YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson890
 SNSにどこまでプライベートを書いていいのか


SNSにどこまで自分のことを書いていいのか?

正解は無いし、
人によって一人一人違う答えを持っていていい。

だからここではあくまで私の個人的な基準をお話しして、

参考に、ではなく、「踏み台として」いただいて、
読む人それぞれの答えを考える役に立てばと思う。

さいきん芸能人のSNSが議論を呼んでいる。

「芸能人の恋愛などプライベートは見たくない」
という人もいれば、

「ぜんぜんかまわない、どんどんSNSで発信していい」
という人もいる。

私はこれには1つだけ願望がある。

日程や、お金をやりくりし、チケットをとり
芝居を観に行ったとき、
もしも、出ていた俳優がSNSにさらしていた私生活が、
気になってイメージこびりついて
芝居に集中できなかったら? 

表現者のSNSで私が気にするのはその1点だ。

「じゃあ、芝居じゃなくてテレビならいいのか」
と言われると、いい。

芝居は私にとって特別だ。
何か月も前から、チケット落選を時には何度ものりこえて、
大変な思いをしてチケットをとる。
高価でもある。

私にとって、俳優さんの恋愛は驚くほど
マイナスイメージになってない。

でも、卑怯は気になる。

例えば、ある俳優さんが、対立している人がいるとして、

その人に直接言えばいいものを、
わざわざSNSを使って、遠回しに、あてこすりのように、
悪口を言っていたり。

ずる賢く、周到に、
結果的にその人に非が行くように、
自分に同情が集まるように、あざとい発信をしていたり。

文章教育を仕事にしている私には、
書き手の心の奥にある、卑怯な魂胆、意地の悪さまで
読み取れてしまう。一種の職業病だ。

「がっかりした、読まなきゃよかった」になる。

だから、自分でも客の身勝手だとわかりつつも、
舞台に出る人には次の2つのうち、どちらか1つで
いてほしいという願望がある。

舞台期間は、表現を妨げるSNS発信はおさえてほしい。

あるいは、おさえられないならそれでいいから、
だったら、

圧倒的な表現力で、SNSのことなんか吹っ飛ぶくらい、
一瞬で芝居の世界に連れ去ってほしい。

つまりは芝居に入り込めて面白かったらそれでOK!
あとはどうでも自由にSNSをと思う。

そこから、自分のSNSでのふるまいを客観視すると、
1つだけ守るべき基準が見えてくる。

いま、山田ズーニーの本をつかって、
就活の文章書きを頑張っている人や、
入試小論文突破を目指して勉強している人がいる。

そういう「読者」を私のSNSでがっかりさせないことだ。

人にはそれぞれ大事にしたい「他者」がいる。

舞台俳優にとっては、「観に来てくれるお客さん」、
教師にとっては、「生徒」、
バンドをやっている高校生にとっては、「リスナー」。

他者の目になって自分のSNSを見た時に、

「こんな人だとはがっかりだ」
「本業のほうまで悪いイメージがついてしまった」

と自分でも思うようなら、私だったらその発信はやめる。

これは、我慢でもなく、窮屈でもなく、
表現する自分を大事にする行為だ。

いざ本を手に取ってもらったときに、
いざ教壇に立ったときに、
自分の表現がより届くように磨いておくような行為である。

「私の本で書く力を伸ばそうとしている人を
がっかりさせない。」

そこだけ見失わなければあとは、飾らず、偽らず、
かなり自由に発信できているように思う。

この情報を出すか、出さないか?

SNSで迷う時、あなたの立ち戻る基準は何か。

あなたの仕事や活動を通じて働きかける「他者」
をイメージしてみてはどうだろうか。

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2018-09-05-WED

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