されると 人は、無限の可能性を発揮します。 人によって千差万別。選ぶ未来が違うのです。 想像する未来がバラエティ豊かなのです。 「なんで私が悪いのだろうか?」 という問いに、似たような答えが帰ってくるでしょう。 「どうしたらできるのだろうか?」 という問いには、みんな違う答えが帰ってくるでしょう。 良い、悪いって論じている時は、自分に対して 答えをださない言い訳にすぎないのかもしれませんね。 (まあちゃん) がーーーーん! これを読んだ朝から、ものすごくショックを受けた。 目の前が「明るく」なるショックだった。 興奮さめやらぬうち、もう1通おたよりが届いた。 <前のめりの解決、原因は後から> 私は根が単純なせいか、 何かピンチやよくないことがあったときに、 原因は分かれば参考程度にし、 どうしたら解決できるのか、前へ進めるのか、 を考えることが多いです。 原因追究の暇もなくて、極端な話、 物事が済んでから原因がわかることもあります。 (しげ) まず原因究明ありき、だと、 原因に一番近いとこに、「人」がいる。 それが、自分であっても、他人であっても、 この、「人」の感情に触ってしまう。 感情的な抵抗にあい、それによってまた感情的な抵抗がわき、 どこへいきたいのか、 がわからなくなってしまうと、しげさんは言う。 この順番すごく、しっくりくる。 わたしは、この3年、かなり「ものを書く生活」だった。 読んだ人からでも、編集者さんからでも、 まず批判ありき、まず原因究明ありきのダメ出しは、 私を育てなかった。 あるとき、とても素直に聞けた「赤入れ」があった。 原稿が直され、わたしの欠点が指摘されているというのに、 わたしは、身体が調律され、 心地良い調べを奏ではじめる予感のような、 芯から気持ちよい気分になった。 なぜだろうか? その編集者さんには、一冊の完全なビジョンがあったからだ。 この一冊をどうしたいか? 「それを山田さんに押し付ける気持ちはまったくないが、 編集者として、私なら、この一冊をこう編み上げたい。」 という明確な意志、本の最終形を完璧に自分の中に持っていた。 その上で、そのビジョンを「サンドバック」だと私に差し出した。 「どうとでもこれをたたき、踏み越えて行ってください」と。 だから、私もとても自由になれた。 そうか、 まず原因究明ありきのやり方だと、 ビジョンがないまま「人」を批判することになる。 それが問題なのだ。 必要なのは、明確なビジョン。 今から未来に向け自分はどうしたいか? つまり「意志」、だ。 もう1通、読者のメールを読んでほしい。 読む人によっては誤解されることもあるかと思ったが、 読む人の理解力を信じて、来たままを載せてみる。 <「人間関係」とは、ツールに過ぎない> 「人間関係」とは、ツールに過ぎないのでは。 何かを成し遂げる為の道具の一つに過ぎないのでは。 しかし、「人間関係」はツールであっても、 「人間」はツールではない、決して。 「人間関係」とは、 「何か」の為に集ったヒト々々が 「人間」のある一面を、その目的の為に拠出して、 出来たモノに過ぎない。 「人間関係」が問題になるということは、 ツール、手段に過ぎないものが 目的化してしまっているからだろう。 そして、「人間関係」と「人間」の混同が より、問題を複雑にしてしまう。 「人間関係」の在り方がおかしいのであって、 それに関わる「人間」がおかしいのではない。 但、「人間関係」は一人では造れないので、 例え自分が平静でもおかしくなる可能性を 「人間関係」は常に秘めている。 しかし、第三者的、 全知全能のジャッジマンが存在しないかぎり その白黒に時間を取られるのは、不毛だ。 目的に向かって、進んでいるのであれば、別にイイではないか。 「人間関係」がおかしくなっていても。 やっぱり、いつもと同じ結論。 「己のベクトルをよりクリアにするしかない。」 (森 智貴) これを読んで、反射的に想い出したのは、 ピカソだ。 ピカソは、青の絵の具がないとき、 平然と赤の絵の具で代用した。 ピカソは、自分が何を描きたいか、 恐るべき、激しいビジョンを持っていて、 決して自分のビジョンに足踏みしない。 色は手段に過ぎない、目的ではない。 ビジョンというか、自分がどこへ行きたいか明確に 見えている人はこんなにも自由なんだ、と、 わたしは、その巨大な自由に打ちひしがれた。 さらにピカソはこう言う。 「私は、すべてのものを好き勝手に画面に置く。 果物の籠とあわないからといって 好きな金髪娘を画面からオミットするような絵描き、 あるいはまた絨毯と調子が合うために、 好きでもない林檎を常に描かねばならないというような 絵描きの運命は何と惨めなものだろう。 私は気に入ったものは全部、 絵の中に描き入れる。 描かれたものには気の毒だが、 互いによろしくやってもらう他はない。」 (『青春ピカソ』岡本太郎著から) 人の関係というものは、 キャンパスの中に置かれてしまった、 金髪娘や、馬や、カーテンの関係 のようなものかもしれない。 わたしたちは、好むと好まざるとに関わらず、 ピカソの手で、このキャンパスに刻まれてしまった。 好きな奴、きらいな奴、さまざまにキャンパスに描かれ、 あとは、めいめいに、よろしくやってもらう他はない、 のかもしれない。 「描かれたものには気の毒だが、 互いによろしくやってもらう他はない。」 悩みはありきたり、実現は無限 悩みよりも、人間関係よりも、 それよりも、何よりも、 あなたがゆずれないものは? |
Lesson152 小論文って何? 今日は、いつもと趣向を変えて、 そろそろ小論文入試対策をはじめる受験生、 論文・レポート・就職活動にがんばる人のために、 いまさら聞けない基礎のキソ、 「小論文」とは何かをお話ししましょう。 そもそも「小論文」って何でしょうか? 小論文とは、 あなたがいちばん言いたいこと(=意見)をはっきりさせ、 なぜ、そう言えるか? 理由を筋道立てて説明し、 読み手を説得する文章です。 「意見と理由」、と覚えてください。 ここまで読んだら、大事なことなので、 もう一度、上の5行を読み返してください。 小論文でいちばん大切なのは、あなたの「意見」です。 なげかけられた「問い」に対し、 あなた自身の頭で考えて、 あなたの「答え」を出すことです。 なげかけられた「問い」が何かは、 与えられた設問や資料をよく読んで、 はっきりさせておきます。 入試問題では、例えば、 ・携帯電話は人間関係に どんな影響をおよぼすとあなたは考えるか? のような問いがあります。 これが、文章全体を貫く問い=「論点」になります。 この「問い」に対して、あなたは、 自分の「答え」を打ち出し、 読み手に、なぜ、そう言えるか、 「理由」を筋道立てて説明していけばいいのです。 問いと、答えと、その理由、 で小論文はできあがっています。 すこしややこしくなったので、図で整理しておきましょう。 ![]() 論点に対する、自分の意見と、その理由、 これが小論文です。 何より、読む人にわかりやすいこと。 読み手が「なるほど!」と納得したら、 そこが小論文のゴールです。 |
Lesson153 優しさの芽生え 私は、ここにコラムを書いて3年になる。 ここへきて、浮上している疑問は、 批判は人を育てないのではないか? ということだ。いまも迷っている。 企業で編集をしていたころ、 読者にものすごい量のアンケートを取ったり、 こちらから読者に直接ヒアリングしていた。 そこで、読者から受ける「批判」は、 痛いけれど、仕事を伸ばしていくのに必要不可欠のものだ。 それは、今でも必要だと思う。 で、それを、人間にもあてはめて、 「批判」は必要だ。自分にも、人にも。 自分では気づくことのできない自分のゆがみを 他人の目から指摘してもらえる。 私は、そう思っていた。 だから、ここにコラムを書きはじめるとき、 「どんなひどいメールがきても、 必ず私に転送してください。」とお願いした。 覚悟の上で、自分をとりまく現実を引き受けようと思った。 実際はじまってみたら、 非常に数は少ないが、批判メールはごくたまにあった。 メールボックスを開けたとたんに、 ずん、と、自分の体の中に、 鉛のインクが広がる。 このいやな感じは、3年たった今も慣れない。 最初のころは、丸一日、悔しさが消えず、涙も出てきた。 しかし、私は、自分でもおかしいほど、 批判メールから逃げないで、目をそらさないで、 真っ正直に向かい合っていたと思う。 それは、身体に感じる、この鉛色の痛みが、 何か自分を成長させてくれるに違いない。 という信念があったからだと思う。 このとき、プロの作家さんから 「気にするな」というアドバイスを何度もいただいたが 実験精神旺盛な私は、自分で試すまで、 耳をかさなかった。 まだ鮮血がにじむ傷口に、塩を刷り込むように、 なぜ、この人の言っていることに自分は腹が立つか、 と考えたり、 それは、自分のどのような欠点からくるか、 どう改めるべきか、と、ほんとうに真面目に考えた。 3周年がきたとき、 ふと、頭に次の問いが浮かんだ。 はたして批判メールは、私を育てたか? 答えは、NOだった。 拍子抜けするくらい、何も生んでいない。 これは、自分にとって予想外の結果だった。 そして、これを書くと反発する人は多いと思うが、 批判メールの内容は、ほんとうにつまらなかった。 これを言うのに3年かかった。 つまらないと言えば、大半の人は、 私が、自分の欠点や現実から逃げるために、 自分への批判をダウンサイズしていると思うだろう。 でもそうではない。ほんとにそうでなく。 あとから考えると、誤読だったり、 視野が狭かったり、一方的だったり、 論点が平板だったり、根拠がなかったり。 どうして、こういうメールに、 長時間、まじめにとっくみあったのか、と思う。 それは、時間の無駄ですむロスではなかった。 いやなストレスを溜め込むし、 せっかくよい問題提起のあるメールをくださっている読者と はればれと向かい合えない。 つまり、今日を生きるのに遅れる。 もっともロスだとおもったのが、 数日間、「自信」を失うこと。 これが本当にロスだった。 その間、新しいアイデアを積極的に試していこう という勇気が縮こまるし、 感情的な抵抗があって、 みずみずしい発想自体がわいてこない。 私にとって、この3年間、 批判メールは、不毛な、しかし、とても嫌な感情的抵抗を 生み、アイデアを停滞させ、行動力を鈍らせただけだった。 批判メールを送った人が悪いのでなく、 それで成長をという甘い期待を抱いた自分が 何か決定的に勘違いをしていたように思う。 自分を塗り変えるほどの批判は、 やはり苦労して、自ら求めないと得られないのではないか? (ここで言う「批判メール」とは、 事実の間違いなどの「訂正」は含まない。 私は別の考えをもっているという「異論」も含まない。 また、アンケートなど、相手の求めに応じ、 互いの「了解」のもとに行われる批判は含まない) 一方で、テーマに対する、その人自身の経験・ 見方・考えを書いたメールは、 多様で、次のコラムのアイデアを生んだり、 実際、このコラムに何度も読者メールを 掲載しているので、それが、どんなに面白いかは 言うまでもない。 本当に自信を失い、 もうあと一押しで、私がつぶれる、というとき、決まって、 あたたかいメールが ひょいと1通きて、 その1通で先につなげてもらってここまできた。 優しさは、多くを生み、多くを育てた。 わたしは、いままで、 言いにくいことでも、ずばっと言ってあげることが、 相手の成長にとって必要だと思ってきた。 ある種、自分が憎まれ役になってでも 相手のためにとがんばっていたところがあった。 それが、ここへきて揺らいでいる。 相手の成長のためと、きついことを言っていた自分は 「なに様」だったんだとさえ思えてくる。 そう思う理由が二つある。 ひとつは、私が、企業という組織をやめ、 いま、個人で仕事をしていることも関係していると思う。 ただでさえ、今、生きてく上での選択を なにもかも、「個人」が背負わなくてはいけない時代だ。 その上、仕事上のすべての選択と責任も、自分個人に のしかかってくる。 何が正しいのか? 何が間違っているのか? みんな、揺らぎ、試し、失敗しながら、進んでいる。 こういうとき、新しいアイデアを実行していく勇気ある人を 励まさないと、結局自分も、ゆきづまる。 そして、人間である以上、 永遠の右肩あがりというのはありえない。 一ついいアイデアを出した人が、次は、ひどいのを 3つ続けて出すかもしれない。 でも、ひどいアイデアでも、その人が、出して、出して、 出し切って、でないと次に進めないし、 進んでもらわないと、結局はみんなも困る。 その人は4つ目にいいアイデアを出すかもしれない。 しかし、3つの悪いアイデアのときに、 みんながコテンパンにやって、 その人の自信を潰してしまったら、次はない。 そして、もうひとつ、批判は結構だれにでもできる のではないか? ということ。自分がしなくても。 批判がたやすくないというのは、それによって 相手から嫌われたりする、心情面、人間関係のことだろう。 批判的に観ること自体は、易しい。 まるい円のようなものを想像して、 相手に足りないものを指摘すればよいのだ。 相手が、明るさが大切と言えば、 いいや、暗さも大切だ、と言えばいい。 明らかに、まちがっているものに、批判、 面白くないものに、つまらん、 自分と違うものに、自分は違うぞ、 と思う発想自体は、そんなに新鮮なことではない。 言うのに勇気がいるだけで、 もしかしたら、こどもでもだれでも、思うことで、 放っておいてもいつか気づくかもしれない。 本人も、うすうす、気づいているかもしれない。 しかし、「優しさ」を示そうとすれば、 かなり、高度な発想力が求められると思う。 自分と違うものに→ちがう、ではなく優しさを、 間違っているものに→批判、ではなく優しさを、 示そうと思ったら、いくつかの発想がいる。経験もいる。 批判する人が気づくことは、当然気づいていて、その先、 相手は、なぜ、こんな間違ったことをしているのかとか、 そのことが自分たちにどういう意味をもっているかとか。 そして今、欠点が目立ったり、 問題がある相手を、 未来に向かってどう生かすか、 というビジョンが求められる。 批判しなきゃ、相手は間違いに気づけないじゃないか! という意見は当然あると思う。でも 言いにくいことを ズバッと指摘してやったら相手が育つとか、 人を生かすとは、そんな単純なことではないように思う。 批判しなくても、 現実はこんなに厳しく日々人を打ってくれている。 厳しくやってきた自分が揺らいでいる。 「優しさ」こそ、いま、 人を生かすのに有効ではないだろうか? |
Lesson154 読者という神からの自立 なんだか、仰々しいタイトルをつけてしまった、 だが、うそのない想いだ。 「山田さんほど読者のことを考えていた人はいない。」 とは、わたしが、 16年近く編集者として勤めた会社を辞めるとき、 同僚からいただいた言葉だった。 これが、過分なお世辞であったにしろ、 宗教を持たない私にとって、 「読者」は、長い間、神さまに最も近い存在だった。 友だちに、敬虔なクリスチャンがいて、 彼女の話す「神」が、私はなかなかイメージできない。 でも、なんとか彼女をわかりたくて、 邪道なのだろうが、私は、知らず知らず 「読者」と置き換えて考えるようになっていた。 たとえば、彼女が、「天に宝を積む」と言えば、 わたしは、自分の経験を いつか「読者に還元する」と置き換えると実感がわく。 人が見ていないところでも、 わたしが悪事に走らないのは、いつからか、 「もしも、ここに読者がいたとして、見ていたとしたら、 私はこれをやるか?」 というのが、ひとつの行動規範になっていたからだ。 読者に恥じないように、と思っていた結果、 仰いで天に、伏して地に恥じない生活を送ってこれた。 だから、先週のコラムで、 たとえ出口のない批判メールであったとしても、 読者の方がくださったものを「つまらない」と 言うことは、非常に勇気がいった。 ほぼ日編集部へのメールに原稿を添付してからも 送信ボタンを押すかどうか、まだ迷った。 最近は、とんと使わない言葉だが、 久々に「ばちがあたるのではないか」という 子どものころ恐れた感覚がよみがえってきた。 たぶん、ずっと親の言いなりになってきた人が、 はじめて親の意に反することをするとか、 ずっと先生はまちがわないと思ってきた小学生が、 はじめて、黒板に先生の間違いを見つけてしまって おそるおそる先生に告げるとき、 こんな感覚におそわれるのだろう。 私は、編集の中でも、 もっとも校閲の厳しい教育畑に育った。 複数の目から原稿を吟味して、 予め問題の起きそうなところを想定したり、 そこに予防線を張ったり、 表現をやわらげたりすることは、よく訓練されている。 だから前回の原稿も、批判を避ける手立てはあった。 例えば、主題になっている。 「批判と優しさ」をどのように表現するか? もっともとんがった言い方は、 「批判なんてもういらない! 優しさだけが人を育てる」 だ。これだと批判はいくらでもできる。 ↓ 少し、柔らかい表現をするとこうなる。 「批判よりも、優しさの方が人を育てる」 ↓ そして、批判がこないことだけを考えると、こうなる。 「人が育つのには優しさが大事。 でも批判ももちろん大事だ。」 読み比べるとわかるように、 どんどん予防線を張り、表現をやわらげていくと。 「あれもいいけど、これもいい、結局何でもいい」 という表現になってくる。 でも、そんなこと、わざわざ書く意味があるの? わざわざ読む意味があるの? ということになってしまう。 表現は、自分の「決め」を入れるほど意味が出る代わりに あたりさわりが出てくる。 そして、 「決め」を入れずに逃げることはいくらでもできるが、 あたりさわりがなくなる代わりに、 書く意味、読む意味を失ってしまう。 この無段階にある表現の中で、 今の自分にうそのない、そしてささやかでも意味のある 発信をしていかなければならない。 わたしは、最終的に、 「批判は人を育てないのではないか? 優しさこそ、いま、 人を生かすのに有効ではないだろうか?」 という表現を選んだ。 「でも、いい批判もあるよ」 というのはもちろんわかっているし、 「目の前で人を殺していてもそれでも批判しないのか」 とか、 「私はいいんですが、判断の弱い人たちが 批判を軽視するようになったら困るから…」とか、 長い編集生活のサガなのか、書くそばから、 このような突っ込みが頭に予想されてしまう。 3年前の私なら、そこに細かく註釈を入れただろう。 ところが、前回の私はちがっていた。 それこそ、読者を赤ちゃんあつかいすることではないか? それこそ、読者に対して失礼ではないか? 「私がわかっている以上に読者は、わかっている。」 私は、いつまで八方まるくおさめるような、 優等生の発言をするつもりか? 些細な欠点を突いて、足を引っ張ろうとする読者と、 大意を読み取り、真意を汲み取ろうとし、 議論を前に前に進めようとしている読者と、 どっちを大事にするんだ? いいかげんに、「あれもいいこれもいい」から 一歩踏み出さなければいけないな、と思った。 この3年間を振り返って、 何度か、この原稿をこのまま読者に投げかけてよいものか、 決めかねるものがあった。 そういうときは、編集部の木村さんと話し合った。 いつも、最後は 「読者を信じて」このまま更新しようということで 一致し、案をひっこめることはなかった。 ただ、過ぎてみれば、人から見れば、ささやかな冒険も、 そのときの自分には、本当に気力、体力を要するので、 毎回はできないなあ、と思う。 その度に、予想外の反応で、 読者の問題意識の高さ、理解の深さ、経験の多用さに 感動した。 たぶん、その一つ一つの驚きが、 三年間で、何かの飽和状態に達し、 読者との信頼関係ができてたんだと思う。 最終的に先週の原稿を掲載する勇気をくれたのは、 やはり読者だった。 だから、先週の原稿は本当に批判覚悟で送った。 ところが通常の5~6倍のメールに、 重箱の隅をつつくような批判メールは1通もなく、 テーマの「自分が育つ」ことについて、 批判がどのように作用してきたか? 批判に自分はどのように対峙しているか? 優しさとは何か? 批判とは何か? 真摯な考えと体験が綴られていた。 またしても予想を大きくうわまわる形で、 「ほぼ日」の読者力を思い知らされることになった。 この内容については、次週以降、 あらためて採り上げたいと思っている。 その中に、こんなおたよりがあった。 <選球眼> 「Lesson153 優しさの芽生え」を拝見しまして 私の頭に浮かんだのは、「選球眼」という言葉でした。 野球において、打ち頃の球、ボール球を見分ける眼、です。 ピッチャーが様々なコースに投球してくるように、 現実社会でも、自分が起こした何らかのアクションに対して、 周りの投げつけてくる反応は様々です。 賞賛、関心、反発、異論・・・・・もちろん、 その中には批判も含まれています。 そういった様々な反応の中で、 自分のストライクゾーン、もしくは得意なコースに ビシっと入ってくる球に対して、 こちらも反応をすれば良いのですが、 実際、これがなかなか難しいものです。 ズーニーさんのような、 日々表現に携わっている方の眼から見ると、 きわどいコースも見分けが付いているので、 「ああ、あの球は打たなくて良かった。」と 感じる事が多いと思います。 一方、私のような素人の目から見ると、 批判、という球は、 かなりきわどいコースです。 「この球を打って良いものかどうか、 打ったらファウルになってしまうかも、 でも、見逃したらストライク・・・。」 で、結局、建設的な意見だと思って打ちに行ったら、 ただ単に自分の首を絞めただけであったり・・・。 実際、私も何度かアウトになった覚えがあります。 「批判が人を育てない」 ・・・私も、確かにその通りだと思います。 自分にとってのボール球に手を出す事は、 自分からアウトカウントを 増やしているようなものだからです。 ただ、批判がまったく必要でないとは思いません。 もし、私に対するすべての投手が、 ど真ん中ばかり放ってきていたら、 私は自分のストライクゾーンをドンドン狭めていって、 いつしかど真ん中しか打てなくなってしまうでしょう。 批判は、先ほども言ったように、 きわどいコースに飛んで来がちです。 一見ストライクゾーンなのですが、 それに手を出しても、全く得にはなりません。 しかし、投手がカウントを整えるためにも、 また、長い目で見ると、バッターのストライクゾーンを 狭めないためにも必要なのだと思います。 重要なのは、「これは打ったらいけない」 「打つ必要がない」ボール球をしっかり見極め、 平常心で見送る事の出来る選球眼を養う事なのでは 無いでしょうか。 あまりまとまっていない文章で申し訳ありませんでした。 ズーニーさんの益々のご活躍を祈るだけではなく、 読む事で応援させていただきます。 2003.6.26 MAEDA ……………………………………………………………………… こうした、微妙なニュアンスのことを、 適切なたとえを用いて、少しもえらぶることなく なんら押し付けることもなく、わかりやすく メールで人に伝えることができるのは、 すばらしいと思う。 批判を覚悟していたのと、 ばちあたりなことを書いてしまったか、という思いで、 こわばりながらメールを読んでいた私は、 このメールを読んで、ほっと肩の力が抜けた。 そのとき、私の中に、どこからか、 読者のこんな声が聞こえてくるような気がした。 「ズーニーさん、 俺らのことを真面目に考えてくれるのは うれしいんだけど、 いちいちそんなに真剣に突っ込まれて、 いちいち悩まれても、俺らの方がしんどいよ。」 「ズーニーさん、僕らだって、まちがうことはあるんだよ。 ズーニーさんが、そんなだと、 僕らも、おちおち、ものが言えないよ。」 そのとき、やっと読者から自立できたような気がした。 読者を神のように思っていた私は、 どこかで、やっぱり、読者に依存していたのだと思う。 こういうことは、よく言われるし、 自分も何度か口にしたけれど、身体の感覚として、 ほんとうに、このとき、ふわっ、と自由になるのを感じた。 今回いただいたメールが優しかったから、 自由になれたのだと思う。 ほぼ日の読者は、もう5歳で、 わたしも、このコラムで3歳になっている。 それぞれのポジションで日々何かをつかみ、 シェアしあい、磨きあっていた。 やっぱり三年つづけるということは、 すごいことだなあ、と思った。 はじめて、すごい自由で対等な関係に、 読者とこれからなれるんじゃないか。 これから面白いことになってきたなあ、という気がする。 本当に気づかせてくれてありがとう、というか、 やっぱり読者っていいなあ、というか、 神さまではないけれど、 私は、やっぱりあなたが大好きです。 どうもありがとう。 |
Lesson155 教えたがる精神 教えたがり、教わりたがり。 ここにコラムを書きはじめたころは、 私も、教えたがりの人間だった。 編集担当の木村さんにも、 先輩風ふかしたと思う。 「私は、16年も編集者やってきたのよ、 教えてあげるわよ」 恥かしー! 自分、ちっちぇー! 3年たったいま、つくづく思う。 何かの分野のプロだったとしても、 簡単に他の分野に当てはまると思ったら大まちがいだ。 教育編集とネットの編集は、ずいぶん違う。 ネットの編集は、 ネットの編集をやって続けた人にしかわからない。 浴びる情報量、 それを受け止めるリアル感、 日々の身体の訓練がまるでちがう。 実際にやってみないとわからないことは、ずいぶんある。 同じネットにコラムを書くといっても、 ジャンルによって、観ている世界も、その人のスキルも、 また、がらっと違うのだろう。 企業にいたときの私は、 なぜあんなに簡単に、人に意見ができたのだろう? なぜあんなに簡単に、「ご意見どしどし下さい」と 言えたのだろう? 批評されたがり、批評したがり。 いま、考えるとそこは、「効率」の世界だったなと思う。 より高い目標に、よりまちがいなく、より速く、 近づくには必要で、視野も広がる。 だが、私は、時折ふっと、 なんか先細る感覚に襲われていた。 あの感覚はなんだったろう? 組織は、同じ目標に向かっていた。 どっか、何か、自分がやろうとしていることを 先に経験して、成功して、ノウハウを持った先輩がいた。 それを探して、吸収して、その先へ、その先へ。 だから、自分の身の丈を超えた目標達成ができるのだ。 あのころ、自分が担当して 月々出していた利益や、仕事の規模を想像すると いま、ちょっと、くらくらしてしまう。 私が成果を出したなら、そのノウハウも、 後輩へと使われていく。 後輩は、私の通った道をなぞる暇さえなく、 その先へ、その先へ、さらに結果を出すようかりたてられる。 また、それができてしまうから、後輩もすごく優秀だ。 長く同じ方向を向いて、 同じ仕事の筋肉を進化させ続けていると、 自分の中に、使われない筋肉というか、能力・感覚が出てくる。 他者が編み出したノウハウにのっかって、その先へ急ぐと、 自分で編み出したものじゃないから、 納得感が置き去りになる。 それが、私がときおり、ふっ、と感じていた、 先細りの感覚だったのだろうか。 たぶん、無意識のうちに身体が警告を発していた。 「人が持てる潜在力のうち、 一生に使われるのが3%みたいな話をされるけど、 このまま眠らせちゃだめだ。 使われていない、自分の潜在力、試そうよ、 生かそうよ。」 会社をやめてからこの3年間は、 高い目標達成より、自分の潜在力を生かすことを 求めてきたような気がする。 その歩みは「生産効率」というモノサシで測ると 後退としかいいようがない。 だが、「潜在力を生かす」というモノサシで測ると、 この3年間に、使っていなかった潜在力が いくつかの、小さな小さな芽を出した。 不思議に先細る感じがない。 一人になって、仕事をはじめた当時は、 先輩なし、同僚なし、ご意見ちょうだい、いっさいなしで、 自分の腹から出てきたものが、 そのまま形になる。その一切の責任を負う。 恐くてしかたがなかった。 だが、やってみないとわからないことが多くて。 やってることは、みんな、私の腹から出てきたことで、 それを実際にやって、身体でつかんだものは、 納得感がまるで違う。 3年間、闇の中を手探りで、へっぴり腰で歩いてきた。 そのさまは、いまふり返っても、ちっちゃく、おかしく、 そして、愛しい。 私は、こうやって、みんなが、愚かと言う道でも、 自分で歩いて、歩き通してみて ひとつひとつ、体でつかんでいくことが、 面白いんだなあと思う。 そして、どうやら人の批評を瞬時に自分に取り込めるほど、 頭が高級にできていないらしい、 とても、不遜なことだが、 経験者や、傍観者、その道の達人が、 やめとけ、ということでも、 笑われても、 自分にとって、どうしても避けて通れない道ならば、 これからは闇の中を胸はって、堂々と歩いていこうと思う。 |
Lesson156 記憶のクリエイション 人を運んでいるものは、結局、人の記憶ではないか? 自分の記憶、そして、 人の中に記憶として残っている自分の印象。 その時、本当に自分がどうであったかでなく、 その人に実際に何をしたかでなく、 自分が人の記憶にどう残っているかが問題なのだ。 そんなことを切実に感じはじめたのは、 会社を辞めて、一人で仕事をしはじめてからのことだ。 辞めてしばらくは、ひんぱんにやりとりしていた 会社の人たちとのメールも、 日をおって少なくなり、 やがて、ぷっつり、とだえていった。 Out of sight,out of mind. 顔をあわせないと、人は私のことを忘れていく。 その淋しさをなんと名づけていいかわからないが、 ふしぎと安らぐ感じもした。 私がいなくなったのに、そこにいる人々が、 私を1ミリも忘れなかったら、 そのほうが、 ずっとつらいのだということに初めて気づいた。 私は、こうして、その人たちの視界から姿を消し、 だから、その人たちの記憶からも、忘れられていく。 しんと、いい感じがした。 などと、感傷にひたっている場合ではなかった! 会社を辞めて、たぶん、いちばん人に会ったり、 あたらしい人脈をつくっていかなきゃならならないときに、 私は、原稿で身動きがとれなくなっていた。 何日もだれとも会わず、ただこもってものを書く。 親しいともだちにさえ、会う時間がない。 会えないから、忘れられていく。 こうして、人とどんどん、顔をあわせなくなって 古い仲間からも 今の仲間からも、 地球上からどんどん忘れ去られていって、 人からも、仕事からも干されてしまったら、 私は、どうなるんだろう? そんな危機感でいっぱいになって、焦って、 あきらめかけたころに、 ひょい、となぜか仕事が舞い込む。 この3年間、営業というものをまったくしていないのに、 ひょい、また、ひょい、と。 不思議にとぎれることなく仕事がきた。 それで「なぜ私に?」とたずねてみると、 たとえば、ある企画があって、 これをだれにやらせようか、というとき、 担当者の脳裏をふっとよぎる、私の存在がある。 あるいは、 担当者が、だれかいないかと人に聞いたときに、 ふっと、私の名前を思い出してくれる人がいる。 それは、たった1回しか会っていない人だったり、 もう、何年も会っていない人だったり、 一度も会ったことなく、ただ私が昔やった仕事を見て 覚えていてくださった人だったりする。 本当に、そのたびに、意外さに驚く。 そこで記憶に残らなければアウトだ。 だが、人からどんどん忘れられ、のみのように、 あとひと押しでプチッとつぶれるかに見える自分も、 意外にも人びとの中に、 雑草の根のような記憶を落としていたんだなと気づく。 実際に仕事をする段になって、お会いすると、 私が、そのとき、その人に残した記憶は、 いま話しても、鮮やかに蘇り、 ちっとも風化してないように感じる。 しかもそれは、美化されて以前より鮮烈になっている。 ああ、あのときの、あの私は、 こんなふうに、この人の記憶の中で、再構築されて、 生きているのか…。 ふしぎな、あたたかい気持ちがする。 そしてどんなに緻密な仕事をし、 りっぱなコミュニケーションを人とできたとしても、 人の記憶にも、自分の記憶にも、残らないものは、 どうにも、ひっかかりようがないのだ。 あらためて考えると、これは恐いことだ。 いまは、原稿書きも少しだけ慣れて、 時間をつくって人に会ったり 外にもどんどん出られるようになった。 友人たちもこれだけ会ってれば、 忘れたくても忘れられないだろう。 だが、最初の2年は、そんな感じで、 人の記憶によってかろうじて生かされ、 人びとの記憶の中にある、自分という残像に、 ひとつ、また、一つと対面して、 私という存在が何であったか、 輪郭を外側からたどるような日々だった。 ほぼ日にコラムを書くきっかけも、 私の文章、ではなく、 同僚が記憶に残った、私の仕事の姿を、 個人のホームページの日記にとどめたことから始まった。 最初の本を書くきっかけも、 おりから文章技術の本の必要性が出版界で高まっていた中、 編集担当者が、この企画をだれに? と考えたとき、 以前読んだこのコラムが、 記憶にひっかかっていたという。 具体的にはどれかと聞いたら、 Lesson14 メッセージを伝える、私とあなたの出会った意味 だと言っていた。 人の記憶が私を運び、次の道を指し示した。 ときには、いかに私が行きたい道であっても、 人の記憶が道を塞いだ。 反対に、自分では、意外な道も人に運ばれ、歩いてみると、 不思議なことに、もともと私が行きたい道だったと気づく。 これは、なぜだろう? 最近私は、昔、好きだったレコードを CDで買いなおした。 それは、十代から、私の世界の一角をなしているレコードで レコードが聴けなくなって以来、もう20年も封印され、 それでも、私の中で なお鮮やかな印象が消えなかったものだ。 ところが! 20年ぶりに聞いてみると おもったよりつまらないのだ。 その間あたためてきた、わたしの記憶の方が ずっとずっと、豊かで素晴らしい。 私の世界の一角が、急にひらべったくなった気がした。 聴くんじゃなかった。 人の記憶は、自分勝手なものだ。 勝手なところは捨て、勝手なところだけ肥大させ、 ときには、時系列さえ無視し、 事実と似て非なる世界を刻み込む。 しかも、それが、自分でさえもコントロールできない 無意識の部分で、 ふるいにかけられたり、解体されたり、 編集作業がおこなわれていることが、面白い。 どんなおとなになっても、こどものころの へんっなことを、どうしてだか、いつまでも覚えている。 自分でどうすることもできない。 記憶は創造だ。しかも無意識の創造だ。 20年前のレコードの封印を解いてしまった私は、 そのあいだに、もう、できていた記憶の体系、 自分の中で再構築されたものを、 ←クリエイティブ 実際のものを聴きなおすことで、 ←現実 20年前に戻すことになってしまった。 わたしは、昔受けた印象に基づいて何かを書くとき、 例えば10年前に観たビデオの印象に基づいて 何かを伝えようとするとき、 もう一度、それを見直して書くか、 記憶で書くか、迷っていたが、 記憶で書く時は、記憶で書ききらないと、 もういっぺん、 見直したりしちゃあいけないのだ、と思った。 せっかくの長い年月で、 記憶というふるいにかけられ再構築されたものを 10年前に戻すことになるからだ。 だから、古い資料と首っ引きで書くものは いくら正確に書いても、 なかなか人の印象に残らないのだな、と思う。 人を運んでいるものは その人の記憶である。 その人に関するまわりの人の記憶である。 記憶には、人の無意識の想い、願い、創造が 込められているような気がする。 だからこそ、自分に関する人の記憶は、 それがいかに曖昧であっても、 いかに美化され、いかに事実関係が違っていても、 耳を傾ける価値があるように思う。 だからこそ、 人の記憶によって運ばれ、開かれた道であれば、 歩いてみる価値があるように思う。 そのときは意外でも、目的地についてみれば。 それが、まさに、自分の行きたかった道ではないか。 時間のふるいにゆっくりとかけられて。 |
Lesson157 ネットで批判が難しい理由 批判は、「何を言われるか?」より 「だれに言われるか?」がおおきい。 読者のりえぞーさんはいう。 批判を自分が素直に 受け入れることができた経験について考えた。 意見の内容はさておき、 「こいつがこう言うんだから、きっとそうなんだろうな」 と、相手のことを信頼できる場合には、 だいたいすんなり批判めいた意見でも聞くことができた。 逆に、批判を受け入れられないのは、 言ってる相手のことを好きでないとき、 よくわからないとき。 人を育てる批判とは、 一番に、信頼する人からのそれであると思う。 人の意見でなく、人そのものが人を育てると、そう思う。 (読者 りえぞーさんからのメール) ネットのコミュニケーションでおおきいのは、 「だれが言ってるのか?」が見えない、ことだ。 たとえば、ネットの中で、私が、 「ちょっとあんた、あんたの文章の考え方 それは許せん! 文章をなめたらいかん!」 と批判をやってみるとする。 相手にとってみれば、 「ハンドルネーム、ズーニー? 誰じゃこれ?」 相手は、私のことを知らないから、 にわかに、私を「うさんくさい」と感じる。 そこで、「わたしはだれか?」を説明するとする。 「私、ズーニーは、 高校生の小論文教育から出発して、 もう17年も、ずっとずっと 文章教育にかかわっている者でして、 こんな本も出し…、あんな活動もし…、」 とやるとする。 さらに、うさんくさい。 要するに「私は文章にかけては、プロなんだぞー! 私の批判をありがたがれー!」ってことか、と、 たのまれもしないのに自分の経歴を とうとうと並べると、なぜか、ますます、うさんくさい。 ネットの場で、「わたしはだれか?」を、 肩書き・経歴・立場など 外側から固めて、証明しようとすれば、するほど、 「だから何なの?」になってしまう。 たとえば、現実の場で、 「偉い、エライ」とまつりあげられている人が、 自分がありがたがられたいという気持ちのまま、 ネットにくると、この「対等感」に打たれる、 もしくは、立腹するんじゃないだろうか? ネットの門をくぐるとき、 王さまも、冠をぬがなくてはならず、 輝かしい経歴の持ち主も、ここにひきずっては来られない。 ネットでは、意見そのものが、 「わたしはだれか?」を雄弁に語る。 自分が言っていることが、 そのまま、自分が何者であるか? の存在証明になる。 まだ、現実の場なら、容姿や、たたずまい、 持ち物や服装、声色・表情などに自分を語らせることも できるが、そうした効果はいっさいないから、 「言ってること」=「自分」だ。 だから、深い理解や共感は、 外見も、距離も、立場も飛び越えて、一発で通じ合う。 「言ってること」=「自分」=「相手」、共感は瞬時だ。 相手は、その人の「言ってること」を信じられるから 一発で、その人という「人間」も信頼する。 でも、批判は、唯一の自己証明である 「言ってること」=「相手への批判」なのだ。 私が、ネットで批判をするとしたら、 私としては、文章指導にかけてきた自分、とか、 経験を通してこそ言えること、とか、 伝えることを大切に考えてきたからこそ許せないこと、とか、 いろいろ文脈があってやるだろうと思う。 けど、そういった文脈をまったく知らない相手にとっては、 道をあるいていて、いきなり知らない人から頭をたたかれる ようなものだ。即座にその知らない人を警戒するだろう、 「だれだ、このよくわからんズーニーって奴は?」 相手は、いったいどうやって、批判の前提となる 「ズーニー」という人間を信頼したらいいのだろう? 言葉は、信頼関係の中ではじめて力を持つ。 批判ができないのではなく、 批判ができるだけの信頼関係がつくれない。 だから、ネットでの批判は、 そうとうに討ち死にの確率が高いのではないかと思う。 それは、自分の言葉の無力、メッセージの討ち死にというよりも、 自分の誠意に反して、ただ相手から嫌われ、うとましがられ、 ただ相手への影響力や発言力を失っていくだけの、 ハンドルネームの死ではないだろうか? |
Lesson158 人の話が聞ける強さ もう死んだけど、 おばあちゃんと話していたときの、 あの不思議なやすらぎは何だったろうなあ。 私が何を言っても、 言葉のひとつひとつをじっくり、大事に聞いてくれる。 「ふんふん、そうか、そうか」とうなずいて。 「ようやったなあ」とほめてくれたり、 「いけんかったなあ」と一緒に哀しんでくれたり、 こどもの脈絡のない長い話を決してあきることなく、 おもしろそうに、いつまでも聞いてくれた。 折り紙かなにか、おばあちゃんが捨てたと、 私がおばあちゃんを怒ったときは、 心から本当にすまなさそうにしていた。 あれが、いかに、 コミュニケーション・ステージの高い行為か、 おばあちゃん、私はいまごろ、ようやくわかったよ。 人の話をわかる、相手を理解する これがコミュニケーションのスタートにして 最終目的地じゃないか、 みたいなことを近ごろ、つくづく思うのだ。 時代的には、 「日本人よ、もっと自己主張せよ!」 っていうことなんだろう。 でも、自己主張なら反射神経でもできる。 人を理解することは、 知性を鍛えないとできないんじゃないかと、 ふと思ったのだ。 一時は、自己主張の強い人に わたしもあこがれた。 たとえば、私が「Aという映画がよかった」と言えば、 「Aなんて最低、映画なら絶対Bよ!」 というようなことが、私の前で、悪びれもせず、 即座にビシッと言えるような人に、 かっこよさを感じたものだ。 「私は、これがいい! あれは、いや! あんたはちがう! 私はこう!」 やっぱり、自分が何を好きか知ってる人は、 迷いがないし、強いなあ! と。 そんなところに、 ただ、黙って、面白そうに話を聞いてるだけで、 「あんたは、Aなの、Bなの、どっちなの?」 と詰め寄っても、はっきり自己主張しないで、 口ごもってるような人がいたら、 なんとなく弱いような、 遅れをとってるような感じがしたものだ。 ところが、そうでもない。 いや、むしろ、そういう静かな人の中に、 コミュニケーションの志が高い人がいるんじゃないかと。 「私は、これが好き! あれは、いや! あんたの意見はちがう! 私はこう!」 っていう自己主張は、自分が生きてく上で、 自分がわかっていればいいことで、 コミュニケーションにおいて、 そんなに大切なものなんだろうか? 「Aという映画がよかった」と言う人に、 「Aなんて最低、私はBよ!」と言って、 だから、どうだと言うんだろうか? 最近、そんな気がしてきたのだ。 つまり、Bという映画が好きなことは、 自分がわかっていればいいことで、 わざわざ、相手にぶつけなくてもいいんじゃないか? そんなことよりも、 映画の話を通して、 相手という人間を理解することの方が、 ずっと面白いな、と。 どうも、私も含めて、まわり 「人の話が聞けていない」人が多いようなのだ。 だから、人の話を聞いていて、 「それ違う! 私はね」 と口をはさむタイミングが速すぎるのだ。 例えば映画の例で言うと、 太郎 「この前、マトリックス観にいってさ」 花子 「ああ、あれ、面白くなかった」 太郎 「え?! うそ、面白かったよ」 花子 「私はつまんなかった」 太郎 「俺的には、ぜったい!面白かった」 私は私、俺は俺、 私たち趣味があわないね、 チャンチャン!でおしまい。 脊髄反射みたいにしてしゃべっているとこうなる。 子どもの会話を見ていると、 この手の言い合いになったら、数の多いほうが勝つ。 単純に数の少ない方が負け、 1人ならいじめられたりする。 自分と主張があわない人に 橋をかけようというような作業は、 知的に発達しないと、なかなかむずかしいんだろうな。 最近よく話をするミホちゃんという友人は、 人の話を聞く力が深い。 例えば、私が「Aという映画がよかった」と言って、 仮に、ミホちゃんがそれに違和感をもったとしても、 決して、すぐ否定したり、 自分の主張をはさんだりしない。 必ず、1回は質問をはさむ。 「それは、どういうところがよかったの?」 1回は必ず、必要なら2回、3回と、 こうした質問をして、まず、私が言わんとすることを、 ちゃんと理解する。 この1回の質問が、できるようで、できない。 できる人がなかなか少ないし、 私もできていなかったことに、 ミホちゃんといて気づかされた。 つまり、映画はAがいいかBがいいか? でなく Aがいいと切り出したこの人が、言いたいことは何だろうか? Aがいいって言うこの人は、いったいどんな人なのか? 映画の話をきっかけに、相手という人間を掘り下げてみる。 人間同士が顔をつきあわせて話す面白さは、 むしろこちらにあるのではないだろうか? 知人のご主人で、家にいる限りずっと、テレビ、 それも特にくだらない番組ばっかりを 選り好んで見ている人がいた。 聞いたとたん私は、「そんな旦那さん、いやだ」と思った。 ところが、奥さんは言うのだ。 そのご主人は、理詰めの仕事をしていて、 仕事もハードで、1日中頭をつかって、ぐったり疲れてきて、 だからああしてテレビを観て、 頭をカラにしてバランスをとっているのじゃないかと。 その奥さんにとって、 テレビばっかり観ている人を、 私は好きか、きらいか? みたいな問題は、 まず、置いといて。それよりも、 テレビを観ているという行為を通して、 ご主人という人物を掘り下げてみる。 「この人は、どんな文脈を生きている人なのだろうか?」と。 友人のミホちゃんは、 私の間違いを指摘したり、否定したりすることはない。 なのに話していて私は、実に多くのことを気づかされる。 「それは、どんな意味で?」 「これはどういうところがいいの?」 ミホちゃんの問いかけに応じて、 自分で語っているうちに、 「あ、私、こういうところがミーハ―だな」 「まだまだ、私、こういうところが甘いな」と、 なぜだか、自分でどんどん気がついてしまうのだ。 異文化コミュニケーションとか、 むずかしいことを言うよりも、 「相手の言いたいこと聞こう、まず最後まで聞こう」 と思うことじゃないか。 自分が弱いころは、 私も、人の話を最後までじっくり聞けなかった。 聞いちゃったら、その人の意見に支配されてしまいそうで、 自分がなくなってしまうようで。 でも、そろそろ、自分が何が大事かわかってきた。 いまは、おばあちゃんのように、 人の話を「ほう、ほう!」とおもしろそうに最後まで、 心で聞ける老人を目指したい。 相手の意見に、違和感つきあげるとき、 のどもとまででかかった「そりゃ、ちがう!」という言葉を ぐっと飲み込んで、ひとつだけ質問してみようと想う。 「あなたは、なぜ、そう思うの?」と。 |
Lesson159 離れて暮らすあの人に 先日、名古屋に講演に行った帰り道、 来ていた高校3年生の女の子と、 でくわし、途中までいっしょに帰った。 名前は聞かなかったが、 桃のような印象の女の子だったので、 かりに、桃子さん、と呼ぼう。 桃子さんは、小学校のときからずっと、高3の今まで、 親元を離れ、寮生活をしているという。 桃子さんのお家は、山口県で、 幼少のころ、お父さんから聞いた大阪の学校に、 自分の意志で行きたいと思ったそうだ。 小1の女の子が、ひとり、 故郷を離れ、家族をはなれ、 身寄りのだれ一人いない大阪の寮で、 集団生活をはじめる。 それはどうだったか? と聞くと、 「寂しかった、ほんとうに寂しかった。」 と桃子さんは、実感をこめて言った。 帰省が許可されるのは、年に数えるほどだ。 同じ部屋で、常に 何人かの他人が寝起きをともにする。 分別がつく前の子どもどうしだから、 本当に、いろいろあったと思う。 中学、高校と進むに連れ、先輩後輩の タテの規律をこなすのも大変だったという。 子どもだって、いや、子どもの方が、 他人の中では、気をつかい、遠慮し、緊張する。 甘えたいさかり、 学校で何があろうとすべてを受け入れてくれて、 緊張をとくことができる「ホーム」というものが、 ずっと、桃子さんは身近になかったのだな、と思った。 それでも、桃子さんは、 こども心にそれが面白いと、その生き方を選び続けた。 そして、いま、また、 桃子さんは、受験生になり、 ふるさとの山口でもなく、 12年なじんだ大阪でもなく、 地縁も身よりもまったくない名古屋の大学を、 自分の意志で選んだと言う。 名古屋の大学を受験するのは、 同級生の中で、桃子さん一人だそうだ。 桃子さんは、意志に忠実に生きるため、 人生の岐路で、独りを選び、その寂しさを引き受け、 逆に、寮仲間をはじめ、たくさんの人との縁や地縁を、 自ら切り拓いた。 いいぞ、桃子さん、がんばれ! このまま桃子さんが名古屋に進学し、 また、意志に忠実に、別の土地で働くとしたら、 桃子さんが家族と生活をともにしたのは、 生まれてから小学校にあがる前までの、 たった6年間、ということになる。 6歳のときに家を出て、 再びそこを住みかとすることはない。 こんなふうに、 愛しあって、互いを想いあっていながらも、 事情があって離れてくらしている家族が実はたくさん いるのだろうな。 もうずいぶん前、インドのカシミールを旅し、 ダル湖のボートハウスに泊まっていたときのことだ。 ボートハウスを経営しているのは、 本当にすてきなご家族だった。 私たちが「キャプテン」と呼んでいた、 頼りがいがある、お父さん。 カシミールカレーや、 くだもののコンポート、サラダなど 料理がとっても上手な、お母さん。 インドの美少女、という言葉がぴったりする 14歳くらいの娘さん。 成人したご長男と、 5歳くらいのクーリーという、かわいい坊や。 貧しくても愛あふれる、素敵なご一家! 家に招かれ、夕食を共にし、 私は何の疑いもなくそう思っていた。 かなりたってから知らされたのだ。 この人たちは、ぜんぜん、家族なんかではないのだと。 キャプテンと奥さんは、夫婦でなく、 子どもと大人は、親子でなく。 子どもと子どもは、兄弟でなく。 みな、貧しいから、家族と離れ それぞれここに出稼ぎにきている。 奥さんは、家計を支えるため、家族を離れ、 ここに一人飯炊きにきている。 キャプテンも、家族と遠くはなれて、 家族のためにここで働いている。 じゃあ、クーリーは? 坊やはだれの子? キャプテンの子でも、奥さんの子でもなく、 ひとり、ここにあずけられているのだ。 クーリーの両親もまた、経済的理由で、 子どもを連れては働けない。 私が学生のころ、教育実習で出会った中学校の先生も、 夫婦で教員をしており、 激務のため、幼い子をご実家に預けざるをえず、 お子さんに会えるのは、月1回だと言っていた。 ボートハウスの面々は、 それでもあかるい絵に描いたような家族に見える。 小さなクーリーは、 眠たくなると、だれにだっこをせがむでもなく、 ちらとも、ぐずることなく、 ひとり、ごろんとゴザに横向きになって、静かにする。 やがて、そのまま眠る。 そして、元気いっぱいの明るい朝を迎える。 こんなふうに、 愛しあって、互いを想いあっていながらも、 ボートハウスの人たちのように お互いが、お互いのために働きながらも、 事情があって離れてくらしている家族は、 どのくらいいるのだろう? 実際は私が思うより、 もっともっとたくさんいるのだろうな。 それだけでなく。 「一生に、愛するのはこの人だけだ」と決めた者どうしが、 なにかの事情で一緒にはなれなかったり。 「これが、自分にとって一生の仕事だ」 と心底決めた仕事から、 どうしようもない事情で去らねばならなかったり。 だれが悪いわけでもなく、だれのせいでもなく、 お互いがお互いの与えられた人生を精一杯生きるために、 愛するものと離れて暮らさねばならず、 それでも、お互いを想いあっている人は、 口にはださなくても、いっぱいいるのだろう。 逆に、愛するもの同士、べたっと、ずう~っと一緒、 という方が、この世界では、珍しいことなのかもしれない。 私も、家族と離れて働きだして、 もう何年だろう。 それでも、 家族を想うときの、この気持ちの鮮やかさは何だ? しばらく会わなくても、みじんも薄れることなく、 家族を一日たりとも想わぬ日はなく、 朝起きて想い、 花火を見て、想い、 おいしいものを食べて、顔が浮かび、 夕暮れに想い、 眠りから目覚めて、ふと想う。 心にそういう存在がなかったら、 生きることは、なんとはりあいのないことだろう。 離れていても、その存在は力だ。 以前このコラムに、 アウト・オブ・サイト、アウト・オブ・マインド、 のことを書いた。 視界から消えた人間は、心からも消えていくと。 それは自然で心安らぐことだと。 しかし、愛するものを想うことだけは、 なにか記憶の体系がちがうのではないかと思う。 時間にも、距離にも、 いっこうに色あせることはなく、 想うたび鮮やかで、なまなましい。 「ほんとうに出会った者に別れはこない」 たしか、谷川俊太郎さんの言葉だった。 長期記憶とか、短期記憶とか、 人間の中にさまざまな記憶装置があるとしたら。 ぜったいあせない永遠記憶という装置が どこかにあるのかもしれない。 長く一緒に暮らそうと、 ほんの短い間だろうと、 お互いが、おたがいでしかありえない有りようで、 心底通じ合ったときだけ、 お互いの永遠記憶装置が同時に作動するのかもな。 そういう人との別れはない。 ないんだと思ったら、今日もまた、働く元気がわいてきた。 |
Lesson160 わたしの中の森 こう見えても、気が小さい。 「あの人に、ちょっと会いたいなあ!」と思っても、 妙に気をつかってしまう。 忙しいんじゃないか、とか。 忙しいなか、わざわざ会ってもらって、で、 わたし、何かいいものを相手に提供できるの? とか。 やっぱり、断られたらさみしいし。 そんなことを一通り、ぐじぐじ考える。 「山田さんみたいに、物怖じしない人はいいよなあ!」 と、人からは、よく言われる。 忙しい人だろうと、恐い人だろうと、 私が、アポイントをとって、どんどん取材に行くからだ。 目的があれば、驚くほど、積極的に人に会いに行ける。 ところが、なんの目的もなく 「ちょっと会いたいんだけど……」 みたいなことが言えない。 で、何かに、かこつけて、会ってもらうのだ。 相手が好きそうな、映画とか、コンサートとか、 相手と共通の仲間を呼んで集まったり。 それなら相手も、忙しい時間を割いてきて損した、 なんて想うこともなかろうと。 ちょっとだけ目的をねつ造するのだ。 それでも、会って話しているうちに、 やっぱり、目的なんかなかったな、 わたしは、やっぱり、いま、 ただ、この人に会いたかったんだ、と思う。 先日、友人とメールで、ちょっとしたいさかいをした。 メールがゆえの誤解で、 そのこと自体は、ちゃんと解決できる、 ちいさなことだったのだけど、 いつもより、ちょっとだけ語尾が攻撃的になっている 自分が気になったのだ。最近私は、ずいぶん、 人に対して「優しいモード」だったから、 何でだろうなあ、と。 よくよく思い返したら、昨年暮れあたりから、わたしは、 無性に、その友人に会いたかったことを思い出した。 ただ、わけもなく会いたかったのだが、 あっちが忙しかったり、こっちが忙しかったり、 会う時には、かならず他の仲間がいたり。 そんな状態が、ずっと続いて、なんとなく タイミングをはずしてしまった。 だって、別に用事はないのだ。 忙しいとこ、無理にあってもらう口実もなく、 そんな気も起きず、自分から努力もせず。 数ヶ月間、 会いたい気持ちをだましだまし、しているうちに、 やがておさまり、どんなふうに会いたかったか、 何を話したかったか、感覚さえも忘れていった。 ところが、どうやら、そのことが、 無意識のストレスになっていたようなのだ。 しかし、何の用もなく、 友だちに会えなかったぐらいのこと、 なんで、ストレスになっているのか、 自分でもよくわからなかった。 先日、平田オリザさんの『演劇入門』を読んでいるとき、 この言葉に、くいっと胸をつかまれた。 「伝えたいことなど何もない。 でも表現したいことは山ほどある」 これだ! と想った。 それは、ベルリンの壁がくずれ いまの演劇には、伝えるべきテーマ、つまり、 主義主張や思想、価値観など、何もないのだということ。 でも、個人の内側には、 自分の内面にある混沌とした想いに、 何らかの形を与えて、外に表したいという衝動が、 とめどなくあふれ出ているのだと。 「私に見えている世界」、「私に聞こえている世界」を、 ちゃぷっとつかまえて、 ありのままに外界に向けて示したい。 それをありのままに記述するのが、 いまの演劇だということが書かれていた。 そういう要求なら、演劇をやらない私にも、 常にあると想った。 つまり、自分の内面にあるもやもやに形を与えたい。 わたしは、想い違いをしていたことに気がついた。 目的があって人に会いたい時よりも、 なにも目的がなくて人に会いたい時のほうが、 深刻なのだ。 それは、自分の中のもやもやに形を与え、 外に表出したいという 衝動がつきあげているときだからだ。 会う人によって、自分の中から引き出されるものはちがう。 わけもなく、ある人に、会いたいとき、 たぶん、そのとき、 自分が見ている世界、自分に聴こえている世界を、 ありのままに語れるのは、その人しかいないからだ。 別の人に会えば、また、もやもやの「別の側面」が、 引き出されるだろうが、 その人に語ろうとした世界は、封印しなければならない。 まるで心の中に、「あかずの間」ができるように。 それが、ストレスとして残っても不思議はないと想った。 会いたい人には、会いたい時、会わなきゃダメだ。 別に用事はないけど……という人の想い、 自分の想いに、もっともっと敬意を払わなければと思った。 出会う人によって、形を与えられる自分の森、 そして、たわいのない会話にこそ、 相手の中の森が、かいま観えるのだろう。 |
Lesson161 文章をはやく書くには? 文章を、はやく、書き上げるには、 さきに文章構成を決めてしまうことだ。 すごくいい文章になるかどうかは保証できないが、 要求をはずさないレベルの文章を、はやく、 書かなくてはならないときに、絶大な効果がある。 たとえば、あなたが、 「私の幼少時代」というタイトルで、 800字のコラムを自由に書いてください。 と頼まれたとして。 慣れないと、書いては消し、書いては消し、 えんえん時間がかかる。 ところが、 「私の幼少時代」というタイトルで内容は自由に、 ただし、 型は、つぎのとおりに書いてください、 と頼まれたとする。 第一段落 幼少時代の印象に残るエピソードは? → 体験をできるだけ具体的に、約300字で。 ↓ 第二段落 そこから自分について何が観えてくるか? → 体験から自己分析を筋道立てて、200字で。 ↓ 第三段落 つまり、幼少時代の自分とは? (キーワードの提示) → 一語で定義し、その説明を含め、100字で。 ↓ 第四段落 幼い自分をふり返って、 今、自分は何を想うか? → 現在から過去を観ての想いを、200字で。 これならなんとか、書けそうな気がしてくる。 これでも、書けそうにないと言う人も、 少なくとも、 書いていて「わけがわからない苦しみ」から、 「自分はいま、面白いエピソードが浮かばないんだな」とか、 「キーワードが出てこないのだな」とか、 わけのわかる苦しみには、なりそうだ。 たとえば、小論文の入試など、 時間との戦いで文章を書かねばならない場でも、 合格した人の大半が、 事前に、3~4段構成の、 書きやすい自分の型を決めて持っていた。 論点→論拠→意見。とか、 問題提起→問題の現状→原因分析→問題解決。 などの基本から、 皆、自分なりのアレンジをして持っていた。 ひとつ、自分の基本の型があると、作業がはやい。 型がある人の方が、 変形も比較的自由にでき、柔軟なようだ。 逆に、もやもやと、書いては消し、 書いては消ししているとき、 こうした、枠組みそのものから、 自分で、考え、起こしていこうとしているわけだ。 混沌とした世界に、 秩序や方向を、新たにつくろうとしている。 だから、書くのに時間がかかっている人も、 それは、尊い、必然性のある作業なのだから、 落ち込まないでほしい。 そこからいいものが生まれてくる。 さて、こうした、型が どうしても自分でつくれない場合はどうしたら いいだろうか? そういう人は、 「型取り」練習をしてみるといいのでは? 用意するものは、 コラムならコラム、 依頼文なら依頼文、 小論文なら小論文と、 自分が書きたい方向の文章で、 とてもいいと思ったものをひとつ用意する。 自分が以前書いたものでも、 プロのものや、他人のものでもいい、 自分の心に触れた大好きな文章であるところがみそ。 その文章の構成を割り出してみるのだ。 さっそく、わたしもプロのコラムの中から、 お気に入りのものを1つ取り出してやってみた。 1600字(原稿用紙4まい)弱の新聞コラムで、 全部で6段落あった。 第一段落 身近な体験から問題提起をする 自分のごく日常のささいな体験から書きおこし、 そこで、自分の心にひっかかった疑問を 「なぜ、あれは、……だったんだろう?」と提起する。 ↓ 第二段落 提起した疑問の答えを、まず一言で言い切る 疑問の答えを、 「それは、……だったからだ。」と、 いきなり一言で言いきる。 ↓ 第三段落 次に、くわしく、筋道立てて説明する 第二段落を補足する形で、 疑問の答えを、こんどはくわしく筋道立てて解明する。 ここですっきり疑問は解決される。 ↓ 第四段落 同じ問題構造を抱える、 もっと社会的な事例をあげる 同じ問題構造をかかえる具体例をもう一つあげる。 ただし、今度は、身近な個人的なことではなくて、 もうちょっとビジネスや社会に通用する例をあげる。 それにより、個人的な問題は、普遍化されていく。 ↓ 第五段落 その事例の問題解決をする はじめに身近な例を解き明かした理屈をつかって、 社会的な事例の方の問題を分析し、原因を割り出し、 解決の方向を示していく。 ↓ 第六段落 現代に潜む問題とは? その中で何が大事か? いままで言ってきたことを、 「結局、現代には、このような問題が潜んでいるから、 このような考え方で対処するのが大事だ」 という形でまとめる。 これが、6段落の型になる。 むかし、気に入った洋服に、 直接、紙をあてて、線を引き、 型紙をおこしている人がいた。 型紙さえ仕入れれば、あとは、 自分の好みの色や柄、質感で、 同じ型の洋服がいくとおりもつくれる。 アレンジも自由というわけだ。 文章からの「型取り」は、それに近い作業だ。 なれないと少し難しいが、 まず、文章全体を1回通して読み、 次に、1段落読んでは「要するに…」と要旨をまとめ、 最後に、結局、その段落の役割は何だったか? 「意見」なのか? 「問題提起」なのか? 「具体例」なのか? 意見の「根拠」なのか? と割り出していく。 長い文章よりは、短いものの方が。 また、文系の人が書いたものよりは、 数学者とか、科学者とか、 理系の人が書いた文章の方が、 論理構成が割り出しやすい。 そう言えば、 人の意見や、文章のフレーズを盗んだら、 盗作だと大変なことになる。 ところが、「文章の構成を盗用しただろう!」 というような問題を、 わたしは、まだ、聞いたことがない。 文章の構成の方こそ、 著者の思考の筋道であり、 尊い、知的生産であるのに、なぜだろう? 先ほど、「型取り」した、文章構成にそって、 私も、自分の伝えたいことを書いてみた。 身近な体験から「なぜ?」と疑問をあげること、 そのワケを分析したり、説明したりまでは、 つまり、3段落目までは、すいすい書けた。 ところが……。 4段落の、社会的な事例をあげるところで、 ずどーんと、つまづいた。 マイナスの見方をすれば、 私は、個人的な体験を、社会に普遍化するところが 弱いのだ。その方面の知識も疎いのだ、と言える。 でも、肯定的にみると。 いまの私は、私の個人的な発見を、マクロな視野、 社会全般に普遍化して語るのに、あまり興味がないようだ。 私は、いま、個人としてつかんだものを、 個人の視点のまま語ることに興味があるようだ。 1人称「個人」、2人称も「個人」 私は、こう考えるが、あなたはどうか? と、問うことに、気持ちが向いているのだと思う。 このように、夏目漱石でも、湯川秀樹でも、 好きな人の文章の「型取り」をして、 それに添って書いてみると、 自分の知識の幅や、能力の幅、 同時に自分の思考回路、志向も見えてくる。 そこから知識を集め、思考力を磨き、漱石を目指すもよし。 自分の志向にあわせて、 文章構成の方を書きやすくアレンジするもよし。 おとなになったら宿題のない夏だが、8月31日までに、 大好きな作家で、 型取りして文章を書いてみてはどうだろうか? |
Lesson162 歳をわすれたカナリヤ 年より若く見えるというのが、はやっている。 どう見ても20代後半にしか見えない女性が じつは39歳とか、 娘とともだちにしか見えない美人が、実は母親だとか、 テレビでつぎつぎに特集するから、 つい観てしまう。わたしも好きなのだ。 みると、ついつい盛り上がってしまうのは、なぜ? 自分だって、その気になれば…。 しばし、そんな期待をもたせてくれるからかもしれない。 年齢を超える。 わたしは、ずっと、 年齢のしばりから自由になろうとしてきた。 出身が田舎だったので、 田舎の人が、なにかといえば、 「もう歳なのに…」 と年相応を要求するのが嫌だったのだ。 はでだろうと、なんだろうと、 着たいものを着る。やりたいことをやる。 30代なかばから、同級生たちが、 急に年寄りくさい、 あきらめたようなことを言い出すのがいやで。 私のことを日が暮れても諦めず、お家に帰らないで、 まだ遊ぶ子のように見るのもいやだった。 「年齢にとらわれない。 心の若々しさで、年齢の壁なんて軽々と超えられる。」 そう思っていたせいか、年下の友人もおおく、 つとめていた職場の平均年齢も若く、 若者にかこまれ、若い若いとおだてられ、 ネバーランドの王子さまのように生きてきた。 ところが、そんな毎日の中で、何日かにいっぺん ずどーんと不安にかられる瞬間があった。 通勤途上、小田急線の改札を出て、 会社に向かう道で、ときどき「その人」を見かけるのだ。 後から見ると20代。 バレッタを飾ったワンレングスの髪、 ひざたけのデニムのワンピース。 白いレース模様のタイツ。 女子大生風。 ただし、それは、いまの女子大生風でなく、 20年前、私が大学に通っていたころか、もっと前に はやっていた感じのファッションなのだ。 ところが、前にまわると、 首から上だけが50代。 私は、その姿に衝撃を受けていた。 年なのに、とくに若作りをしているとか、 その人のかっこうがまわりから特に浮いているとか、 そういうことではないのだ。 そのかっこうは、むしろひかえめ。 どこにでもいる、風景にとけこんでしまうような感じだ。 私以外の人は、気にも留めないだろう。 その人は若作りをしているのではない。 時がとまったまま、というか。 女性の美しさへの感覚も、 それをつつむファッションも、髪型も、 この人のばあい、自分の2、30代のころのまま 時がとまってしまった、というか。 ひと言でいうと、その人は、 年をとるのを忘れた という感じなのだ。 それは、寄る年波をひしっと受けとめた上で、 老いてもなお若々しい人とは、 似て非なる存在だ。 年をとるのを忘れた。 対比的に浮かぶのは、 わたしの田舎の、特に、農家の女性。 毎日、太陽をあび、米や野菜を育て、 子を産み、育て、 お姑さんの世話をし、親戚や近所の手伝いをし、 年にふさわしいシワを刻み、ふくよかになり、 しっかりと年をとっている。 それは、「ふけた」というのとは全然ちがう。 なんというか、 たとえば、「53歳」なら、53歳なりの、 実がびっしりつまっていて、 53歳という歳を切れば、血と米の汁が染み出すような、 しっかりした年のとり方なのだ。 帰省して、親戚の女性たちが、 「みーちゃん(山田本名)、 東京でがんばっとるんじゃって? すごいなあ」 と言ってくれても、 わたしは、ぜんぜん、この人たちの前で胸をはれない。 というか、この人たちの存在感に打たれている。 私の母の面倒も、苦じゃなく、さらさらとみてくれる。 しらずに、どこか、「すいません」 という心境になっている。 通勤途上、 「年をとるのを忘れた」という感じの人を、 ときおり、見つけて、私は、がくぜん、としつつも、 それは一瞬のことで、 出社したら、また、若い人に囲まれ、 十代の人を相手に仕事は忙しく、やりがいがあり、 わたしは、また、 年齢を超えて、どこまでもゆけるような感覚になった。 そんなふうに、30代後半を、 年齢との正面対決を避けて、するすると過ごしてしまった。 ところが、ここへきて、 年齢のことを、声高に語りたい、 むしょーにそんな気がしてきたのだ。 それは、私が40代に突入した、 ということが大きいと思う。 いまの40代は、 不安の世代とか、とくに女性には厳しいとか、 マイナス面ばかりがささやかれる。 わたしも不安がないと言えばうそになる。 でも、わたしが年齢を気にしはじめたのは、 むしろ逆、プラス方向からだった。 誤解をおそれずに言えば、 40代ということを、外に向かって謳いたい、 誇らしいような気持ちさえある。 わたしにとって、40歳になるということは それくらい開眼的なことだった。 一言で言えば、「年を重ねることでしか、 決して見えてこない、つかめないものが、 あるまとまりをもって見えてきた。」のだ。 年齢や経験を振りかざす気持ちはない。 若い古いに、関係なく、 大切なことが見えている人はいるし。 10代でも、20代でも、 私がかなわない、知識・才能・経験をしている人はいる。 それはとてもよくわかる。 でも、樹の年輪が1年一本しか刻めないように、 人が1日に、1年に、身に刻み、 自分の一部にできるものには、 限りがあるように思う。 とくに、人と人が、 くもの巣のようにネットワークをはり、 互いの関係性のなかで、 それでも、それぞれの意志をもちながら生きていく この世の中とは何か? その複雑さを、頭で理解し、 それが身について、 自分の泳ぎ方を編み出し、自然に泳げるような 体の教養になるまでには、 どうしても年輪を要す。 だから、仕事の面でも、 才能と経験と年輪が、あいまった40代から、 すばらしい仕事の域に達する人がいる。 やはり、人間を40年続ける、生きてみるということは それだけで素晴らしい。 わたしは、その部分を、人と語りあったり、 確かめあったり、外に謳っていきたいのかもしれない。 生まれて初めて、 「歳」の意味が自分の中で立ち上がってきた。 ところが、世の中を見ると、 なんか、情報の光があたる部分で、 「40代の女性はいない」ことになっている。 マスコミには、 10代や20代があふれ、いつまでも年をとらない。 いつまでも2、30代に見える 若さ・美しさを持ち続ける40代か、 飛び越えて大御所か、 「主婦層」とか、「お母さん」とか、「熟女」とか、 仕事で成功をとげた男性並みのタフな女性とか、 そういう記号が行き交っている。 いないことになっているから、 みな40代女性ではない、何ものかになろうとする。 いつまでも20代、30代に見える若者モドキか、 年齢も性別もこえて男並みに生きようとがんばるか、 はやばやと、オバサンの旗印をあげてしまうか、 それは、とんでもないもったいないことではないだろうか? |
Lesson163 小さなありがとうの3つの連鎖 わたしは、このコラムを 「がんばって続けよう!」と思って書いたことがない。 「続くのだろうか?」とはよく思う。 毎回、 「これが最後かも?」と思って書いていた時期もある。 こんなことを言うと、 「そんな根性のない! ズーニーさん、継続は力なり、って言うじゃないですか、 がんばって続けるよう、努力をしなさい!」 と、怒られるだろうか? こう見えても、持久力はある方なのだ。 これまで、 「石にかじりついてでも」続けてきたものはあるし、 そうすべきときは、とことんやる。 でも、このコラムは、そういう風ながんばり方を してはいけない。なぜかはじめからそう想った。 私が「がんばって続けよう!」 という思いを、堅くにぎりしめてしまったら、 そのとき、非常にたいせつな何かを失うような気がする。 そう思わなかったから、 結果として4年目を迎えているというか。 「私が」がんばるのでなくて、 このコラムは、3つの「ありがとう」の 微妙なバランスによって生かされている。 1つは、 読者のありがとう 2つめは、ほぼ日のありがとう 3つめは、私のありがとう 読者のありがとうとは、 この「おとなの小論文教室。」を読んで 「よかった。ありがとう」 と想ってくれるかどうか。 ほぼ日のありがとうとは、 「ほぼ日にズーニーさんのコラムがあってよかった。 書いてもらって、ありがとう」 とほぼ日に想ってもらえるかどうかだ。 私のありがとうとは、 私が、読者の人に、そして、ほぼ日に、 「ここに書かせてもらってありがとう」 と想えるかどうか。 この三角形は、 ときに、二等辺三角形になったり、 いびつになったりすることはあるけれど、 3つのうち、どれがひとつ欠けても成立しない。 たとえば、どんなに私が、想うことを書いて満足しても、 それを読んで1人も歓んでくれる人がいないとしたら、 大勢の前でものを書く意味はないわけで、 日記でやっていろ、ということになり、続けられない。 また、どんなに自分が満足して、読者が歓んでくれても、 ほぼ日にとって、 「それは、わたしたちの目指すものでない」 ということになったら。 ここでやらないで、自分のホームページでやってくれ、 ということになる。 また、私が、ほぼ日や読者に対して 共感できなくなる可能性だってある。 不遜に想われるかもしれないが、 どんな素晴らしいものであっても、 かのビートルズだって、好きな人ときらいな人がいるのだ。 人が個性を持って生きるとはそういうことだ。 でも、この3年数ヶ月、ほぼ日や読者に対する 情熱はうせなかった。信頼できる読者、媒体に会えた。 これは仕組んでできることではない。 つまり、 自分の努力というのは、もちろん大切だけれど。 出会いとか、人の想いとか、 自分では、どうにもならない力によって、 生かされてきた部分がおおきい。 2000年、連載開始にあたって、 「ほぼ日」は、作家やスター、一般の人に関係なく みな、無償でコラムを書いていると知った。 そのとき、非常に難しいな、 これはある意味、仕事以上に難しい 関係性の中に身を置くな、と直感した。 だから、やってみたい、面白そうだと想った。 それをボランティアと呼ぶ人もいるが、 わたしは違うと想った。 ボランティアと言えば、書き手が一方的に奉仕する感じだ。 そうではなく、お金のやりとりはされていないけれども、 この3角形の間には、確実に 「見えない価値」が循環していると想う。 そう、ダーリンコラムに書かれていたソフト・マネーだ。 日ごろ、形にすることで逆に見えなくなっている価値を、 わたし自身、「心の目で観て」みたい、ということと、 「見えない価値」をぐるぐるさせることに 未知の興味を感じたのだと想う。 自分が書いていることに 価値があるかどうかなんてわからない。 ときどき、とても不安になる。 でも、3角形の始点は、自分であること。 そして、どんな価値であろうと、書かねば、 生まねば始まらない、ということだけはわかる。 書けば、よくもわるくも、 書いたものに相応しい循環が生まれ、 やがて自分のところにめぐってきて、自分が何かを知る。 連載はじめ頃、無名の自分が、どんな価値を提供できるか? もう、必死!だった。 見かねた家族が、「もっとらく~に書けよ」と言ってくれた。 でも、3つのありがとうの緊張から逃げなかったからこそ、 この1回をまた、奇跡のように感じられるんだと思う。 言葉にすると陳腐だけど、 三角形のはしっこに立ち、私は、今日も、ありがとう!と 叫んでいる。 |
Lesson164 自分はどこに進んでいるのだろう? 自分にうそをつかず、 人と通じあっていくには、どうしたらいいか? 来月刊行の本に向けて、 ずっとそのための、コミュニケーション技術を考えてきた。 で、校了がすんだいま、 自分で、思っていた以上に、 コミュニケーションにおいて、その人の「意志」 が重要であることに気づかされた。 意志。 つまり、 「今から未来に向け、自分はどうしたいか?」 これがはっきりしており、 人に端的に語れる人は、 この時代、人と通じ合うパスポートを手にしているようで、 本当に強い、と思う。 逆に、「実のところ、やりたいことがない」とか、 「それは、本気でやりたいことではない」というとき、 通じ合うスタートラインにも立てず、 言葉は、ドウドウめぐりをし、 消耗感がつのるのみで、 自分もまわりもつらいだろうと思う。 「自分には意志がない」と 不安になる人もいると思う。 そういう人の方が多いかもしれない。 しかし、自覚しているか、していないかだけで、 意志の種は、だれにも、もとから備わっている。 何をやりたいか、わからない人でも、 だれかの意志によって、自分の未来を強制されたら、 違和感をもったり、反発したりするだろう。 それが、すでに、他人とは違う、自分がある証拠だ。 また、なまじ意志なんかもつから、 ちがう意志を持つ人とぶつかったり、打たれたり、 角が立つのだ、と思っている人も多いと思う。 でも、実際、「自分はどうしたいか」という明確な意志を 持っている人は、柔軟だ。 自分の意志に照らして、 相手のやりたいこともスピーディに理解する。 相手の意志と、自分の意志、 重なる部分、はっきり違う部分、両者の関係がわかるから、 できる協力はおしまずするし、 協力したからといって、 それに、自分がのっとられたりはしない。 相手がしたいことを、無意識に助けてあげよう、という 心が働く。 一方、自分の意志がない人は、 他人の意志に、反発したり、吸引されたりしながらも、 無意識に、他人の意志に便乗しようとする。 自分の意志と、他人の意志の境界があいまいだから、 しまいには、相手との微差も、許せなくなる。 相手がしたいことを助けてあげるようなふりで、無意識に 自分探し、自己実現をしようとする。 いま、消耗感を強めているのは、 意志と意志のぶつかりあいではなく、 意志あるものと、意志なきもの、 あるいは、意志なきものどうしのぶつかりあいでは ないだろうか? だから、稚拙でも、あやふやでも、 くりかえし、くりかえし、 「今から未来に向け、自分はどうしたいか?」 と自分に問うこと、 それを、コミュニケーションの要所で しっかり言葉にして、人に伝えてみる、ということは、 とても大切だ。 先日も、会議のとき、 自分の意志を示すことの大切さを痛感した。 いま、大学生に向けた、新しい教材を開発している。 その日は、 私がつくったプロトタイプを、 クライアントや、編集部や、営業の人が集まって、たたく、 という会議だった。 企画会議や、商品開発の会議に出た人ならわかると思うが、 その商品にこめる期待というか、価値観が、 出席者の間でみんな違う。 当日の私の目標は、 私のプロトタイプについての、出席者の意見を 徹底的に聞く。100%、理解する。 ということ、のみだった。 一人一人のご意見を聞いていくと、 やはり、現場の営業マンの声は、ほんとうに説得力があり、 いま、大学で文章指導に何が求められているか? 実のところ、大学生のレベルはどうなのか? 私のプロトタイプで、難しくてできないと思う層、 ちょうどいいと思う層、 これでは、もの足りないと思う層、 それぞれの、求めるもの、や、 プロトタイプの不備がよくわかった。 レベルひとつをとっても、 もっと難しくするのか、易しくするのか、 どの層に向け、どうするのか? 知識の詰め込み方は厚くなのか、薄くなのか? 量は、多くなのか? 少なくなのか? 疑問は次々に出てくる。 でも、こうした、個々の疑問に、 対処療法的に意見を返しても、よけい混沌としてくる。 いったん、みんなの想いを出しきってもらった上で、 私の方で引き取って消化し、 プロトタイプの2次案で、 私の答えは形として見ていただこうと、 私は、聞く・理解するにつとめた。 出席者1人1人が、想ったことを言いきると、 最後に必然的に、ひとつの問いが生まれた。 「山田さんは、この教材で、 何を実現しようとしているのか?」 文章力をつける、 というようなゴールは、ワクのみであり、 もっと、突っ込んだビジョンが求められていることを 切実に感じた。 それまで、クライアントへの配慮や、 営業への配慮、 相手から観た自分を考慮しながら、 慎重に発言していた私だったが、 ここは、自分の意志を、はっきり伝える時が来たと感じた。 それで、この教材で、大学生にどうなってもらいたいか、 文章表現に関して、キャンパスに、 どういう文章教育の新しい流れを起こしていきたいか、 自分の意志をはっきり伝えた。 当日初対面である、現場を熟知した営業の人が どう想うか、出版のリスクをとる版元がどう想うか、 ここばかりは、まったく予想がつかなかった。 やっぱり、自分の想いを語るときは、とても勇気がいる。 その瞬間、いままで、出席者の顔に浮かんでいた 大小さまざまな「?」疑問符が、すーっと解け、 出席者のみなさんに、晴れ晴れとした笑顔が浮かんだ。 「通じた!」という確かな手ごたえがあった。 営業の人も、「よし、これで売っていこう」と 迷いなし、という表情を返してくださった。 出席者のみなさんは、「目的」を理解されたことで、 教材の部分、部分が、なぜこのような設計になっているか、 一気に納得されたようだった。 次に改訂したプロトタイプ2次案は、一発で会議を通り、 あっという間に2次案の検討会議は終わってしまった。 仕事をしていて、なかなかそういうシーンはない。 想いが通じるとは思っていなかったので、 私の方が驚いた。 私は、やはり、「意志」を示すことの重要さと、 それを示すタイミングについて考えた。 たぶん、会議の冒頭で、 わたしが、この教材にかけた想いをとうとうと語っても、 みなさん、ピンとこなかったと思う。 充分、論議がなされ、各自が充分、教材への疑問や 想いを語った後だった、ということがよかったのだと思う。 だれかの案をたたくとき、 最初は、部分、部分をたたいている。 だが、しだいに、たたいている方に、 この案を通して、 人や社会にどういう状況を紡ぎだしたいか、 自分なりのビジョンがイメージされてくる。 私の場合も、教材のレベルや、量や、 個々の検討をしているうちに、 個々の担当者の中に、自分なり教材へのビジョンや 切実な疑問が生まれていった。 そうして、個々の人の意志がたがやされたところに、 私の意志を伝えたことが、 結果的によかったのだと思う。 「今から未来に向け、自分はどうしたいか?」 それが、わからないから苦労している、という人へ。 ヒントになるか、ならないか、わからないが、 先日、私が、 海を見ながら考えた、よた話を聞いていただいて、 今日のコラムをしめくくりたい。 先月、私は、小笠原へ、往復52時間の船旅をした。 時間がある限り、デッキに出て海を見ていた。 海の色も、波の様子も、刻々と変わり、 まったくあきることがない。 そこで、さまざまな船がさまざまな方向に 航海していた。 8月の下旬という時期がら、 人々は、田舎から、都心をめざす時期なのだろう。 そういう時期に、 私は、逆行して都心から田舎を目指している。 その姿が、企業をやめて、 新たな仕事の航海をしている自分と重なった。 私は、「人が持つ力を生かし・伸ばすサポートをする」 という、教育への意志だけを信じて、 企業を辞め、フリーランスとして歩きはじめた。 それから3年半たつ。 これは、進歩なのか? 後退なのか? いま、もっと都心へ、六本木ヒルズへ。 より、経済効率よく、 より組織的に、より大きく、より高く、と 航海を進めている人にとって、 私の航海は、後退とうつるだろうか? かといって、 いま、あえて、都心とは逆方向へ、 六本木ヒルズとは逆方向へ、 人生の舵を進める人たちがいる。 そういう人にとって 私の航海は、進歩とうつるのだろうか? どっちが進歩で、どっちが後退なのか? 自分はどこに進んでいるのだろう? 海や、波をみていると、 知らずに、人生を考えたり、哲学をしてしまう。 そうして、波のうねりを、何時間も見ながら、 非常にあたりまえのことに行き着いた。 「地球はまるい」ということだ。 都心を目指す船と、 都心から遠ざかろうとする船、 一見、ま反対に進んでいるようでいて、 いつか一周まわって船は同じところへ行き着く。 はじまりもなく、終わりもなく、 進歩も後退もない。 都心を目指す人は、 田舎へのプロセスとして、 都心を経由しているとも見えるし、 田舎を目指す人も、結局は、 都心に通じているとも言える。 正しい航路の選択も、 間違った選択も、もともとなく、 ここでは、 「自分で方向を決める」ということと、「動き出す」 ということだけが正しいのではないか? あなたは、どこを目指して進んでいるのだろう? 間違った航路は、正しい行き先へ着くために どうしても経ねばならないプロセスだと言えるし、 正しい航路も、ゆきすぎれば、間違った航路になる。 動かなければ、どこへも行けず、 動けば、必ず、自分の行き先を目指しているとも言える。 はじまりもなく、終わりもなく、 正しいも、まちがいもない。 だからこそ、自分の想う「正しい」に向けて、 大胆に舵をとればいいのだな。 片道26時間の都内旅行は、 私にそんなことを教えてくれた。 |
Lesson165 解決策を相談されたら? 友人から、悩み相談を受ける。 「ねえ、どうしたらいいと思う?」 そこで、いろいろと思いつく、解決策を出してあげる。 「ジャスト、アイデアだけど……」と言っては1案出し、 「私が以前、使った手なんだけど…」と、もう1案、 「あんまり現実的でないかもしれないけど…」と、もう1案、 ところが、相手は、その1つ1つに難色をしめし、 しまいには、「あなた、私のこと、わかってない! 他人のことだから、どうでもいいと思ってるんでしょ!」 なんて、怒り出し、 「なんだよ、そっちが、相談にのってくれって言うから、 一生懸命、考えてやってるんじゃないか!」 と険悪なムードになった、なんて経験、ありませんか? 解決策は、と聞かれて、解決策から考えてはいけない。 いま、講演シーズンで、さまざまな質問を受ける。 入試や、就職の小論文で、 「解決策は?」 と問われて、解決策を、 「志望理由は?」 と問われて、志望理由を、 誠実に考えて、ゆきづまっている人、 案外、多いと気づかされる。 しかも、こういう人たち、とても知的な印象を受ける。 ずいぶん頭がよさそうなのになぜかな、と思う。実際、 「問題の現状 ⇒ 解決策」 と、一足飛びの答案、かなり多いのだ。 「はやっ!」と読んでいて、思わず声が出てしまう。 そこで、次の、カッコの部分が重要になってくる。 「問題の現状 ⇒ ( ) ⇒ 解決策」 原因は、何なのか? 一番の問題点は、何なのか? 自分なりに、踏み込んで問題を分析してみる。そして、 原因、あるいは、一番の問題点を相手と共有する。 これができたら、そのあと、 こちらがいろいろな解決へのアイデアを出しても、 相手は、そのアイデアが、何を根拠に出てきたものか、 わかるために、唐突な印象は受けない。 入試に問われる、環境問題などはもちろんだけど、 日常で相談されるような、人間関係や、仕事の悩みも、 原因が「ひとつ」から起こっていることはほとんどない。 「複雑な原因」から生じている。 部分的な解決策を出しても、 全体から見れば、不都合だったり、 かといって、全体がすっきり解決する万能の策など 短時間で出せるはずもない。 つまり、どんな解決策を出しても、 相手は、いかようにも、突っ込みができる、ということだ。 八方すべておさまる解決策などない、とすれば、 結局、解決策というものは、 何を取り、何を捨て、 未来に向けてどう踏み出すのか、という その人の意志に関わる問題だと言える。 リスクをとらないと、解決策も手にできない。 そこで、2手先に進んで、 この問題が解決できたとして、その先、どうなりたいのか? を、想い描いてみる。 問題の現状⇒分析⇒解決策⇒問題解決⇒理想の未来 この未来のビジョンが、相手と共有できれば、 相手は、アイデアが、何のために出されているのか わかるために、万能策でなくとも、納得感がある。 「解決策」が求められたら、 1手戻って、「原因」や「問題点」を共有し、 2手進んで、未来の「ビジョン」を共有し、 この2つを結んだ線上で、アイデアを語れば、 たとえそれが、万能の策などではなくとも 納得感がある、というわけだ。 だから、小論文の受験生なら、 環境問題や、国際問題など、出口のない難問を与えられて 解決策を求められた時、 1手戻って、原因や背景、問題点を分析する。 2手進んで、 自分が将来進みたい分野で理想の社会を考える。 この二つを結んだ、線上で、解決策を探る。 というのも、1つの方法だ。 例えば、将来、教育を志す受験生なら、 環境問題への万能の解決策は出せなくとも、 複雑な原因の中で、 自分は、環境に関する教育に重きを置く。 将来、自分は、教育の仕事で、 子どもの環境への意識をこのように高めていきたい。 と、志望へつづく線上で、 問題分析、問題解決を図ってみる。 法学部に進みたい人は、法律、 経済学部に進みたい人は、経済と、 自分の意志と関わらせて解決策を探るという1つの方法だ。 同じく、人から、「どうしよう?」と相談されたら、 「どうしよう?」と策を考え出す前に、 1手戻って、原因や問題点を、 2手進んで、問題が解決できたとして、そして、その先、 どうしたいのかという相手の意志を、 確認するといいのではないだろうか。 「どうしよう?」と不安な声に、 「どうしよう?」と、 一緒になって考えてあげるやさしい人が増え、 「どうしよう?」、「どうしよう?」が、 逆に相手を追いつめてしまい、 そこから、一気に、 あまりにも安易で、短絡的な行動に出る。 なにか、そんなシーンが増えているような気がする。 |
Lesson166 日々ハードルが高くなっても いまさらなのだけど、 自分が書いたもので食っていくという、 プロの道のきびしさを痛感している。 フリーになりたての、仕事のないころは、 やってきた仕事に、 もう、夢中で、 もう、死んでもいいくらいの勢いで書いて、 100しかない力を、105くらい搾り出して、 それが、認め・歓ばれると 本当にうれしくて、かみしめて。 そうして、納得のいく仕事をひとつ、ひとつ 重ねていけば、 力や経験が追いついてきて、 いまよりもっと楽になるだろう。 と、ふんでいた私は、とんだアマチュアだった。 ハードルは次々高くなる。 105の力を見てくださった人は、 次から、それ以上を期待する。 本を一冊書けば、自分の目も厳しくなる。 ひとつハードルを越えれば、 必ず、それより高いハードルが、 外から。それ以上に自分の内面から、 突き出してくる。 これじゃ、がんばれば、がんばるほど、厳しくなる。 とてもかっこわるいのだけど、 腹のくくり方が足りなかった私は、 この構造を見通したとき、一瞬、絶望的な感じがした。 そういう私の「腹」を試すかのように、 仕事・仕事・仕事だった9月は、 過ぎてみると、本当によかった。 最近は、ひとつ仕事をしあげて、 達成感にひたる、ということも少なく、 それよりも、自分の次の課題が見えてくる。 なかでもとくに思うのは、 「一つまとまったものを書き終えると、 次の課題がはっきりする」 ということだ。 私の場合、本を書き上げたあと、 達成感より、何より、 「自分の次の課題」が明確に見えてきた。 自分の次の課題が見えた。 なにげなく言っていたこの言葉を、 昨日の朝、目覚めて考えたら、 ちょっとした感慨があった。 ものを書いているとき、 途中、ものすごく不安なときがある。 何に向かっているのか、何を創ろうとしているのか、 わからなくなる。 するともう、「自分は何なのか?」さえ、 わからなくなってくる。 「混沌」とか、「未知」という、頂上の見えない山を、 登っているような感じだ。 頂上が見えないから、登山不可能に思えてくる。 で、苦しみもがいて、なんとか書けたとき、 「ああ、私は、こんなことをやろうとしていたのか!」 あとから、わかる。 そうして、自分が見え、次の課題がわかる。 「まてよ。 ということは、 自分は、いま、あの山の頂上を ふり返っているんだな」そう思った。 書いてる最中、混沌であり、未知であり、強敵であり、 登山不可能に思われた頂上を、 私はいま、ふり返っている。 のみならず、さらに、次の、もっと高い山を見ている。 頂上に立っているときは気づかなくても、 山を降りながらふり返ってみると、 「ああ、自分って、あんなとこまで登ったのか!」 と、自分でもびっくりすることがある。 もちろん、山に登ってみなくても、 あれこれ、いくらでも、高い山は眺められる。 しかし、自分のいた頂上を、離れてみているこの感覚は、 山を登らねば、決して得られないものだ。 小さな山でも、 自分の心の中にそういう山の風景を増やしたい。 そうしてこそ、次の山。 それまでは高くて、自分の心の圏外だった山が、 現実感をもった高さとして、心に響き始める。 あれこれ言うのでなく、 やはり、ひとつの作品をしあげること。 アウトプットをする、 つまり、「書き上げて次に進む」 ということの大切さを、思った。 書いて、出しきって、発表して、 打たれるなら打たれ、 恥をかくなら、恥かこう。 そうして、前にいく方がよっぽどいい。 次のハードルが高ければ、 ようやく、この高さに、 現実感をもって出会えるようになったか、 と、楽しんでやろう。 いまは、この次、 自分のどんな課題がすっきり見えてくるか、 楽しみでさえある。 あなたは今、次なる、どんな山を見ているのだろう? |
Lesson167 「くずれ」ない行き方 「学者くずれ」とか、「作家くずれ」とか、 世に「くずれ」という言葉があるけれど、 この、「くずれ」って何? というのが、ずいぶん長い間、ナゾだった。 私自身は、「くずれ」た人に会ったことなどない。 仕事で、学者さんにはたくさんお会いする。 また、学者なみの知識があっても、 はなから学者を目指さない人もいる。 いったん学者を目指したが、 転向して、他の仕事で活躍している人、 時間がかかっても、学者を目指している人、 みな、全然「くずれ」てなどいない。 だから、最初に、友人が、この言葉をつかっているのを 聞いたとき、ずいぶんと嫌なことばだなあ、と想った。 学者は、りっぱな仕事だが、 たくさんある職業のうちのひとつ、 目指す人は、一生かけて目指せばいいし、 目指したくない人は目指さない。 どんな仕事であろうと、 別に「くずれ」る必要などない。 それで、私の辞書に、この言葉はいらない、 と思っていた。 ところが、先日、教育関係の相談を受け、 ある人にお会いしたとき、 もしかして、こういう人のことを 「くずれ」と呼ぶのでは? 生まれてはじめて、そう思った。 ここでは仮に、Xさんとして進める。 Xさんは、教育になのか、学生になのか、 とにかく、ものすごく強い 「想い入れ」があることが感じられた。 また、独特の考えというか、 ある種の「能力」の高さも感じられた。 ところが、何かが恐ろしいくらいねじ曲がっている。 1時間の予定が、2時間以上、Xさんは想いを語り。 語れば、語るほど、周囲を混乱させた。 私は、Xさんの発する、ねじ曲がった磁場のようなものに、 からめとられて、一向に会話の出口を見出せず、 次回までに、解決すべき問題を整理し、 その優先順位をお伝えして帰るのがやっとだった。 帰り道、 私と、あと、仕事仲間3人で行ったのだが、 仲間たちは、カンカンに怒っていた。 「山田さんも、あんな失礼なことを言われて、 さぞ悔しかったでしょう」と。 そう言われて、私は、 「あ、ずいぶん失礼なことを言われていたのだ」 と、やっと気がついた。 ところが、自分でも驚くほど、腹が立っていない。 たぶん、それどころではなかったのだ。 それよりも、Xさんの発する 強烈な「ねじれ」の正体は、いったい何なのか? 私の興味は、そっちに全部、吸い寄せられていた。 あとから考えると、 Xさんの話は、論理展開が、むちゃくちゃだった。 仕事のミーティングは、 ふつうは、おおまかでも、なにか方向性があるものだ。 例えば、時期、対象、ねらいなどの、大枠から決めて、 そのあと、細かいことを決める、 「マクロ → ミクロ」とか。 過去の背景から入って、現状の問題点を整理し、 そこで、この仕事では、何をねらうか、 と、話を進めていく、 「過去 → 現在 → 未来」とか。 何がしかの方向はある。 脱線したり、混沌としても、何か方向性をもって 話をすすめようとする。 ところが、Xさんの話は、まったく方向性がない。 いきなり各論から入る。 たとえて言えば、授業企画なら、学習目標をどうするか、 何回のどんな形式で授業をするか、 いつ? だれが? 何を? どうする? という骨組みを話さないうちに、 「生徒が座る椅子は、こういうものにしよう」 というような、瑣末な部分を、話し出す。 しかもその瑣末な部分に 独特のものすごく深いこだわりがある。 そして、話が、飛ぶ。 ひとつの「瑣末な部分」に、 思い入れ、こだわったかと思うと、 今度は、別の「瑣末な部分」にとびつき、 またそれに、妙に、深くこだわる。 これでは、いつまでたっても、骨組みが決まらない。 そこで、私たちが、 さきに考えていくといい要件を洗い出し、 話を方向づけようとすると、 私たちの、言葉尻をとって、はぐらかしてしまう。 そこで、私は、 学習目標のところだけ先に共有しようと思った。 学生にどうなってもらうか、という、 ゴールさえ共有しておけば、 あとは、こちらで、 授業のカリキュラムや具体案はつくれる。 できあがったものを見ていただいて、後日、また 会議をすればわかりやすいだろうと。 そこで私は、Xさんに、目指す学習のゴールを問うた。 だが、おそるべき、 ねじまがった返答ではぐらかされてしまう。 それならばと、こちらの考える、 学習のゴールをお話して、 これで進めてはどうかと提案する。 しかし、Xさんは、また、本筋に関係のない、 瑣末な部分のアイデアを思いつき、 それにまた、妙にこだわりだす。 いったいどうして、Xさんは、これほどに、 アトランダムな話し方をするのだろうか? 瑣末な話から、骨組みの方へ、 話の軌道修正を何度か試み、 そのたびに、はぐらかされ、を繰り返しているうちに、 私は、気がついた。 Xさんは、話をはぐらかしているのではない。 Xさんは、私たちに、いじわるをしているのでもない。 これが、そのまま、Xさんの「教育観」なんだ! すなわち、Xさんは、 教育において、 目指す方向、やりたいことが何もないのだ。 ただ、磁力のように、 強い「想い」だけが真ん中にあって、 あとは、部分的、瑣末なアイデアが、 何の方向性も、秩序ももたず、 アトランダムに浮かんでいるだけ。 これが、Xさんの内的世界だ。 そして、Xさんの真ん中にある「想い」とは、 大学と教授陣に対する、強く、しぶとい「怨み」だった。 Xさんからは、ふたことめには、いまの大学の教育や、 教授陣への怨みのことばが発せられた。 「ほんとうの大学教育はこうじゃない」 という、痛烈な反発だけがあり、 「では、どういう教育だったらいいのか?」という ビジョンがまったくない。 Xさんの話の秩序がばらばらで、伝わりにくいのは、 そのせいだな、と思った。 Xさんは、いわゆる、大学教授ではない。 しかし、また別の立場から、大学改革に貢献しようとか、 大学教育を補完しようという、建設的な考えでもない。 やろうとしていることは、 明らかに、大学教授の仕事の領域、 越権行為であり、学生の私物化だと、私は、感じた。 Xさんは、大学教授を目指すべきだったのではないか? と僭越ながら、私は本気でそう思った。 もともと教育への強い想いと、 学生への一角ならぬ愛情の持ち主であること、 また、独特の視点や能力を持っておられる方だな、 というのが感じられたからだ。 いま、そういう「教える」意欲に満ちた人は貴重だ。 いったい、何があったのかは、しらないが、 教授への道をあきらめたとき、 Xさんの想いと能力は、発路を失った。 しかし、Xさんは、どこかであきらめきれなかったのだ。 学生への愛情と、教育への想い、アイデアは、 ご自身の中で増殖していく。 しかし、それは、発路と方向性をもたないので、 いびつな膨らみ方をしているようだった。 ビジョンを持ったところで、 そこに進んでいくことはできないと、 どこかで知って、あえて、 方向性を持つのを避けているというか。 唯一、方向性があるとすれば、 それは、「大学と教授陣」への怨み、 「反発する」ことだけが、 Xさんの、いまの行動指針になっている。 これでは、アトランダムで、 論理が支離滅裂な話になるのも、 しかたがない、と思った。 いやな言葉だけれど、「くずれ」というのは、 どこかで、その夢をあきらめた人のうち、 どこかで、その夢をあきらめきれなかった人、 だと私は思う。 そして、「くずれ」た人は、 ほんとうは、その夢をあきらめてはいけなかった。 追い続けるべきだったと、私は本気で思う。 だって、どんなにつらい、あきらめだって、 たいていの人は、2、3年もすれば、 気持ちが薄れていく。 やがて、わりきったり、いいように考えて、 新しい道でちゃっかりと生きはじめる。 人は、忘れることの天才なのだ。 ところが、「くずれ」と言われる人は、 時が経っても、消えない、強い「想い」がある。 「想い」が消えないのは、 どこかで、「自分は負けていない」という 自分の能力への自信が断ち切れないからだろう。 それだけ、強い想いと、独自の何かがある人は、 より広く、より明るい方へ、 自分を活かすトライをし続けていったほうがいいと思う。 生かす場が狭ければ、才能はいびつになり、 ネガティブな方向に向かえば、才能は身を滅ぼす。 想いも、能力も、生かす方向が大切だと想う。 私は、夢は追い続けていれば、必ず叶う、 というような、甘い事を言いたいのではない。 ただ、それだけ、執着心があれば、 いい方向に向ければ、たいがいの困難は 越えられるのではないか、と言いたいのと。 そして、どうしてもあきらめなければならない場合、 自分で、ヘンなわりきり方や、 あきらめの線引きをしなくても、 ひたすら夢を追い続けていれば、 納得できる「終わり」は、 向こうからくる、と言いたいのだ。 だから、何も迷わず、夢はまっすぐ追っていいのだと。 あらゆる可能性を試し、 自分の限界までやって、 必然的に迎えた「終わり」であれば、 もう、体が、「あきらめきれる」のではないか? 「くずれ」と言われる人は、ここまで行ききってないから、 だから、執着心が消えないのではないだろうか? 人一倍の想いや能力をもった人が、 なにかのはずみに、 進むことも、方向転換することもできず、 なにか、人や社会に対して、 怨みなどの、ネガティブな想いに 深く深くとらわれていって、方向性を見失っていく。 そういう「くずれ」という危険性は、 どんな分野の、だれの中にも潜んでいると思う。 そうならない、ために、どうするか? 決して、安っぽい道徳心で、言うのでなく、 「感謝」しているかどうか? 自分に問う事だと思う。 これは、実に合理的な方法だと私は思っている。 ここのところ、 何に対しても、まったく、「感謝」してない、 というとき、自分は次のどちらかだ。 自分にとって良い情報がまったくとりこめていないか、 または、 自分にとって良い情報が入っているのに見極められない。 (=何が、自分を益するものか、自分で見分けられない) どっちにしても、このままでは行き詰まる。 逆に、しっかり「感謝」して、進んでいるということは、 自分を益する情報を、自分で認識し、よく取り込めている、 ということであり、 挫折感に周囲との関係性を見失ったときも、 「ありがとう」「ありがとう」を 手がかりに進んでいけば、 自分を生かす、明るい方向へ必ず出られると、私は思う。 このところ、綾小路きみまろさんとか、 歌手のKUMIKOさんとか、 売れなくても、周囲に理解されなくても、あきらめず、 中年をすぎて、まっすぐ、 きれいな花を咲かせる人が目立つ。 何歳になっても、夢を追い続けていられる人は、 向こうからまだ終わりがきていない、 夢を追う資格がある証拠だと私は思う。 |
Lesson168 ありがとう あなたにお礼が言いたくて、これを書いています。 もうすぐ、はやければ今週末にも、 私の本がでます。 あなたのおかげです。 と言ったら、あなたは、 「見えすいた社交辞令を…」と思うだろうか? でも、3日前、 本の見本が、一人の仕事部屋にとどいたとき、 南伸坊さんの美しい装丁を手にとって、眺めているうち、 うっすら涙がにじみ、なんとも言えない感慨があった。 「この気持ちを、はやくだれかと分け合いたい。 真っ先に、だれに見せようか?」 と考えたとき、 まず「あなた」だ。 と、私は、本気で思ったのだ。 それで、3日間、人に会っても見せないで がまんしていた。 まず、あなたに見せ、ひと言、お礼を言ってから、と。 本当にありがとう。 おかげで、本は、生まれました。 この本は、ほぼ日に連載をはじめてから、 最初にいただいた単行本化の企画だった。 その意味で、無名の新人である私に、 あなたが最初に機会をひらき、育んだ本だと言える。 だから、お礼をいわずには、おられないのだ。 企画をつめるうち、 このコラムの単行本化でなく、新しく書き下ろそう、 ということになったが、 ここで、あなたと私が、考えたり、感じたりしている 何かが出版に通じたことに変わりはない。 だから、ありがとう。 あなたは、あまり実感がわかないかもしれない。 ただ、クリックするか、しないか、 読むか、読まないか、 読んで、何かを感じるか、感じないか。 一瞬の、内面に起きる反応が、 こうして、離れただれかの現実を動かしていることに。 だが、私にしてみると、 その力に、打たれたり、励まされたり、 突き動かされて、この3年半に見る風景が、 どんどん変わってきている。 あなたの存在を想わずにはいられない。 以前、このコラムにいただいたメールに、 「ドラムが鳴っているとき、 鳴っているのは、ドラムだけではない。 バチも鳴っているのだ。」 という言葉があった。 うまくは言えないのだけれど、 毎回、ここで、しゃべっているのは、私だけれど。 実は、言葉にしなくても、気がつかなくても、 あなたも多くをしゃべっている。 このコラムから、時折、 深いものを感じたり、考えたりしてくださるとき、 あなた自身も、強く「鳴って」いる。 私が、どんなに緻密に書き込んで、 自己ベストの完成度をあげても、 いっこうに、あなた自身が「鳴らない」こともあれば、 スキマだらけの原稿で、私が、 書いた恥かしさに、 更新前までのたうちまわるような原稿でも、 あなたが、非常に強く「鳴る」こともある。 あなたは、私が出す音と、 それによって、無意識にあなたの内面で鳴り出す音と 両方を聞いているのだ、ということを、 私は、ここで、あなたから教えられた。 教育を志すものとして、媒介として、 私が目指す、面白い文章とは、 そういう、互いに響きあうような文章なのだと、 あなたに教えられた。 だから、ありがとう。 ものをつくる人の中に、 「いまどきの読者は」「いまどきの視聴者は」と、 くくって、わかったようなことを言う人がいる。 だけど、私は、正直、 3年半、あなたへの、謎は深まるばかりだ。 最初のころより、 もっと、もっと、私はあなたの反応がわからない。 それは、あなたという人物が、 わたしの予想では、決してつかめぬくらい 奥深いということであり、動いているということであり、 また、わたし自身が、 へっぴり腰の、予定調和な表現から、やっと 動き出そうとしているということかもしれない。 そこに希望がある。 あなたの反応がわからないからこそ、 投げかけてみたい、聞いてみたい「問い」に、 聞いた私も、聞かれたあなたも、 一瞬、頭が、真っ白になるような「問い」に、 これからの人生で、出くわしていくことも、 それを、勇気をもって、ここであなたに投げかけることも、 その時、あなたの中で、どんな音が鳴り出すのかも、 予想がつかないからこそ、本当にたのしみだ。 いまも、これからも、ほんとうにありがとう。 書店でこの本を見かけたら、「私が育んだ」と 胸を張って言ってください! ![]() 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』 筑摩書房1400円 おかげさまで、10月20日刊行です! |
Lesson169 想いのこもった言葉――読者との往復書簡 こんにちは、ズーニーです。 今日は、先週、読者の方からいただいた1通のメールと、 それに対する私からの返信を、 ほぼ、そのままのせたいと想います。 ちょっと、私がセンチメンタルになっており、 恥かしいな、とおもうし。 また、自分を褒めたり励ましてくれる人の言葉を 自分のコラムにそのまま載せるのは、 人から観れば、つくられたコマーシャルのように、 そらぞらしい感じがし、引いてしまう、 ということも、編集をながくやってきた私なので、 充分わかっています。 ですから、このメールをこのまま載せることに ためらいがありました。 また、わたし自身が、「泣き書き」しています。 こういう泥臭いやりとりは、いまどき流行らない、 当人同士はよくとも、 第三者から見れば、はいっていきにくいものだ、 とも想いました。 しかし、それでも、 今週いちばん、私が心を動かされた文章だったので、 素直に、原文のまま、 ここに紹介しようと、想いきりました。 引く人は引く。それでよい、と。 それ以上に、 「想いのこもった言葉」は伝わるんだ、ということを、 お伝えしたかったからです。 自分の想いを、どこまでも正直に言葉にし、 なげかけたとき、距離も背景もこえて、 人の心を打つのだと。 あなた自身が、だれかに想いを伝える、 何か、ヒントや勇気につながったら、うれしいです。 では、まず、先週分のコラムに、 読者の方からいただいたメールを紹介します。 …………………………………………………………………… 読者のGuriさんから山田へのメール 「ほぼ日」にメールを出すのは、初めてです。 はじめして、「ほぼ日」のみなさん、 いつも楽しく読ませていただいています。 ズーニーさん。 単行本の誕生、本当におめでとうございます。 『おとなの小論文教室。』は、ほぼ毎週、読んでいます。 バックナンバーでなら、ぜんぶ読ませていただきました。 実のところ、「ほぼ日」のコンテンツの中で、 もっともバックナンバーをふりかえって読んでいるのが、 ズーニーさんの『おとなの小論文教室。』です。 不思議な教室です。 人と人との関係性の儚さや、 そして時にしてその関係性が強くなるさまが、 痛みのままに綴られているような気がします。 僕は2年前に、大阪から東京に出てきました。 東京に行くぞ!と決心したあの瞬間も、 最後に背中を押してくれたのは、 ズーニーさんの『おとなの小論文教室。』でした。 嘘みたい、と思うかもしれないですが、 本当の話です。 のたうちまわって、 何かを伝えようとしている、 ズーニーさんの姿や文章になんだかすごく感化され、 「俺も大都会・東京に行って、いろんな人と繋がりたい」 そう思ったのです。 今ふりかえると、20代後半の、 いちかばちかの賭けのようなものだったと思います。 そうして東京に来て2年、 いくつかの新しい繋がりを つくることができたと思います。 小さくささやかな繋がりですが、 とても大切な繋がりです。 けれどもそれ以上に、僕はたくさんの人を、 いとも簡単に、傷つけてきたようにも思います。 実際、今年の初夏に行なわれた 「ほぼ日」の会社説明会では、 「ほぼ日」スタッフの、たぶん西本さんに、 とても酷いことを言ってしまいました。 西本さん、本当にごめんなさい。 いや、「ほぼ日」のみなさん、本当にごめんなさい。 あれからずっと考えています。 なぜ、あの30秒の出会いを、 大切にできなかったのだろうか。 なぜ、自分の中のナイフを、あの場でバカみたいに ひらひらと振りかざしてしまったのか。 東京に来てから、そんなことばかりです。 うまく自分が繋がっていけない、 鉛をのどに詰まらせたみたいに、 うまく言葉が出てこないのです。 大阪にいた頃は、 「大阪で生きてきた」という歴史が、 人と繋がるときに、無条件に機能していました。 大阪は都市だけど、大きな村社会。 「大阪の人間」であることが、 もうそれだけで強くてあたたかい結びつきを お互いに生んでいたのだと思います。 けれども東京に来て、 自分の歴史がうまく機能しなくなったとき、 丸裸の自分は、 びっくりするぐらいメディア力のない人間でした。 簡単に人を傷つけているくせに、 なかなか人とは繋がれない。 気持ちだけがいつもひとり歩きし、 気づくと真心は、僕の後ろを歩いている。 そんな感じです。 そんなとき、『おとなの小論文教室。』を読みます。 東京に来てから、くりかえし何度も読んでいます。 好きな小説って、物語が自分の身に沁みこむまで、 何度も何度も読んでしまうでしょ? あんな感じで、何度も読みます。 ズーニーさん、がんばれ!って思います。 俺もがんばれ!って思います。 そうして気づくと 何だかよくわからないあったかいものを、 ずっしりと両手に抱えています。 今日の『教室』で、ズーニーさんは、 「この3年半に見る風景が、どんどん変わってきている」 と書かれていましたが、 僕は、まだまだ風景すら よく見えていないような気がします。 本当にまだまだです。2年間、ずっと薄暮の途です。 でも、こんな風にズーニーさん宛に、「ほぼ日」宛に、 メールを書けるようになったのだから、 僕もじわじわと、前に進んでいるのかもしれません。 この前、智慧の実を食べたとき、 どなただったかが(吉本さんだったような?)、 「10年間、同じことをやり続けれれば、 必ずそれで食っていけるようになる」と おっしゃっていました。 今は、その言葉を頼りに、 そして僕の前を傷だらけになって 歩いているズーニーさんを見て、 これからやってくる風景の移ろいを 楽しみにしたいと思っています。 ズーニーさん、これからも書きつづけて下さい。 いやいや、こちらこそ、 ズーニーさんに「ありがとう」です! こんな出来のわるい生徒ですが、 『おとなの小論文教室。』、好きです。 これからも読みつづけます。 僕は、どちらかと言えば、 ボロボロになって、 搾り出すように書いているズーニーさんの方が 好きだったりします。 いい文章か、悪い文章か、というのではなく、 好きなんです、不思議と。 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、 楽しみにしています。 10月20日は、僕の誕生日でもあるんですよ。 では、長くなりました。 乱筆乱文にて失礼いたします。 (Guri) …………………………………………………………………… 山田からGuriさんへの返信メール 初めてメールをくださってありがとうございます。 ズーニーです。 メールを読み進むうち、言葉が身体に入ってきて、 私が、32歳で、家族を離れ、 それでも、自分の意志に忠実に生きたいと、 腰まであった髪を切って、東京に出てきた日のことや。 会社をやめて、孤独で、 その中で、自分がなんなのかもわからなかった もがき、苦しい日々が、 頭をよぎりました。 そして、ここにきたとき、 > そんなとき、『おとなの小論文教室。』を読みます。 > 東京に来てから、くりかえし何度も読んでいます。 > 好きな小説って、物語が自分の身に沁みこむまで、 > 何度も何度も読んでしまうでしょ? > あんな感じで、何度も読みます。 > ズーニーさん、がんばれ!って思います。 > 俺もがんばれ!って思います。 > そうして気づくと > 何だかよくわからないあったかいものを、 > ずっしりと両手に抱えています。 うっ、と涙がでてきました。 なんか、ぐっときました。 ありがとう。 ほんとうにありがとう。 こんなに、深い孤独に触ってくれた、 強く、優しい言葉は、このところ なかったもので、 いっきに、なんか、でてきてしまって。 ありがとう。 がんばります。 地方にいた時、会社にいたとき、 常に私は、一人ではありませんでした。 いつも、たくさんの素敵な人に囲まれていました。 でも、1人ではじめた、オフィス・ズーニーの 1周年記念も、 最初の本が来た日も、 2周年も、3周年も、 そして、2冊目の本が来た日も、 いつも、一人で。 10周年は、きっと素敵な仲間と迎えられるぞ! とその日を楽しみにがんばっていましたが、 間違いでした。 すでに、一人ではなかった。 読者が、たくさんの素敵な読者が、すでに ともに歩いていたのだということを いま、気づかされました。 1周年記念も、 最初の本が来た日も、 2周年も、3周年も、 そして、2冊目の本が来た日も、 一人ではなかった。 読者がいた、と。 10月20日のお誕生日、 この水色の本と同じ誕生の日ですね。 おめでとう。生まれてきてくれてありがとう! はばたけ強く! もっともっと 生きるほうへ、生かす方へ! 山田ズーニー |
Lesson170 自分とは何か? 初対面の人に、「あなたは何者か?」 と訪ねられたら、あなたはなんと自分を説明するだろうか? これが、すんなり出てくる人もいる。 答えに苦しむ人もいる。 説明がやたらに長くなる人もいる。 なかには、 この問いを突きつけられただけで「痛い」人もいる。 3年前の、私のように。 視聴率を操作した日テレのプロデューサー、41歳。 有栖川と名乗った男性、41歳。 有栖川を名乗った男の新婦となった女性、45歳。 彼女は「元女子アナ」等と自称するが、 私の検索した記事には、「無職」と書かれていた。 「無職」と言えば、 以前、新聞の投稿欄に このような声が載っていた。 「私は、現役を引退したものです。 そこで、困るのは、自分をなんと説明するかです。 ‘無職、65歳’と書けばよいのでしょうが、 それにはどうしても抵抗があります。 いままで、がんばってきた自分は何なんだろうと。 さりとて、‘元会社員’と書くのも変です。 人が、‘元部長’などと書いているのを見るのは 見苦しくさえあります。」 「自分とは何か?」 それと、 「それをどうやって人にわかってもらうか?」。 先にあげた、事件を起こした3人は、 「自分とは何か?」の固め方、 「それをどうやって人に認めてもらうか?」の 方向を誤った。 そういう過ちを、有栖川からとって、 ここでは仮に、「アリス」と呼ぼう。 だれにも、「アリス」が近づく瞬間がある。 先日も「履歴書」を書いていて思った。 こういうものに向かうと、 つい「かっこよく見せよう」という自分が出てくる。 たとえば、 彼女の前で、つい自分の成績をよく言おうとした、とか、 親の手前、仕事を、つい立派に語ろうとした、とか、 だれにも、「アリス」が忍び寄る瞬間がある。 しかし、同時に、 そういう自分の「執着」に気づき、 おもいっきり、自分を嫌悪する自分がいる。 「人にかっこよく見られたい自分」と、 「そのあさましさを嫌悪する自分」、 このふたつが、ちゃんと機能しているな、 と思うのはこういうときだ。 「自分で自分を嫌いになったらおしまいだ」と思うから、 正直な記述ができる。 ふと、3年前に書いた履歴書が出てきた。 会社を辞めて、間がないころに書いたものだ。 正直に書いてある、それだけに、 「自分とは何か?」、当時の「迷い」と「苦しみ」が そのまんま出ていて苦笑いだ。 3年半前、自分の意志で会社を辞めた。 そのとき自分では意識しなかったけれど、同時にいったん、 「日本」という「屋台村」の外に出たかっこうになった。 「日本」という「屋台村」は、「組織」で構成されている。 「学校」という屋台。 「会社」という屋台。 ひとつの「屋台」から出る、それは、ただそれだけのはず。 ところが、どうしても、そのとき、いったん、 「屋台村」の外に出てしまうしくみになっている。 これが予想以上につらい。 だが、妙に澄み渡った感じでもある。 よく、外国に出た人が、 「外から見ると、日本のことがよくわかる、 どうして日本にいた時は、気づけなかったんだろう?」 というが、あんな感じで。 わたしも、外にでてしまったとき、 驚くほど澄んだ目で、「会社」というものや、 「日本の社会」のしくみのことが見えた。 それで。 たいていの人は、 また、屋台村に帰っていく。 フリーランスとして身を立てたり、 また、別の組織に入り直すなどして。 それで、そのときに、 屋台村で動きまわるには、 「わかりやすい身分証明」がいるんだな、 ということに気づく。 その人の中身がどうか? どんな人か? それ以上に、 「その人がなにものかわかりやすいかどうか?」 に、人の目が行ってるんだな、といまさらのように気づく。 たとえば、知人のカメラマンは言う。 「自分は、なんでも撮れるカメラマンですと言っている人は 消えていく。‘アジアの写真だったらあの人’ というように認知されている人は残っていく。」と。 自分は何者か? 「端的に」証明でき、認知されることが重要なのだ。 「端的に」が求められてしまうのは、 だれも悪気があるのではなく、 「選ぶ側の疲れ」だと思う。 とにかく情報が多すぎるのだ。 たとえば、カメラマンだったら、ゴマンといるわけで、 カメラマンを一人選ぶのに、 一人一人、作品を観たり、 じっくりつきあって選ぶ余裕など、ほとんどない。 「選ぶ側の疲れ」がゆきすぎると、 「ブランド」とか、「視聴率」とか、 とにかく、「わかりやすいもの」で、 さっさと判断してしまいたくなる。 テレビ番組の良さを人に伝えるときに、 作り手なら、ほんとうはいっぱい言いたいことがあるだろう。 「この番組は、こんなことを目指してつくりました。」 「他にはない、こんな新しい工夫がされています。」 しかし、受け手には、 そんな「思い入れ」は、ときに、聞くのが億劫だ。 そこから、何かを汲み取っていく訓練もあまりしていなく、 「ああ、もう、わかりにくい説明はたくさんだ。 それは、数字はとれるのか?」 と一足飛びにそこへいってしまう。 ほんとうは、その前段階に何かがあって、 その先に、 「より多くの人に」という「数字」なのだろうけれど。 その前段階にじっくり向かいあっている余裕がない。 「ブランド」に、過剰に人が群がる現象も、 「セレブ」「セレブ」という言葉がもてはやされるのも、 この「選ぶ側の疲れ」と無縁ではない。 「アリス」は、こうした社会に出てきた。 で、そういう、 わかりやすいものに、群がってしまう社会だ、 ということは、認めなければいけない。 そういう社会にさせたのは、私たちだし。 わたしも、その中で、わかりやすいものに飛びつき、 得をしたり、失敗したり、をたくさんしてきた。 そして、そのとき、同時に、 「わかりにくいけど」「まだ形にならないけど」いいものを たくさん振り落としてしまっている。 そこで、肝心なのは、 「わかりやすいIDがないと、 この屋台村の中は、生きにくい」と 認めた上で、どうするか? だと思う。 つまり、そういう屋台村と自分は、 どう向き合っていくか、ということだ。 私が、会社を辞めて、ちょうど、 自分をアイデンティファイするものがなく、 また、これから将来どうしていくか? 自分の内面からも、 「自分が何者か」揺らいでいたとき、 とにかく、「自己紹介」をさせられるのがつらかった。 もごもごしていると、 相手は、私を「あやしがる」し、 そういう目で見られると、痛み、 「自分はそんなんじゃない。 これまでしっかり生きて働いてきたんだぞ」、 という自意識が過剰につきあげる。 その思い入れがよけい説明をわかりにくくさせ、 「わかってほしい」と、「わかってもらえない」に 足をからめとられて、 どうにも前に進めない時期があった。 そのころ、ある自己紹介で、 自分のことを堂々と 「パラサイト・シングルです。」 と名乗った女の人がいた。 その爽快なかっこよさを、いまでも覚えている。 彼女は、脚本を書いていて、 ちょうど出会ったとき、 それまで勤めていた会社をやめたところだった。 脚本家として食べていくことを念頭に、 これから仕事をどうするか、 親元でしばらく考える、そんな充電の時期だった。 彼女だって、夢も不安もあった。 でも、他人から見たら、そんな自分は、「何者か?」 「パラサイト・シングル」じゃないか、 と、彼女は、堂々と認め、自己紹介したのだ。 私たちは、ともだちになり、 彼女は、1年後、次の仕事を見つけ、家を出、 仕事と両立しながら、いま脚本を書きつづけている。 もういちど。 「私は、会社を辞めて、ちょうど、 自分をアイデンティファイするものがなく、 また、これから将来どうしていくか? 自分の内面からも、 自分が何者か揺らいでいた。」 考えれば、そのことは、悪いことではない。 いいことじゃないのかもしれないけれど、 でも、悪いことではない。 問題なのは、その状態を、 「はずかしい」と思ってしまった自分なのではないか? と、いま、ふり返ってそう思う。 それは、どうしてなのか? と思う。 屋台村日本では、わかりやすいのがもてはやされる。 それを知ってどうするか? 自分がわかりにくいとき、どうするか? あれから、3年半。 やってきた1つ1つの仕事が、とても短いが歴史になり、 私は、自分の説明にあのときほど、 苦悩することはなくなった。 履歴書も以前と比べれば、楽に書けるようになった。 でも、そういう自分は、ふと気がついてみると 屋台村のしくみに飲み込まれている。 わかりやすい「型」に急速に吸引されていくことがある。 「はっ」と気がついて、いかんいかん、 自分は何のために、会社を辞めたのか? と自分に問い直す。 あの、はからずも、屋台村の外に出てしまったときの、 澄んだ目を濁らせてはいけないと思う。 「わかりやすい」のがもてはやされるからといって、 焦って、自分まで、わかりやすくしてしまう必要はない。 人間は、そんな「わかりやすい」肩書きひとつに おさめられるほど、単純な存在ではない。 もっと多面的で、もっと動き、変わっていって、 可能性を秘めた存在だと思う。 「わかりやすい」のがそんなにいいかというと、 すでに、確固たる自分を確立し、 それが世間に認められ、 一発で自分を証明できる、いわゆる「有名人」でさえ、 「巨匠」みたいに、自分をわかりやすいところに おさめてしまう印籠を、あえて拒み、 そういうものにたよらず、ふりまわされず、 あえて、「わかりにくい」ところに身を置いて、 じっくりと自分の内面を充実させ続けている人もいる。 私は、取材で出会った、 何人かの十代を追いつづけているが、 「大器」を予感させる人ほど、 わかりやすいところにさっさとまとまってしまおうとせず、 また、おさまりきれもせず、 未完のまま、模索を続けている。 不安は充分あるのだろうが、それよりも、 自由さを感じ、こちらの方が励まされる。 いまの世の中だから、 「わかりにくくていい」とは決して言わない。 言わないが、でも、 「わかりにくい」もののまえで 立ち止まったり、 自分が、わかりにくいところにいるからこそ、 見えるものを大切にしてほしいと思うのだ。 屋台村「ニッポン」からはずれても、 そこからしか見えない澄んだ世界がある。 自己とは何かが見えず、 わかりにくいがゆえに、誤解され、無視される、痛さに めげないでほしい。 自分とは何か? 初対面の人に聞かれたら、 あなたはなんと説明しますか? |
Lesson171 食べたものが私になる 失業とか、転職とか、不安がひろがる時代、 人は、どうやって、 自分の身心の健康を守ればいいんだろうか? 私は、ここ数年、 心も、からだも、おどろくほど丈夫だ。 今年、人間ドックで、ほぼオール優、 先生に褒められた話は、以前書いた。 予想外だ。 自分では、病気になりはしないかと、 人生で最も心配した時期だったからだ。 健康には、ストレスがよくない、 と言われる。 でも、「ストレス」なら、 人生でかつてないほど、 自慢じゃないが、売るほど引き受けた。 何日も、人に会わず、 閉ざされて、ものを書く。 「こりゃあ、心が病んでしまうんではないか?」 本気で心配した。 マスコミでも、それに拍車をかけるように、 連日、心の病に関する報道がされている。 でも、いったい、どうやって 心身の健康を守れというのか? 「要は、気の持ちよう、明るく生きよう!」 などと人は軽く言うが、 こういう精神論が、やってみると一番むずかしいとわかる。 何らかのアウトプットをすれば、 自分と向き合うことになる。 「落ち込むな」「不安になるな」という方が、 そりゃあ、無茶苦茶というものだ。 「世界を狭くしないで、できるだけ人とふれあって!」 とか言われても、物理的に、どうしても 一人こもって仕事をしなきゃならない時期もある。 クヨクヨもする。暗くもなる。 部屋に座っているだけで、押しつぶされそうな日もあった。 じゃあ、どうすればいいんだ? ということで、ほとほと、追いつめられて、 ふと、思いついたのが、 「要は、食べ物と運動だ。」 ということだった。 明るさとか、幸福というものは、 人との関係性に負う部分が大きい。 自分だけの力では、どうにもならないところがある。 すぐにすぐ、自分一人で、 環境を切り拓けるものでもない。 でも、「食べ物」と「運動」なら、 自分の意志で、なんとでもなる。 これだけは、気をつけよう。 あとは知らない、しかたがない、とわりきった。 腹筋・背筋、ストレッチ、走る。あるいは泳ぐ。 当時、会社を辞めたててで、 スポーツクラブに行くほどのインカムがなかった。 それで、自分でできる運動をした。 これがよかった。 まったく強制力も監視もないところで、 人にたよらず、やらなくても困るのはただ自分だけ、 と言う状況で、自分ではじめ、さぼってもめげずにまた、 やりつづける、というスタイルが身についたからだ。 ちいさな体にプレッシャーが押し寄せて、 しぼんでしまった日も、へっこへこに落ち込みながら、 食うものは、食った。食べると、 意志とは関係なく、なんとなく体のある部分が しあわせになっているから不思議だ。 こんな生活の果てに、気がついたら、 ふてぶてしいほど健康であった。 「食べ物」と「運動」 食べたものが自分になる。食べて、使う。 シンプルに考える。 これに気づいてから、 ウエイトコントロールも、苦ではなくなった。 世の中にダイエットは、何百、何千とある。 私が学生時代から、もう、二十年も、 女性誌は、恋愛→占い→ダイエットの特集を ローテーションしても、まったくネタはつきない。 ダイエットって、たくさんで、複雑で、 この言葉だけで、迷子になりそうだ。 だけど、ごくごくシンプルに考えて、 太るということは、 「食べる」量が、「使う」量より多くなった、 ということだ。 痩せるには、自分で、 食べ物を減らすか、運動を増やすか、結局は二つしかない。 やることは、本当はたったこれだけだ。 たったこれだけのことを、 手を変え、品を変え、あんなに方法がでているのか? お金もそうで、 「入る」量と、「使う」量があって。 「入る」より、「使う」が多くなったら、赤字だから、 「入る」量が減ったら、「使う」量を減らせばいい。 ことはそんなにシンプルではないのかもしれない。 でも、こんな、ごくごく単純なことを見失ったために、 起こっている悲劇も多いように思う。 つい最近、 「ああ、私ももはやこれまでか……。」 と思うことがあった。 自分の内面が新鮮ではない。 気力も、能力も、つきたのか、と。 嵐のような原稿ラッシュが来て、 ひとしきり続いて、出し切ったあと、 「自分は、まだまだやれる」とか、 「人間は、井戸じゃないんだから、枯れない」とか、 やたら、強気の発言を繰り返していた。 そのあと、がくーんと書けなくなった。 人から求められてないのに 強気の発言を繰り返すとき、 自分のどこかに、危機感があるんだろうな。 先日、「コンビニ哲学」にこんな投稿があって、 「やっぱり、作家とか作る側の人だと、マンネリもあって、 自分の世界は、追求していくとどんどん狭くなっていく。 それを続けることって、たいへんだと思うんです。 だから、アーティストって、 売れていても、売れていなくても、すごく意志が強い。 売れてなければ自信がないとやっていけないし、 売れていたら売れていたで、 『おんなじことをやっていて、いいのだろうか?』 『路線を変えたら、売れなくなるのではないか?』 そういう思いとの戦いだし、そういう意味では 作家というのはすごく強い人だと思います。 (この文章が読めるのは、こちら「コンビニ哲学 #16」です)」 私は、作家でもなければ、アーティストでもないし、 教育だから、売るの売らないのの商業ベースにはいない。 それでも、このアウトプットをつづけた果てに、 追いつめられる感じはそのときはリアルに想像できた。 「マンネリ」という言葉が恐かった。 振り払っても、すりよってくる感じで。 ちょうど、そんなとき、橋本治さんが、雑誌に書いていた、 「充電」についての下りが、目に飛び込んできた。 よく私たちは、 「勉強をして充電しなきゃだめだ。 ちょっと休ませてください」と言う、と。 日本の社会では、これは受けがよい、と。 ところが、橋本さんは、 「充電」があまり、成功しないこと、 本人は「充電」というが、その結果、 「そこら辺によくいるつまんない真面目人間に なっちゃっただけの人」、そして、 「いつのまにか消えていく人の方が多い」 ことを指摘する。 どうしてそうなるのか、橋本さんは言う。 <それはきっと。「充電しなきゃ」と思う人が、 「ここで必要な充電のレベルはどのくらいか」 ということが、よく分かっていないからだ。(中略) 機械の充電なら、 必要な一定レベルに達していさえすればOKだが、 人間の充電は、充電が必要になるたんびに、 その達成レベルが上がる。 とても上がる。 それが人間だからしょうがない。 (『広告批評10月号』より> 充電はレベルが問題。 では、そのレベルを上げる充電するには、どうすればいいの? と、私は、身を乗り出した。 すると、そこでとりあげている人物については、 <「充電」なんて言わないで、「限界に来た」と認めて、 別の「第二の人生」に進んだ方がいいと思う。> とあった。私は、ここを読んで、 朝のカフェの椅子から転げ落ちるくらい、 衝撃を受けた。 まるで、自分に言われたような気がした。 「限界」という言葉が胸にひっかかって、 のどがカラカラしてきて、焦りがこみあげてきた。 これがよかった。 枯れたかに思われた、自分の中から、 何かものすごく強い何かがつきあげてきたのだ。 「私は、やりたいんだ」と。 はたからみると、枯れたり、湧いたり、漫画のようだが、 本人は、必死だ。 で、そのとき、脳裏をよぎったのが。 「た、べものと、運動……?」 という言葉だった。 要は、知的な生産でも、 「食べ物と運動」じゃないか、と。 つまり、どんな質の知識や情報、経験を どのくらいの量食べたか。 結局、それが、その人のアウトプットになっている。 それだけじゃないかもしれないけど、 自分の意志で確実にできるのは、それだけ。 ここは、シンプルに考えて、 とにかく実行してみようではないか、と。 食べたものが自分になる。 ものすごい勢いで本を読んだ。 読んでいるうちに、 そう言えば、原稿ラッシュのシーズンの中、 頭の方が「ものを食っていなかったぞ」ということに、 その空腹に体が気づいてきた。 そして、自分が、この先へ進んでいくためには、 もっともっと知識がいる、広範囲の体系立てた、 かつ、それぞれにしっかりした知識がいるんだな。 ということが、わかってきた。 いままでのやり方じゃ追いつかない。 大変だけれど、量や質を考えて、 あまり神経質にならないで、 何より、コツコツ、続けていけばいいんだな、と。 失速すれすれのところ、そうやって、私はまた、 ふてぶてしくも、意欲をとりもどした。 自分の身体にいい知識や情報を、一日3食相当、 持続して食べていくとして、 そのあとは? 頭の方は、 「運動」ってどうやってすればいいのだろう? わからないから、いまは、とにかく 身体の運動の方に代表してもらっている。 知識を入れて → 身体を動かす。 ちょっと乱暴だが、なんだか、身になってる気もする。 食べたものが自分になる。 おなかと、あたま。 あなたはいま、何でできていますか? |
Lesson172 自分のリテラシーを高める (1) 理解力はなぜ、突然なくなるのか? めずらしく、母からの携帯電話が鳴った。 「みーちゃん(山田の本名)、お金が、振り込めんのんよ」 母は、銀行のATMのまえで困っていた。母は、 ある用事で、わたしの口座に振り込みをしようとしていた。 機械を操作したが、 いっこうにできない、という。 もう一度、銀行、支店、口座番号を確認する。 何度も、する。 合っている。 わたしは、「むかっ!」ときた。 なにか機械のトラブルにちがいない。 だいたい、銀行のATMは、非・人間的なのだ。 ちょっとこみいったことをしようとすると、 とたんに融通がきかない。 電子ボタンが、押してもなかなか反応してくれず、 イライラしたのは、一度や二度ではない。 あの機械は、年寄りには不親切すぎる。 母は、今年初め、腰の骨を折っているのだ。 銀行に行くのだって大変だったはずだ。 けしからん! 「銀行の人に変わって!」 と私はいきまいた。 出てきた銀行員の人に、わたしは、 「年寄りには、あの機械はむずかしいのだ」 ということと、 「杓子定規に機械の操作を説明しても、年寄りには わからないのだ。 目的は、振込みができることだから、 ちゃんと振込みができるところまで、 どんな方法でもいいから親切にサポートしてあげてほしい」 とたのんだ。 母は腰が痛いのではないか、 はやく帰してあげねばと焦っていた。 いいながら、だんだん「キカイ文明」全体みたいなものに 腹が立っていた。 ちょっとたって、銀行の人から、 「支店に問いあわせたが、あなたの口座は存在しない」 と電話があった。 もう、あきれてしまった。 いまの銀行はどうなっているのだ! 私は、すぐ、わたしの口座のある銀行に電話をした。 口座は、ちゃんとあった。あたりまえだ! で、そこの銀行から、 「ちゃんと口座はありますよ」 と、母のいる銀行に電話をかけてくれ、と頼んだ。 これでもう大丈夫。 「ほっ」として電話を切った瞬間、 いま、電話をしたのは、「多摩センター支店」だ! と気づいた。 全身が、冷っ! とした。 ふだん仕事で使う口座は、 自分の住んでいる「成城支店」。 だが、その銀行のその口座だけは、 昔、会社のあった 「多摩センター支店」から動かしていなかった。 完全に、私が、「支店名」をまちがえて、母に伝えていた。 私のまちがいのせいで、 二つの銀行の2人の銀行員さんに徒労をさせ、 しかも、説教までし、 腰の悪い母に、さんざん機械のまえでイライラさせた。 この人たちの 時間と心に、ものすごく迷惑をかけてしまった。 でも、この人たちの時間は、もう、どうしても、 取り戻してあげることができない。 もうしわけないのと、 自分のあほうさかげんに、じぶんで愕然とするのと、 恥かしいのと、いたたまれないのと。ひしがれた。 わたしにできることといえば、 いっさいの言い分けをせず、そらさず、 この自分がやったことを、ひきうけ、 あやまるだけだった。 ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい。 ぜんぶ完全にわたしが悪い。 ごめんなさい。 …………。 しばらくして、あることがあり、 私は、「リテラシー」の問題を考えていた。 日本の15歳の「読解リテラシー」は、8位。 ちなみに1位はフィンランドだ。 (*OECDの世界32カ国を対象にした学習到達度2000年調査) 最初、きいたとき、意外だった。 日本は、もっと低いと思っていた。 (15歳のみなさんごめんなさい。) たくさん高校生の文章を読んだり、 また、おとなの日々のコミュニケーションを見ていて そう思ったのだ。 お友達同士のメールのやりとりなどで、 こんな光景を目撃したことはないだろうか? だれかが、言いたいことを言う。 すると、ほかの人は、 その人が本当に言いたいことを読み取り、 その人から本当に 自分に投げかけられていることに返すのでなく、 自分が興味ある、反応したいとこだけに反応し、 自分が言いたいことだけを言う。 「読んでくれてねぇーよ!」 「聴いてくれてねぇーよ!」 「理解してくれてねぇーよ!」 日常で、そんな歯がゆさを感じることも多いのではないか? だから、読む力、理解する能力は、 全体的におちてきている、わたしは、そう思っていた。 そもそも「読解リテラシー」って何? 自分の目標を達成するために、 自分の可能性をのばすために、 効果的に社会に参加するために、 書かれているテキストを、理解し、利用し、熟考する能力。 これが、8位ということは、 ものを読んでわかる力、利用したり、考える力は。 なんだ、日本は、そこそこ、下地があるんじゃないか。 じゃあ、なんで、 「読んでくれてねぇーよ!」 「理解してくれてねぇーよ!」 というトラブルが頻発してるんだろうか? 読んでいるのに、読んでいない。 わたしは、また、冒頭の私の過ちを思い出した。 そもそも、支店をまちがえていたのは、 私の「アホ!」「マヌケ!」、それは救いようがない。 しかし、そのあと、わたしにそれを知らせる情報は、 何度も入ってきていたはずだ。 「間違いはないか?」母も、銀行の人も私に何度も聞いた。 人はたとえ、ひとつの誤った考えを持ってしまっていても、 そのあと、 外界の情報を、正しく読み書きして進んでいけば、 自分の誤りに気づくことができる。 日ごろ、私が仕事でやっている 情報の読み書きの複雑さを考えれば それくらいの情報の読み書きは何でもなかったはずだ。 しかし、私はなぜ必要な情報を、 読み書きできなかったのか? いままでの人生での、 失敗の経験がフラッシュバックした。 失敗してしまったとき、はじめて気づく。 「必要な情報は、すでに入っていた」ということに、 しかも、何度も入ってきていたことに。 たとえば、先輩が、あらかじめ助言をくれていた。 あのとき、仲間が、途中で、忠告をくれた。 失敗してしまったとき、 「すでに、まわりは、それを私に知らせていた。しかし、 わたしはそれを、読み込み、わかり、利用することが できなかった」と気づく。 後悔、すでに、遅しだ。 ある程度のリテラシーがあっても、 それが、とたんに稼動しなくなることがある。 理解力はなぜ、突然なくなるのか? 来週、ひきつづき、この問題を考えてみたい。 (次週水曜日につづく) 余談: 冒頭のATM事件で、 母に、ひらあやまりに謝って、 わたしが、消え入りそうになっていると、 母が、本当にうれしそうに、こう言った。 「銀行で、世話をしてくれたお兄さんが、 23歳で、とっても、かっこいいお兄さんじゃったんよ。 もう、とっても、親切にしてくれたんよ。」 担当してくれた人は、 この春、銀行員になったばかりだという。 「なんでもわからないことは聞いてください。 ちゃんと振込みができるまで、対応しますので あんしんしてください。」と、その新米銀行員さんは、 ほんとうに、誠実に、熱心に、 最後まで、母を助けてくれたそうだ。 |
Lesson 173 伸びたり縮んだりする理解 ――自分のリテラシーを高める(2) 「自分には能力がない。」 そう思っている人は、すごく多い。だから、 「能力不足だから、いまの自分じゃだめ! もっと多く知識を吸収して、 もっと多く技能を学んで、もっともっと」 とみんながんばるんだけども、 「けっこう、もう能力、あるぞ、自分はあるぞ!」 と、いったん、ふんばって思ってみたら……? 何が見えてくるだろうか? 日本の15歳の「読解リテラシー」が世界8位、というのも 意外に思った人が多かったのではないか。 「いまの日本の若いものは、ものが読めない。 テストの点はとれるが、考える力がない。 マスコミなどの情報に簡単に操作されてしまう」 そういう通念がある。 若い人の「読む力・考える力・書く力」の教育に ずっと関わっている私も、 残念ながら、答案を読んで、そう思うことは、しばしばだ。 でも、この「読解リテラシー」のテストは、 通りいっぺんの文字の読み取りではない。 「ほんとうに読み取るべきは何か? 自分の頭で考える」 ところまでが問われている。 複雑な情報から、要るものを「取り出し」、 「解釈し、推論し」、 自分の考えと関係づけて、 「熟考」し、「評価」し、「記述」し。 ある目標に向かって、「利用」できるところまでを含む。 この結果に過剰反応してはいけないし、 「読解リテラシー」があるといっても、 1位のフィンランドほどではないけど。 「いまの日本の若いものも、そこそこ、ものが読めるし、 けっこうわかってる。 考える力もけっこうある」 という前提に立って見ると、なにが見えてくるだろうか? 先日。 私は、友人からのメールが胸にひっかかっていた。 そのメールとは、まあ、要約すると「愚痴」。 愚痴はこぼしてくれてもいいのだが、 なんだか、それを、無理やり「社会問題」に仕立ててあった。 その論があんまりにも短絡的で、 視野が狭く、自分中心で、依存的で、紋切り方。 これが、入試の小論文だったら、 まっさきに、落とされるだろうな、と思った。 最初、どきん! として、次にがっかりして、 やがてむしゃくしゃしてきた。 友人の論が、いかに「思考停止」だったとしても、 それで、私が怒るすじあいではない。 なのに、なぜか腹がたった。なぜだろう? こどものころ、 学校で、人権問題をならって、 家に帰って、お父さんに話をしたら、 お父さんが、差別意識、丸出しの発言をしたときのことを 思い出した。 あのときも、最初、どきん! として、次にがっかりして、 やがてむしゃくしゃしてきた。 いつまでも父に腹がたっていた。 友人のメールを好意的に解釈しようとおもっても、 むしゃくしゃするので、散歩に出た。 でも、くりかえし、くりかえし、 友人のメールのことを考えてしまい、 そのたびに、 「私は、ほんとに、この友人のことが好きなんだな」 と認めざるをえなかった。 結局、1時間の散歩から戻ると、 友人のメールのことを、ずっと考えてしまったな、 気が晴れるどころか、 胸のむしゃくしゃは、よけい大きくなった感じがした。 そのとき、T編集長からメールがきた。 私は、この夏、高校と大学をつなぐ教材を開発した。 それが、さっそく、ある大学で採用され、 1000近くも購入していただけたという 嬉しい知らせだった。 「自分の頭でものを考える」新大学生が増えたら、 キャンパスはもっと面白くなる。 そういう志をこめてつくった教材だった。 採用されたこともうれしかったけど、 T編集長が、教材にこめた志を、 よくわかってくださっていて、 深い理解に裏打ちされたコメントをくださったことも、 ほんとうにうれしかった。 これで、大学や考えることが 楽しみになる生徒が、一人でも二人でも出てくれたらなあ、 そうおもうと、 心のすみずみまでが、さぁーっと晴れわたった。そのとき、 「つらかったろうな。」 という言葉が浮かんだ。その瞬間、 例のメールをくれた友人は、つらかったろうな、 ということが、すみずみまで、よく理解できたのだ。 私に、愚痴をいわなければいけないくらい、 どんなに、くやしかったろう。 つらかっただろう。 私も、似たような経験があったことを思い出した。 友人は、小論文を披露しているわけでも、 思考力のテストをうけているんでもない。 メールを書いたのは、 わたしに、そのつらい気持ちをわかってほしかっただけだ。 メールから、私が本当に理解しなければ ならなかったのはなにか? わたしに、本当に、求められていたのは何か? その瞬間、ほんとうにすみずみまでひろく、 しっくり深く、わたしは、友人のメールを理解しきった。 不思議だ。 友人のメールは、最初の時点から何一つ変わっていない。 そして、わたしの「理解力」が、一瞬にして 飛躍的に伸びるわけでもない。 しかし、まったく、それと関係ないT編集長のメールで、 私の「理解力」は、都合よく、伸び縮みした。 わたしの「心が狭くなっていた」と気づかされた。 次の教材開発と、大学の講義と、講演と、 トリプル締め切りで、心の余裕を失っていたと。 T編集長の温かな理解に、こころひろがって、 はじめて狭くなっていたことに気づけたのだ。 そういえば、「読解リテラシー」世界1位に大きく 貢献したと言われるフィンランドの地理の先生が、 とにかく生徒を緊張させず、 リラックスした状態にさせることに 気を配っておられたのを思い出した。 「緊張感がある方が、必死で勉強するんじゃないの?」 と私は最初、違和感をもったので、いまもよく覚えている。 よく、心が狭い人間とか、広い人間とか言うが、 もともと、心が狭いという人はおらず、 緊張したり、何かにかき乱されたりすると、 心は、ぎゅっとつかまれたように、 狭い状態になってしまう。 伸びたり、縮んだりする心。 私の場合、この心のふり幅が、 人の発信を、理解し、受容し、熟考するふり幅、 つまり、読解リテラシーのふり幅に 大きく影響していたことがわかる。 他はともかく、読解・理解に関しては、 心が本来の状態にひろがって、スペース充分なことが 必要なんだな、と思った。 はっ! 友人も? そう思った。 友人は、もともと、視野が狭いわけでも、 思考停止なのでもない。 ふだんなら、幅広く、柔軟にものごとが考えられるのに、 メールをくれたとき、 つらいことがあって、心を緊張にわしづかみにされて、 狭くなっていた。 その幅が、リテラシーの幅を制限し、 周囲の情報を、一面的に解釈することしかできなかった。 心とリテラシー 理解の幅は、そのときの心の面積に規定される。 潜在的に、どんなに、 複雑で高度な情報の読み書きができる能力がある人でも、 そのときの、心の面積が、 狭くなってしまっていれば、理解力は発揮できない。 それどころか、情報の解釈までがゆがんでしまう。 そして、心の容量が、「オレが、オレが、」の 「自我」でいっぱいだったら、 そもそも他の、大きな情報を、正確に取り込んだり、 熟考したりする、スペースそのものがないわけだ。 心の訓練がなかったら、 結局すばらしい能力も生きないのではないか? そうおもった。 考えたら、たとえば、仏教には、 「空(くう)」とか、「無我」とか、利他の精神とか、 心の状態を表し、鍛えていく言葉がある。 しかし、私のように、 宗教をもたず、また、宗教を持たないまま 心を訓練していくって、どうやればいいんだろう? アメリカで、進んだ「心の教育」を研究している、別の友人に メールを送ったら、こうかえってきた。 >>わたしが山田さんのやっていることから感じるのは、 表現の出発点は、「自分の声」を探すことからはじまり、 そしてこれがもっとも大事にしなくてはいけないこと。 それから、 他者や自分とコミュニケーションするために、 その声を成熟させていく問いの立て方と、 成熟したものを表現していく技術を身につけていくこと。 それを一般論でなくて、山田さん自身が 自分の体験から、このプロセスを通過させて、 発信しているので、読んでいて、共感できる、 心の鍛練なんて、毎日十分やってるんじゃないですか? 読者とのやりとりや、生活のなかで。>> この友人は、わたしと同様に、教育を目指しているのだが、 この分野では、ずっと彼女の方がくわしい。 でも彼女は、 その知識や経験をふりかざすことをいっさいせず、 むやみに私を緊張させたり、不安を煽って よけいに勉強させようというようなこともせず、 上記のように、私を落ち着かせ、 リラックスさせるメールをくれた。 わたしは、ふっと、緊張が緩み、また周囲の情報が 自然に入り込んでくる。 やっぱり、心の教育に精通している人だな、と思った。 いじめ、虐待、テロ、 「人の気持ちが理解できない」人が起こしている行為 としてではなく、 もともとは、潜在能力が高く、 さまざまな情報の判断や、評価、熟考がよくできる人が、 よくできるのに、できないで 生れている行為だとしてみると、どうなるか? 私の心が狭くなるポイントは何か? と考えてみた。 先週書いた、「けがをした母」がらみの一件の、 9年くらいまえにも一度だけ、 同様のおおぼけをしたことがある。 そのときは、田舎から 「幼い甥と姪」を呼んでいて、 子供のいないわたしにとって、 この子たちは、とても大切で。 あまり、失って恐いもののないわたしだけど、 家族だけは、ものすごく大切で、 ときに、執心してしまい、 それゆえに、家族のことで、緊張が生じると、 心が狭く、周囲への理解・受容がまずしくなりやすい。 エゴ、無理解、情報認識のゆがみの生れやすい、 自分のウィークポイントであることを、 自分で認識して生きようと思う。 いまの日本の若ものは、読解力も思考力もなく、 でなく、 実は、そこそこある。 おとなの言うことも、メディアに潜むうそも、 そこそこよく読み取り、ちゃんとわかり、評価できる。 わたしたちも、ちゃんとある。 そういう前提にって、現状があるとしたら、 何が見えてくるだろうか? |
Lesson 174 「セレブ」禁止令 「セレブ」という言葉がはやっている。 この言葉、私は、恥ずかしくてしょうがない。 私は、使わない言葉だけど、 人が使ってるのを聞くだけで、 恥ずかしくてしょうがない。 だから、私の周りでだけ、禁止語にしようと思う。 ちょっと前、「カリスマ」という言葉が流行った。 テレビで、ある美容師さんを紹介するとき、 字幕で肩書きに、でかでかと、 「カリスマヘアーメイクアップアーティスト」 と書かれていて、 もう、見るだけで、恥ずかしくてしょうがなかった。 「美容師」とか、「腕のいい美容師」 と口で紹介するだけじゃだめなんだろうか? 美意識の高いご本人は、こんな風に言われて 恥ずかしいんじゃないだろうか? これを他の人は、恥ずかしいと思わないんだろうか? あのときも、恥ずかしくて、恥ずかしくて どうしていいか、わからなかったが、 やっと、「カリスマ」が下火になったと思ったら、 こんどは「セレブ」が気になりだした。 この言葉の流行に関係したであろう 「セレブリティ」という映画は、たまたま観ていたが、 この映画に、なんの罪もなく。 また、この言葉が流行る、ずっと以前から、 「セレブリティ」と呼ばれている「名士」の方々にも、 私は、なんのうらみもない。 考えたら、「名士」、ご本人は、 決して、自分のことを「セレブ」とは言わない。 例えば、皇室のどなたかが、 「私たちセレブは……」 という言い方をされるか? というと、決してない。 また、私のふるさとで 農業をやっている親戚のおじちゃんや、 おばちゃんたちの文化圏でも、 ほぼ今世紀中に、登場しない言葉だと思う。 そうやって考えていくと、 いまの日本で、「セレブ」という言葉を 頻繁につかっているのは、 ある層に限られる。 たとえば、テレビで、 化粧品を紹介するアナウンサーが、 「これは、もう、 ニューヨークのセレブの間では常識のアイテム。 さあ、あなたも、さっそく手に入れて、 この冬、セレブの仲間入り!」 などと、言っているのを聞くと、 恥ずかしくて、恥ずかしくて、 「お願いだから、はずかしいので、勘弁してください」 とあやまりたいような気分になる。なぜだろう? マスコミの「セレブのお宅拝見」みたいな企画で、 お金持ちの家をたずね、 内装に何億かけたか、とか、 玄関の壷が、一個7千万円もするとか、 宝石やブランド品を次々見せてもらって、 「すごいですねー! これ総額おいくらですか?」 とか、聞いて、そのたび、 「すごい!」「すごい!」を連発しているのだけれども、 それは、本当にすごいことなのだろうか? 立派な家を建てる。 豪華な調度品を買う。 宝石や、ブランド品を次々と買いそろえる。 ということは、考えたら、 お金があれば、だれでもできることだ。 自分のセンスがなければ、 スタイリストを雇って買ってきてもらえばいい。 私でも、いま30億円ほどもらえれば、 あまり苦しまずにできると思う。 そう考えたら、そこの側面は、 あんまり、すごいことではないのかもしれない。 確かに、その30億円を創りだすような人生の方は すごいと思う。私はそっちの方に興味がある。 また、きっと、そういうお金持ちの人なら、 「ものを買う」以外にも、すごく面白いお金の使い方を しているにちがいない。 むしろそっちを紹介してくれるといいのだが、 なぜか、そういう部分には、あまり光をあててくれなくて、 豪邸・宝飾品・ブランド物……となる。 会社員の友人は、 お金持ちとの見合いを繰り返している同僚から、 真顔で、 「ねえ、セレブになるには、どうすればいいの?」 と聞かれたそうだ。 私は、平然と「セレブ」という言葉を使っている人が 不思議でしょうがない。 でも、かなり広範囲に観るから、 その人たちにすれば、私の方がおかしいのだろう。 今年、講演で、ずいぶん、あちこちの地方にまわった。 あちこちに泊まったり、 移動中、車窓の風景を見たりしながら、 「地方」には、二通りの風景があるな、と思った。 ひとつは、 東京の方を向いて、東京になれなかった地方の風景。 もうひとつは、 特に郷土色豊かでなくとも、 ちゃんと人が「そこに」生きている感じのする地方の風景。 地方にいくと、 とってつけたようなテーマパークとか、 形だけ「今風」にした店とか、 入ると、なんとも、寂しい、 虚しい感じに襲われるところがある。 ある地方で、カフェに入った。 システムだけは、 スターバックスのようなセルフサービスの店をまねてある。 店員の制服や、店構えも都会風にしている。 だが、どうしてだろうか? すいた店内で、初老のおじさんが、 自分で、お水を取りにいく姿や、 ビニールにパックされた紙おしぼりをとってくる姿が、 都会では、なんともおもわなかったのに、 田舎では寂しく映る。 それに、セルフサービスにしては微妙に値段が高い。 わたしも、地方出身者だから、あえていうと、 椅子も、テーブルも、 店員の制服も、メニューも、 はしばしから、田舎臭さがしみだしている。 どうしてか、地方では、 都会の仕事をまねようとすると、 逆に、仕事の「田舎臭さ」が浮き立ってしまう。 都会の「洗練」は、 たぶん、「洗練しよう、洗練しよう」として 出てきたものでなく、 厳しい競争社会や、効率主義の中で、 生き残っていくために、 いやでも、洗われ、練られ、した結果なのだと思う。 いやでも、洗われ練られた結果、 生じた何らかの「かっこよさ」を、そこだけ、切り取って、 田舎に移植しようとしても、 それは、そこの生活構造からにじみ出たものではないから、 「野暮」と映る。 洗練と野暮。 逆に、今年、地方のかっこよさを一番感じたのは、 宮崎に講演にいったときだった。 集まった高校生の講演後の質問が、 意表をついていて、面白くて、 答えていたら、あっという間に1時間たっていた。 わたしは、宮崎の高校生たちのインテリジェンスに 感動してしまった。 都市の高校生も好きだ。 だが、「質問」を求めると、なんというのかな、 本当にその子が、聞きたい、わからないこと を聞いてくるのではなくて、 「この場では、このような質問をすることが、 ふさわしいのではないか」 と気を利かせ、じつに解答しやすい質問をしてくれる。 答えながら、私は、なんとなく 予定調和な問答をしているなと思う。 大人に歓迎されそうな質問を、 あらかじめ想定して聞ける、 これは、知的に洗練されている。 都市の生徒の質問は、あるいは、要約すると、 「短時間に効率よく、 点の取れる文章を書くにはどうしたらいいか?」 というような、みもふたもないものも、多い。 こういう質問は、何人聞いても、 表現はちがうが、結局は同じ答えを導きだす。 ところが、宮崎の生徒は、文章を書く上で、 ほんとうに、腹からわからないこと、 わきでてくるような質問で、 次、なにが出るかわからず、 一人、一人、オリジナリティに満ちていた。 講演中も、目がキラキラ輝いていて 素敵だった。 あとで、 宮崎の高校生は、いわゆる「予備校的な刺激」に なれていないのだ、ということを聞いた。 都会の子は、洗練された情報があふれ、 効率的な学習方法、学習情報が充実している。 勉強をしていて、なにか、もやもやとしたら、 すぐ、予備校の先生から、参考書から、 「もやもや」は引き出され、形をあらわにされてしまう。 そこには、自分が感じた「もやもや」の正体を、 自分以上に適確な言葉で表現してくれ、 その解答をだしてくれ、 そこへ最短距離でアプローチする方法までも、 だしてくれる情報が、まちかまえている。 都会の子は、勉強で感じた「もやもや」を、 醗酵させる時間がない。これは、しんどいことだ。 しかし、情報が少ない地方にいれば、 勉強で感じた「もやもや」を、超効率よくは解消できず、 自分で抱えることになる。 もやもや、もやもやと、形にならず、抱え続けることで、 醗酵し、根が伸びる。 だから、 早くから情報の洗練を経験している都市の子に比べ、 地方の子は根が強い。潜在力がある。 その状態のところへ、ある日、都会から 少し洗練された情報がはいってくれば、 その刺激で、いままで、 たまりにたまっていた問題意識が炸裂する。 わたしが、宮崎の生徒たちに感じたインテリジェンスは、 考え続ける生活構造、根の強さから繰り出たもので、 ほんとうにかっこよかった。 だが、このかっこよさもまた 都会人がまねて、情報鎖国のようなことをやってみても、 「疎さ」とか、 「鈍さ」のような似て非なる形に映ってしまう。 「セレブ」という言葉を使う人の姿に、私は、 東京の方を向いて、 東京になれなかった地方の風景を見る。 「洗練」を生み出す、 生活構造や精神構造を理解せず、 洗練に咲いた「華」だけをまね、ほしがる心のあり方は、 「野暮」だ。 大切なのは、自分に「洗練」と映る人のマネをせず、 彼らの後を追わず、 自分の想いと歴史に根ざした 「スタイル」をつくりだすことではないだろうか? |
Lesson 175 自分の才能はどこにある? 今日は、まず、読者メールをひとつ、 この時期、おなじ悩みの人もおおいのだろうか? >ズーニー先生 > >私は今就職先が決まっておらず、 >あせりの中で卒論を書いていて、 >私はどんなスタイルを作り出したいのだろうか >と考えてしまいました。 > >私は、いつも人に憧れてばかりで、 >自分のことが嫌でたまらなくなります。 >何がやりたいのか分からない。 >今やっていることが >本当にやりたいことではない気がする。 >そんな思いで日々過ごしています。 > >先生、自分の想いを見つけるヒントは >ありますでしょうか。 >あれば是非伝授していただきたいです。 >よろしくお願いします。 (読者Mさんからのメール) メールを読んで、あまずっぱかった。 これは、3年まえの私。 当時、 会社を辞めて半年、あたらしい道を模索していた私は、 「やりたいこと」を一日も早く、カタチにしなければ! という気負いと焦り、 一方で、一朝一夕にはひらけない現実に、 たびたび足を絡め取られていた。 「やりたいこと」に執着すると、ときに迷路にはまり、 自分が何をやりたいのか、 どこから来たのかさえ見失いそうになった。 当時の私は、自分の意志と腕一本で、 人生を切り開いていくのだという自信と重圧に 押しつぶされそうに生きていた。 それで、3年前、やっぱり私も、ヒントと伝授をもとめ、 尊敬する先輩のもとに行った。 そのとき先輩から聞いた「言葉」で、 3年前の私には、どうしても消化できなかったものがある。 それが、いま、 ようやく、消化できたので、 今日は、その話をしたい。 私もMさんの問いを完全に卒業したわけではない。 これは、ある意味、一生つづく問いなのだ。 偉そうなことはなにひとつ言えない私だが、 もしかしたら、 「やりたいことの迷路」にはまったとき、たたく、 サンドバッグくらいにはなる話かもしれない。 そのとき、先輩は私に、こう言ったのだ。 <自分が好きなことが必ずどこかにあって、 自分がそれにふさわしい才能を持ってるっていうふうに 思い込んでしまった段階から、 なにかこう、 「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところも あるとおもうの。> これは、そのときの私には、噛んでも、かんでも、 どうにも理解できない言葉だった。 それどころか、たぶん、そのときの私は、 先輩に逆のことを 言ってもらえると期待してたんだと思う。 自分に合った、 自分の好きなものを発見しなさい、と。 だれにも、そういうものは、 もともと備わっているから、と。 自分の好きなことに突き進んでゆきなさい、と。 あなたには、その才能があるから、と。 そう言ってほしかったんだと思う。 それが、なんで、 「他者とのつながりを断ち切る」ことになるのか? もうどうにも、わからなかった。 でも、とても大切なことを言われたと、 体のどこかは知っていたのだろう。 3年間、この言葉は消えてゆかなかった。 あれから、3年。 「やりたいこと」をやるために 悲愴な決断をして会社を辞め、 フリーランスとしてやってきた私は、 「やりたいこと」をやれているのだろうか? 答えは、 大きくNO! で、 すっごくYES! だ。 逃げているのでも ごまかしているのでもない。 ほんとうにそうなのだ。 「思い通り」か、と言えば、 こんなに思い通りにならなかったことは人生でない。 しかし、その思い通りにならない道を歩いていると、 たびたび自分の「本望」と言えるような感動に ぶちあったった。 「思い通り」に選べなかった道が、 まっすぐに「本望」に通じている。 これは、どういうことだろう? この理屈を解明できないものの、 私は、経験を通して、 身体でうすうす理解しかかってきていた。 そんな矢先、 文春(2003, 12月号)で、 養老孟司さんが、 「天才」について書いていた記事を読んだ。 そこにはこうあった。 「才能をあまりに個人に 結びつけすぎるのも考えものです。」 たとえば、ピカソがキュービスムを描いたのも、 天然かというと、そうではなく、 同時代の様々な画家の「影響」があるのだと。 3年前、あの先輩が言った言葉を思い出した。 <だれにも個性があって、 だれにも能力が与えられている、 なんてことに、期待しすぎてはだめ。 それは、絶対あるとも言えないし、 絶対ないとも言えない。> たとえば、音楽がやりたくて、絶対音感がある、 というように、生きていくテーマと方法が一致していて、 やりたいことで、まったく悩まない人もいる。 だが、それは、ごくごくごく、レアなことなのだと。 養老さんの話に戻って、養老さんはさらに記事で、 天才は変わり者と言われるが、 「天才の条件は世の中に広く理解されること」だと言う。 たとえば、十数ケタの暗算ができる人は、 電卓のない時代には天才と呼ばれていたが、 いまや天才とは呼ばれない。 時代が価値を認めなければ天才ではない。 遺伝子が発見される前に、 遺伝の法則を発見してしまったメンデルは、 同時代の人に意義を認められず、 失意のうちに亡くなった、と。 私たちは、どうしても「天才」というと、 ある「個人」の中にあるのだろう、と思いがちだ。 もっと言えば、ある個人の「脳」の中にあるのだろうと。 ところが、養老さんは、こう結論づける。 「天才を測るモノサシは脳の中ではなく、 われわれの社会の中にある。」 この養老さんの言葉、 そして、3年まえの先輩の言葉、 そして、何より、 「人の縁」や「社会の流れ」に生かされてきた、 私のフリーランスの歩みがまざりあい、 私の頭にひとつの「アイデア」が浮かんだ。 それは、 空っぽの私が、 いろんなものが混ざり合った 濃いスープ海のような 人々や社会の前にたたずんでいる姿だ。 「才能は自分の中になく、社会の中にある。」 「才能は自分の中になく、他者の中にある。」 いったん、こう極論してしまったらどうか? すごく、極端だけど、何が見えてくるだろうか? 自分の中にもともと個性はない。 自分の中にもともと才能はない、としてみる。 自分の個性は、人に出会って、関わって、 自分の価値をみとめた相手の中にあると考えてみる。 たとえば、私だったら、 私の中に、本を書く能力はない、とする。 ある日、編集者のKさんと、Tさんが本を頼んでくださる。 そのとき、2人に会って、私の個性が生れた。 私の能力は、 Kさんと、Tさんの中にあった、ということになる。 そして、わたしの本を読んで、 なにか活かしてくださる読者がいたとする。 この社会に、そんな読者の方々がいたとして、 能力は、私の中を一人でじくじく探してもなかった。 書くという具体的な作業を通して、 人や社会の中にあった、ということになる。 やりたいことは、どこにある? ここにないと仮定してみたら? どこに? |
Lesson 176 ひらけ! 「やりたいことがみつからない」 そんな時代の問いについて、 3年前、私の先輩がこう言った。 <自分が好きなことが必ずどこかにあって、 自分がそれにふさわしい才能を持ってるっていうふうに 思い込んでしまった段階から、なにかこう、 「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところも あるとおもうの。> これを先週とりあげたところ、 通常の倍、メールをいただきました。 この言葉、ピンとくる人は、すごくピンとくる。 こない人は、いっこうに飲み込めない、 と反応はわかれました。 うち3通、 とてもピンときた人、 何かを感じた人、 消化不良の人、 のメールをまず、一気に紹介します。 <卒業をひかえた大学生からのメール> 現在、大学5年で、一応就職も決まった東京都在住、 上野と申します。 前回のコラム「Lesson 175 自分の才能はどこにある?」 は、特に興味深く読ませていただきました。 <自分が好きなことが必ずどこかにあって、 自分がそれにふさわしい才能を持ってるっていうふうに 思い込んでしまった段階から、なにかこう、 「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところも あるとおもうの。> と言う下りが非常に印象的で、 言っている事がよく分かる気がしました。 最近私は、 〈他者、あるいは世界を通じてしか 自分を鍛える事はできないのではないか〉 〈自分にこだわったり、とにかく掘り下げたりすることは 案外何も生まないのではないか〉 と言う事を思っています。 例え職人のような一人仕事の分野であっても、 伝統やお客さんの存在と深く関わる事を通じて、 また、素材や、 なまなかなことでは思い通りに動いてくれない 自分の身体に対してコミットしていく事を通じて 職人としての“自分”が作られ、 鍛えられていくのだと思います。 まして、積極的に人と関わる仕事をしようと思う場合は、 生の自分自身の中に“自分”はないと思うのです。 自分自身に言い聞かせる「言葉」すらも 自分が発明したわけではなく、 元からあったわけですから。 つまり、 対象を自分の意志が リードしていっているように思えるけれど 実は深い所では逆なのではないか、ということです。 「自分が好きなことが必ずどこかにあって、 自分がそれにふさわしい才能を持ってる」 というのは、ある種とてもイノセントな世界観で、 自分を励ます 素晴らしい考え方のように一見思えるのですが、 実は世界に対して “閉じてしまっている”状態なのではないか と思うのです。 例えば子供が持つ夢と言うのは、狭い視野の中で、 自分の限られた経験世界の中だけで空想した事だから、 現実と大きくずれている事が多いですよね? それと同じような事ではないかと思うのです。 子供の場合は育つ力が強いから、 どんどん色々な経験をして、 それを吸収して行く事で、 柔軟に世界と向き合う事ができる。 でも大人はなまじ経験やプライドがある分、そうは行かず、 その時点での自分の世界観と、 そこから生まれるものにこだわってしまう。 自分自身に、囚われてしまう。 そういう“閉じている状態”というのは、 極端な言い方ですが “自分 (所属するカルチャーや、既に知っている事なども含めて) に対してしか興味の無い状態” だと思うのです。 もしその状態のまま前に進めたとしても、 それは何処まで行っても自分、自分、自分、しかない。 だから山田さんが <「思い通り」に選べなかった道が、 まっすぐに「本望」に通じている。> と仰ったのは、逆に思い通りでなかったからこそ、 世界に対して自分が“開かれた”状態になって、 そこに感動が生まれたのではないかと思います。 (読者 上野さんからのメール) <就職 → 迷い → いま> わたしは小さいときから、自分では何も考えず、 まわりの人に甘えて、 まわりの人の言うとおりに生きてきました。 学校の勉強だけはしっかりやり、 大学まではスムーズに進みました。 そして就職活動のとき、就職先がみつかりませんでした。 いろいろ原因はあると思いますが、 やっぱりやりたいことが無かったからだと思います。 恥ずかしながら、 そんなこと考えたことがありませんでした。 自分には何も無く、社会には必要とされない存在、 そう実感しました。 初めての大きな失望でした。 それでも就職だけはと必死に勉強し、 大変失礼な話なんですが、 なんとか公務員になることはできました。 しかし、やる気は無く、 生きた心地も無く、夢や希望も無く、 そして、体重は激減、 女性としての機能はストップしました。 当然の報いですが、ここからが長かった。 程度のひどい更年期障害の症状が続きました。 何をやってもたのしくない、 おもしろくない、うまくいかない。 自分には何も無い、何の価値も無い。 どこで何をしても、それがついてまわりました。 心のどこかでは、腐ってはいけない、 必ず乗り越えられると思っていましたが、 でもやっぱり、つらかった。 心とからだの悪循環。 頭で正気を保つのもぎりぎり。 いろいろ模索しましたが、自分は何がしたいのか、 何をすればいいのか、 答えは出ないままでした。 そうこうするうちに5年が経ち、 大学のときから10年付き合っている彼と 結婚することになりました。 正直、答えが出せないままの結婚を 望んではいなかったのですが。 今、結婚して約10ヶ月、 なぜかからだはほぼ完全に回復しつつあります。 同時に、心も回復してきているようです。 なぜなら、まわりのすばらしい方々のメッセージが、 ほんとうに心とからだにしみるからです。 「Lesson 175 自分の才能はどこにある?」で、 就職に悩む読者の方に勝手ながら自分を映し、 養老さんの考えを理解することができ、 そして、ズーニ-さんの先輩の言葉に 心のかたまりがとけていきます。 わたしの心はだんだん熱を帯び、 膨らんでいっているような気がします。 やっと少し解放された、素直になれた気がします。 瞬間、いろんなことがこみ上げてきました。 頭ではわからないけれど、 心とからだは何か答えの手がかりをみつけたんだと、 ずっと夫は一緒にいてくれたんだと。 きっといままでも、わたしのまわりには 素敵な方々がたくさんいたと思います。 でも、わたしのほうで受信できず、 しかもそのひとを傷つけていたかもしれません。 きっと夫も傷つけていたでしょう。 人との関わりを放棄し、思いやることもできずに、 自分のしたいことなんて、 たとえあったとしても、それがなんなんでしょう。 結局未だ自分のしたいことは見つかっていません。 だけど、いまは生きててたのしいです。 これからは、自分のまいた種を少しずつ拾いながら 生きていこうと思います。 (読者 餅さんからのメール) <まだ、自分が、自分が、からのがれられない> 「Lesson 175 自分の才能はどこにある?」 難しかったです。 天才の話も、能力や才能の話、 わかるような、わからないような。 すいません。 考えた結果 「他者に認められ、理解される」 そこではじめて<その人のした「何か」(やりたいこと) は達成された>のではないか という意味かと思いました。 そして、「やりたいこと」とは、 自分は何を人に認めてもらいたいか、 何を社会に、世の中に貢献したいか、 ということでしょうか。 書きながらもちょっと自信がない答えです。 まだ「自分が自分が」からのがれられない気がします。 それは私の根本が「何かをしてあげたい」より 「認めてもらいたい」が強いからだと思います。 私は、「今まで自分が元気をもらったように。 自分も誰かを元気にする本を残したい」と思っています。 でも、それが本心かというと、 「私の言葉で元気になった?なった?」とか、 「有名になりたい」 というもののような気もしてなりません。 つまり自己満足したい。という願望。 どこかに、えーい,ここから一気に飛び出したいという 気があるような気がして(いや、ある。確実に。笑) まいったなあ、と思いました。 他人のおせっかいとか、よくみせたいんだな自分のこと、 という感覚は人に伝わりやすいものです。 もう少し、「元気にさせる」ためのもととなる 「元気になる」ことについて考えてみたいと思います。 まずは、自分が元気になる方法を たくさんみつけようと思います。 (読者 Eさんからのメール) ふたたび、ズーニーです。 私も3年前、先輩の言葉が消化できなかった。 だからラストのEさんの、その感じが とってもよくわかるのです。 そして、3年前のそのとき、実は、 消化できない言葉が、もうひとつありました。 だから、それを、大学生の上野さんのメールに 見つけたときは、衝撃でした。 >>山田さんが 思い通りに選べなかった道が、 まっすぐに本望に通じている。 と仰ったのは、逆に思い通りでなかったからこそ、 「世界に対して自分が"開かれた"状態になって、」 そこに感動が生まれたのではないかと思います。>> この「ひらく」という言葉、 やはり3年前、先輩がしきりに言っていたのです。 「自分をひらく」と。 「自分をひらかなければ、 ありのままを、ありのままに受け取ることなんてできない」と。 しかし、3年前の私には、 この「ひらく」という言葉も消化できず、 消化できないから、自分を開いてみようもなかったのです。 それからの3年間は、 ただ、ただ、苦しかった。 だから、餅さんのメールのここを読んで、 >>人との関わりを放棄し、思いやることもできずに、 自分のしたいことなんて、 たとえあったとしても、それがなんなんでしょう。 結局未だ自分のしたいことは見つかっていません。 だけど、いまは生きててたのしいです。>> 涙がでそうになりました、 いかん!と抑えましたが、感動しています。 したいことなんか、それがなんだ、生きてる! 私もささやかでも、そう思えるくらい、 「生きる」という実感に、コツンと手がさわった3年でした。 現実の厳しさは、 たびたび、自分の存在意義を、 いや、それを問う、わずかな心のすき間さえ、 根こそぎさらっていきそうになりました。 だから、餅さんのメールの、ここがしみます。 >>自分には何も無い、何の価値も無い。 どこで何をしても、それがついてまわりました。 心のどこかでは、腐ってはいけない、 必ず乗り越えられると思っていましたが、 でもやっぱり、つらかった。>> そして、やっぱりこのつらさをくぐったことがよかった。 それが、人に対して、他者に対して、 自分を開くのに 必要なプロセスだったのではないかと想います。 3年間、ただ、ただ、くるしかった。 しかし、それが、自分を「ひらく」ということだったと、 「ひらいていたのだ」と、 大学生の上野さんに教えられました。 上野さんと同じように、卒論真っ最中の学生である 読者の長門さんも、冒頭の先輩の言葉について、 「私には、先を読まずともこの言葉が理解できました。 そして、心の奥に思いっ切り、ズシーン!ときました。」 と適確な理解を寄せてくれました。 そして、やはり、この「自分をひらく」ということを、 「こもるな!」という表現で、伝えてきてくれました。 卒業をひかえた大学生は、 就職活動、卒論を「書く」という行為を通じ、 他者と自分の関係を考えずにはおられない人たちです。 私は、今回、そこに耳を澄まし、 あらためて、こう、教えられました。 やりたいことの問いにつかまったら、 こもるな! ひらけ! |
Lesson177 表現への動機が生まれるとき ほぼ日と、読者の方々に出版の機会をいただいた 『あなたの話はなぜ「通じない」のか』、 先週、韓国の複数の出版社から、 翻訳出版のオファーをいただいた。 人と人が通じ合うことを願って書いた本だ。 目指す教育の分野で、海をわたるというのは、本当に嬉しい。 今日まで導いてくださったみなさん、 ほんとうにありがとうございます。 海をわたる。 まったく思いもよらなかったから、 当然、私の「目標」にも、「やりたいこと」リストにもない。 だが、向こうから言われて、 まさにそれは、「私のやりたいこと」だったと気づく。 フリーランスになってからの3年半のあゆみは、 こうした「自分でもそんなシナリオは書けない!」という 驚きに導かれている。 人生のシナリオがあるとして、 会社を辞めたときの私は、こう想った。 「異動があるのが前提の会社では、 来年度やる自分の仕事と、 勤務地さえ、自分で決められない。 たった一年先の仕事と、住むところさえ 決められないなんて、なんて不自由なんだ! これからは、せめて自分の人生については、 自分が主(あるじ)になろう!」 つまり、「自分の人生のシナリオは自分で書く!」 と思って会社を出たわけだ。 ところが、どっこい! やめたとたんに、自分の人生の主(あるじ)どころか、 会社員のときよりも、もっともっと不自由な、 一年先どころか、明日の自分さえわからない立場を 自分で選んでしまっている。 会社を出るとき、期待と不安まじりに描いたシナリオは、 ことごとく、裏切られた。 いや、それどころか、自分が描いたシナリオに向かって、 一歩踏み出そうとすると、たちまち道がふさがり、 何かに首ねっこをつかまれて、ま反対に、行かされる。 それでも、予定した道にいこうと逆らうと、 地面にねじふせられる。その繰り返し。 結局、そこに道はなかったのだ。 不本意な人生を、それでも もてる全力と、正直の限りで生きた。 その道が、目指す教育にまっすぐ通じていた。 今回のこともそうだし、 自分自身が本を書くことも、 大学で教えることも、 すべて、まったく「思ってもみなかった」ことであり、 でもすべて、 人の持つ「考える力・書く力」を生かすという、 「ほんとうにやりたかった」ことだった。 自分でも、こんなよくできたシナリオは書けない! いったいだれが、書いたのだろうか? 以前紹介した、読者の学生さんのメールに >例えば子供が持つ夢と言うのは、狭い視野の中で、 >自分の限られた経験世界の中だけで空想した事だから、 >現実と大きくずれている事が多いですよね? >それと同じような事ではないかと思うのです。 (上野さんのメールから) とあったが、私の場合も、本当にそうだった。 私が、会社を辞めるとき書いたシナリオは、 結局は、「会社員である私」に立脚したものだったのだ。 大きな会社にいたから、 ずいぶんと視野をひらいてもらい、 経験もたくさんさせてもらった。 だが、ものを見、 経験を積んでいるこの「私」の自我でさえ、 組織の中で形成されたものだった。 どこまでが、等身大の自分の手足のなせる技か? どこまでが、組織力に生かされてのことか? だから、完全に「個」になって現実に向かったとき、 シナリオどうりにいかないのも、当たり前の話で。 そして、もうひとつ、誤算があった。 人の興味は、「前に向く」ということだ。 「やりたいこと」ときかれると、多くの人は、「未来」に 目が向くんじゃないだろうか? すでに自分が何回も、何万回もやって、 すごく得意なことよりも、 「まだ、やったこともないこと」に目が向く。 「未知」には、現実のしがらみがない。夢を託しやすい。 私もそうで、 会社をやめる時点で、小論文編集を13年やっていた。 「領域をひろげたい!」 とその時点では思っていたのだ。 「活字」でやってきたから、「映像」をやってみたいとか、 「小論文」の枠をこえた境域で、 「考える力・表現力」を引き出すことをやってみたいとか。 つまり、そのとき私が書いたシナリオは、 「まだやったことがないから、やってみたい」 「未来」の方向を向いて、書かれていた。 本人はそれは、興味関心があるだろうが、 「やったことがない」で、いきなり勝負をかけるのは、 素手でなぐりこみにいくようなものだ。 一方、 人が見ていてくださって、手を引いてくださったのは、 私の「過去」だった。 13年、高校生の「考える力・書く力」の教育を コツコツやってきた。その経験であり、ノウハウだった。 社会では、文章力や コミュニケーションギャップが問題になっていた。 私にとって、もう身体になじみすぎていた、 「考える方法」や「書く技術」が、 切実に求められていたのだ。 自分にとって、もうあたりまえになっているものに、 自分はなかなか評価を与えたがらない。 それどころか、気づかなかったりもする。 私も、「他者」によって、 求められたり、導かれたりしてはじめて、 十数年の文章指導経験の意味を再発見することとなった。 会社を辞めた時点で、「未知」を向いて、 まだ「組織の中の個」としての表現手法が 手離せないでいた私が、 本当にやるべきだったのは、 「個」としてできる、新しい表現方法を見つけ、鍛え、 一日も早く、「いまの自分の声」をあげることだった。 そして、「個」としてできる、新しい表現方法とは、 わたしにとってまず、「書く」ということだった。 編集者とか、プランナーという、 もっとも組織力を要する表現方法に慣れ親しんでいた 私にとって、 もっともミニマムな「書く」という表現方法を 受け入れ、使いこなしていくことは、 孤独と苦しみが伴うのはあたりまえのことだった。 だが、「書く」ことこそ、だれにでも、すぐはじめられ、 個が、個として考えを 直接伝えるのにふさわしい表現方法だ。 私にとって、いま振り返れば 「会社を辞めるか、やめないか」というのは、 つくづく、大きな問題ではなかった、と思う。 大変な思いはしたが、大きな問題ではなかった。 それよりも、「表現するか、しないか」が、 大問題だったと思う。 書くということで、自分の考えを、細々とでも、 ずっと外にむかって表現しつづけたことを、 いまは、命綱のように思う。 私が会社を辞める決断をしたのは、 13年やった小論文編集から異動になったときだった。 頭は、ものわかりよく、異動を受け入れても、 身体は、痛み・つらがっていた。 あの瞬間、自分は「生きてたな!」と思う。 思えばあのとき、のちのち表現しつづける 切実なモチベーションが、体の中に生まれたのだ。 何か、不測の事態で、 それまで一所懸命やってきた自分の経験や歴史が、 そこから繰り出される未来が、 外から、急に断たれようとするとき、 そういうときこそ、自分という存在は、 もっとも激しく生きようとして、美しい。 自分を表現しなければという切実な衝動が、 これほど確かに、 迷いなく、突き上げてくるときはないからだ。 私の頭は、 迷ったり、弱ったり、誤算があったりしたが、 身体は、その時、 そのことをちゃんと知っていてくれて、 ちゃんと悔しがって、 ちゃんと負けないでいてくれて、 のちのち書いて表現することを、 コツコツやりつづけてくれた。 何か、不測の事態で、 自分のやってきたことが外から断たれようとするとき、 悪いのは社会でも、自分でもない。 悪いのは、それで自分が弱ってしまうことだ。 そういうときこそ、表現への切実で美しい衝動が宿るとき、 胸を張って自分を表現していこう! |
Lesson178 あたえ文、くれ文 後輩のS君は、心も外見も美しい人なので、 モテモテなのだそうだ。 しかもきれいな女性ばかりという。 「いいなー! モテモテってどんな感じ?」 と私が聞くと、 S君は、ほんとうに浮かない顔でこう言った。 「なんか、みんな、 僕に、“与えてくれ”みたいな感じで。」 あの浮かない顔は、ポーズではなかった。 瞬間、私は、きれいな女の子に囲まれ、四方八方から、 「くれ!」「くれ!」と言われているS君をイメージした。 女の子たちが次々にS君に言う。 「私の方を向いてくれ!」「私をわかってくれ!」 「優しくしてくれ!」 「くれ!」「くれ!」「くれ!」……、 むしりとられていくS君。 モテるのも、タフでないとできないのか。 これは、文章にもあるな、と思った。 相手に「くれ、くれ」と要求する「くれ文」と、 相手に与えようとする、「あたえ文」と。 例えば、たった1通のメールにも、 朝から、意気をむしりとられるような文章と、 限りなく力を与えられるような文章がある。 この差は、何だろう? 「くれ文」は、文字通り、さまざまな要求をしてくる文章、 「ああしてくれ」「こうしてくれ」。 相手の時間や手間、優しさや、智恵や力を、 「ちょうだい」と言う文章だ。 ところが、もっとやっかいなのは、 何も要求など書いてない、書いた人にも自覚がないのに、 妙に読み手のパワーを吸い取る「くれ文」があることだ。 もらった方は、読んで、いやなひっかかりが残る。 負担を感じる。わずらわしい。 一方、「あたえ文」は、 文字通り、相手に、自分の経験知や、優しさ、 手がかりや視点、勇気など、さまざまなものを与える文章だ。 もらった方は、読んで、力がわき、はればれと自由な感じがし、 社会に向かってはばたきたくなる。 「あたえ文」と「くれ文」の境は微妙だ。 はっきりした「くれ文」、つまり、 要求をされたり、頼みごとをされているのに、 逆に、読んで嬉しい、こちらが力を与えられてしまう 「あたえ文」になっていることもある。 知識や情報を提供しようとして書いているつもり、 つまり、「あたえ文」を書いているつもりが、 やりようによっては、 「私の言うことを聞いてくれ」「わかってくれ」の 「くれ文」になっているときもある。 先日、ある人が書いたものに、 感想のメールを書こうとしていたとき、私は思った。 私は、相手に、少しでも何かを与え、 相手を自由にするような 「あたえ文」を書いているだろうか? 相手は、私より、知識も経験もある人だ。 メールを書きはじめたものの、 どうしても「くれ文」になってしまうことに気づいた。 どうも、「こっちを向いてくれ」とか、 「わたしの気持ちを聞いてくれ」 というような根性が顔を出す。 書いているうちに、自分はいま、寂しいんだなと思った。 人の優しさ、に餓えていたり、 自信を失っているときに、筆をとると、 「あたえ文」を書いても、「くれ文」を書いても、 結局、「くれ文」になってしまう。 また、相手の方が、 はるかに知識や経験がまさっているときに、 「あたえ文」など書けないのだろうか? 相手との関係性、自分の内面を築くことが、 遠回りなようでも 「あたえ文」への近道なのだ、と思い直し、 いま、何を書いても「くれ文」になるからと、 メールを書くのを、いったん諦めた。 まったく別のことをしていると、ふっと、 「アイデア」が浮かんだ。 最近、高校生の文章指導をしていて得た情報で、 これなら、私独自の経験知だから、博学な人でも知らない。 しかも、相手が、テーマをまったく違う角度から見るのに 役立ちそうな情報だった。 さっそく、それを感想メールに書いておくったら、 非常に、新鮮に感じ、面白がってくださった。 自分に充分な知識や経験がなかったり、 自分が満たされていなくても、視点を工夫したり、 情報の関係を発見したり、つまり、「考えること」で、 ささやかな、「あたえ文」は、書けるのだなと思った。 「創意と工夫」。 これからも、生きていく上で様々な「くれ文」を 書かねばならない私だが、 今日は、聖夜。 キリスト教の人々の、与える精神にあやかって、 せめて、今日は、 ギブ&テイクでない、 ギブ&ギブ、もっとギブ! を、文章で実践してみたい。 |