YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson900 サイン


「いやだからやめて」と言われたら、いったん引こう。

つい、「でも、だって、いいじゃない」、「なんで」、
と返しがち。

でも、もしかしたら
相手は、ずーっと前から嫌で、
ずーっと言い出せずに我慢し続けきて、
そこで耐え切れずに言ったかもしれない。

「サインが出たときは最後通告」

かもしれない。
サインが出たらやめよう。

先日、立食で、

何も食べてない人がいて、
立場的にも、年齢的にも、
遠慮して食べられないんだろうと思いこんで、

私は、お皿とお箸を差し出して、
食べていいよ、食べようよ、とすすめた、

ところが、相手は断固として皿を受け取らず、
「どうぞ」「いいです」「どうぞ」「いいです」
の攻防が、まったく予想外に続いて、

何とも言えず気マズイ感じになってしまった。

その後、後味が悪く、もやもや考え続けていたとき、
脳裏によぎったのが、
イビられていた日々のことだ。

ある朝、目覚めると、ひたいに足の裏がのっていた。

これは、たとえだ。
コツコツネチネチ、イビられるうち、
私は、ひたいに誰かの足の裏がのってる心になった。

この足に力が加わり踏みつけられれば、私は潰れる。

この足をとってくれたら、毎日とっても自由になれる。

でも、足の裏は私のひたいにのったまま。

「自由にものを言わせてもらえない。」

これが本当につらかった。

相手を理解することに努めたり、
自分が好かれる人間になれるよう努めたり。
それでも、相手は習慣のように、生きがいのように、
待ち構えているかのように。

我慢したり、我慢したり、
我慢したり、我慢したり、我慢したり、のある日、

「サイン」

が出てしまった。私から言葉になって、
やめてくれという意味の、小さな小さなサイン。

でも相手から返ってきたのは、

「いまの人ってどうしてそんなに弱いの」

このときの失望はとても書ききれない。

「サインが出た時は最後通告。」

絶対、それ以上やっちゃいかん。
サインが出た時、さっとやめれば、
関係修復、許し、やり直しの希望はある。

自分も人に対して、していないか?
なぜ、どうして、と相手を問いつめたり、、
私はこういうつもりで、と釈明をとうとうと語ったり、
まわりに「このくらいいいのにね」と
あてこすりを言ったり。

「はい、ごめんなさい」、とさっとやめる。

そういう度量を私が持ちたい。

イジメにしても、ハラスメントにしても、
やってるほうと、やられているほうの間には、

30倍の温度差がある。

やってるほうは、1くらいのからかいでも、
「かまってあげてる」、「あなたのために」でも、

やられたほうは、30ダメージくらい痛い。

2階、3階と高い所から投げ落とされた石ほど
落とされた方は痛いのと同じに、
立場が上、年齢が上からのダメージはきつい。

あの立食で、

相手が「いいです」と言ったとき、
私は、サッと引くべきだったと反省している。

それがサインか、サインでないか、
相手に溜まりにたまった事情があるのか、ないのか、
その事情は、私に関係あるものか、私と関係ないものか。

わからない。

わからないからこそ、
相手が「いやだ」という事実、

その事実をもっと、さっと、尊重できる私になりたい。

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2018-11-21-WED

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