YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson896
 4チューナーの女


もしも、自分のアシスタントを1人だけ
雇わなければならなくなったとしたら、

自分の好きに選んで、自由に決めていいとしたら?

私は、「4チューナーの人」がいい。

それに気づいたのは、あれは、そう、

週刊誌の不倫スクープがどんどん激化していた時代だ。

当時マスコミで、
「要職にあり、結婚して夫もいて、
子どももいる女性が、不倫‥‥」
と取り沙汰していたことがあった。

私は本題には興味がなく、

だから、
だれをかばうつもりも、責めるつもりも、まったくなく、
ここで倫理的な善悪を問題にする気も一切なく、

ぜんぜん別のことを考えていた。

「4チューナーの女だ!」と。

ちょうどパソコンを買い替えた時期だった。

テレビを内蔵するには、
4チューナーしか在庫がない、と店の人に言われ、
最初はとまどった、「4つもいらない」と。

もとのパソコンはオンボロで、

1つの番組の録画をするのも、、
できるか、できないか、ハラハラして大変だった。

録画をしていると、パソコンがフリーズする。

「今日はパソコンがフリーズしなかった」
と喜んでいると、予約した録画が撮れてない。
そんなトラブルが日常になっていた。

1つの仕事をこなすだけでイッパイ、イッパイ。

2つ同時に仕事を頼んだら、
キャパオーバーで破綻してしまう。そんな

「オンボロ1チューナー」

のパソコンを、
私は、愛して、随分延命し、使いたおした。

ところが!

いざ使ってみると、
4チューナーの「仕事がデキル感」、
それによる安心感、便利感、ハンパなかった。

年末年始の特番がたくさんの時も、
長期に出張に出る時の留守番録画も、
連続ドラマも。

同時に2つ、3つ、いや4つの仕事を完璧にやってのける。

パソコンを、もし擬人化すると、

以前は、すごく愛おしいけれど、
旧式な頭脳で、
1つのことしかできず、
2つめを頼むと、どうにもならなくなって、立往生する
アシスタント。

新しく来たアシスタントは、
よそよそしいけれど、ゴリゴリのハイスペックで、
同時に4つのことを頼んでも、
苦じゃなく、完璧にやり遂げるキャパの持ち主。

そんなことを思っていた矢先の、

「4チューナーの女」

の登場だった。
善いか悪いか倫理的な問題を抜きにしてみると、

責任の重い高度な仕事をバリバリこなし、
結婚生活を送り、
出産して育児をし、
恋もし、

良い悪いでなく、
人によっては、このうち1つをやっていくのも
難しいところ、
4つを同時にやっている。
スケジューリング、スケジュール管理、調整力、
体力、気力、キャパシティ。

「人によって、スペックはこんなにも違うものなのか?」

と私は思った。
世の中には、恋をしたら
仕事が疎かになってしまう人もいる。

逆に、仕事に専念すると、
もう他のことが何も考えられなくなって、
恋も、友だちづきあいも、趣味も、
できなくなってしまう人もいる。

いわば、1チューナーだ。

でも、一方で、

仕事を人一倍やっているというのに、
まわりから「いったいいつの間に?」と思われる中、
恋も同時並行でやっていって、
多趣味で、家族の面倒見もよく、と、

ダブルチューナー、トリプル、4チューナー、
それ以上に多岐にわたって、同時並行できる人がいる。

「生まれながらにして、
1チューナーの人間と、
4チューナーの人間とがいるとしたら、
不公平じゃないか。」

と最初はおもった。でも、

「待てよ!」

自分は、この話をずっと、
自分が不器用な1チューナーという先入観で考えていた。

それは私が、40歳近くになって書き手に転身してから、
文章を1本書くのにとても時間がかかり、
書きはじめたら、それ以外の一切ができなかったからだ。

でも、会社にいた時の自分を考えると、
別人のように、マルチな任務をこなしていた。

ものづくり一つをとっても、
編集長として、10月号をつくりながら、
11月号を依頼し、12月号の台割をつくり、
来年度企画のための調査をし、
と同時にいくつもの媒体が並行して動き、
部下の相談に乗り、育成し、
予算や、組織の仕事、プロジェクト、
会社のイベント、などなど。

確かに、40歳近くになって書き手に転身してから、
しばらくは他に何もできなかったけれど、

いまでは、私も、書き手と教育者の
ダブルチューナーを当たり前のこととしてやっている。

人はレッテルを貼りたがる生き物だ。

「不器用な人間」とか、「マルチな才能」とか、

言ってるうちに、決めつけになって、
呪いのように、その人のチューナーを固定してしまう。

でも、人間は機械ではない。

機械は、1チューナーが自然に
4チューナーになることはない。

でも人間はある。

「これも訓練次第で、ある程度どうにかなる!」

身近な人が、

どちらかというとそれまで不器用で、
1つのことをやるのも、やっとだったような人が、

結婚、出産後、

片手で、ガッ!と、下の子どもを抱きかかえ、そのまま、
もう一方の手で、晩ごはんをつくり、
口で、上の子どもの宿題の質問に答え、
頭のなかで、明日の仕事の段取りを考えている。

そんな光景を私たちは当たり前のように見ている。

人間は、環境に適応して、
コツコツと努力し、それを習慣化させることで、
1チューナーから、2チューナーへ、さらにその先へ、と
増やしていける。

「環境と、選択と、努力と。」

つまりは自分がどうなりたいか?

1チューナーの人間より、
2チューナーの方が尊いわけでもなく、
その逆でもない。

一事専念、一つしかやらない・やれないことが、
他にまねのできない深い仕事を生みだすこともあれば、

同時にいくつも仕事をこなすチカラが、
自分にも、まわりの人々にも、
豊かな花を咲かせることもある。

きょうも、黙々と録画をパーフェクトにこなす
4チューナーのハイスペックなパソコンに、
便利だと重宝しつつも、どうにも愛情がわかない私がいる。

1チューナーか? 4チューナーか?

人の愛みたいなものは、さらに幸せかどうかも、
チューナーの数で単純に測れはしない。

自分はどう生きたいか、どんな方向にときめくのだろうか?

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2018-10-24-WED

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